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ソクラテス・メソッド---説得せずに“YES”がひきだせる!

2022年04月14日 12時00分24秒 | 社会・文化・政治・経済

本田 有明 (著)

説得は、説き伏せたり、言いくるめるのではなく、“共にいい結果を生む”と相手に思わせると、驚くほどスムーズになる。

社内でも社外でも使える、心の通った説得術の考え方・実践法!

内容(「BOOK」データベースより)

ハーバード大学サンデル教授のノウハウがよくわかる。難問を解決し、いい知恵を生みだすための究極の対話技法とは?ビジネスマン必読の書。
 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

本田/有明
1952年、兵庫県神戸市生まれ。慶應義塾大学哲学科卒業。(社)日本能率協会に勤務したのち独立。現在、本田コンサルタント事務所代表として、人事教育、能力開発の分野で活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
色んな会話例を使って、分かりやすく解説されています。
読んでると自分も実践したくなりました。
 

ソクラテス「産婆術」

知恵や徳はすでに相手の中に宿っている。

だから与えようとするのではなく、それが目覚め、生まれように手助けする語らいのことだ。

 

ソクラテス話術はマイナーなのでこの本は貴重である。

簡潔にビジネス書をターゲットにした内容であるが、日常生活でも役に立つ。

そして、ソクラテスの話術がどれほど凄いのだろうか?

例えば、ベンジャミン・フランクリン。
アメリカ国の裏方であり、無性の学校を作ったりインフラ設備を整えたり、軍事、政治にも活躍した。
彼はまだ子供の時に"ソクラテスの追想録"を読み相手に恨まれないよう、さらに相手の知恵も引き出し友人になる、という技法を身につけていた。
(なお今では残念ながらソクラテスの追想録は手にはい入らない。ソクラテス全書に入っているかもしれない)


私達の運命を決めるのは民衆の結合した声

2022年04月14日 11時32分24秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼内容は頭で分かっていても、本当に実践するとなると、いかに大変かだ。

▼努力の歩みが止まった瞬間から、人生は後退する。
生涯にわたり道を求め挑戦し続ける人に行き詰まりはない。

▼私達の運命を決めるのは民衆の結合した声-ルーズベルト夫人

(アナ・エレノア・ルーズベルトは、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家)

▼誰でもない、あなた自身が未来を変える主役だ。
自らの心の中に無力感や諦めを打ち破る<挑戦>の強い意志。

▼被災地では苦難をばねに、自身の使命の道を力強く歩む人もいる。

▼これまで支えられた側が、次は支える立場に。

▼克服すべき多くの課題に挑戦し続ける人がいる。

▼心の財産(たから)は壊されない。


如何に価値的に生きるか

2022年04月14日 11時21分39秒 | 社会・文化・政治・経済

人間学の問題でもある。

人間学は、一般に「人間とは何か?」「人間の本質とは何か」という問いに哲学的な思考と実証的な調査で答えようとする学問である。

イマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確にした代表的な哲学者でもある。
カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるのだろうか」「わたしは何をすべきなのであろうか」
「わたしは何を望むのがよいのだろうか」、
「人間とは何だろうか」という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で、最後の問題について研究する学を「人間学」であるとした。

高坂正顕は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしており、以後、カントは「人間学」を自身の哲学の根本のひとつにしていたという見方がされるようになった。

 


ポストコロナの生命哲学

2022年04月14日 11時02分09秒 | 社会・文化・政治・経済
ポストコロナの生命哲学
 
著者: 福岡 伸一 伊藤 亜紗 藤原 辰史
 
パンデミックで注目を集めた3人の論者が
これからを生きる拠り所となる哲学を語る!

コロナによる初の非常事態宣言後、新聞紙上などでいち早くウイルスとの共生を訴えた生物学者・福岡伸一、コロナ禍で注目された「利他」を学問として研究する美学者・伊藤亜紗、「パンデミックを生きる指針」が大反響を呼んだ歴史学者・藤原辰史。

感染症拡大で混迷を極める世界を考える上で、示唆に富む視座を提供する3人が、今の政治、経済、社会、科学から抜け落ちている「いのち」に対する基本的態度――「生命哲学」を問う。

今こそ、「個々の生命に価値がある」ということを守らなければ――福岡伸一

耳を傾けることによって、自分の思い込みから自由になれる――伊藤亜紗

負の歴史を直視することで現在を生きる指針に変えられる――藤原辰史
新型コロナウイルスがもたらす危機の多くは、人類史にとって新しい危機ではない。
しかも、確認される危機のかなりの部分が、私たちが身近に感じてきたり、私たちが見て見ぬふりをしてきたりした危機である。
「ポスト」(post/後の)コロナの課題は、「アンテ」(ante/前の)コロナの課題の継続もしくは発展であることが、ここでは確認されていくだろう。
ポストコロナに新しい時代を創造しよう、と粋がる人も多いが、実際は、アンテコロナに山積した課題をみんなの課題として取り組むタイミングがやってきたと考える方が正しいと思う。(「はじめに」より)

NHK BS1スペシャルで大反響を呼んだ「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」の番組内容や未放送シーン、さらに新たな鼎談を加えて完全書籍化!

【目次】
序 自然(ピュシス)の歌を聴け――福岡伸一

はじめに 藤原辰史

第1部 論考・コロナが投げかけた問い
第1章 コロナは自然(ピュシス)からのリベンジ――福岡伸一
第2章 思い通りにいかないことに耳を澄ます――伊藤亜紗
第3章 コロナがあぶり出した社会のひずみ――藤原辰史

第2部 鼎談・ポストコロナの生命哲学
第4章 漫画版『ナウシカ』の問いかけ
第5章 共生はいかに可能か
第6章 身体観を捉えなおす
第7章 ポストコロナの生命哲学

おわりに 伊藤亜紗

【著者プロフィール】
福岡伸一(ふくおかしんいち)生物学者。青山学院大学教授。ロックフェラー大学客員研究者。著書に『生物と無生物のあいだ』など。

伊藤亜紗(いとうあさ)美学者。東京工業大学教授。著書に『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など。

藤原辰史(ふじはらたつし)歴史学者。京都大学准教授。著書に『ナチスのキッチン』『戦争と農業』『分解の哲学』『縁食論』など。
 
 
Reviewed in Japan on October 5, 2021
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注目の福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史の三氏が、NHKBS「コロナ新時代への提言」という番組に出演していると聞き、NHKオンデマンドで視聴しようとしたが、彼ら三人の回はカットされていた。山極寿一、國分功一郎、飯島渉の一回目と、山口周、斎藤幸平、磯野真穂の三回目はアップされていた。仕方がないので本書の購入となった。
 以下に、放映部分を再録した第一部を要約する。

1.福岡伸一
 今回のコロナは、「ピュシス(自然)からのリベンジ(p.47)」ということになるが、ポストコロナとしては「ピュシスとしてのウィルスの存在を排除したり、消去したり、変更したりすることはできないのです。ピュシスとしてのウィルスを受け入れるしかないのです。(p.29-30)」となる。この見解を受け入れるには、生物学の知識が必要である。
 ウィルスの起源は、高等生物の遺伝子がたまたま飛び出した断片で(p.35)、新型コロナもその「皮」は人間の細胞膜でできている(p.36)。それが体内に入ると人の免疫系が反応して症状が出るのであって、ウィルスに毒があるわけではない(p.38)。症状の肺炎などはサイトカインストームによるのであって(p.39)、一種の「動的平衡」の乱れである(p.40)。
 そして、種の存続より一つの個体の生命が大事である。この基本的人権を揺るがすピュシスの力から生命の価値を守らなければならない(p.46)。

2.伊藤亜紗
 伊藤氏の著作は、『レナードの朝』などを著した精神科医で作家のオリバー・サックスの後追いと思っていたので、伊藤氏の専門である美学との関係が理解できないでいた。しかし本書で謎が解けた。
 美学とは、芸術作品に出合ったときに受ける衝撃、「曰く言い難い感覚」を、あえて言葉を使いながら深めることであり、ロゴス(論理)に警戒心を持つ学問だそうだ(p.49)。伊藤氏の著作は、障害を持った人のこの「曰く言い難い感覚」をヒアリングしたものということになる。だから美学なのである。
 コロナの関連では、「安心を求めれば信頼は失われる」というフレーズが印象深い(p.63)。安心とは、相手との関りで、相手の行動の不確定要素を限りなく減らすこと。信頼とは、相手の行動は不確定だが、大丈夫という方に賭けることである。その際、「聞く」ことが大切になる(p.70)。これがポストコロナの生き方ということなのだろう。伊藤氏自身が今まで実践してきたことである。

3.藤原辰史
 歴史学者らしく、負の歴史から学べというスタンスである(p.93)。食の歴史が専門なので食に関した事例が登場する。冒頭、20世紀は人為による飢餓が非常に多いとの指摘から始まる(p.74)。コロナの自然の災いという側面より人為的側面を強調する。
 集まって食事をする機会が少なくなった(p.75)。給食もなくなり(p.76)、子どもの七人に一人の貧困家庭では大きな問題となる(p.85)。危機のしわ寄せが弱者の排除や魔女狩りにつながる(p.86)。食肉処理工場では低賃金ばかりでなく、密集して働くのでクラスターが発生しやすい(p.89)。このようにコロナは社会のひずみをあぶり出してしまう。
 興味深いのは、ドイツのナチス時代の食糧計画の話である(p.84)。これは第二部の鼎談で詳しく紹介される。その計画とは、自然を愛し、生命と共生しながら農業をいとなむことであった。しかし、共生の裏に排除が隠されていた。このスローガンの後には、その能力はドイツ人だけが持っていると続くのである(p.135)。

4.「利他」について
 3氏の鼎談である第2部の最後の方で藤原氏が言うように、利他という言葉が繰り返し出てくる(p.222)。おそらく鼎談におけるキーワードは利他となろう。それは藤原氏が心配するような、国家に尽くすようなタイプの利他ではない(p.222)。印象に残ったフレーズを挙げておく。
 生命は利己的な遺伝子ではなく、ウィルスも含めて利他的な個体とみるべきであり、利他的な行為によって生態系が成り立っている(福岡p.149)。
 私がふいに行ったことが、その後誰かに受け取られることによって、利他になる(伊藤p.152)。共感は万能ではないし、逆に人を苦しめることもある(伊藤p.153)。利他はインセンティブでは引き出せない(伊藤p.156)。日常のシステムの外にあることで利他になる。非日常のパンデミックは、そのチャンスになり得る(伊藤p.158)。
 メメント・モリ=死を忘れるな。コロナでなくても死は訪れる(福岡p.162)。
 BSEという牛の病気は、牛を早く肥育するために肉骨粉を混ぜた飼料が原因だった。人為だった(藤原・福岡p.166-172)。
 利他の他には、人間でないものも含めるべき(伊藤p.172)。全人類がアメリカ並みの生活を送るには、地球が五個必要だそうだ(伊藤p.173)。
 利他という面からも、本当に考え方と生活を変えていかなければならない。

 ピュシス(自然)とロゴス(論理)の対立を軸とした議論が中心だが、福岡氏はこの言葉に酔っているふしがある。それを伊藤氏が独特の身体感覚で、藤原氏は歴史的事例で補っているという印象である。本書は、ここに挙げた以上のテーマと視点が提示されており、多くのヒントが得られる。
 
 
Reviewed in Japan on October 5, 2021
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3人の学者の対談。自然(ビュシス)と論理(ロゴス)を根底に据え対談している。そして、人類はビュシスをおろそかにし、ロゴスで突っ走ってきた。したがって、人間を含む自然(ビュシス)を、壊し、非常に不安定な状況をきたしている。したがって、ロゴスである金銭欲など欲望の世界が現出し、地球・環境・生態系・人間がどうなろうと、無関心化、無視して、とにかく成長、効率、時間管理、そしてロボットやAIが、すべて利益を生み出し、儲かる方向へとエリートは進めて行った。正に人為的に、大衆心理を使って、広告し、飽食、フード大量廃棄、郊外から地球温暖化による大災害などの異変、モラルハザードが進んだ。
そこで、人間も含めて、自然というものをもう一度、しっかりと意識に取り戻さないといけないという共通な視点がある。しかし、読むと、全体的な印象は、そう言いながらもかなり、自然状態(カントが言う無秩序)の方向へぶれすぎの感が強い。
と言うのは、「伊藤氏はバランスが取れている」が、後の二人はコロナ禍のいろんな行動制限やすべきこと、たとえば、マスクや守るべきマナーを、即、強制的な締め付けであり、自由であるはずの自然がなくなる、と言う様な発言をしており、コロナの重症で苦しんでいる人のことなんか関係なし、死は必ずやって来る当然のことと、自然現象で当然のことのように語る。これは明らかに、今の機械的ものの考え方の反作用として、自然状態にかなり引き戻そうとするあまり、それに引っ張られている。
異常な事態と通常の事態を区別しないからこういうことになるのだろう。適切な規制はその時の状態によって違うのは明らか。生物学の教授は素晴らしい生命は「動的平衡」を唱え、素晴らしいが、現実にそれを適用するとなると、自然の方にかなり偏った応用をする。
やはり、短期的、長期的に微妙なバランスを取っていくことが大切だと思う。自然主義の原理主義とは言わないが、状況を抜きにして具体的に臨機応変、柔かつ豪の思考や行動が出来ないといけないと思う。
そういう事で、星3とするしかない。
 
 
元々、福岡伸一氏と藤原辰史氏は、越境的な学者だと感じて関心を持っていた。この2人か一緒にコロナ問題の本を出すと知った時に読もうと思っていたが、まだ出版されていない時で、その後すっかり忘れていた。ところもう1人の参加者である伊藤亜紗氏が、朝日新聞で新年特集で角幡唯介氏と対談しており、そこでの彼女の発言の視点の面白さに誰だろうと彼女の紹介文を見ると、なんと忘れていたこの本の参加者だ! で、慌てて購入して読みました。
この社会の問題が、色々とこれまでも議論されてきたけれど、そういうものを少し違った角度から、コロナを契機に、くっきりさせてくれたという感じでしょうか。

人間のもつロゴス性とピュシス性。どちらを欠いても人間じゃない。ロゴスで覆われた近代人から漏れ出てくるピュシスの声を聴け!そのことの意味をようやく、自分の生活の中で実感することも多くなった年齢になったなという感慨を持ちました。やっぱりタワマンには住めないですね。
それにしても映画しか知らなかったナウシカの漫画に描かれていること、この本のおかげでネタバレしたけれど、買って読みます。伊藤亜紗氏にも注目していきます。
基本的人権は人間のピュシスから独立できたロゴスの力だというのがとても重要なキーワードだ。
ピュシスの力は権力者の手段になるのでこれと闘わねばならない。内なる自然と協調しつつ、その本姓(暴力性)を警戒し戦わなければならない。と読んだ。
 
いのちに対する基本的な態度の表明、つまり生命哲学を中心に据えた著書だけに難解です。それでも三人がそれぞれの立場から丁寧に説明しているので、かなり分かりましたし、共感もできました。
 
 
生物学者福岡伸一氏、美学者伊藤亜紗氏、歴史学者藤原辰史氏の3人による論考&対談集。自然(ピュシス)と論理(ロゴス)の対立を軸に、ポストコロナの世界が語られています。
立場が違う三人それぞれの視点からの意見は多くの示唆に富みます。その中でも福岡氏の「本来人間が選び取ったのはロゴスを求めつつもピュシスに従う生き方である。」、伊藤氏の「安心を求めれば求めるほど信頼は失われていく。」、藤原氏の「負の歴史を直視することで現代を生きる指針に変えられる。」という言葉が印象的でした。漫画版ナウシカの話も興味深かったです。
人間もウイルスも全ての生命体は自然物(ピュシス)であり、それらと共存して生きていかざるを得ないことを再認識させられました。ピュシスとロゴスの狭間にある人間や社会のあり方が見えてくる一冊です。
 
 

東京裁判 幻の弁護側資料: 却下された日本の弁明

2022年04月14日 10時31分00秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
我々は東京裁判の真実を知っているのか? 準備されたものの未提出に終わった膨大な裁判資料から18篇を精選。緻密な解説とともに裁判の虚構に迫る。
 

内容(「BOOK」データベースより)

東京裁判は、公正な裁判だったのか?検察官や裁判長の裁量により却下処分にされ、歴史の闇に葬られてしまった膨大な弁護側記録から、清瀬一郎弁護人の冒頭陳述や、マッカーサー、グルー大使等の証言をはじめとする18編を精選。戦争犯罪者として個人を裁くことや、「平和に対する罪」という曖昧な概念をふりかざすことのそもそもの問題点。日本の戦略をナチスになぞらえることにより、とりわけ知識人層を一部の軍国主義者により騙された被害者側へとまわすことに成功した占領軍側の戦略―。東京裁判の歪曲を鋭く指摘した解説付き。隠された日本の「真実」を明かす、貴重なドキュメント。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

小堀/桂一郎
昭和8年生まれ。比較文化・比較文学、日本思想史専攻。東京大学教授、明星大学教授を歴任し、現在東京大学名誉教授。
著書に『若き日の森鴎外』(東京大学出版会、昭和44年度読売文学賞)、『宰相鈴木貫太郎』(文藝春秋、文春文庫、昭和58年度大宅壮一ノンフィクション賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
 
事実を知りたくて、これまで色々なものを読み漁ってきた。だからおおよそのことは分かっていたつもりだが、この本を読むと何が事実で、何が事実でないのか、そして東京裁判とは何だったのか、さらには大東亜戦争とは一体何だったのか、すっきり理解できた。
編者である小堀先生には感謝したい。先生が目指した「正しい姿を語り伝えるに足る『正確』な文献を後世に残す」という目的はこの復活本で達せられたと思うが、この「正しい姿」を一人でも多くの日本人が知ることで、自信と誇りを持った本来の日本人が復活する日が来ることを祈るばかりである。もちろん、私もその一翼を担っていくつもりである。
少し前にポツダム宣言の原文を読んだが、今回初めてマッカーサー証言(①日本が戦争に飛び込まざるを得なくなったのは大部分が安全保障上の必要に迫られてのことであったこと、②アメリカが過去100年間に太平洋で犯した最大の政治的過誤は産主義の拡大成長を黙認したことであること)を原文で読んだ。
小堀先生が言うように原文を自分の目で見る大切さをひしひしと感じた。特に②については、昨今の中共の目に余る横暴ぶりを見れば世界中の誰も否定しないだろう。アメリカは人種的偏見や目の前の利権に目が眩み、戦う相手を間違ったことになる。この観点からすれば今更だが日本は犠牲者であり、良い迷惑以外の何物でもない。タラレバではあるが…。
文面としては何と言っても東京裁判の記録なので読みづらいし理解しづらい部分はあるが、それでも何があったのか、理解するには十分である。特にアメリカ人弁護士がここまで公正かつ冷静に資料を徹底して調べつくし、弁護しようとしてくれていたことは感動である。中でも17に掲載されたローガン弁護人の朗読内容は明瞭で簡潔で分かりやすい。
もちろん日本人弁護団も何が事実なのかを正々堂々と明確に主張していることに感動した。昨今の赤く染まりきった弁護士会の皆さんにも、爪の赤でも飲ませてもらいたいものだ。もし現在に同様の裁判が行われたら、自民党を代表とするような与党の政治家を弁護する人は居るのだろうか?
 このおかしくなり切ってしまったこの日本を、歴史の真実を知らしめることで日本人の一人一人を目覚させ、自信と誇りに満ちた日本を取り戻そうじゃありませんか! 
 
 
東京裁判は、今では、実定法上の拠法なく、国家としての行為を遂行した指導者個人を「平和に対する罪」で有罪とし、連合国の一般戦争犯罪については全く裁くことがなかった、裁判の名を借りた勝者による敗者の裁きに過ぎなかったことは明らかである。また、手続法上も、検事の提出する証拠は、事実認定のない証拠、伝聞証拠を含め多くが採用されているが、弁護人の提出する証拠資料は、当裁判には関係がないとして、多くが却下されている。

さらには、検事の主張に個別的に反証するのではなく、検事側の弁論、立証が10ケ月継続した後に、弁護側の陳述、反証が行われた。検事側の一方的な弁論、立証が連続した8ケ月の間に、日本国民には、検事の主張のままに日本国の行為が報道された。

しかも、GHQの占領により、連合国に対する一切の批判や日本の行為に対する一切の弁明は、プレスコード検閲により禁止されていた。この結果、この8ケ月の間に、日本国民は、報道された検事の主張のままに日本国に対する批判を実はそうであったのかと信用するに至り、現在の自虐史観(東京裁判史観)を抱くに至っている。

公平な裁判において、日本の行為の正当性の可否を判断するには、刑法上、相手国が先に何をしたのかの事情参酌は、当然に必要である。にも係わらず、弁護人が提出しようとした、支那での排日、支那人による日本人に対する暴虐の現状、英米蘭露仏のアジア及び日本に対する行為は、日本を裁く当裁判には無関係であるとして、多くの弁論や証拠が却下されている。

本書は、起訴状前文、弁護側が準備したが却下された弁論(重要部門では提出の8割りが却下)、証拠、多くが却下され続けるあまり、提出しなかった弁論、証拠の主要なもの、及び、冒頭陳述、最終弁論などを収録している。
清瀬一郎弁護人の冒頭陳述(総論A)は、「平和に対する罪」は事後法であり東京裁判所は管轄権を有さない、ドイツとイタリアと組んで世界支配を目論んだ共同謀議は有り得ない、「八紘一宇」は建国以来の和の精神を根幹とする道徳的規範である、西欧により虐げられた東亜全域の民族の地位の向上及び人種差別を完全に撤廃する(東亜新秩序の構築)、通商破棄、連合国から日本への輸出禁止、経済封鎖に対する自衛権、何が自衛権の行使かは自国が判断できる(ケロッグ米国務長官の主張)、満洲における特殊権益などに関して、日本の行為の正当性を主張するものである。

また、冒頭陳述(総論B)としては却下されたが、1年後の最終弁論段階で提出を許可された高柳賢三の最終弁論は、パリ不戦条約の米国議会での立法趣旨(経済封鎖は戦争行為、国家の行為に個人責任は及ばない、自衛戦争は除かれており、自衛か否かは自国が判断する)や、当時の国際法の解釈に沿って、管轄権問題に真っ向から反駁している。

ローガン弁護人の最終弁論( 自衛戦争論) には、「1 国からその国民の生存に必要な物資を剥奪することは、確かに、爆薬や武力を用いた強行手段に訴えて人命を奪うのと変わるところの無い戦争方法である。緩慢な行動を以て相手国の抵抗力を減じ結局は在来の敵対行為として用いられた方法と同様確実にこれを敗北せしめ、緩慢なる餓死という手段で徐々に全国民の士気と福祉を減耗し、物理的な方法により人命を爆破し去る方法よりも、一層激烈な方法である。一国が危殆に置かれた場合には、自衛の為の決定権を有するという諸国家一致せるところである。
昭和16年7 月29日の南部仏印進駐は、昭和15年9 月22日に日仏間で締結された協定及び昭和16年7 月21日に締結された議定書に基づく。単に自衛のために過ぎないこの消極的な議定が、如何にして英米への脅威を構成するに至るのかその理由を発見することは困難である。英米が日本の仏印南部進駐を重視したのは、日本に対する資産凍結及び経済関係の断絶を行うための単なる口実に過ぎないとの結論に自ずから達する。」とある。

東京裁判では、多くの米国人弁護士が被告代理人として活躍している。本書には、ワーレン弁護人による冒頭陳述「満洲部門」と、ラザラス弁護人による冒頭陳述「支那段階」、「対ソ関係」、カニンガム弁護人による冒頭陳述「太平洋段階・日本に対する連合国の圧迫」、ブレイクニ弁護人による「日米交渉」が収録さている。その他、日本の戦争回避の意向を記載したグルー大使書簡などの日本弁護が記載されている。

本書に収録された弁論は、当時の日本の正当な主張であり、大東亜戦争に至る原因を知るには、日本側の弁護抗弁を知る必要があり、それにより正当な歴史観が醸成される。

多くの日本人の命を落した大東亜戦争である。単に、連合国の意図する歴史観に日本人が捕らわれる必要はない。戦後70年が経過した。真実の歴史を知ることこそ、今を生きる日本人の使命である。

戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。
多くの人が、是非とも読まれることを薦める。
 
 
 
「面白い」という言葉には、腹を抱えて笑えるという意味と、興味深く思慮が凝らされていてすばらしいと感動する、という意味がありますが、これは後者です。
東京裁判と聞くと、単純に日本がありとあらゆる悪行を暴かれて断罪された裁判、と思ってしまいますが、実際にはどんな内容だったのか知らないので、感想もなければ反論もありませんでした。
なので読んでみたのですが、単純な弁護資料ではなくて、当時の世界情勢なども見えてきます。
ひとつの国が戦争を決意するに至った経緯や、なぜそうしなければならなかったのか、どうしてそうなってしまったのかなどが見えてくるのです。
却下された書類のため、よりいっそう臨場感あふれるものや、詳しい資料、説得力ある資料、数字だったりします。
「いやこれ却下したらあかんやろ」と何度突っ込んだことか☆これは却下された資料のほんの一部らしいのですが、この元になった本…読んでみたいやら見たくないやら…いやだって辞書何冊分ですか(>_<;)
 
『東京裁判却下未提出弁護側資料』全8巻からの抜粋です。東京裁判に興味のある人なら読んで良いと思います。
裁判長のウィリアム・ウェブがいかに不公正だったかを日本人は再認識すべき。
 
 

 
東京裁判却下未提出弁護側資料抜粋には第六回太平洋会議(一九三六年八月十五~二十九日、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園)の議事抄録がある。

 小堀教授は「ヨセミテでの会議がどの様な性格のものであったか、日本からの参加者があったのか否かを編者はつまびらかにしない。この資料が提出されずに終わった理由がよくわからない」と述べている。この会議に参加した日本人の一人である朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実は、昭和十一年(一九三六)十月二十六日から十一月二日にかけて「アメリカ西海岸を歩く」と題する紀行文を帝国大学新聞に寄稿し、

「今夏ヨセミテで開かれた太平洋会議には太平洋に関係ある各国の知名の学者、政治家、評論家など多数参集し、この人里離れた国立公園に時ならぬ賑いを呈せしめた。注目に値すると思われたのは会議の指導機関である太平洋問題調査会事務局の空気であった。ここにはいかにも秀才といった感じの若手の学者や評論家がいてその傾向は頗る進歩的であった」 

と述べている。さらに却下未提出弁護側資料には尾崎秀実が近衛文麿の最高政治幕僚として支那事変の最中に発表した戦争煽動論文の一つである大陸昭和十三年九月号「漢口をなぜ撃つか」(漢口攻略の意義)の抜粋がある。

 この戦時論文の中では共産主義者の尾崎が漢口攻略の防共価値を説いて支那撃滅論を唱えている。これこそ近衛文麿の東亜新秩序声明や汪兆銘工作と共通する尾崎の真骨頂で、もしこれらの弁護側資料が裁判所に受理されていたら、尾崎が所属したゾルゲ機関の謀略活動、近衛内閣の軍事外交内政の本当の目的、近衛文麿の正体、スターリンおよびソ連共産党の邪悪な世界戦略が白日の下の晒され、東京裁判は、国際連盟によって侵略国と認定され連盟より除名されたソ連を裁く裁判となり、ソ連の勢力拡大に奉仕したアメリカ合衆国は面目を失い、連合国から「平和愛好諸国民」という自称を外さざるを得なかっただろう。

 本書と、「尾崎秀実、西園寺公一が雑誌等に論文を執筆して汪兆銘工作が日本の執るべき唯一の道であることを強調していた」という犬養健の証言(昭和十七年四月二十一日、現代史ゾルゲ事件4巻)を裏付ける公論昭和十四年十一月号「汪精衛政権の基礎」( 
尾崎秀実著作集〈第2巻〉 )と、晩年の岸信介(元首相)に大きな衝撃を与えた「 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (三田村武夫著/自由選書)」とを併読する人は、岸の遺言「東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかはない」が本当の真実を突いていることに気付くはずである。