日本貿易保険 医療物質の輸入を支援

2020年09月09日 11時12分43秒 | 医科・歯科・介護

新型コロナウイルス感染症拡大への対応について

2020年9月7日

株式会社日本貿易保険

 日頃より、各種貿易保険商品をご利用頂き、厚く御礼申し上げます。

 新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延により、世界経済が戦後最大とも言われる危機に直面する中、引き続き不安定な情勢下で事業活動を継続されている事業者の皆様に対し、心よりお見舞い申し上げます。

 今回、2020年4月2日1に新型コロナウイルス感染症拡大への対応の中でご案内いたしました「新型コロナウイルスの影響にかかる取扱いQ&A」について、一部内容を更新したことをお知らせいたします。


<お問い合わせ先>

○ 各種保険契約の諸手続に関するお問合せ・ご相談
輸出保険・投資保険のお問い合わせ窓口
営業第一部 お客様相談窓口:0120-671-094
大阪支店  お客様相談窓口:0120-649-818

○ 保険事故・回収関連の諸手続に関するお問合せ・ご相談
債権業務部 査定グループ及び回収グループ:0120-673-094


福岡通り魔殺人「15歳少年」出所2日後の凶行 責任の所在は

2020年09月09日 10時41分13秒 | 事件・事故

9/9(水) 5:57配信

デイリー新潮

断たれた21歳の未来(吉松弥里さん本人のFacebookより)

 少年院を出た2日後の凶行である。なぜ無差別殺人者を野に放ってしまったか。兆候はなかったのか。彼に自由を与えた者の責任が問われるのである。

 ***

 赤く染まった包丁を手に、血走った目で歩き回る男。それを見て逃げ惑う客。8月最後の金曜夜。福岡市のショッピングモールに満ちた阿鼻叫喚……。

 事件が起きたのは、8月28日19時半。福岡ドームに隣接した「MARK IS 福岡ももち」で、包丁を持って暴れる15歳の少年が取り押さえられた。程なく、1階の女子トイレで、同市在住の吉松弥里さん(21)が血を流して倒れているのが発見される。少年は即座に逮捕され、吉松さんは死亡が確認された。二人の間に面識はない、いわゆる「通り魔」的犯行である。

「酷い事件でした」

 と振り返るのは、さる全国紙の社会部記者。

「凶器は刃渡り18・5センチの包丁で、首や胸をめった刺しにしています。また、その後も、近くにいた6歳の少女に馬乗りになって刺す寸前までいった。ここで取り押さえられましたが、第二、第三の犠牲者が出る可能性もありました」

支離滅裂な供述
 人を殺めることに一片の迷いもないかに見えるが、この15歳の「少年A」とは、何者なのか。

「彼は中学3年生で、直前まで、九州地方にある少年院に入所していました」

 と述べるのは、別の全国紙の社会部デスク。

「この少年院は、知的、情緒障害のある少年を見る施設。そこから出所が認められ、8月26日に福岡県内の更生保護施設に入ります。この施設も、少年の保護実績で名が知られ、また、知的障害などを持つ出所者への知見も深かった」

 犯罪や非行により刑務所や少年院に入った者が、仮釈放や退院で社会に出た際、頼る親族がいなかったり、帰る場所がなかったりするケースはままある。更生保護施設とは、そうした者たちが自立するまでの間、宿泊や食事を提供する場所のことで、全国に103ある。いずれも民間による運営だ。

「この少年も出所後、家族の元で暮らせない事情があったのでしょう。そして施設に入ってわずか1日で無断でいなくなり、翌日の夜、犯行に及びました。取り調べには支離滅裂な供述をしています」

 彼の来歴をふり返ると、処遇に細心の注意を払うべき存在であることは明白。まずは“脱走”を許した施設の責任が問われようが、

「更生保護施設は言わば、船が港で一時避難する安全地帯。非常にゆるいのです」

 と言うのは、受刑者の処遇についての著書を持つ、ノンフィクション作家の斎藤充功氏。

「そもそも監視する施設ではなく、私が取材した施設では警備員もいなかった。監視カメラくらいはありましたが、行き先、目的などを書いた届けさえ出せば、外出も自由です」

 もともと更生保護施設が出来たのは、社会への円滑な復帰を図るため。その精神からして、管理が緩くなるのは必然なのだという。

 むしろ、

「問われるべきは、少年院の方ではないか」

 と斎藤氏。

「出所後すぐの犯行となれば、そもそも出所に値するという判断が妥当だったのか。更生した、という判断が甘かったのではないか、と」

 当の少年院に聞くと、

「個人に関わる情報はお答えできません」

 と言うのみ。

 なぜ彼は出られたのか。その判断主体は誰だったのか。今後の全容解明は必須である。

「週刊新潮」2020年9月10日号 掲載

新潮社

 

【関連記事】

 

 

 

 


戦後にメディアが豹変した本当の理由 GHQに忠誠を誓い「飼い主」変更 

2020年09月09日 06時37分38秒 | 社会・文化・政治・経済

2016.08.27
連載:ニッポンの新常識 ケント・ギルバート  プッシュ通知  

1945年8月15日の朝日新聞紙面

終戦まで、日本のメディアに「報道の自由」はなかった。新聞各社は、言論を統制する内閣情報局などと連絡しながら、国民の戦意高揚のための記事を掲載した。書籍や雑誌、ラジオや映画でも、検閲や指導は日常的に行われていた。

 政府や軍部を批判すれば、発行禁止や回収を命じられたり、逮捕・投獄される恐れもあった。当時の日本メディアはジャーナリズムの意地や誇りを捨てて、政府や軍部の「忠犬」や「番犬」として生き残る道を選んだ。

 朝日新聞は当時、首都・東京の二大紙の一角を占める業界のリーダー的存在であり、政府との結び付きも強かった。日本が敗色濃厚となった後も、朝日は「一億玉砕」などと国民をあおり続けた過去を持つ。

 そんな日本のメディアは、敗戦で戦時中の行動を反省した。「報道の自由」を手に入れて、権力の監視と批判に力を入れるようになったと思われている。だが、私が調べた事実は違う。

 日本はドイツのように、国家体制が完全崩壊したわけではなく、無条件降伏したわけでもない。政府は1945年8月15日のポツダム宣言受諾後も、従来通り仕事を続けた。朝日も内閣情報局との関係を保っていた。

 朝日は同年9月15日と17日、米国の原爆投下は「国際法違反、戦争犯罪である」と批判した鳩山一郎氏(=後の首相)の談話と、米兵の犯罪を批判した記事を掲載した。これがGHQ(連合国軍総司令部)の逆鱗に触れ、同18日に発行停止処分を受けた。

 この処分を契機として、朝日を筆頭とする国内メディアは豹変(ひょうへん)した。GHQに忠誠を誓い、「飼い主」を変更した。

 バイデン米副大統領が先日、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を揶揄(やゆ)して、「彼は(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを知らないのか」と発言した。

 この一件が日本でも報じられ、日本国憲法が「民定憲法」ではなく「米定憲法」である事実を、初めて知った日本人も多いと聞く。GHQの情報統制は、現代まで生きていたことになる。

 日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶ人もいるが、第9条は日本ではなく米国の平和のために書かれた条文である。米国の知識層には常識だが、現職の副大統領が公言したインパクトは大きかった。

 戦後71年。現在、日本の「平和憲法」で守られる国は米国ではなく、中華人民共和国(PRC)と北朝鮮、韓国だ。

 改憲反対を声高に叫ぶメディアが2度目の「飼い主」の変更を行った経緯は、調査中である。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。
1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(いずれもPHP研究所)、『日本覚醒』(宝島社)など。

----------------------------------------------
仮面

片木奈緒里

2007年07月04日
アメリカの宿命
朝日新聞と読売新聞を交互に購読している。
今は、朝日だ。

今日の朝日の社説は良かった。
「戦争ならばどんな手段でも許されるということはないはずだ。
原爆は破壊力がけた外れに大きいだけでなく、生き延びても後遺
症を残す兵器である。その非人道的な性格については、いくら批判
してもしきれない」

そうなのだ、アメリカ市民にこの事を認識させねばならない。
恐らく,好戦的な「アメリカの宿命」は、解明される必要がある。
永遠に戦争を繰り返す国。
「アメリカの宿命」
それは、銃を規制できだ宿命と同根なのだろう。

原爆投下を「国際法違反」と批判した朝日新聞が、発行停止になった。
朝日新聞は、1945年から存在価値があった。

 


堀江氏 マスク着用拒否男性を臨時着陸して降ろした航空会社を批判「ムカつく」

2020年09月09日 06時30分46秒 | 事件・事故

9/8(火) 23:12配信

デイリースポーツ

 堀江貴文氏

 実業家の堀江貴文氏が8日夜、自身のツイッターに新規投稿。釧路空港から関西空港に向かうピーチ・アビエーション機内で乗客の男性がマスク着用を拒否して客室乗務員を威圧し、新潟空港に臨時着陸して男性を降ろすトラブルがあったという報道を引用し、「航空法的には機長の指示に従わない奴は強制的に下すことが可能なんだけどコロナ脳の機長に下されることほどムカつくことはないな」と私見をつづった。

 トラブルがあったのは7日で、離陸前に客室乗務員が男性にマスクの着用を求めると、「要請するなら書面を出せ」「非科学的だ」などと拒否して出発が約45分遅れた。飛行中も男性は大声を出して威圧的な態度を続け、機長が航空法の安全阻害行為に当たると判断して新潟空港に臨時着陸して男性を降ろした。国土交通省によると、マスク着用を巡るトラブルでの目的地変更は初めてという。

 堀江氏は「クソ航空会社だな」「しつこくクソ真面目なCAが注意しまくるからこうなる」「私の知人はノーマスクでも無注意でスルー。スルーすりゃいいのに」などと連続投稿して航空会社側の対応を批判。また、「頑なに拒否するほどのことでもないでしょ」のリプに対しては「息苦しいよ」と返した。

 さらに、「航空会社に何か恨みでもあるんですか?」という指摘を受けたが、堀江氏は「全くない。批判する=恨みがあると思うけどバカの典型的な批判活動。あたまが悪すぎてびびる」と一蹴していた。

 

【関連記事】


大麻逮捕・伊勢谷容疑者が学長を務める学校が謝罪「実務的な影響はございません」

2020年09月09日 06時27分18秒 | 事件・事故

9/8(火) 22:09配信

東スポWeb

逮捕された伊勢谷容疑者

 俳優・伊勢谷友介容疑者(44)が8日、大麻取締法違反の疑いで逮捕されたことを受け、昨年4月に開校されたLoohcs(ルークス)高等学院(東京・渋谷区)がコメントを発表した。

【写真】逮捕の伊勢谷容疑者 身柄は警視庁湾岸署へ

 伊勢谷容疑者は教育に関心を持ち同校の学長を務める。既存の学校や教育システムになじめない「問題児」「変わった子」とされる子供の夢や才能を伸ばすことを目指していた。

 同学院のサイトでは、「Loohcs高等学院学長、伊勢谷友介の逮捕に関して」と題し、「本日、当社Loohcs株式会社の取締役でありLoohcs高等学院学長の伊勢谷友介が逮捕されたという報道がございました」と報告。

「現在、当社といたしましても事実確認を進めており、対応を協議しております。現時点で当人とは連絡が取れておりませんが、新たな事実関係が明らかになり次第、速やかに発表させて頂きます。まずは学生、保護者のみなさま、株主、関係者の皆さまに大変ご心配をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

「伊勢谷とは、2年前より、Loohcs高等学院の運営において、ビジョンやミッションの構築において助言を受け、教育理念をともに作ってきたと認識しております。また、Loohcs志塾においては、ホームページに掲載するなど広報の一翼を担ってきたと認識しております。その伊勢谷がこうした事態を招いておりますことにつきましては当社としても誠に遺憾であり、また教育事業を行うものとして、その責任を痛感しております」と記した。

 同学院で学ぶ学生にとっては学長の逮捕でショックを受けていることは容易に想像できるが、「学校の運営に関しては、特別授業などを除いて通常時に学長である伊勢谷が関与しておらず、現在の運営においても伊勢谷の逮捕による実務的な影響はございません」とし、「学生への心理的影響を少しでも和らげられるように、教員一同で取り組んでまいります。こうした状況にいたりましたことを、重ねてお詫び申し上げますと共に、なにとぞご理解を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます」とコメントした。

東京スポーツ

【関連記事】


伊勢谷容疑者の自宅周辺は騒然「前は長澤まさみさんとか、1年くらい前までは森星さんと…」

2020年09月09日 04時33分41秒 | 事件・事故

9/8(火) 23:00配信

東スポWeb

地元では好印象だった伊勢谷容疑者

 夕方の伊勢谷容疑者(44)逮捕の一報を受けて、都内にある自宅前には報道陣や野次馬など約60人が詰めかけ、閑静な住宅街は一時、騒然となった。

【写真】短髪、ピアス時代の伊勢谷友介

 近所の住人は「ここに伊勢谷さんが住んでたのは有名な話。前はよく長澤まさみさんと歩いているのを見たり、1年くらい前までは森星さんとワンちゃんの散歩をしているのを見た。ここ1年くらいは女性を連れているところを見てなかったけど、まさかこんなことになるとは…」と驚きを隠さない。

 また、別の住人は「イケメンだから、歩いてるだけですごく目立つ。会釈すると会釈し返してくれる人。よくバイクを路上に出して磨いている姿を見た。新型コロナ禍でも、よくハイエースで出かけていましたよ」と話す。

 なお、この日は午後9時30分過ぎに、自宅内の捜索を終えた捜査員が乗ったとみられる車両が伊勢谷容疑者の自宅マンションをあとにした。

 

東京スポーツ

 

【関連記事】


伊勢谷容疑者逮捕で出演作に被害 投稿動画は全削除

2020年09月09日 04時33分41秒 | 事件・事故

9/8(火) 21:07配信

日刊スポーツ

伊勢谷友介容疑者(2018年5月17日撮影)

俳優伊勢谷友介容疑者(44)が8日、大麻取締法違反の疑いで警視庁に逮捕されたことを受けて、テレビ各局や映画会社などが対応に追われた。伊勢谷容疑者は、今月5日に最終回を迎えたばかりの日本テレビ系ドラマ「未満警察 ミッドナイトランナー」など数多くの作品に出演しており、逮捕余波は続きそうだ。

【写真】伊勢谷容疑者が乗ったとみられる車が湾岸署に入る

   ◇   ◇   ◇

伊勢谷容疑者逮捕を受けて、テレビ各局や映画会社などは対応に追われた。

同容疑者は、5日に最終回を迎えた日本テレビ系ドラマ「未満警察 ミッドナイトランナー」に警察学校の教官役で出演していた。教官でありながら、過去に犯罪に加担していた“真犯人”の1人で、皮肉にも最後は逮捕されるという役柄だった。通常、放送後1週間ほど配信される無料配信サービス「TVer」や「日テレTADA」は同作の配信を停止。「Hulu」では視聴可能で「現状は変更ありません」とした。

吉永小百合と初共演した映画「いのちの停車場」を製作・配給する東映も対応に追われ、関係者は「今後の対応は検討、協議中です」とした。10月30日公開予定の「とんかつDJアゲ太郎」を配給するワーナーは「事実関係を確認中」とし、11月6日公開予定の「十二単衣を着た悪魔」を配給するキノフィルムズも「各所に事実確認をして対応を協議中」とした。

4月からYouTubeチャンネル「伊勢谷友介のEARTH RADIO」を開設し、最近では今月3日に自宅をDIYで改造する模様などを紹介していたが、この日夜には動画は削除された。他にも花王の「スマートホルダー」アンバサダーとして7日までのキャンペーンにも登場しており、影響はさらに広がりそうだ。

【関連記事】


新版 編集者の学校 カリスマたちが初めて明かす「極意」

2020年09月09日 04時26分42秒 | 社会・文化・政治・経済

元木 昌彦 (著)

マスコミで働く若手、志望学生の必読書! 編集のイロハと取材のノウハウを、業界のカリスマたちが初めて明かす。さらにマスコミ志望学生が入社試験に合格するコツを伝授。活字メディアの裏側が一目瞭然!

内容(「BOOK」データベースより)

マスコミ入社試験は難関―こう思いこんでいる就活学生が多いが、本書を読めば、みるみる自信が湧いてくること間違いなし。花田紀凱氏は「編集者ほどすばらしい仕事はない」と語り、嵐山光三郎氏が「編集者の作法」を説く。そして田原総一朗氏は「取材とは刑務所の堀の上を走るみたいなものだ」と喝破する。カリスマ講師陣が語る編集者のキホンと醍醐味は、マスコミで働く若手にも目から鱗の話が満載。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

元木/昌彦
1945年、東京都に生まれる。早稲田大学商学部卒業。1970年、講談社入社。「FRIDAY」「週刊現代」編集長を経て、1995年、講談社第一編集局長。1999年にはインターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長に。
2001年から講談社関連会社「三推社」専務取締役、2006年11月に講談社退社。2007年2月から2007年12月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)編集長、その後、代表取締役社長を務める。現在「編集者の学校」を各地で開催。上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集論」講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
編集者≒作家センセイの豪邸の待合室で貧乏ゆすりをしながら
原稿が上がるのを待ちわびている人、というくらいのイメージしか
持ち合わせていなかった私にとっては目ウロコな話ばかりでした。
中でも「伝説の編集者」見城氏の数々のエピソードはのけぞりそうに
なるものばかりでした。
絶対に書いてほしい!と思った五木寛之には何十通というラブレターを送り続けたり、
曲を聴いて一瞬で虜になってしまったという尾崎豊は、彼の全国45回のライブすべてに同行したり
(そればかりか彼の「アイソトープ」という事務所の設立もほとんど自分やってしまったり…)と、
やることがなにしろ徹底しているのには驚ろくばかり。
「惚れ込まなくちゃ何も生まれない」と断ずる彼。幻冬舎なんていう怪しげな出版社で
キワモノばかり次々売り出して「売れたもん勝ちのベストセラー」を狙い、
あぶく銭を稼ぎまくっている強欲なオッサンくらいにしか
思っていなかった人物、それが実に熱い大馬鹿野郎(私のホメ言葉です!)であることが
よく分かった一冊でもありました。
 
 
 
多くのベテラン編集者や出版に関係する重鎮たちが編集とは何か、を語る書。
それぞれ数十年で「今」に辿り着いた職人なので、編集者として共通して必要な部分も多くある反面、それぞれまったく違う、相反する意見の方もいたりして興味深かった。
時代や何を目的としているかなどによって、仕事の仕方も変わってくるのだろう。
2,30年前と今とでは社会的状況が大きく異なる。ここ数年、いやここ半年でも世界の経済状況が大きく変わり、それを取り巻く状況がめまぐるしく変化している。
いつの時代も変わらず必要な能力とともに、その時代に合った能力も身につけていかねばとあらためて感じた。
 
 
 
たんなるマスコミ就職指南書ならず。有名編集者から田原総一朗まで出版だけでなくマスメディアに携わる多くの方々へのインタビューから構成されている。編集という仕事の奥深さが垣間見れる。これから記者や編集者を目指す若者はもちろん、新米の関係者たちが読めば数年後の将来像が見えてくるかもしれない。
 
 

編集者の教室

2020年09月09日 04時19分55秒 | 社会・文化・政治・経済

編/元木昌彦 (その他)

Web現代で連載した「編集者の学校」を2001年に単行本化したところ大好評。本書はその続編で、ジュンク堂池袋本店で月1回開かれている「ノンフィクション講座」の内容をまとめる。

柳田邦男、田原総一朗、吉田司、佐野慎一、吉岡忍など第一級のジャーナリストが、文章術、企画力、インタビューのノウハウなどを直伝で語る。

出版社からのコメント

カリスマ著者・編集者たちによる編集という仕事のノウハウ本。超一流の執筆陣がジャーナリズムの極意をおしげもなく開陳する。

内容(「BOOK」データベースより)

ネットにないのは背表紙と編集。拡散するメディア環境のなかで、編集者が果たす役割とは?編集とは何かから取材でどう動くかまでカリスマたちが再び明かす。

著者について

元講談社編集者。「フライデー」「週刊現代」編集長、「Web現代」創刊編集長などを歴任し、現在はオフィス元木主宰。
 
 
 
編集者に関する本だと思って手に取りました。
正しくは、編集者の本ではありません。
編集職を経由して現在のキャリアを築いた、作家やライターたちが登場します。

創作時の心構えや、取材の仕方、テーマの選び方など、各人が語っています。
とくにノンフィクション作家の取材裏の話は内容も濃く、これだけで力作のルポを読んでいるような臨場感がありました。
この本を読み、登場する作家陣たちの著作を読んでみたくなりました。

大きな枠組みでは編集に関連する本なのかもしれませんが、主体的には作家の活動や舞台裏の面白さを見せてくれる本です。
想像とは違いましたが、読み応えも十分、面白さは十二分でした。
 
 
 
とても面白い話が詰まっています。何かについて好奇心を持ったら、それをどう探求するか、どう他人にわかるように伝えるか(書くか)、など、編集者やノンフィクションライターを目指す人だけでなく、学者志望の人にも参考になる話が多いと思います。私個人はジャーナリズムとアカデミズムは相容れない、という固定観念を打破する学者がもっと出てもいいという考えを持っているので、両方の分野を縦横する活躍を目指す人におすすめいたします。自分の信じていることを誠実に信念を持って書くということへの勇気をくれる本です。

 


"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候

2020年09月09日 04時04分45秒 | 社会・文化・政治・経済

9/8(火) 17:16配信

プレジデントオンライン

予備選の準備をする自民党神奈川県連を激励に訪れ、党員に手を振る菅義偉官房長官=2020年9月5日、横浜市中区 - 写真=時事通信フォト

■「安倍の政策を引き継ぐ」と主張するが…

 昔、長嶋茂雄が巨人軍の監督に就任したとき、「長嶋のいない巨人を指揮する長嶋は大変だ」と思ったことがあった。

【写真】予備選の準備をする自民党神奈川県連を激励に訪れ、党員に手を振る菅義偉官房長官=2020年9月5日

 王貞治は現役だったが全盛期をとうに過ぎていた。案の定、長嶋監督は結果を残せず、読売新聞首脳部に無慈悲に首を斬られてしまった。

 菅義偉(71)も同じ道をたどるのではないかと、私は考えている。安倍首相は、自民党の歴史の中でも、「最軽量の神輿」であった。それが長続きしたのは、女房役である菅官房長官の手腕であったことは、衆目の一致するところである。

 だが、黒子役である人間が表に出てしまったら、誰が菅を支えるのか。菅政権最大の弱点である。今下馬評に上がっている人間たちが、菅を支えられるとは到底思えない。

 菅は以前から、「総理になる気はない」といい続けてきた。本心であろうと私は思う。なぜなら、菅の人生は常に「ナンバー2」「影の存在」だったからだ。

 法政大学時代は「空手部副主将」、横浜市議時代は「影の市長」、安倍政権では「影の総理」。表舞台でスポットライトを浴びるより、黒子に徹して、裏で政治を動かすことに喜びを見出していた男が、安倍の突然の辞任で、いきなり公衆の面前に立たされてしまったのである。

 菅は出馬表明会見で、「安倍の政策を引き継ぐ」としかいえなかった。前代未聞である。千歩譲って、安倍政権がそれほど悪い政権でなかったとしても、自分だったらこうするというビジョンを一つ二つ提示するのが、総裁選に臨む人間のたしなみではないか。

■菅義偉という人間を多くの国民は知らない

 故中曽根康弘元首相は、平議員の時から、首相になったらこういうことやると、ノートに記していたそうだ。

 菅は、東京に来て働いているうちに、26歳にして、「世の中を動かしているのは政治ではないか」と気づき、政治家を志したといっている。幼すぎる。ましてや、菅が過ごした大学時代は、70年安保闘争や学生紛争が燃え盛っていた時代である。そうした中に身を投じていなくても、政治が一番身近に感じられた時代であった。

思想信条ではなく、否応なく政治について考えざるを得なかったはずなのに、菅は大学を卒業するまで考えていなかった。だとすれば、政治は就職先の一つ程度の認識だったのではないか。

 失礼ついでにいえば、菅義偉という人間について多くの国民はほとんど知らない。あるのは、「令和おじさん」としての知名度しかないといってもいいだろう。

 秋田県の貧しい農家の出で、集団就職で東京に来て、法政大学の夜間を出た苦労人政治家というイメージが独り歩きしているが、それは全く違うようだ。

 ノンフィクション・ライターの松田賢弥『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社+α文庫、以下、『影の権力者』)と、森功『総理の影 菅義偉の正体』(小学館ebooks、以下、『総理の影』)を基に、菅という男の人生を見てみたい。

■ソ連軍による惨劇から命からがら逃れた

 菅が生まれたのは秋田県雄勝郡秋ノ宮村という雪深いところである。県南部に位置し山形県寄り、横堀が最寄り駅だが、かなり離れている。

 戦前、父親の和三郎は一旗揚げようと、1941年に中国・満州へと渡っている。いわゆる「満蒙開拓団」である。彼は「満鉄」に勤めている。その後妻を満州に呼び寄せ、娘も生まれた。

 だが、終戦の年の8月、不可侵条約を破って攻め込んできたソ連軍による侵攻によって、和三郎のいた開拓団376人のうち273人が亡くなっている。しかも8月19日の集団自決だけで、死者は253人にのぼったと、森は、『総理の影』に記している。当時の満蒙開拓団の全在籍者は27万人だが、死者は7万8500人にもなった。

 妻と幼い2人の娘と共に命からがら逃げてきた和三郎は、故郷へ舞い戻る。だが、今でもこの地方では、その悲劇を語ることはタブーになっているという。

 義偉が生まれるのは引き揚げ後2年たってである。松田は『影の権力者』の中で、「雄勝郡開拓団の不幸な歴史については、菅はくわしくは知らなかった」と書いている。

 知らないわけはない。満蒙開拓団の悲劇は、日本が中国を侵略したために起きたのである。二度とこうした悲劇を繰り返してはいけないといえば、憲法を踏みにじり、集団的自衛権を容認し、戦争のできる「普通の国」を目指す安倍政権とは真反対を向くことになる。

 菅はそんなことを考えもしなかったのではないか。その一つを取り上げただけでも政治家失格である。

■学生運動の最中、アルバイトをしながら法政大学へ

 父・和三郎には商才があったようだ。稲作農業だけでは生活が豊かにならないと、改良を重ねて「ニューワサ」というブランドいちごづくりを始めたという。

 他の地域でも同じようにいちごを作り出すと、流通量の少ない時期を狙って出荷して、値段を確保したそうだ。その後、和三郎は、町会議員にもなっている。

 菅は長男だが、農業を継ぐことは嫌だったようだ。父親への反発もあったという。菅は松田に「鉛色の空に覆われた村が嫌だった」と語っている。高校を出て夜行列車で東京へ行き、就職したのである。

 東京・板橋の町工場で働くが、つらかったのだろう、そこを辞めてアルバイトをする傍ら、大学受験の勉強を始めた。彼が入学した1969年当時、法政大学は東大や早稲田と並んで、学生運動の拠点だった。

 菅はそうした喧騒とは離れ、空手に打ち込んだそうだ。アルバイトで学費を稼ぎ、学生課に学費の安い夜間部への転部を申し出たこともあったという。このあたりから、集団就職、夜間大学というイメージが作られてきたようだ。

 一方では、家からの仕送りで、金銭的には恵まれていたという説もあるようだが、真偽のほどはわからない。

 2年後輩に、後に沖縄県知事になり、米軍基地の辺野古移設問題で対峙することになる、翁長雄志がいた。

■世間の声を把握するのは新聞の「くらし」欄

 卒業して、企業に勤めた後、大学のOB会に政治家を紹介してくれと頼みに行ったそうだ。

 最初は、法政OBで衆院議長などを歴任した中村梅吉の秘書になるが、中村が政界を引退したため、神奈川県横浜市出身の小此木彦三郎衆院議員のところへ行く。

 以来11年間秘書を務めた後、38歳で横浜の市会議員になり、市議を二期やって、「影の市長」とまでいわれるようになる。

 47歳で今度は衆院選に出馬して当選する。二世でもなく、地盤も看板も鞄(カバン=カネ)もない男としては、異例の出世であろう。

 よく、「男の顔は履歴書」といわれる。衆議院議員になった頃は、身体全体がふっくらとして、雰囲気も明るいのに、永田町の泥水を飲み、今のようなとっつきにくい酷薄な容貌に変わってきたのは、よほどの苦労があったのではないかと想像させる。

 菅には面白い世論吸収法があるそうだ。彼は昔から、読売新聞の「くらし・家庭」欄にある「人生案内」を毎日読んでいるという。

 そこで、庶民にはどういう悩みがあり、それに対して識者がどう答えているかを“勉強”していたというのである。

 街に出て、庶民と対話しようなどという発想は、この男にはないようだ。選挙応援や会見では仕方なくしゃべるが、基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか。

■師匠・梶山静六は「憲法改正」反対だったが…

 国会議員になってからは、竹下(登)派の七奉行の一人で“武闘派”といわれた梶山静六を師と仰ぐ。

 梶山も茨城県の農家の出身である。県会議長の時、田中角栄から国政への出馬を要請された。情に厚く、角栄がロッキード事件で逮捕され、保釈されたときは、「やくざだって親分が出所するときは迎えに行く」と、真っ先に出迎えに行っている。

 梶山は、橋本龍太郎内閣で官房長官に就くが、1998年7月、参院選の敗北の責任をとり橋本が退陣を表明すると、総裁選に名乗りを上げた小渕恵三と対抗して、無派閥で出馬を表明した。

 菅と佐藤信二が派閥を離脱して、梶山を応援するが、わずかな差で敗れてしまう。

 梶山は見かけとは違って、「再び戦争を繰り返してはいけない」と平和主義を信念としていた。戦争中に長兄を亡くしている梶山の体験から生まれたものだった。

 だが、菅は松田に、「梶山さんと俺のちがいはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』に反対だった。そこが、俺とちがう」といったそうだ。

■両親は戦争の被害者であるのに、なぜ? 

 野中広務という政治家がいた。小沢一郎と死闘を繰り返した自民党の大物であった。

 野中は若い頃の菅に目をつけていた。松田によれば、菅はかつて新聞記者に、「第二の野中広務さんのような政治家になりたい」と語っていたという。

 野中も筋金入りの反戦・平和主義者であり、梶山と同じように、沖縄のことを真剣に考えた政治家だった。

 「九七年には、沖縄米軍の基地用地使用を継続するための駐留軍用地特別措置法(特措法)改正案を可決する際、衆院本会議で声を震わせた。
『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』議場は騒然となる」(『影の権力者』)

 田中角栄は常々、「あの戦争を知っている人間たちが政治家である限り、日本は戦争をしない」といっていた。

 だが菅という男、恩師の梶山や野中の反戦・平和主義から学んでいないのはどうしてなのだろう。

 たしかに、梶山も野中も軍隊経験をしている。菅とは20年以上の歳の差がある。だが、両親は満蒙開拓団の一員として辛酸をなめた、戦争の被害者である。菅はもうすぐ72歳になる。

 後期高齢者間近い政治家が、わずか75年前の誤った戦争を二度と起こさない、仁王立ちしても止めてみせるという覚悟がなくて、何のために総理になるのか。

■「菅のいない菅政権」は成り立つのか

 総裁選に出馬して以来、自分の言葉を持たない、独自の政策がないと批判されている。

 「安倍政治をそのまま受け継ぐ」というだけではまずいと思ったのだろう、自分のブログに「『自助・共助・公助』で信頼される国づくり」という公約らしきものを掲げた。まるで、高校の社会科に出て来るお決まりの表現のようである。長年政治家をやってきた人間とは思えない幼さだ。

 外交に未経験なことを問われ、安倍とトランプとの電話会談にはすべて同席していると答えた。オブザーバーでは、外交を実体験したことにはならないことを、菅は分からないらしい。

 冒頭で触れたように、菅のいない菅政権は、羅針盤のない船で荒海に出ていくようなものである。安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか。

 ここでは詳しく書かないが、安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる。これが私だけの悪夢であればいいのだが。

■菅氏が力を入れる「NHKの国有化」

 菅政権の最大の不安は、言論表現の自由が安倍時代よりもさらに狭まると危惧されることである。

 安倍政権時代を通じて、日本の報道の自由度は実に22位から66位にまで下がり続けた。その下落に大いに貢献したのが安倍と菅だが、菅の役割のほうが大きかったと思う。官房長官会見で、東京新聞の望月衣塑子記者への質問妨害、NHK「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子への嫌がらせで、降板に追い込んだことなど枚挙に暇がない。

 第二次安倍政権から取り組んできたのがNHK問題である。

 『総理の影』で森は、「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」と指摘している。

 第一次安倍政権時代、菅は、受信料を2割下げろ、できなければ受信料を義務化する、国営放送にするとNHKに迫ったそうだ。

 森によると、経営委員会というのは12人の委員で構成され、NHK会長を人選して任命し、理事の人事にも拒否権を持つ、大きな権限を持ったもので、その経営委員を任命するのが総理大臣だそうだ。

 この時は安倍の辞任で果たせなかったが、第二次安倍政権で、菅は再び、NHK支配を強引に実行していく。

 第二次政権がスタートして、経営委員に政権寄りの人間を多数押し込み、会長に抜擢されたのが三井物産出身の籾井勝人であった。

 「軽量級のトップの後ろでNHKを動かそうとしてきたのが、官邸の菅や財界応援団たちである」(『総理の影』)

■担ぐのがうまい人間が頂点に立つとどうなるか

 コロナ報道を持ち出すまでもなく、NHKの国営化はほとんど出来上がったと思っている。だが、菅のメディアコントロールは、それだけではないと森はいう。

 「新聞やテレビの政治記者はもとより、週刊誌や月刊誌の幹部やフリージャーナリストにいたるまで、菅の信奉者は少なくない」(同)という。

 極秘情報というアメをしゃぶらせて、批判させず子飼いにしてしまうのだ。自分たちが菅の掌で踊らされていると気づく者もいないのが、メディアの置かれた深刻さを表している。

 NHKを支配し、メディアを黙らせ、派閥の上に乗っていれば安泰かといえば、そうではない。安倍以上に問答無用、説明責任を果たさない政権が長続きするはずはない。

 それに、ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大だと思っている。

 「第二次安倍政権をつくったのは俺だ」。菅の口癖だそうだ。菅という男、駕籠を担ぐのはうまいかもしれないが、駕籠に乗って様になるかは疑問である。

 菅の恩師、梶山は総裁選に出た時、勝てないと思う3つの理由を、秘書にいったと松田が書いている。

 1つは小泉純一郎が出馬して票が割れるというものだが、後の2つは、「総理総裁をめざして政治家をやってきたわけではないので敵が多い。梶山静六に梶山静六はいない」。菅にも同じことがいえるはずである。

 最後に角栄の大好きだった母親が、息子に向けた言葉を菅に贈ろう。

 「総理大臣がなんぼ偉かろうが、あれは出かせぎでござんしてね」

 (文中敬称略)

 

----------
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
----------

ジャーナリスト 元木 昌彦

 

【関連記事】

 


伊勢谷友介容疑者を大麻所持で逮捕…囁かれる「警視庁OBへの忖度」

2020年09月09日 04時00分55秒 | 事件・事故

9/8(火) 21:30配信

日刊ゲンダイDIGITAL

大麻取締法違反の疑いで現行犯逮捕(C)日刊ゲンダイ

 俳優の伊勢谷友介(44)が8日、大麻取締法違反の疑いで警視庁に現行犯逮捕された。自宅マンションのリビングの机の中に乾燥大麻20.3グラムを4つの袋に小分けにして隠し持っていた疑いが持たれている。

「警視庁が伊勢谷容疑者の自宅に家宅捜索に踏み切る少し前にテレビ局や週刊誌に一斉に謎のタレコミがあったそうです。警視庁はレクで『確度の高い情報があった』と説明していますが、警察への情報提供とマスコミへのタレコミが同一人物によるものか各社取材を進めています」(捜査事情通)

 伊勢谷容疑者の自宅から押収された大麻は20.3グラム。末端価格で10万円以上になる。「もし個人使用ではなく、販売目的とみなされたら“売人”として扱われて執行猶予が付かず、初犯でも実刑判決が出るかもしれない」(前出・捜査事情通)という。

 それにしても不思議なのが逮捕のタイミングだ。伊勢谷容疑者は5日に最終回を迎えた連続ドラマ「未満警察 ~ミッドナイトランナー~」(日本テレビ系)に出演し、警察学校の教官役を演じていた。このドラマで警察監修を担当していたのは、警視庁に約20年間の勤務し、首相官邸の警護などを担当した元SP、そして元刑事たちだ。伊勢谷容疑者が最終回の直前に逮捕されるとカット編集が膨大な作業になるため、〈捜査員が警視庁OBに配慮したのでは〉などとネット上で囁かれている。

囁かれるジャニーズへの配慮

伊勢谷容疑者の自宅前には多くの報道陣が(C)日刊ゲンダイ

 一方で、ジャニーズに忖度したのではないかという見方もある。伊勢谷容疑者が警察学校の教官役で指導にあたっていたのは、 人気グループ「Sexy Zone」の中島健人(26)と、「King & Prince」の平野紫耀(23)。この2人がW主演を務め、初回と最終回の視聴率は11%台を記録したものの、平均すると1ケタに甘んじた。ジャニーズのタレントは一日警察署長を務めることもあるため、警視庁が最終回の寸前でドラマを台無しにすることを避けたのではないかという見立てである。

「それはあり得ない。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が始まる直前に主要な役柄で出演するはずだった沢尻エリカを警視庁は麻薬取締法違反で容赦なく逮捕しています。伊勢谷容疑者がジャニーズのタレントが主演を務めるドラマに出演していたからといって、警視庁が逮捕をためらうはずがありません。逮捕が8日だったのはたまたまでしょう」(前出・捜査関係者)

 伊勢谷容疑者の所属事務所は逮捕を受けて、「詳細の事がわかりしだい皆様にお伝えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」(原文ママ)とコメント発表した。どうして売るほど大量の大麻を所持していたのか、詳しい説明が求められている。

 

【関連記事】


エアガンで交際女性を撃ちまくり……“大麻逮捕”伊勢谷友介のひどすぎる“DV疑惑”

2020年09月09日 03時56分53秒 | 事件・事故

9/8(火) 20:31配信

文春オンライン
 俳優の伊勢谷友介(44)が大麻取締法違反の疑いで9月8日、警視庁に逮捕された。大河ドラマ「龍馬伝」、映画「るろうに剣心」シリーズなど幅広い舞台で活躍してきた実力派俳優の逮捕の裏にはなにがあったのか。

【画像】舌ピアスを見せ……2001年当時の伊勢谷

 かつて「週刊文春」は、エアガンで交際女性を撃つなどの伊勢谷の“DV疑惑”を報じていた。2013年4月11日号の記事を全文公開する(日付、肩書、年齢等は掲載時のまま)。

◆ ◆ ◆

伊勢谷の過去を知る人たちの脳裏には、悪夢のような日々が……

伊勢谷友介 ©AFLO

「長澤さんは彼の“本性”を知っているのでしょうか。これまで、彼に苦しめられ、傷つけられた女性がどれだけいることか……。私は決して彼を許す気持ちにはなれません」

 険しい表情で怒りを露にするのは、俳優・伊勢谷友介(36)の元恋人Aさんの関係者だ。

 3月初旬、人気女優の長澤まさみ(25)と伊勢谷の“熱愛”が報じられ、多くのマスコミがビッグカップルの誕生を祝福した。だが、一方で伊勢谷の過去を知る人たちの脳裏には、悪夢のような忌々しい日々がよみがえったという――。

ベールに包まれた伊勢谷と長澤の交際
 本題に入る前に、まずは伊勢谷と長澤の交際について振り返っておこう。抜群のプロポーションを誇る人気女優と昨今CMやドラマで注目を浴びるモデル兼俳優の伊勢谷の秘められた交際をスクープしたのは2013年3月4日付のスポーツ報知だった。

「華々しく報じられましたが、実は当初、他のマスコミは交際に懐疑的でした。何しろ二人の関係はこれまで噂にすら上ったことがなく、目撃談も皆無。ずっと長澤をマークしていた写真誌でさえ、伊勢谷とのツーショットは一度も見たことがないという。報道されたのが二人が出演するドラマ『女信長』(フジテレビ系)の放送前だったことから、話題作りの“番宣”説も根強くささやかれましたが、後に女性セブンが長澤の自宅マンションに伊勢谷が滞在する姿を撮っています」(スポーツ紙記者)

 その後も、二人の交際はベールに包まれているが、「伊勢谷は写真を撮られたことにかなりショックを受け、ほとぼりが冷めるまで長澤と会うのを控えると言っているそうです。長澤も寂しい思いをしているのでは」(芸能リポーター)

 長澤を射止めた伊勢谷はどんな男なのか。

「ある意味、東大より入るのが難しいとされる東京芸術大学にストレートで合格。語学スクールのCMで披露しているように英語も堪能です。10代から映画監督を志す一方で、180センチの長身に端正なマスクで学生時代からモデルとしても活躍。デザイナーの山本寛斎(69)は腹違いの兄、女優の山本未來は2歳年上ですが姪にあたります」(映画関係者)

無名の学生モデルが広末涼子との交際で世に知られるように
 若い頃は顎や舌にピアスを開けるなど、かなりぶっ飛んだ印象もあったが、年を重ねた今はダンディーな魅力が売り。「日本一、七三わけわけが似合う男」(ファッション誌編集者)との声も。

「役者としてのハマリ役は09年にNHKで放送されたドラマ『白洲次郎』と、一昨年に公開された映画『あしたのジョー』での力石徹役です。ストイックに役作りを追求することでも知られ、力石を演じるために体重を10キロも絞ったことは今も語り草になっている」(前出・映画関係者)

 芸大時代の同級生はこう証言する。

「変わり者が多い芸大の中では飛びぬけた存在ではありませんでしたが、映像を学ぶためにニューヨークに留学したほど研究熱心。何より印象的なのは、やっぱり当時から女の子にはモテまくっていたこと。広末涼子(32)との交際が報じられたときも、学校に別の女子大生のカノジョを連れてきていたのを覚えています」

 今でこそCMなどでその姿を見ない日はないと言ってもいい伊勢谷だが、彼の名をはじめて世に知らしめたのは、何と言っても1999年に発覚した広末との熱愛だった。当時、トップアイドルだった広末に比べ、伊勢谷はまだ無名の学生モデル。

 その後も伊勢谷は、吉川ひなの(33)や木村佳乃(36)など、有名無名の女優やアイドルとあまたの浮名を流し、いつしか芸能界きってのモテ男として名を馳せるようになっていた。

伊勢谷の暴力に悩まされていたAさん
 前出のAさんも、伊勢谷にとっては、彼を通り過ぎた“過去”の女性のひとりに過ぎないのか。

 Aさんの関係者が再び言う。

「少なくとも、彼女の方は本気でした。一度は結婚も考え、自分の親にも伊勢谷を紹介して、伊勢谷も家族と打ち解けていたんです。それでも、別れなくてはならなかったのは、彼の浮気が原因とか、捨てられたとかじゃない。彼女はずっと、伊勢谷の暴力に悩まされていました」

 交際していた時期やAさんを特定するような記述は敢えて伏せるが、彼女は今もタレント活動を続ける現役の芸能人である。

逃げ惑うAさんを的に見立てエアガンで撃つ
「様子がおかしくなったのは、付き合いだして数カ月が経った頃でした。彼女の目のあたりが赤く腫れていたので、心配して聞いてみると、伊勢谷にぶたれたと言う。その後も、度々暴力をふるわれた形跡があったので、周囲はさんざん『別れた方がいい』と、説得したのですが……」(同前)

 それでも彼女は伊勢谷から離れようとせず、一方で、DVは一向に止む気配がなかった。

 Aさんの知人が証言する。

「Aが伊勢谷とDVが原因で破局したことは間違いありません。私が悩みを聞いたとき、彼女は、頻繁に足を蹴られると言っていました。さすがに顔を殴るのはマズイと思ったのでしょう。

 伊勢谷はサバイバルゲームが趣味で、エアガンを愛用しているのですが、逃げ惑うAを的に見立て、部屋の中で撃ちまくったこともあるそうです。

 そんなことをして何が楽しいのか、サッパリ分かりません」

 伊勢谷は、公の場では戦争反対のポーズを取り、人間同士が銃を向け合う愚かしさを説き、動物を無益に殺すことにも疑問を呈しているが、何かが破綻している。

Bさんの事務所「事実です。ひどいヤツだった」
 さらに、DVの“被害者”はAさんだけではなかった。かつて、伊勢谷と1年近く交際していたモデルのBさんもそのひとり。

 二人が交際していた頃、伊勢谷はどこに行くにもBさんを連れまわし、傍から見れば仲のいいカップルそのものだった。

 だが、彼女も人知れず伊勢谷の日常的な暴力に苦しみ、ついにはBさんの親の知るところとなった。

「Bさんの親御さんが激怒して、最終的に伊勢谷は数百万円のお金をBさんに支払ったと聞いています。その後、彼女は伊勢谷から逃げるように、留学の名目で海外に出ていったんです。ところが、伊勢谷はBさんの後を追って、ヨリを戻したいと迫った。まるでストーカーですよ」(芸能関係者)

 Bさんも、芸能活動をするタレントだったが、伊勢谷との別れを機に引退している。かつて所属していた事務所の関係者に伊勢谷のDVや“慰謝料”の受け渡しについての事実関係を確認したところ、

「くわしく話すことはできませんが、お問い合わせの件は、事実です。ただひとことだけ、(伊勢谷は)ひどいヤツだったと。こちらから言えるのは、それだけです……」

取材に「私は、存じ上げない人とは話をしません」
 Bさんと交際していたある時期のブログに、伊勢谷はこんな悩みを綴っていた。

〈私は自分勝手だ。私はすぐに落ち込む。正直、自分の悪い点に辟易している。(中略)辛い。辛い。辛い〉

「週刊文春」は再三に渡って伊勢谷本人にも取材を申し込んだ。一度だけ携帯電話に出た伊勢谷に、記者は過去の女性たちへのDVについて質(ただ)したが、伊勢谷は「私は、存じ上げない人とは話をしません」と言うのみだった。

 その後、メールや文書で再三にわたり質問事項を伝えたが、二度と電話に出ることはなかった。

 伊勢谷が代表を務める「株式会社リバースプロジェクト」にも文書や電話で取材を申し入れたが、梨のつぶて。同社の取締役で、脚本家の龜石太夏匡(かめいしたかまさ)氏にも見解を尋ねたが、回答は得られなかった。

 記者が同社を訪れた際、当初「(龜石氏は)来る」と言っていたスタッフの言葉は二転三転、けっきょく「出張で会社には来ない」、「(龜石)代表でないと、答えられない」と言う。伊勢谷にも彼の会社にも、真摯に答えようとする姿勢はまったくなかった。

「人類の矛盾」より先に向き合うべきは……
 モデル、俳優、芸術家と様々な顔を持ち、幅広い分野で活動する伊勢谷。彼がいまもっとも力を入れているのが、龜石氏と共に立ち上げた「リバースプロジェクト」の事業だ。コンセプトは「人類が地球で生き残るためにはいったい今何ができるのか」。決して金儲けが目的ではなく、よりよい社会のために「志の民を増やす」ことが目的だという。芸術家として不用品や廃材の再利用、再生事業に力を入れ、社会貢献の一環で講演活動も行なっている。

 一昨年の東日本大震災でも、伊勢谷の行動は素早かった。その日のうちからツイッターで消息不明者の捜索を拡散して呼びかけ、被災地で必要な物資があれば、自身のアカウントで連絡手段の仲介をした。伊勢谷がプロデュースした無農薬米のおにぎりを被災地の人々に届けたこともある。

 だが、「人類は矛盾を抱えている」と盛んに訴える伊勢谷がまず向き合うべきは、自分自身が抱える矛盾ではなかったか。

 真意を質すべく、小誌は伊勢谷の自宅を訪ね、もう一度だけ質問を重ねたが、伊勢谷は半ばキレ気味にこう言った。

「あぁ、もう結構です!」

「週刊文春」編集部/週刊文春 2013年4月11日号

【関連記事】


長野県警を動かした女子高校生の『研究結果』 手を挙げて横断歩道を! 県内初の「マナー運動」のきっかけに

2020年09月09日 03時42分09秒 | 事件・事故

9/8(火) 21:28配信

NBS長野放送

「横断歩道ルール・マナーアップ運動」のきっかけを作った松本瞳子さん(高校3年)

横断歩道でのマナーです。長野県は信号機のない横断歩道で歩行者がいる場合、車の一時停止する割合が全国1位です。

JAF・日本自動車連盟の去年の調査では、長野県の一時停止率は68.6パーセント。全国平均の17.1パーセントを大きく上回り、2位の静岡にも差をつけ4年連続で全国1位でした。


信号機のない横断歩道で歩行者がいた時の車の一時停止率(JAF調べ・去年)

長野市には100パーセントとは言えなくも、かなりの高確率で車が一時停止する横断歩道があります。厚生連篠ノ井総合病院前です。

場所柄、ドライバー側に「体調の悪い人かもしれない」といった思いやりも働くためか、ほとんどの車が止まります。

止まった車に、歩行者も「手を挙げる」「軽くお辞儀する」といったマナーを実践している人が目立ちます。

歩行者:
「この辺の人は半分くらいは止まってくれる。ありがたい。(横断するときは)頭は下げる。孫に言われて」

長野県の一時停止率が高い理由は明確ではありませんが、交通安全教育が根付いているからとも言われています。


2019年中の類型別歩行者事故(長野県内)

しかし、横断歩道での事故は後を絶ちません。昨年度、歩行者の事故の3割は横断歩道を渡っている際に発生しています。車の一時停止率が高くても油断はできません。

そこで、県や県警は、改めて歩行者に手を挙げるという基本マナーの徹底を求める初の運動を実施しています。

この運動のきっかけを作ったのは1人の女子高校生です。長年に及ぶ研究の末、マナーと思いやりの大切さを訴えています。


「横断歩道ルール・マナーアップ運動」(長野市 9月1日)

(9月1日、北長野駅前)
呼びかけ:
「歩行者の方は横断歩道を渡りたいという意思を少し手を挙げていただくなど車に示して、運転手が止まりやすいようにしてほしい」

今月1日、初めての「横断歩道ルール・マナーアップ運動」が始まりました。ドライバーには歩行者優先のルールを守ることを、歩行者には横断する際は手を挙げるといったマナーの向上を求めています。

手を挙げて横断歩道を渡る…。子どもの頃に習うマナーの基本ですが、大人になるにつれ実践している人は減っているようです。

女子大学生:
「今までスマホいじったりしていたけど、渡るか渡らないか分からないし、運転手に迷惑かけちゃうなと。渡るよと意思表示してくれないと、渡るのか渡らないのかと思う」

今回の運動にはいわば「提唱者」がいます。屋代高校3年生・松本瞳子さんです。

屋代高校3年・松本瞳子さん:
「これまで行ってきた研究、資料をまとめたものです。だいたい80ページ」


松本さんの調査・研究リポート

松本さんは「横断歩道の車の停止率を上げられないか」をテーマに中学1年の時から調査・研究してきました。

屋代高校3年・松本瞳子さん:
「(横断歩道を)渡りづらいとずっと小さいころから感じていたのがきっかけで」

調査は地道に行われました。信号機の無い横断歩道で、歩行者の動きやドライバーの反応を調査。


自宅近くでの調査

自宅近くの調査では、手を挙げずに立った時の停止率は35%に留まった一方、手を挙げた場合は88%に達したということです。

屋代高校3年・松本瞳子さん:
「恥ずかしい思いも強くなるとは思うけど、手を挙げると通行量が多いところでも車が止まってもらいやすくなるので、手を挙げることを推奨している」


車の一時停止率がおととし全国最下位になった栃木県で調査(去年)

去年の夏休みには、車の一時停止率がおととし全国最下位になった栃木県も調査。栃木の低さは明確にはならなかったものの長野県が高い理由については、一つの「推論」ができました。

屋代高校3年・松本瞳子さん:
「みんなが止まるから自分も止まろうと親が止まるから子どもの時にそれを見ていて大人になって運転するようになったら自分も止まろうと思う人が増えて停止率が増えて『正の連鎖』が起こっているのではと」

調査で知り合ったJAFの職員に勧められ、今年4月、松本さんは5年に及ぶ研究リポートを手に県警本部を訪ね、手を挙げるマナーの浸透を訴えました。説得力のある研究結果に県警も感心し今回の運動の契機になりました。

県警交通安全対策室・三浦仁士室長:
「実際に手を挙げない場合と手を挙げる場合を自分で検証されている内容も含め非常に良い研究をしてもらった。横断歩行者の方から渡りたい意志を運転手に伝える。それによって安全に渡れることが高まる、安全に横断できる率が高まるところで今回、松本さんの意見を取り入れさせてもらってる」


「横断歩道ルール・マナーアップ運動」のきっかけを作った松本瞳子さん(高校3年)

松本さんは18日に県庁で行われる「秋の全国交通安全運動」の出発式で、改めて横断歩道でのマナー向上を訴えることにしています。

屋代高校3年・松本瞳子さん::
「運転手の方の歩行者を守る努力と歩行者側の運転手に止まってもらおうという両方からの思いやりが必要だと思う。長野県も停止率は高いと言われるけど止まらない車が30%近くいるのは確かなのでもっと停止率を上げるために今回の運動を通して県民のみなさんに伝えていけたら」

 

【関連記事】


閣僚人事、改革派を登用 コロナ禍にらみ解散判断 菅氏

2020年09月09日 03時37分01秒 | 社会・文化・政治・経済

9/8(火) 16:59配信

時事通信
 自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は8日、候補者の共同記者会見で、首相に就任した場合の閣僚人事について「人事は適材適所だ。改革意欲のある人を優先して考える。また、専門的立場の人を優先した方がいい」と述べた。

 衆院解散・総選挙に踏み切る条件に関しては「新型コロナウイルスの状況が大きく影響する」と語った。

 首相の国会出席の在り方については「大事なところに限定して行われるべきだ」と主張した。 

 

【関連記事】


菅氏、解散の状況でない 発言が後退 自民総裁選

2020年09月09日 03時19分39秒 | 社会・文化・政治・経済

9/8(火) 23:10配信

時事通信
 

自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は8日夜のテレビ朝日の番組で、衆院解散・総選挙について、新型コロナウイルスの感染収束が最優先とした上で「こういう状況では解散とか、そういうことではない」と述べ、慎重な姿勢を示した。

 3日の別の民放番組では「状況次第」と含みを持たせていたが、発言を後退させた形だ。

 菅氏は感染状況が落ち着いてきたとの見方に関し「専門家の話をうかがわなければ駄目だ」と指摘。「まだまだ国民の皆さんはおびえているから、一日も早く安心して生活する、日常を取り戻す環境を整えるのが政府の仕事だ」と語った。

【関連記事】