▼人類は「文化」「宗教」の違いによる対立を乗る超えられるのだ。
そして、異なる地域性や距離・時代の隔たりを超えて、友好を結ぶことができるはずだ。
▼あらゆる国境を超え、人間の無知が人間を制限する「心の国境」をも超えて、人類を一つに結びゆく努力を。
▼真の幸福は、社会の一員として、民衆と苦楽を共にしなければ得られない。
▼分断の時代から連帯の時代へ。
その要は、内なる人間性を触発する<新たな人間主義>である。
そのためには、<いかなる後継を育てるかの>との視座が不可欠だ。
▼平和とは、日々、自らの手で建設しべきであり、他民族や他者に対する理解を深め、互いの差異を埋める橋を架けていくことである。
▼作家・アンドレ・マルローの偉大さは、人々のため、自分の価値観のために行動したことだ。
精神、魂というものは行動と離れてはならない。
出版社からのコメント
著者について
1960(昭和35)年、愛媛県生れ。1986年、「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞。映画の原作、脚本を手がけたのち、1993(平成5)年、『孤独の歌声』が日本推理サスペンス大賞優秀作となる。
つらい時逃げていい 天童荒太さん「包帯クラブ」続編にこめた思い
苦しい時は「助けて」と言ってもいいじゃないか――。
人の心の傷や悲しみを見つめてきた作家の天童荒太さんは「自己責任ありき」の風潮に疑問を投げかける。
映画化もされた「包帯クラブ」(2006年)の続編となる新刊「包帯クラブ ルック・アット・ミー!」(筑摩書房)では、苦しいときに声を上げることを肯定する物語を描いた。格差が広がる社会と新型コロナウイルス禍で子どもたちが抱える「痛み」は、天童さんの目にどう映っているのか聞いた。【関雄輔】
「頑張れ」より「痛いよね」
「私も助けを求めないから、あなたも私に助けを求めないでね」。
天童さんは今、多くの人が無意識にそうした感覚を抱いているのではないかと感じている。「困った時に助けを求める権利は本来、あらゆる人にあるはずです。それなのに、声を上げるのがはばかられる社会状況に陥ってしまっている」。
だから今回の作品を通して「つらい時は、誰もが『ルック・アット・ミー(私を見て)』と言っていいのだと伝えたかった」という。
読んでいる間、ずっと泣きっぱなしだったのは初めて。なんだろうこの涙は、とずっと考えていた。悲しい、切ないでないこの涙。
嬉しいのかな、こんなに素敵な仲間に出会えて😭
書店員の方々から感想を頂きました!
人はいったい幾つの皮を被って生きているのだろう。
この物語によってむき出しにされる真実は、人間の尊厳を根本から激しく揺さぶる・・・
理性と本能がせめぎ合った欲望の罠に支配の闇。
突きつけられた問題は決して他人事ではなく、理不尽な社会で渦巻き続ける現実でもある。
そう誰もが当事者。目を背けずに読むべきだ。
そして投げられた重たき石の波紋を噛みしめたい。
無益な誤解も痛みや哀しみのない明日のために・・・
ブックジャーナリスト 内田剛さん
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性被害というものの原理が、とてもわかりやすく描かれている。
男性の言い分。女性の言い分。
性被害を受けた女性と同じ女として男の身勝手さ、思い込みに悍ましささえ覚える。
拒まなかった、イコール同意があった。何故そう思えるのか理解出来ない。
拒まなかったのではなく、拒めなかったのだ。この言葉の違いは大きい。
挙句に拒まなかった女が悪いと言われてしまう。そもそも立場を利用して、男が手を出さなければ良い話なのに。
その「立場を利用している」事さえも、気付かないフリをしてそれが事実だと思い込む厄介さ。
咲歩の、小荒間洋子の、被害を受けた女性たちの叫びが、心から血が流れている様が伝わってくる。
癒える日が来るのかどうかもわからない傷。生皮を剥がされ、いまだ再生されないまま、血を流し続けている傷。
人を傷付けるのも人ならば、人を癒すのも人なんだな、と思いました。
俊の優しさ、理解が救いでした。
それでも事実は消えないし、この先の人生で何度も思い出す。
それらを乗り越えてあたらしい皮膚で覆われて欲しい。幸せになって欲しいと強く思いました。
性被害を受けた女性全て、救われて欲しい。
この本を読む事で、「あなたは悪くない。」ということを届けたい、伝えたい、知って欲しい。
それで傷が癒えるわけではなくても、少しでも心が救われますように。と願います。
文真堂書店ビバモール本庄店 山本智子さん
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咲歩や洋子の気持ちが伝わりすぎて、体に入ってきて吐き気がした。これを知ってる。この名前の無い感情を知ってる。
日常でありがちな会話、風景、男性と女性の捉え方の違い、同性でも年齢や環境で大きく変わる捉え方の違い。
世の中に実はセクハラは溢れている。ひととひとがもっと思いやれたら、ひとのことをもっと考えて言葉を発したら行動したら何か変わるのかと思った瞬間もあったけれど、いや、きっと変わらない。
これは日常だと思う。この本は年齢性別問わず全ての人に読んでほしい。きっと、読んでも分かり合えないのも分かっているけれど。これは大人に必要な本です。
福岡金文堂志摩店 伊賀理江子さん
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その傷は暴力の気配を感じ、違和感を覚えた時から生まれ、暴力を受け、違う表現で必死で繕おうとし、どんどん侵食していった。
セクハラを受けた当事者の心情が複雑に切実に自分の心に甦?ってくる。周りの空気の冷たさ、あざけりが現実に起こっていると思え、深く動揺し、傷をうけた。
丁寧に書かれる加害者の心情にもこういうことからセクハラが起こるのかと色々考えることがあった。被害を受けた人の傷はどうしたら少しでも癒えるのだろう。
暴力ではがされた皮は、新しい皮でやさしく包まれて再生することを願う。被害者、加害者、その周りの人の感情が現実にあった真実を見ているようで著者の技量、力量にうなりました。すさまじすぎる。他人事ではない誰にでも起こりえる切実な問題だ。
ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理さん
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痛々しいタイトルと生々しい声に読んでいて苦しかったです。
この苦しさは怒りからくるものなのだと思いました。
被害者たちよ、怒れ、立ち上がれ、鈍感な加害者をつけあがらせるな、と。
ただ、どこにでも起こりうる事件なので、自分が被害者を追いつめる立場になる可能性も考え、怒りとともにどこか冷静にもなりました
文信堂書店長岡店 實山美穂さん
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ハラスメントの問題では、被害者と加害者の考え方にうまらない溝がある。
加害者月島からすれば、たとえ告発されても小説という芸術をうみ出す上で倫理をこえた性への欲望を正当化している。被害者咲歩たちにとっては信頼した先生の行動に汚された身体に傷つきながらもそんな自分を捨ててしまう。身体の傷は治るのも早いが心の傷は何年たっても、何十年たってももしくは一生いえることはないかもしれない。
ジュンク堂書店三宮店 三瓶ひとみさん
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元編集者、小説講座の人気講師のセクハラが告発。被害者は元受講生たち。
一人の男が繰り返す「セクハラ」というものが、被害者に、それぞれの家族たちに及ぼす影響。
権力を持つ者がその権力をかざして強いる性行為。強要していない、合意の上だ、これは特別な関係なのだ、と主張する加害者。
被害者が受ける身体と心の傷は、時間が経っても絶対に消えることはない。
現実にも何度も繰り返され、話題になっては消えていくセクハラという名の犯罪。
ニュースになるとぶつけられる問い。「なぜ今頃言い出したのか」
その理由のひとつひとつが鋭い刃となって読み手を刺してくる。
生皮をはがされた彼女たちの、その皮の下にうずく生身。
痛みを知れ、痛みを感じろ、そして想像しろ、と刃を向けられた。
精文館書店中島新町店 久田かおりさん
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7年前に受けた性被害を告発する決意をする咲歩。ふとした瞬間によみがえった記憶による感情の生々しい描写に月日だけで性被害の傷が癒える事はないという事を思い知らされた。
自らを神のような存在であろうとした加害者の身勝手な言い分とそれを受容してしまう周囲の空気が息苦しい。自分もその場にいたら呑まれてしまい無自覚にセクハラに加担していたかも。またその場にいなくても告発を知った時「七年も前の事を今さら?」と安易に思ってしまうかもとぞっとした。
周囲の無理解が被害者が振り絞った勇気を踏み躙り傷が更に深く抉られる。加害者の妻も被害者でありまた加害者でもありやりきれない気持ちが募る。被害者夫婦はどうなってしまうのか?ハラハラしながら読み進めて迎えた第五章が素晴らしい!咲歩の勇気が別の被害者の勇気を引き起こす事で柔らかい光がこの夫婦を包み込むようだった。小荒間洋子のスピーチに拍手喝采を贈りたい!一緒に傷つきながらも寄り添ってくれる人がいればきっと月日で癒えない傷も癒やす事ができる。咲歩に勇気があったからこそ、夫が共に傷つき寄り添ってくれる人となり得た。赤いノートを再び手にした咲歩はこれから何を記していくのだろう。
現実社会で生きる性被害者が咲歩のように自分の人生を取り戻す事ができるように、勇気を出して声を上げた人に寄り添う人が1人でも多く増えるようにと強く願う。ぜひ多くの人に読んで欲しい一冊です。
三洋堂書店新開橋店 山口智子さん
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「嫌なら嫌と言えばいい」誰かに対してこの言葉を言ったことがある人は
この本を読んでも同じ事を言えるだろうか。
私はもう二度と言えない、と思ってしまいました。
まさに生皮を剥がされたというのがピッタリなヒリヒリした小説でした。
未来屋書店碑文谷店 福原夏菜美さん
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男の身勝手さに嫌悪感を抱き無性に腹が立った。
「生皮」読み終えて納得した。
彼女たちの深い悲しみは生皮を剝がされた様な激しい痛みと共に癒えることなくいつまでも疼き忘れることなど到底、あり得ない。
“生皮”は彼女そのものだから。
あおい書店富士店 望月美保子さん
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自分は嫌だったのだと言えることは、自分を許すことなのだろう。そこを乗り越え、告発して尚、彼女たちには戦う敵がいる。ハラスメントを告発するということはなんて命懸けなのだろうか。誰も傷付きたくなんてない。人に言えない傷なんて負いたくない。
勝手な希望と絶望に振り回されるのはうんざりだ。
彼女たちの深い傷を思い、少しでも世の中がやさしくあるようにと願います。
あおい書店富士店 鈴木裕里さん
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小説講座の講師・月島光一がセクハラで告発された。小説の指導という名目での課外授業でセックスの強要。被害女性である咲歩との間にあったものは...。洋子はあれはレイプだったという。彼がしたことは、「私の皮を剝ぐことでした。」と表現した。どれほどの苦痛であったか。想像を絶する。大人の男女なんだから二人次第ではないのかという世論。夫の俊と穏やかに乗り越えた咲歩は幸せであっただろう。声を上げられず乗り越えられない多くの女性たちが見えない鮮烈な痛みを抱えたまま自身が悪かったのではと後悔しながら生きているのだろうと思いました。Me too!と思う女性たち、月島のような傲慢な男性たちにも手に取ってもらいたいです!
ジュンク堂書店名古屋栄店 西田有里さん
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動物病院の看護師の咲歩の趣味はものを書くこと。
創作教室の人気講師・月島光一から必要以上に目をかけられ…。
七年の時が経ち、夫の俊との幸せな生活を送っているかのようにみえる咲歩。
当時受けた性被害が咲歩を苦しめ…。
告発を決意した咲歩の勇気。咲歩や周囲の人たちの叫びを悲痛な思いで受け取りました。
読み終わった後、「生皮」というタイトルに込められた井上荒野さんの想いが胸を打ちます。
丸善名古屋本店 竹腰香里さん
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とにかくずっと嫌な気分だ。人の妬み、嫉み、勝手な憶測に気分が悪くなる。なのにページをめくる手が止まらない。それは全ての登場人物に感情移入できてしまうから。でも、それはつまり、私も「被害者」だけでなく、「加害者」や、それに加担する野次馬になる可能性がある、ということだ。恐ろしくなる。この物語に救いはあったのか。私にははっきりとは分からなかった。また、この物語を「フィクションだ」と簡単には言い切ることができない。それくらいリアルで、今を感じる作品であった。
紀伊國屋書店さいたま新都心店 大森輝美さん
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それぞれの立場の生々しい感情が、さながらノンフィクションを読んでいるかのようだった。
ただ、やはりハラスメント被害は起こるべきではない。
重たい作品であるが、一人でも多くの方に読んでもらい、声なき声の被害が少しでもなくなるといいなと思った。
くまざわ書店新潟亀田店 今井美樹さん
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性被害は名乗り出ることが難しい。
その部分が痛いほど描かれていた。
本人の傷はもちろんの事、家族の傷も深く癒える事はないかもしれない。 少しずつ歩み出した彼女達の未来が明るいものになるよう祈りたい。
うさぎや作新学院前店 丸山由美子さん
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愛という名の下に行われる、搾取。聡明であるがゆえに、ゆっくりとはまり込むぬるい地獄。誰もが活躍する当たり前の社会に、こんな悲しい出来事は全く要りません。
この作品が多くの人の心に届き、一刻も早く自浄できる世の中になりますように。切に願います。
蔦屋書店熊谷店 加藤京子さん
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私の皮を剥がされた、性被害がその言葉で表されたことに強い衝撃を受けました。いつか癒える傷ではなく人格を破壊するとても卑劣な行為なのだと思い知らされました。
加害者に犯罪だという意識がない。被害者までもバッシングを受けてしまうなんて…。
性犯罪を現状や、当事者その周辺の人々の感情がリアルに描かれていて、決して目を背けてはいけない問題だと思いました。
ジュンク堂書店郡山店 郡司さん
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勇気を持って、声を上げた当事者が、まだまだセカンドレイプに逢いがちな時代に我々は生きている。そんな世の中で自分にできることは何なのか。考えることを放棄したくはないと思った。
くまざわ書店錦糸町店 阿久津武信さん
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セクハラの被害者と加害者、その家族、知人、メディアで事件を知った赤の他人…立場は全く異なるのにそれぞれの感情や生き方がリアルに迫ってきました。
文喫福岡天神 奥原未樹子さん
商品説明
小説講座の人気講師がセクハラで告発された。家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えることがあるのか? ハラスメントが醸成される空気を重層的に活写する。『小説トリッパー』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
小説講座の人気講師がセクハラで告発された。桐野夏生さん激賞「この痛みは屈辱を伴っているから、 いつまでも癒えることはないのだ」 * * *皮を剥がされた体と心は未だに血を流している。動物病院の看護師で、物を書くことが好きな九重咲歩は、小説講座の人気講師・月島光一から才能の萌芽を認められ、教室内で特別扱いされていた。しかし月島による咲歩への執着はエスカレートし、肉体関係を迫るほどにまで歪んでいく--。7年後、何人もの受講生を作家デビューさせた月島は教え子たちから慕われ、マスコミからも注目を浴びはじめるなか、咲歩はみずからの性被害を告発する決意をする。なぜセクハラは起きたのか? 家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えることがあるのか? 被害者と加害者、その家族、受講者たち、さらにはメディア、SNSを巻き込みながら、性被害をめぐる当事者たちの生々しい感情と、ハラスメントが醸成される空気を重層的に活写する、著者の新たな代表作【商品解説】
創作講座の人気講師がセクハラで告発された。
被害者と加害者、その家族、受講者たち――。
当事者の生々しい感情と、ハラスメントが醸成される空気を重層的に活写する、著者の新たな代表作
動物病院の看護師で、物を書くことが好きな九重咲歩は、創作講座の人気講師・月島光一から才能の萌芽を認められ、教室内で特別扱いされていた。しかし月島による咲歩への執着はエスカレートし、肉体関係を迫るほどにまで歪んでいく。
7年後、何人もの受講者を作家デビューさせた月島は教え子たちから慕われ、マスコミからも注目を浴びはじめるなか、咲歩はみずからの性被害を告発する決意をする。
なぜセクハラは起きたのか? 家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えることがあるのか?――メディア、SNSを巻き込みながら、性被害をめぐる当事者たちの生々しい声を描き切る傑作長編小説【本の内容】
著者紹介
井上 荒野
略歴〈井上荒野〉1961年生まれ。「切羽へ」で直木賞、「赤へ」で柴田錬三郎賞、「その話は今日はやめておきましょう」で織田作之助賞を受賞。
【5日限定全文公開!】直木賞作家・井上荒野さんがセクハラ当事者たちの感情を生々しく描いた問題作『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』/4月3日まで
株式会社朝日新聞出版
2022年3月30日 16時22分
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井上荒野さんが、性被害をめぐる当事者の生々しい感情と、ハラスメントが醸成される空気を活写した長編小説『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』が4月7日に刊行されます。発売に先がけ、3月30日から4月3日まで、朝日新聞出版の公式note「さんぽ」で本作の全文を期間限定で公開します。作家で日本ペンクラブ会長の桐野夏生さん激賞、ノンフィクション作家の河合香織さん絶賛の話題作です。被害者と加害者、その家族、受講生たち、さらにはメディア、SNSを巻き込み、実際の事件を彷彿とさせるような物語は、セクハラが誰にとっても無関係ではいられないことを伝える、いまこそ読まれるべき作品です。
今週の本棚
角田光代・評 『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』=井上荒野・著
毎日新聞 2022/4/23
(朝日新聞出版・1980円)
事実が着地する「真実」の読了感
暴力を振るったわけじゃない。脅すようなことを言った覚えもない。自然だったからだ。だが、自分が感じていることを彼女たちも感じていると確信していたのは間違いだったのかもしれない、そうだとしたら謝罪する。
セクハラ疑惑で告発されたカルチャーセンターの講師が言うセリフであり、公にするコメントである。
もと編集者である月島は、カルチャーセンターで小説講座を持っている。受講枠が空かないほど人気なのは、この講座からプロの作家を輩出しているからだ。その月島による性被害を、もと受講生が告発する。七年前、小説の話をしたいと彼女は月島にホテルに呼び出され、数回にわたって性行為を強要された。それにたいして月島は上記のことを言うわけである。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その衝撃的な内容に世論は揺れる…。
「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンの<悪の凡庸さ>を主張し続けたアーレント。歴史にその名を刻み、波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化、半世紀を超えてアーレントが本当に伝えたかった<真実>が、今明かされる─。
今の時代に生き迷う私たちに、どうすれば信念を持って強く生きられるかを、アーレントは身をもって伝えてくれる。そして、彼女からの最高の贈り物──すべての答えが凝縮した魂を揺さぶる8分間のスピーチ──を受け取ることが出来るのだ。
免田 栄 (著)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
免田/栄
1925年熊本県球磨郡免田町で生まれる
。現在、大牟田市に在住し、死刑廃止のための活動に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
5.0 out of 5 stars たとえ死の影の谷を歩むとも われ災いを恐れるまじ ‥‥旧約聖書「詩編」第23にインスパイアされた 免田栄氏と開高健
Reviewed in Japan on July 28, 2018
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本書は
免田栄氏(1925-)による自伝です。
6章から成り
各章の章題は次の通りです。
1章 海軍航空廠に徴用--戦時下の悲惨な生活から
2章 不当逮捕
3章 死刑囚の烙印を押されて
4章 獄中で死刑制度を考える
5章 刑場に消えた人々
6章 再審の開始
資料 第三次再審開始決定(西辻決定)
このうち第5章においては
章題からも想像がつきますように
「○○年○月○日 ○○君(さん)」
という記述スタイルで
執行されて行って人たちの
思い出が語られています。
1952(昭和27)年4月20日から
1980(昭和55)年12月16日まで
50名以上の人たちと
「直接別れの握手を交わし、見送った」
(本書 P.137)由です。
直接別れの握手を交わしたわけではない人も含めると
「150~160名近く見送っている」
と推定されています(本書 P.138)。
いったん死刑が確定し
拘置所・拘置支所に収監されたものの
再審無罪となって社会復帰された
免田氏でなければ書けない
貴重な・稀有な記録です。
それが本書の副題
「私の見送った死刑囚たち」
に反映されていると言えるでしょう。
さて
免田氏が第1次再審請求をするのは
1952(昭和27)年6月10日ですが
その契機となったのは次の文章です。
「死のかげの谷をあゆむとも
禍害(わざわい)をおそれじ、
なんじ我とともに在(いま)せばなり」
(本書 PP.76-77)
死刑が確定し
絶望の深き淵にあった免田氏の
独房の食器口から
おそらく間違って
ガリ版刷りのパンフレットが
放り込まれます。
大半の文字はかすれてしまい
その短い文句だけがかすかに判読できました。
死刑の執行という「死の影」におびえる自分と
境遇が似ていると感じました。
天啓を得た免田氏は
その文句を繰り返し繰り返し読み
数日間、祈り続けます。
そして「やれることはやってしまおう」と
再審請求へ踏み出した由です。
この文句は
旧約聖書の「詩編」第23にあります。
旧約聖書「詩編」の中で
いちばん有名な文句であり
しばしば引用されます。
いま手元にあります
新共同訳『聖書』(旧約聖書続編つき)
(引照つき)(日本聖書協会 1987)
(旧約 P.854)によりますと
詩編23は「賛歌。ダビデの詩」で
相当する箇所は
「死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける」
と訳されています。
私はキリスト教徒ではないので
旧約「詩編」第23からの引用であることは
調べてからでないと思い出せませんでした。
しかし
以前どこかで読んだ記憶があり
本をひもといたところ思い出しました。
それは作家・開高健(1930-1989)です。
開高はヴェトナム戦争取材のため
U.S.Marine Corps(米国海兵隊)
(ユー・エス・マリーン・コーズ)
(コーズをコープスと発音すると
「御遺体」の意味になってしまいます)
に同行します。
そして何百人もいた部隊が
敵襲によってほぼ全滅したとき
辛うじて生き残った17人の一人でした。
誇張ではなく九死に一生を得ました。
開高は
米国海兵隊の兵士から
「弾丸(たま)よけ」の呪文を教えてもらいます。
それは基本的には
旧約聖書「詩編」第23からの引用なのですが
海兵隊風にアレンジが加わっています。
”Yea Though I Walk
Through The Valley
Of The Shadow of Death
I Will Fear No Evil
For I Am The Evilest
Son Of The Bitch In The Valley”
「そうヨ、たとえわれ
死の影の谷を
歩むとも
われ怖れるまじ
なぜって、われは
谷の最低の
ド畜生野郎だからよ」
--開高健『ああ。二十五年。』(潮出版 1983)(P.224)
開高はこの文句を
手持ちのジッポのライターすべてに彫りこませ
そのジッポを2個も3個もバッグにひそませておき
仮になくしてもすぐに次のを取り出せるように
しておいたそうです。
「いかにもヤンキー風の茶化し半分の
この聖句を手持ちのジッポに
すべて掘り込ませておいた。
サイゴンではしじゅうジッポが蒸発したけれど
おなじのが何コとなく用意してあるので(中略)
まったく気にすることはなかった。
さっさとつぎのをとりだせばよいのである」
--開高健『生物としての静物』(集英社 1984)(P.33)
結果として
開高は生きて帰ったばかりでなく
ヴェトナムでの体験は
『輝ける闇』
『夏の闇』
『花終る闇』(未完)
『珠玉』(絶筆)
などの文学作品に結実しました。
公文書が開示されるまでは
確定的なことは言えませんが
ノーベル文学賞もとりざたされました。
免田氏の本に戻りますと
本書以外にも
『免田栄 獄中記』(社会思想社 1984)
『死刑囚の手記』(イースト・プレス 1994)
『死刑囚の告白』(イースト・プレス 1996)
を上梓されています。
絶版になっていますが私は
Amazonですべて購入しました。
『獄中記』のカバーの折返しには
「免田冤罪事件とは--」
という解説文があります。
私の個人的な見解ですが
マスメディアにおいては
「免田事件」
という呼称が定着していますが
しかし再審で無罪が確定したのだから
「免田事件」
という呼称は必ずしも適切ではありません。
『獄中記』のように
「免田冤罪事件」とするか
「いわゆる免田事件」とするか
原点に戻って
「祈祷師殺害事件」とするか
選択の余地があるように思います。
高峰武 (著)
1948年12月29日深夜、熊本県人吉市で発生した一家四人殺傷事件(免田事件)で、強盗殺人容疑で逮捕され、1952年1月に死刑が確定。その確定死刑囚から日本初の再審無罪判決を勝ちとった免田栄さん(1925-2020)。
その生涯は、私たちの想像を絶するものがあります。実に、獄中34年、無罪釈放後37年という稀有な時間を生き抜き、「生き直し」ました。獄中から家族や教誨師へあてた1400通の手紙に刻まれた声の束と、「人として認められたい」一念で生きたその姿に胸を打たれます。満を持して集成した画期的な評伝!
著者について
1952年熊本県生まれ。早稲田大学卒。熊本日日新聞社編集局長、論説委員長、論説主幹。
2020年から熊本学園大学特命教授。著書・共著に『ルポ精神医療』(日本評論社)、『検証ハンセン病史』(河出書房新社)、『水俣病を知っていますか』(岩波ブックレット)『熊本地震2016の記憶』『8のテーマで読む水俣病』(以上、弦書房)がある。
5.0 out of 5 stars よう生きた
Reviewed in Japan on January 31, 2022
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19世紀フランスの小説家
アレクサンドル・デュマ・ペールは長編小説
『モンテ・クリスト伯爵』で冤罪を描きました。
主人公エドモン・ダンテスは無実の罪で14年間
監獄に入れられてしまう、という設定です。
免田栄さんは、23歳2カ月で別件逮捕されます。
2日後、強盗殺人容疑(冤罪です)で再逮捕、
いったんは最高裁で死刑が確定しますが
ようやく第六次請求で再審が認められ、改めて
無罪判決が下り、即日、釈放されました。
そのとき、57歳8カ月になっていました。
逮捕から釈放まで、34年6カ月です。小説家の
想像力を20年も上回る獄中生活でした。
それは「その心情は筆舌に尽く難い」と
裁判所すら認めた34年です。
2020年12月5日、免田さんは、老衰のため
亡くなりました。享年95。
釈放から亡くなるまで37年5カ月でした。
書名の『生き直す』は、再審無罪判決後の
37年5カ月を指しています。
晩年の免田さんは「よう生きてきたなあ」と
述懐なさっていたそうです。わずか3年ですが
獄中よりも再審無罪判決後の人生の方が
長いのが、せめてもの慰めであると、本書
読了後にしみじみ感じました。
副題は『免田栄という軌跡』です。
数学の試験で「次のような条件下で動く
点の軌跡を求めよ」という問題があります。
「軌跡」はその人(本書では免田さん)が
生きてきた歴史であり、証であり、実体です。
英語では、ローカス、トラジェクトリー、
トレーシング…などと表現します。
キリスト教信仰をきっかけに再審請求し、
結果として死刑執行の直前から、
「人間としての復活」を果たした「軌跡」は
同時に「奇跡」「奇蹟」でもあったと思います。
英語なら、ミラクルです。
上記のように本書は、伝記的な要素も含んでは
いますが、通常のスタイルの伝記と言うよりは
著者やその同僚たちとの「接点」の積み重ね
と受け取ることもできます。
4部から成り、タイトルは次の通りです。
Ⅰ 心の足跡
Ⅱ 波紋
Ⅲ 還らざる日々
Ⅳ 人間の復活
これらに加えて「はじめに」「おわりに」
「免田事件と免田栄さんの歩み」
「事件略年表」「事件年表」「事件関係地図」
「資料 残った小さなメモ」などが付いて
全体像の理解を深める助けとなります。
写真も印象的です。
カバー写真は広辞苑、広辞林、聖書など
免田さんが獄中で使用した辞典・事典です。
他に何葉もの写真、免田さんがかいた図などを
見ているうちに、具体的なイメージがわいて
くるものと思います。
免田さんは熊本弁で言うところの
「わまかし」という形容が当てはまる人
でもあったようです。その意味は
「物事をやや斜めから見る」という性向のこと
のようですが、詳細は本文を参照いただけますと
幸いです。
さて本書のクライマックスをひとつ挙げるなら
それはトルストイ研究・翻訳家
北御門二郎氏(1913-2004)と免田さんが
新聞社で対談し、かつ同社の風呂で、
いっしょに入浴したときのエピソードです。
同じ球磨川流域地方の出身である北御門氏は
免田さんの背中を流しながら
「本当にやってないんですか?」ときいた
と言います。免田さんの返事は
「やってません」でした。
北御門氏は日中戦争中の1938(昭和13)年、
良心的徴兵忌避をした方です。2・26事件の
2年後に徴兵を拒否することの意味を考えると
たいへんなことです。そういう北御門氏と
免田さんの対談のくだりは、個人と国家という
普遍的な問題を考えさせてくれました。
本書をお勧めするのは次のような方々です。
①捜査官(警察官や検察官)
②裁判官
③マスメディア関係者
…それぞれの理由を以下で述べます。
①…冤罪は免田さんが最後ではありません。
熊本県に限定しても、複数の冤罪事件が起きて
いますし、また現在進行中で、冤罪を疑わせる
事件が報道されることがあります。
「歴史が繰り返す」原因は「自白は証拠の王様」
という意識が残存しているのではないかと危惧
しています。自白ではなく「証拠」に基づいて
捜査すること、証拠は大切に保管すること、
証拠は捜査官にとって不利なものも有利なもの
も開示すること、などが、もしかすると、
おざなりになっているのかもしれません。
本書に引用されているように
「風雪に耐える捜査」が今なお必要です。
②…戦前戦中のからの日本の官僚の傾向かも
しれませんが、引き返す勇気が肝心な場合に
欠けてきたように感じます。
「人が人をさばく」ことの根源的な「こわさ」
を忘れてほしくないと思います。人間ならば
誤謬は誰しも生じる可能性があります。もし
誤謬に気がついたら「引き返す」(再審決定
する)勇気が必要です。免田さんの事件でも
再審決定が取り消されるなど、紆余曲折が
あったことは本書で詳述されています。
③…マスメディア関係者にとって本書は教科書
になると思います。直接関係ある部署を担当し
ていなくとも、ケーススタディーとして本書を
通読すると資質を高めるものと思います。
例えば、免田さんに最初に死刑を言い渡した、
原審の第一審・熊本地裁八代支部の裁判長は
その後、福岡地裁所長を最後に退官し、福岡市
で弁護士となりました。著者が弁護士事務所で
取材したときの記述は、圧巻です。
取材された側はそういう対応しかできなかった
であろうと推察できるものでした。
最後に本書は、司法や報道とは何の関係もない
(私のような)一般の方々にもお勧めです。
それは「生きる」という視点から本書を読むと
いろいろ得るものがあるからです。
余人には経験できない、特異な人生を経験
した免田さんですが、ご本人が回顧している如く
「よう生きてきた」ことは間違いありません。
聖書を読みキリスト教の信仰を持ちつつも、
「教会の雰囲気が嫌い」で、教会には
足を向けなかったエピソードは、免田さんの
「見切り」という強い性格の象徴
ではないかと
思います。本書を読んで免田さんが最も素朴な
意味で「強い性格」の人であるのは間違いない
と感じました。と同時に上述の「わまかし」
あるいは「諧謔」という、性向もあったのかも
しれません。
免田さんの人生は「人に恵まれた人生」であった
と思います。本書をきっかけとして
「生きる」ことについて考えてみる
のも有益だと思いました。
一度は容疑を認める自白調書が作成されたものの、まもなく免田さんはアリバイを主張し、容疑を全面否認する。
免田さんはあきらめることなく再審請求を繰り返し、一転して無罪が言い渡された。
獄中で過ごした時間は34年。
「自由社会」の37年の生活を送り、2020年12月5日、95歳で亡くなっている。
死刑執行への恐怖とともに国家や社会の残酷さだ。
凡庸な悪によって蹂躙された人生であった。