負の連鎖

2022年04月12日 22時09分54秒 | 未来予測研究会の掲示板

負の連鎖とは言ったものだ。
現在の利根輪太郎の<連戦連敗>の無様な立場を象徴しているようだ。
10万円の金が短期間でゼロとなる。
10万円を100万円、200万円にと意気込むものの、当てが外れるばかちで、空しくも空振りとなる。
例え100万円を投じたとしても、同じように惨敗に終わっていただろう―と思われるばかりであったのだ。

▼何でもそうであるが、失敗したこと身につくものだ。
悩やみ壁にぶつかり、困難と格闘するなかで経験が身につくものがある。


負の連鎖に陥る

2022年04月12日 21時12分49秒 | 未来予測研究会の掲示板

負の連鎖とは言ったものだ。
現在の利根輪太郎の<連戦連敗>の無様な立場を象徴しているようだ。
10万円の金が短期間でゼロとなる。
10万円を100万円、200万円にと意気込むものの、当てが外れるばかちで、空しくも空振りとなる。
例え100万円を投じたとしても、同じように惨敗に終わっていただろう―と思われるばかりであったのだ。


性に目覚める時期 創作欄

2022年04月12日 10時55分54秒 | 創作欄

性に目覚める時期

2015-05-25 13:25:13 | 創作欄
 
先日、私は京王線に乗っていて、隣の席の50代なかごろと想われるご婦人が英語の小説を読んでいるのをみかけた。
常磐線の中ではほとんど見かけない光景であった。
中学生の時に英語に反発した私は、「将来、苦労するぞ!」と英語教師から指摘されたとおりとなってしまった。
なぜ、英語に反発したのか?
英語教師が嫌いであったのだ。
この教師には妻子がいたのに、若い数学の教師と不倫関係にあったのだ。
偶然、2人が腕を組みながら多摩川沿いの路地裏の旅館へ入るのを私は見かけてしまったのだ。
美貌の数学教師に憧れを抱いていた私はショックを受けるとともに、英語教師を憎んだ。
当時、ロマンスグレーと言われるタイプの中年男がいたが、英語教師は男の色気を漂わせる雰囲気を醸し出していた。
それ故に40代の中年男が20代のフランス映画に出てくるようなエレガントな数学教師の心を捉えたのであろう。
小豆色のベレー帽をかぶっていた数学教師の後を胸を高鳴らせながら着けたこともあった。
金木犀の花の季節であり15歳の私が性に目覚める時期でもあった。

2015-05-24 12:47:41 | 創作欄
 
2012年1 月 6日 (金曜日)
娘夫婦は東京の北千住のマンションに住んでいたが、子どもが生まれて実家に戻って来て、貴子たち同居することになった。
半年が経過した頃から、貴子はイライラが募ってきた。
孫娘は夜中によく泣いた。
貴子は熟睡ができずに睡眠不足のまま朝を迎え家事をした。
夫は午前5時30分に起きて、自動車で千葉県市川市内の仕事場へ向かう。
娘の夫は歯科技工士であり、深夜に帰宅する日が続いていた。
娘は、「子育てに精いっぱい」と自分の夫の食事の支度を母親任せにしている。
「私のことを、お手伝いの婆やと思っているんじゃないの!」と貴子は声を荒げた。
「ごめんね、おかあさん、暫く頼むわ」
娘はニヤリと笑って申しわけ程度に首を竦めるだけだ。
睡眠不足が重なったので、貴子は寝室を2階から1階に移した。
そして、2世帯住宅のつもりで、夫と自分だけの食事の支度をした。
娘に甘い夫は、酒を飲んで帰宅すると娘たちの部屋へ顔を出して出て来ない。
そればかりではない、娘の夫の食事の支度までやった。
夫は現在、宅建の資格をとって不動産業をしているが、貴子が結婚した頃は東京・日本橋の料理屋の板前をしていた。
だが、35歳の時に夫は、兄に説得され建設業に転じた。
色々な経緯があって、夫の兄の建設業は借金を重ねた挙句に倒産した。
「いずれ、料理屋を開くという貴方と結婚したのに、兄さんにさんざ利用されるだけ利用されて、放り出されたのね」
貴子は嫌味を並べたが、夫は詫びるわけではない。
不機嫌に黙り込み、朝から酒を飲んで憂さを晴らしていた。
45歳になって貴子は、近所の不動産屋の事務として働きだした。
失業した夫は47歳であった。
「中途半端な年齢なんだ、どこも雇ってくれないな」
夫は職安から帰ると冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
息子は自動車販売のセールマンとなっていた。
娘は歯科技工士として、歯科医院に勤務していた。
貴子は寝れない夜、夫が失業していた頃のことを思い出した。
「明日は、娘夫婦に家を出てほしい」とハッキリと言おう。
決意をすると、貴子は深い眠りにつくことができた。

チェーホフの短編集

2015-05-24 12:39:07 | 創作欄
2012年1 月 2日 (月曜日)
初めてチェーホフの小説を読む
些細なことには、怒ることはよそう。
新年にあたり、指針として人生の師は、「朗らかに生きよう」と呼びかけた。
腹は立てるもではなく、腹を揺する。
つまり、笑い飛ばして、力強く歩むのだ。
神奈川県の小田原で昼食のために、その店に入る。
主人らしい50代の男性と、30代と20代と思われる店員が居た。
そして、厨房に1人。
ところで、主人はことあるごとに、20代の店員に文句を言っていた。
「遅い! 早く」
「ぼんやり、立っているんじゃない。かたずけろ」
「何度、言わせるんだ。早く」
「お茶が出てない。先にお茶を出すんだろ」
「ハイ分かりました」「ハイ、すいません」と若者は感情を表に出すこともなく率直に返事をしていた。
食事をしながら若者の様子が気になりだした。
立ち居振る舞いが、緩慢なのだ。
知的障がい者のようにも思われた。
徹はイジメにあっても、何時も何事もなく微笑んでいた若者がいたことを思い出した。
それは、学生のころにアルバイトをしていた東京・新宿の居酒屋でのことであった。
ある日、終電に乗り遅れて、徹は若者のアパートに泊めてもらった。
歌舞伎町から職安通りを渡り、柏木の若者が住む古い木造のアパートへ向かった。
4畳半一間の部屋には、机と本箱だけがあった。
読みかけであったのだろうか、机の上にチェーホフの短編集があった。
本棚に目をやると、露西亜の作家の単行本が多かったので、「ロシアが、好きなの」と聞いてみた。
「18世紀、19世紀のロシアが好きだね。でもソ連は嫌だ」と微笑んだ。
徹はフランス文学やドイツ文学、そしてイギリスの文学を好んでいた。
露西亜文学に対しては、暗く重苦しいイメージを抱いていたのだ。
「チェーホフの短編集、君に貸すよ。認識を変えてしい」
若者は頬を紅潮させて、はにかむように言った。
徹は裸電球の下で、ページをめくった。

「チェーホフの言葉」

2015-05-24 12:35:37 | 創作欄
2012年1 月 2日 (月曜日)
心が乾き買い求めたのが「チェーホフの言葉」
1970年(昭和45年)12月24日、徹は銀座の何時もの喫茶店でその人を待っていた。
徹の友人2人が都合で来られない。
現代風に表現すれば合コンの約束だった。
その人は友人を連れてくると言っていたが、30分遅れてやってきた時は、1人であった。
笑顔がないので、その人は高慢な女性に映じた。
「あら、1人なのね!」
声にも人を突き放すような響きがあった。
「明日にしましょう」
その人は席に座らず、踵を返して店を出ていった。
徹はソーダー水を半分残して席を立った。
会計をすますのももどかしい。
外へ出て、その人の姿を探したが見えない。
何時も以上に銀座は人並みで溢れていた。
空しさが広がり、心の渇きを覚えた。
徹は銀座から東京駅まで歩いた。
1か月前、その人と一緒に映画を観た映画館の前で立ちどまり、ポスターを確認した。
だが、上映されているのは戦争映画だった。
ひどく落ち込んでいたので、見る気になれない。
結局、八重洲まで歩いて、ブックセンターへ入る。
そして、買い求めたのが「チェーホフの言葉」佐藤 清郎訳編(彌生書房)だった。
次の日の12月25日、作家の三島由紀夫が死んだので、その年は忘れられない年となった。

2015-05-24 12:26:43 | 創作欄
2011年12 月31日 (土曜日)

何故、冤罪が起こるのか?
夏目徹は考え続けた。
眠れない夜であった。
書棚から判例集を出して読んでいた。
時計を見ると、午前2時を回っていた。
終電車は既に終わっていた。
結局、待ち人は外泊をしたのだった。
徹は居たたまれない想いに駆られ、絨毯の上に仰向けになる。
そして、昼間、澤田奈那子と新宿駅で別れたことを思い浮かべる。
奈那子は、新宿駅の西口に何時ものように30分余遅れてやってきた。
遅れて来たのに、小走りになるでもなくユッタリした足取りで改札口を通過する。
イライラして、不機嫌な顔をしている徹の姿を雑踏の中で目ざとく見つけると、こぼれるような笑顔になった。
徹はその笑顔に魅せられて、何時も怒る気になれない。
徹の前に立つと奈那子は、西洋の劇の中に出てくる少女が演技をするように足を一歩前に出して、腰を屈めて挨拶をした。
奈那子が両手でミススカートを持ち上げたので、太股が露となった。
徹は周囲の視線を感じた。
奈那子がそのような仕草をする時は、何かがある兆候でもあった。
「徹ちゃん、悪いわね。私、用事が出来ました。なるべく早く帰るので、私のマンションで待っていてね」
黒皮の真四角な小さなハンドバックからマンションの鍵を出した。
キーホルダーは、徹が東京タワーで買ったものだ。
徹は言いたいことが喉に詰まった。
奈那子は右手をひらひらさせ身を翻すようにして、足早に去って行く。
奈那子から何度か約束を裏切られてきた。
「もう、いい、お別れだ」徹は投げやりな気分となった。
だが、1日、1回は奈那子から電話がかかってきた。
「今、何をしているの?」
「これから、学校へいくところ」
「今日、会えるでしょ?」
「ハイ」
居間で母親が聞き耳を立てていた。
電話は玄関の靴箱の上に乗っていた。
脇には花瓶があって、母親は活けた百合の花が香っていた。
「徹ちゃん、誰かが側に居るのね?」
「まあ・・・」
「渋谷に来て、午後6時に、来られるわね。ハチ公の前にいるわ」電話をそれで切れた。
結局、その日も30分余、遅れて奈那子はハチ公の銅像の前に現れた。
奈那子は渋谷の道玄坂にある法律事務所でバイトをしていた。
司法試験に2度落ちて、3度目挑戦するところであった。
徹の父は大学病院の心臓外科医であった。
父の医療訴訟を請け負ったのが、渋谷・道玄坂の法律事務所であった。
父の東京地裁での裁判を傍聴した時に、徹は奈那子と出会った。
徹は裁判所へ足を踏み入れたのは初めてでる。
建物に威圧され、胸をドギマギさせ途方に暮れた少年のように戸惑っていた。
徹の脇を通り過ぎた若い女性が振り向いた。
その場の雰囲気を和ませるような女性の爽やかな笑顔であった。
「学生さんね? 傍聴なのね?」
「ハイ」徹は助け船を得たような気持ちとなった。
「今日は、医療訴訟の裁判があるの、傍聴するなら一緒に行きましょ」
「医療裁判?!」徹は腰が引けた。
身内の裁判を赤の他人に傍聴されたくない、と思ったのだ。


21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える

2022年04月12日 10時29分58秒 | 新聞を読もう
 
 現代哲学を「政治的正しさ」の呪縛から解放する快著
──帯文・東浩紀

ポリティカル・コレクトネス、差別、格差、ジェンダー、動物の権利……いま私たちが直面している様々な問題について考えるとき、カギを握るのは「道徳」。進化心理学をはじめとする最新の学問の知見と、古典的な思想家たちの議論をミックスした、未来志向とアナクロニズムが併存したあたらしい道徳論。「学問の意義」「功利主義」「ジェンダー論」「幸福論」の4つのカテゴリーで構成する、進化論を軸にしたこれからの倫理学。

哲学といえば、「答えの出ない問いに悩み続けることだ」と言われることもある。だが、わたしはそうは思わない。悩み続けることなんて学問ではないし、答えを出せない思考なんて意味がない。哲学的思考とは、わたしたちを悩ませる物事についてなんらかのかたちで正解を出すことのできる考え方なのだ。(…)
この本のなかでは、常識はずれな主張も、常識通りの主張も、おおむね同じような考え方から導きだされている。それは、なんらかの事実についてのできるだけ正しい知識に基づきながら、ものごとの意味や価値について論理的に思考することだ。これこそが、わたしにとっての「哲学的思考」である。(…)倫理学のおもしろさ、そして心理学をはじめとする様々な学問のおもしろさをひとりでも多くの読者に伝えることが、この本の最大の目的である。(「まえがき」より)

【目次】
■第1部 現代における学問的知見のあり方

第1章 リベラルだからこそ「進化論」から目を逸らしてはいけない
第2章 人文学は何の役に立つのか?
第3章 なぜ動物を傷つけることは「差別」であるのか?

■第2部 功利主義

第4章 「権利」という言葉は使わないほうがいいかもしれない
第5章 「トロッコ問題」について考えなければいけない理由
第6章 マザー・テレサの「名言」と効果的な利他主義

■第3部 ジェンダー論

第7章 フェミニズムは「男性問題」を語れるか?
第8章 「ケア」や「共感」を道徳の基盤とすることはできるのか?
第9章 ロマンティック・ラブを擁護する

■第4部 幸福論

第10章 ストア哲学の幸福論は現代にも通じるのか?
第11章 快楽だけでは幸福にたどりつけない理由
第12章 仕事は禍いの根源なのか、それとも幸福の源泉なのか?

終章 黄金律と「輪の拡大」、道徳的フリン効果と物語的想像力
 

著者について

ベンジャミン・クリッツァー(Benjamin Kritzer)
1989年京都府生まれ。2014年に大学院(修士)を修了後、フリーターや会社員をしながら、ブログ「道徳的動物日記」を開始(2020年からは「the★映画日記」も開始)。
批評家として、倫理学・心理学・社会運動など様々なトピックについての記事をブログやWebメディアに掲載。
論考に「動物たちの未来は変えられるか?」(『atプラス 思想と活動』32、太田出版、2017年)、「ポリティカル・コレクトネスの何が問題か アメリカ社会にみる理性の後退」(『表現者クライテリオン』2021年5月号、啓文社書房)、「ウソと「めんどくささ」と道徳」(『USO 3』、rn press、2021年)などがある。
 
 
道徳とは、人生をいかに生きるべきかを示す規範である。
そして、哲学が本来目指すところも、正しい生き方の探求であるはずだ。
だが、現代の哲学は過度に専門化し、今や哲学は「答えの出ない問いに悩みつづけること」であるかのような印象すらある。
本書は、隘路に迷い込んだ現代哲学を、原点に立ち戻らせる試みとも言える。
著者は道徳を扱う哲学である倫理学の知見を主に踏まえ、生き方の規範と物事の価値について根源的な問い直しを、さまざまな角度から展開している。
「哲学的思考とは、私たちを悩ませる物事について何んらかのかたちで正解を出すことができる考え方」という著者の信念を、実践して見せるのだ。
<幸福とは何か>という最大級の難問に、正面から挑んでいる。
道徳は<よく生きるための知恵>として鮮やかに蘇生させる。(原)
 
 
左翼思想を知ろうとなると
肯定的か否定的かでしか語られず
そういったものを求めていないものにとって
俯瞰的に思想家達が一体何を考えどのような問題があるかを理解するのに助かる。
道案内としては◎であるが。
そのような捉え方ができる著者であるからこそ著者なりのもっと踏み込んだ主張なり考えが欲しかった。
 
 
 
善悪の問題から幸福や人生の問題など、哲学的なテーマが、進化論や心理学を主とする自然科学の観点からわかりやすく紹介されています。
参考文献は多数ありますが知識量や権威を誇示するようなところもなく、各文献の重要なポイントがわかりやすく引用されています。

文体は素直で、若者らしさが感じられます。特にロマンティック・ラブについて語る9章が面白く読めました。
ぜひ、多くの方に読んでもらいたいです。
 
 
 
この10年ほどで話題となっている哲学系トピックについて、著者がピックアップした書籍の内容を丁寧かつ分析的にキュレーションした本という印象を受ける。(ただし、私は個人的嗜好から、著者が最も力を入れているであろう第3章については読めずにこのレビューを書いている)
「なるほど、こういった問題ってこの文脈や文献で議論されてるんだな」と知見や、逆に、「お、確かにそういった議論ってこれまでされてなかった気がする...」という気づきを与えてくれる。
個人的には、男女の道徳観の差異についてはずっと悩んでいたので、本書で紹介されていた「正義の倫理」「ケアの倫理」の議論は目から鱗だった。
 
 

まず自分はフェミニストというものが嫌いである。
そして鶏肉が大好きで、週に何度も冷凍から揚げをつまみにビールを飲んでいる。
書評ブログからこの本を見つけ、何か新しい知見が得られそうですぐさま手に取った。

古今東西の哲学、倫理学の書における考え方を整理してあり、"今"と"これから"を生きるための思考の前提となるように、あとがきにもある通り"中庸"な立場から解説し、時たまやんわりと(決して決めつけたり、断定するわけではない)著者の考えが挟まれる構成が、無学な癖に否定的な自分にもなじんでいった。

期待していたジェンダー論にはもちろんだが、「何を今さら…」と読み始めた第四部の幸福論が一番面白く感じられた。
社会的な生活を営む大人であればそれぞれの価値観で独自の幸福論はあるものであろうが、これについても古来からのいくつかの考え方を示し、対比し、そして著者の視点を交えることで、改めてこれを読み手に「幸福とはなにか?」を考えさせる内容であった。

現状、アカデミックな組織に属さず、恐らく一社会人として多くの読書により得られた知見を整理し、このような文章にまとめられた著者には感服する。
次回作も必ず読ませていただきたい。

(鶏肉のから揚げをビールで流し込みながら)

 
 

21年の悪質通販サイトは7割増 カード情報盗まれる被害も

2022年04月12日 10時27分44秒 | 事件・事故

4/11(月) 11:36配信 共同通信

悪質通販サイト対策のポイント

 金融機関やインターネット関連企業でつくる「日本サイバー犯罪対策センター」(東京)は11日までに、購入した商品が届かないなどの悪質な通販サイトの通報が2021年に1万7717件あったと明らかにした。20年の1万95件から70%以上増えた。新型コロナ下の外出自粛などで、ネット通販の利用が拡大したことが影響したとみられる。

 センターは今年3月、正規のサイトが改ざんされ、利用者のクレジットカード情報が盗まれる「Webスキミング」の被害も公表。サイト設置者に管理パスワードの変更などの対策を呼びかけている。利用者は通常通り買い物ができるため、気付くのは困難という。