心を通わせる交流がどれほど大切か

2022年04月27日 11時14分40秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼新しい自分をつくるには、新しい挑戦が必要だ。
人の可能性に限界はない。
ゆえに失敗を恐れずに、大胆に挑戦を。

▼コロナ禍。
不況、誰もが不安を感じることが多い時代だからこそ、心を通わせる交流がどれほど大切か。

▼耳を傾けることで、自分の思い込みから、自由になり、想定しなかった関わりの可能性が見えてくる。
発見があったり、新たなつながりが生まれることもある。
▼人との交流は、豊かな時間と喜びをもらしてくれる。

▼自分が目にした風景から、何を感じとっていくかが大事。

詩歌を詠むには<発見>が必要。

つまり、それによって洞察力を磨いていくこともできる。

▼散歩での効用も、新たな出会いであり<発見>なのだ。


5年で倍増!小学生で不登校を選んだ子の本音

2022年04月27日 11時12分19秒 | 社会・文化・政治・経済

14歳になった少年が振り返り語ること

不登校新聞 2021/08/18 19:00

小学生の不登校は直近5年間で倍増している。小学校2年生と5年生の二度にわたり不登校をした14歳のハルユキさんにお話をうかがいました(写真:不登校新聞)
小学生の不登校は直近5年間で倍増しています。当事者は、どんな思いで学校から離れていったのでしょう。小学校2年生と5年生の二度にわたり不登校をした14歳のハルユキさんに、その当時の心境を語ってもらいました。
――学校へ行かなくなった時期を教えてください。

小学校2年生のときと小学校5年生からです。

――小学校2年生で行かなくなった理由はなんでしたか?


当記事は不登校新聞の提供記事です
ふつうにいじめが始まったからです。いじめっ子みたいな人が1人いて、その子を中心とした数人のグループから標的にされてしまったんです。上履き袋を盗まれたり、遊ぶときには「お前は参加するな」と言われたり。

なぜいじめが始まったのか。きっかけはわかりませんが、彼らからヘイトを集めてしまったみたいなんです。それで1カ月間ぐらいは休んだり、行ったりをくり返していました。

学校に相談しても解決してくれなかった
――すごくハキハキと話していますが、つらかったですよね。

イヤでしたね。いじめられると泣きたくなるんですが、泣くってすごく恥ずかしい。だから泣きたいのに涙をこらえなきゃいけない。それが悲しいというか、悔しいというか、なんとも言えない気持ちでした。

苦しいことを学校の先生にも相談しましたが、解決はしてくれませんでした。先生は子どもどうしで話をさせましたが、あれってホントに意味がないですよね。一応、いじめたほうからは謝られましたが、そのあと、もっと標的にされちゃいました。

母親にも相談し、そこからは毎日のように2人で話し合ったんです。お母さんは「悲しかったよね」「次はどう対応したらいいかな」「どう考えてみたらいいのかな」と、いろんな話をしてくれました。そういう話をしているうちに「考え方を変えて乗り越えていこう」としたんです。小学校2年生の際は、それで乗り切れました。

時計の針が進まない
――その後、小5になってまた行かなくなったのは、なぜでしょうか?

今度はシンプルに学校の授業がきらいになったからです。

授業は知っていることでも、ずっと説明されます。毎日、あれが続くのは本当に苦痛でした。早く終わらないかなと思って時計を見てすごしましたが、時計の針もなかなか進まない。授業中は気持ちが悪くなるぐらい、つらかったんです。それで、もうこれはダメだと思い、お母さんに「行きたくない」と相談しました。

――今度は、お母さんも納得したのでしょうか。

納得してくれました。お母さんはすごくオープンな人で、お母さん自身も学校がきらいだったらしいんです。ただ、そのあとで学校の先生を説得するのはたいへんでした。「行きたくない」と先生に伝え始めたころは「学校は義務だから絶対に行かなきゃダメ」と。そういう先生に僕とお母さんとで「無理をしてまで学校へ行く義務はないですよね」と説明したんです。

――精神的に消耗する話し合いですね。

すごくきつかったですよ。先生と話すこと自体がうれしいことではないのに「学校がイヤです」「授業がきらいです」なんていう話題ですからね。それでも先生とは5回ぐらい話し合いの場を持ちました。最初は苦しかったですが、話し合いを重ねて、だんだんと先生もわかってくれました。

――周囲の説得がたいへんでしたね。

じつは祖父母との話し合いもたいへんだったんです。僕が学校へ行ってないとわかったとき、おじいちゃんたちは、とっても反対してきました。「学校へ行かなければ将来は仕事に就けなくなる」と言われたこともあります。おばあちゃんなんて、めっちゃ落ち込んじゃったんです。僕からしたら「そんなに暗くなる?」と思うぐらいに(笑)。でもお母さんが何度も話してくれた結果、今では明るい雰囲気でいっしょに暮らせています。

――その後、小6からはフリースクールに通われていますが、家を中心とした生活では、どんなことをしていましたか?

ゲームをしたり、好きなプログラミングを習ったりしましたが、会社を設立しました。

親子起業で小学生社長に

周囲の反応に心を痛め「不登校を始めたころはやっぱり不安でした」と語るはるゆきさん。今では学校へ行こうが行くまいがどちらでもいいじゃないかという気持ちを持っていると話してくれた(写真:不登校新聞)
――え!! 会社を設立したんですか?

はい。まだ実績は残せていませんが、ゆくゆくは子どもが楽しめるインターネットサービスを発信していきたいと思っています。でも設立しただけでも、めっちゃたいへんだったんですよ。定款をつくったり、登記申請したり、資金もクラウドファンディングで集めたりしたんですが、そういう一つひとつが……。

――待って待って! 急に話が大人すぎて気持ちが追いつかないです。

すみません(笑)。親子起業というやり方で、子どもが社長になって会社を立ち上げる方法があるんです。なので役職は、お母さんが代表取締役で、僕が代表取締役社長です。

会社を設立しようと思ったのは、じつはある社長さんと話すなかで、「学校へ行かない小学生が社長になりたい」と思ったからです。準備はたいへんでしたが、達成感はすごかったです。

――ビックリしました。会社設立なんて大人でもとても苦労することです。最後に不登校をしたことを自分ではどう思うか教えてください。

不登校を始めたころはやっぱり不安でした。行きたくない気持ちはあるけれども、行かなくてはまずいのでは、と。おじいちゃんたちが将来を悲観したので、それも怖かったです。

でも、お母さんとたくさん話すなかで気持ちは変わってきました。お母さんは「無理をしてまで学校へ行くのは絶対によくない」と話してくれました。学校へ行かないで仕事をしている人もいるし、子どものうちは、やりたいことをやったほうがきっと幸せだろうな、と。そう思えたので学校については決心がつきました。今では学校へ行こうが行くまいがどちらでもいいじゃないか。そういう気持ちを持っています。

――ありがとうございました。

(聞き手・石井志昂、写真・矢部朱希子)

【プロフィール】
(はるゆき)2007年生まれ。小学生のあいだに2度不登校を経験。小学校6年生の際に母親と株式会社を設立し社長に就任。現在は祖父母宅からフリースクールに通っている。
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