「どつき殺すぞ」暴言取り調べの巡査部長に罰金命令 和歌山簡裁

2022年09月05日 20時56分57秒 | 医科・歯科・介護

9/5(月) 20:14配信 毎日新聞

和歌山県警の男性巡査部長が容疑者の男性を取り調べた際に暴言を繰り返していた問題で、巡査部長が脅迫罪で和歌山簡裁から罰金の略式命令を受けていたことが、県警への取材で明らかになった。男性は、巡査部長の取り調べで精神的苦痛を受けたとして県に損害賠償を求めて和歌山地裁に提訴している。

 県警によると、損害賠償訴訟の原告は和歌山市の40代の男性。取り調べは当時、和歌山北署勤務だった30代の男性巡査部長が担当した。和歌山区検が巡査部長を脅迫罪で略式起訴し、和歌山簡裁が罰金20万円の略式命令を出したという。略式起訴は3月23日付、略式命令は同25日付。巡査部長は罰金を納付したという。県警は賠償訴訟の結果も踏まえ、処分内容を検討する。

 訴状などによると、男性は2020年7月、和歌山北署に暴力行為処罰法違反容疑で現行犯逮捕された。巡査部長は取り調べで、「泣かすぞこら」「切れさすんかほんま。暴れるぞ」「どつき殺すぞ」などと繰り返したとされる。

 執行猶予付きの有罪判決が確定した男性は21年6月、176万円の支払いを求めて提訴。県は慰謝料30万円を支払い男性に謝罪する内容で和解する方針。【駒木智一、大塚愛恵】

 


競輪・嘉永泰斗選手「1走1走、力を出し切って頑張りたい」“若手の登竜門”レースに向けて意気込み語る!

2022年09月05日 20時19分21秒 | 未来予測研究会の掲示板

9/5(月) 18:10配信 TOKYO FM+

(左から)田村響華マネージャー、嘉永泰斗選手(タブレット画面)、マンボウやしろ、浜崎美保

本部長・マンボウやしろと秘書・浜崎美保が、リスナーのみなさんと「社会人の働き方・生き方」を一緒に考えていくTOKYO FMの番組「Skyrocket Company」。毎週月曜日18:40頃からのコーナー「スカロケ競輪部」では、競輪部・マネージャーの田村響華(たむら・きょうか)さんに、初心者でもわかる競輪の魅力について教えていただきます。

8月29日(月)の放送では、熊本県・S級1班の嘉永泰斗(かなが・たいと)選手をゲストに迎え、お届けしました。

◆競輪選手を目指したきっかけは?
嘉永選手は、1998年生まれ、熊本県出身の24歳。2018年7月にデビュー(113期)し、現在はS級1班の選手として活躍。競輪界きってのイケメン選手として女性からの人気も絶大です。

嘉永選手が競輪の道に進むことになったきっかけは中学3年生のとき。「進路で迷っていたとき、同じ熊本県出身で109期に瓜生崇智(うりう・たかとも)選手がいるんですけど、先輩がインターハイで活躍しているのを見て“自転車競技をやってみよう!”と思って始めました」と振り返ります。

デビューして4年が経過した今、自身の競輪スタイルについて「ラインの先頭で先輩たちを引っ張っていく感じでいつもやっています」と分析。

それに田村マネージャーも、「嘉永選手の言葉通り、先輩たちを引っ張っていく存在なので、本当に“九州の自力エース”だと思う。私たち車券を買う側からすれば、そうやって頑張ってくれている姿を見せてくれると、熊本のライン(チームを組んで走ること)は頑張ってくれるだろうな”って、すごく応援したい気持ちが高まります」と評します。

◆最も印象に残っているレースとは?
これまで数多くのレースに出場してきたなかでも、嘉永選手が最も印象に残っているレースとして、昨年10月に開催された「熊本記念in久留米」を挙げます。福岡・久留米競輪場での開催だったとはいえ、地元・熊本を冠とするレースに初めて出場し、そこで初優勝を果たしたとあって「すごく印象に残っています」と嘉永選手。

G3レース初優勝を達成した瞬間を振り返り、「最初は実感が湧かなかったんですけど、後からどんどん湧いてきて。しかも、憧れていた先輩の瓜生さんと1着2着となったので、うれしかった」と話しました。

◆1走1走に力を出し切る
そして嘉永選手は、名古屋競輪場で9月16日(金)~19日(月・祝)の4日間にわたって開催されるG2レース「第38回共同通信社杯」への出場を控えています。名古屋競輪場では10年ぶりの開催となるこちらのレースでは、選考基準に“25名の若手選手枠”を設けていることから「若手の登竜門」と言われており、次世代のスター候補選手の活躍やトップ選手の熱い戦いに期待が集まります。

今大会を前に、嘉永選手は「去年は準決勝まで進んでいるので、今年はもう1つ上の決勝に進めるように、1走1走に力を出し切って頑張りたい」と意気込みを語りました。

(TOKYO FM「Skyrocket Company」8月29日(月)放送より)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  


雲への執着は、「ノンちゃん雲に乗る」の影響であろうか?!

2022年09月05日 19時30分16秒 | 日記・断片

花の写真と同時に、雲写真を撮り続けている―その遠因を探ってみたい気持ちとなる。

 
雲の写真への拘り 2022年9月4 日
動画リンク
 
 
 
 
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解説

文部大臣賞を得たベストセラーを、「殿様ホテル」の倉田文人が新人村山節子と共同で脚色し、倉田文人が監督にあたる。

撮影は「鶏はふたたび鳴く」の小原譲治である。

「山の音」以来、病気で静養していた原節子が出演するほか、少女ヴァイオリニストの鰐淵晴子、「緋牡丹記」の藤田進、「女性に関する十二章」の徳川夢声、「森繁の新入社員」の大泉滉など。

1955年製作/84分/日本

ストーリー

小学二年生のノンちゃんは森の木にのぼって池を見つめていると、枝が折れて池に落ちた。

すると急に白ビゲのお爺さんに拾い上げられて雲にのっていた。

そこには同級生でいたずら坊主の長吉もいる。

ノンちゃんはお爺さんにお家の話をした。

麦畑の中にあるノンちゃんの家には、お父さんお母さん、兄さんのほかに犬のエスや鶏もいる。

お父さんはシュギを持っている。

むずかしいものらしくて、いつも「僕の主義だ」と言いはる。

お母さんは世界中で一番好きなお母ちゃんである。

ノンちゃんは東京に生れ、病気になったので田舎に来たのだが、お爺さんと話しているうちに、はじめてお母さんが雪子という名であることに気づいた。

するとお母ちゃんが急に自分から離れた気がして淋しかったが、そのためなおさらお母ちゃんが好きになった。

兄さんは那須の与一が大好きだ。

ノンちゃんは兄さんと喧嘩ばかりする。

ノンちゃんは二年生になったら、東京へつれて行ってもらう筈だった。ところがお母さんと兄さんがノンちゃんを置きざりにして東京へ行ってしまった。ノンちゃんは悲しくて泣いた。

そして池へ行って水へ落ちたのだ。

お爺さんは嘘をつけば家に帰れるといったがノンちゃんにはどうしても嘘がいえない。

お爺さんは「それでいいのだよ」といって、ノンちゃんを優しく抱きあげ、雲にのせて下界におろしてくれた。

ふと気がつくと、木から落ちて気を失ったノンちゃんを家の人たちやお医者さんが見つめていた。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

  • 鰐淵晴子

    ノンちゃん鰐淵晴子

  • 高崎敦生

    タケシ高崎敦生

  • 藤田進

    おとうさん藤田進

  • 原節子

    おかあさん原節子

 

ノンちゃん雲に乗る

2022年09月05日 17時06分04秒 | 社会・文化・政治・経済

石井 桃子  (著), 中川 宗弥 (イラスト)

女の子のノンちゃんは神社の境内にある大きなモミジの木に登りますが……。

戦後出版されると同時に多くの読者に感銘を与えた名作。

今も変わらぬ新鮮さに溢れた日本童話の古典です。

出版社からのコメント

ノンちゃんは、雲の上の世界のおじいさんに、自分の家族のことを話します。
おじいさんは、いじわるなにいちゃんのことを「いい子だ」と褒め、優等生のノンちゃんのことはあんまり褒めてくれません。
それどころか、「そういう子は、よくよく気をつけんと、しくじるぞ! 」というのです。
おどろくノンちゃんでしたが、家族のことをじっくり思い出して話しているうちに、自分の思い込みに気付きます……。

『くまのプーさん』や「ピーターラビット」のシリーズなどの翻訳で知られ、日本の児童文学の発展につくした石井桃子さんによるファンタジー。
子どもの心の動きが、繊細に、リアリティを持って描かれています。
子どもが読めば、ノンちゃんやにいちゃんなどそれぞれの立場で共感し、大人が読めば、自分の子ども時代を懐かしく思い出すことでしょう。

著者について

石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日2008年4月2日)は、日本児童文学作家翻訳家
位階従四位。「くまのプーさん」「ピーターラビットのおはなし」といった数々の欧米の児童文学の翻訳を手がける。一方、絵本児童文学作品の創作も行い、日本の児童文学普及に貢献した。日本芸術院会員。
1924年4月、日本女子大学校(現日本女子大学)入学
在学中から、菊池寛のもとで外国の雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトをする。
1928年3月、同英文学科卒業。仕事で知り合った犬養健と親しくなり、1929年信濃町の犬養家の書庫整理に従事する。1930年から1933年まで文藝春秋社に勤め(同編集部に桔梗利一)、永井龍男のもとで『婦人サロン』『モダン日本』などを編集した。
1934年6月から1936年6月まで新潮社に勤務し、吉野源三郎山本有三らと『日本少国民文庫』の編集にあたった


 
 
子どもの頃に読んで、大好きだった本です。
ずっと持っていたのになくしてしまい、今回娘のために購入しました。
しかし、新品のはずなのに表紙に糊が付いたような汚れがあり、がっかりしました。
せっかく手に入れたのに、出鼻をくじかれたような…。大変残念です。
是非、今後はこのようなことがないよう、よろしくおねがいします。
同時に購入した本たちは、なんの問題もなかったです。
 
 
 

かの大戦が終わった2年後、石井桃子さんが40歳の時に本書は刊行された。
それから70年経った名作なのでネタバレとかはさほど気にせずに進めると、本書の主人公は8歳の児童の「ノンちゃん」で、冒頭、彼女が大泣きしている場面から物語は始まる。

本作のキーポイントは彼女が5才の時に大病を患い生死の境を彷徨う期間が数カ月あったことで、端折ると、母と兄が黙って東京へ行った日、いろいろあってタイトル回収して彼女はおじいさん(≠祖父)が操縦する雲に乗ることになり、8歳ながらに自分の生い立ちと家族のプロフィールをおじいさんに語ることにより、視界がサーっと晴れてスッキリした状態で家族の元へ戻ってくるという、こう話すと、けっこうシンプルなストーリーになっている。

ただし、つくりは複雑だ。
構成は7章立てで、内、第3章「ノンちゃんのお話」が更に9パート、第4章「おじいさんのお話」が2パートに分かれる。
時代的には「いまから何十年かまえの、ある晴れた春の朝」からはじまり、その後メインの第3章「ノンちゃんのお話」の部分で、末っ子による父、母、兄の解釈が描かれ、これにより時系列的に複数のエピソードが交差することになる。

子供の話はあっちこっちに飛ぶ。
だからエピソードの挿入もやや唐突で、母についてのパートにある、遊ぶ約束をした友達がしばしば約束やぶりをするという話や、母から父や祖父の昔話を聞いている内に「昔(≒未来)」という概念に気づきその瞬間母にしがみつくシーンとか、なにこのメタファーとしばしば驚くとともに、唸る。
繰り返し出てくる「児童が言葉を覚えていく景色」も鮮やかだ。
一方、兄との算術のやりとりでは大笑いする。
著者はユーモアも忘れない。

頁をめくる内に、うーん、これは泣く展開になるなと身構えてたら、第6章「家へ」で彼女が雲に乗っている間、現実の世界ではどのようなことが起こっていたのかが描かれ、中でも兄のタケシのあるセリフにノックアウトされる。
著者は、この家族が今も抱える恐怖心を、意図的に散りばめる。

物語の視点をレイヤー昇順で並べると、
1.ノンちゃん
2.おじいさん(第3章~第5章)
3.ナレーター
となり、この「子供がよくやる話があっちこっちにいく展開」をおじいさんとナレーターが整理してくれる。
特にナレーターは福音館版p46のようにいきなりレイヤーから降りてきて読者の隣に座るので、これがドキっとするのだった。

と思っていたら、最終章「それから」のラスト10頁で第4のレイヤー、すなわち、このナレーターの正体が明かされる。
思わず「えっ」と声が出た。

そしてこの第4のレイヤーにより、物語の色が劇的に変わる。
残りたったの10頁なのに。
で、この10頁が無くても、つまり3つのレイヤーだけでも物語はきれいに成り立つように著者はつくっている。

なので謎だ。
著者は創作の最初の段階から、この第4のレイヤーを書くことを前提にしていたのだろうか?
 
 
 
主人公のノンチャンと同じ八歳の頃、この本を読みました。
その時の温かい爽やかな気持ちが蘇ってきました。作者の石井桃子さんは亡くなりましたが、今でも多くの人々の心に残る大切な掌品を数多く遺していってくださいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
 

主人公のノンちゃんが、誤って池に落ちた。
するとそこは雲の上。
そこの住人であるおじいさんに、身の上話をするファンタジー。
小学生高学年にぜひとも読んで欲しい。
小学生高学年では、
本書を楽しむにあたり、時代背景を勉強したり、表現を勉強したりと
少し大変かもしれない。
しかし、私が本書を読んだ最初の感想は、
「小学生高学年の時に読んでいたら、
もっと読書に興味をもっていただろう!」
というもの。

小学生高学年のお子様を持つ親御様、
ぜひ、お子様へ薦めてください。

たつみや章著の「水の伝説」も
併せて読んでいただきたい。
 
 
 
本作「ノンちゃん雲に乗る」は、私の母の愛読書と聞いていたが読んだことがなかった。
現在、亡くなった母の年齢も超えてしまった私であるが、母の思い出にと本書を手に取った。
本書を母が好きだった理由は、主人公のノンちゃんが自身のようであると感じたからであったからである
なるほど、ノンちゃんは、おかあさんの手伝いをし、勉強好きで、「嘘がきらいなp200」少女で将来は医師になる希望p230を持っている点なども含めて、医師であり、家族愛に満ちた私の母に似ている。
しかし、本書を読んでいると主人公はノンちゃんであるにも関わらず、もう一人の主役と感じるのはノンちゃんのおかあさんであり、このおかあさんの言動は、私にとっては、亡母そのもののように思えた。つまり、私の母は、息子の私の立場からすれば、ノンちゃんよりも、ノンちゃんのおかあさんに似ているということになる。

ノンちゃんは、しばしばおかあさんが大好きと語っており、これにより、おかあさんの愛が作品全体を包んでいる(「ノンちゃんは、世界じゅうでおかあさんがいちばんすきです。
おかあさんがいなかったら、ノンちゃんはどうしていいかわかりませんp66」)。
本作を読んでいると、何でもない普通の家庭の場面で、私は子供時代の自分の出来事、特に母のことを思い出した(例。おかあさんが糸を巻き、ノンちゃんがその糸をかけるp69)。
まるで、私が子供に戻って、枕元で母に本書を読んでもらっているような体験であった。

本作を読んでいると、ノンちゃんが家族のメンバーについて語る過程において、自然とおかあさんの像が浮かび上がってくる。
夫(おとうさん)は、やさしく頼りになる人物であるのだが、休日には釣りにいってしまい家事と子育ての大半は妻にまかせ、妻と議論になると「それが、ぼくの主義だからp57」と相手の意見を聞かない昭和の亭主関白な人物像。
ノンちゃんの兄は、やんちゃで愛犬好きな元気な子供だが、妹には意地悪で、いたずらが過ぎて、他人に迷惑をかけて、その結果、おかあさんが謝罪に追い込まれるp109こともあり、ノンちゃんと違って家の手伝いなどはしない利己的な子供。
末っ子のノンちゃんは、赤痢にかかるなど病弱な部分があり、看病はおかあさんがしている。
この家族像を、私自身のそれに当てはめると、父親、母親は極めて近く、私自身はノンちゃんとその兄の悪いところをとったような子供であった。ちなみに私には姉と兄がいるが、姉は子供のころはノンちゃんのような、成人した現在はノンちゃんの母親のような人物になっている。

本作は、本来は児童を対象にしたものであり、家族愛の他にも、すぐれたメッセージはある(例。「謙遜というのはな、まだまだ自分はえらくないと思うこころだ。これではならない、これではならないと頭を下げるたんびに、人間は大きくなるp156」)。
一方、上記のように、成人した読者にも、自分の子供時代や家族を懐かしく思い出させる名著である。もちろん、それだけでなく、本書を読めば、誰しも(たとえばノンちゃんの兄の不始末を詫びるおかあさんのくだりを読めば)、読者は自分も、自らの母を困らせないような、あるいは母を笑顔にできるような人物でありたいと思うのではないか(母の生死にかかわらず)。
また、自分がノンちゃんの母のような人物足りえたいと、そこに理想を見出すのではないかと思われる。

本作の出版は、1949年であり、物語の舞台は、これから更に14-15年前ということなので、1935年頃の話となるが、内容は時代を感じさせなく(お父さんが子供に体罰をする場面は現代では許されないがp113)、現代の子供たちも問題なく理解できると思われる。
本書の後半では、成長したノンちゃんのその後の女学生時代の話も一部描かれるが、戦時中の修身教育p153・国粋教育p160や、ノンちゃんと一緒に雲に乗った少年が戦死したことを思わせる表現p238があり、この辺は、注釈などを加えて、現代の子供にも、あの時代の日本の戦争への関与とその悲惨な結果をしっかりと伝えたいところ。

なお、ノンちゃんは赤痢にかかっているが、赤痢は当時は日本でも症例は多かった。
本作では疫痢と赤痢が異なる病気のような表現、「(赤痢ではなく)疫痢ならまだよかったp45」といったご近所の会話があるが、疫痢は赤痢の重篤な特殊型である。
また、ノンちゃんは、赤痢にともない「腎臓炎」と「声帯炎」(=喉頭炎)になっているが、赤痢菌は溶血性尿毒症症候群(HUS)を起こし急性腎不全にいたることがあるので、ノンちゃんの「腎臓炎」はHUSを意味する可能性がある。
一方、喉頭炎は通常はウイルス感染で起こり、細菌感染によるものはまれ。赤痢菌は一般に喉頭炎を起こす細菌ではないので、ノンちゃんは赤痢菌によるものではなく、二次感染としてウイルス性喉頭炎に罹患したのかもしれない。

「三月ひなのつき」は、短編で、ひな人形にまつわる、少女と母親の心温まる物語。
本作を読みながら、私自身も子供のころに実家に飾ってあったひな人形を思い出したが、本作に描かれているような親の側からの雛祭りに対する想いにはいたらなかった(これは、私に子供がいないということもあるが)。
本作では、家族より伝わってきた寧楽(なら)雛人形を通して、代々の家族のあたたかい愛情が無形ながら伝えられているということがわかる作品。
本書に登場する雛人形のモデルは著者の石井桃子が開設した「かつら文庫(東京子ども図書館)」で毎年3月に一般公開されているが、動画でも年中公開されているので、本書を読むときは動画をあわせて見ると、小説がより楽しめるものとなる。

以下は抜粋。

ノンちゃん:(ノンちゃんが嘘をつくのが嫌いというのは、誰かにそういわれたからかと詰問するおじいさんに対して)「だれもいやしない!あたしがいやなんだ。。。。あたしが、うそきらいなんだァ。。。」p200

おじいさん:「おかあさんが、おまえ(=ノンちゃん)をおいて、どこへいく。いつもおまえをはなれたことなどないのじゃp205」
ノンちゃん:「いつも?」「いまも?」
おじいさん:「いつでもじゃ」

ジョー・ブラックをよろしく

2022年09月05日 16時56分44秒 | 社会・文化・政治・経済

9月1日、午後9時からCSテレビのザ・シネマで観た。

ジョー・ブラックをよろしく

解説

死神と人間の女性が紡ぎ出すファンタスティックなラヴストーリー。

監督・製作は「セント・オブ・ウーマン夢の香り」のマーティン・ブレスト。

脚本は「フリントストーン」のロン・オズボーンとジェフ・レノ、「ジュニア」のケビン・ウェイド、「訣別の街」のボー・ゴールドマン。

撮影は「大いなる遺産」のエマニュエル・ルベズキ。音楽は「モンタナの風に抱かれて」のトーマス・ニューマン。美術は「カジノ」のダンテ・フェレッティ。編集はジョー・ハッシングとマイケル・トロニック。

衣裳は「フェイク」のオード=ブロンソン・ハワードとデイヴィッド・ロビンソン。出演は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のブラッド・ピット、「バスキア」のクレア・フォラーニ、「マスク・オブ・ゾロ」のアンソニー・ホプキンス他。

1998年製作/181分/アメリカ
原題:Meet Joe Black
配給:UIP

 
ジョー・ブラックをよろしく

ストーリー

大富豪パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)のもとに突如客がやって来た。

ジョー・ブラック(ブラッド・ピット)と名乗る彼、実はパリッシュを迎えに来た死神で、ついでにパリッシュを案内人にして人間の世界を見に来たのだった。

娘のスーザン(クレア・フォラーニ)は彼の姿を一目見るなり驚く。

ジョーは街で意気投合した青年にそっくりだったからだ。それもそのはずジョーは死んだその青年の肉体を借りてこの世界に降りてきたのだ。

その後二人は徐々に愛を深めていく。

人間の恋愛を知ったジョーは彼女をあの世に連れて行きたいと葛藤する。

苦悩の末ジョーはパリッシュとこの世を後にする。

そして彼らと入れ替わりにスーザンと意気投合した青年が彼女の前に姿を現すのだった。

  • ブラッド・ピット

    Joe Blackブラッド・ピット

  • アンソニー・ホプキンス

    William Parrishアンソニー・ホプキンス

  • クレア・フォーラニ

    Susan Parrishクレア・フォーラニ

  • マーシャ・ゲイ・ハーデン

    Allisonマーシャ・ゲイ・ハーデン

 

少子化の図式

2022年09月05日 16時45分21秒 | 新聞を読もう

公団の井野団地が造成され、井野小学校が開校し、取手東中学も開校した。
現在は、井野小学校は閉校して、吉田小学校へ合併された。
小文間小学校も閉校となる。
少子化の図式である。
登校の児童・生徒たちの姿、朝の散歩で感慨深いものがあった。

朝の登校風景 2022年9月5 日

生命の尊厳に立ち返ることだ

2022年09月05日 16時20分48秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽生命軽視の思想、これこそ、現代における魔の象徴であると言える。
人々の思想・生き方が、結局、社会の幸福・不幸を左右する。

▽偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返ることだ。
人類の繁栄と世界の平和のためには、あくもでも普遍の原理である<生命尊厳>に立脚することだ。

▽「一人だけの幸福」などない。
自分だけ不幸から逃れることなどできない。

▽世界の偉人たちに共通する一点はなにか?
それは、あえて困難に挑んで、より深き生き方を求め抜き、選び取り、貫き通す「勇気」にある。

▽「情熱」と「思索」
そして連帯と行動こそ希望である。
世界は、未来に向かって限りなく価値を創造するたの哲学を希求している。

▽人はどのような逆境にあっても、希望と確信を持ち続けることができる。

▽「鍛え」が、深い人生をつくっていくのである。


本当に変わるべきは「人間」それ自身である

2022年09月05日 15時32分13秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽歴史は一部の権力者がつくるのではない。
目覚めた民衆がつくるものだ。

▽魯迅は、当時の中国人に<無知に覆われた頭脳>と<諦めに覆われた精神>自覚させ、自ら打破するこを促したのだ。

▽政治体制や制度が変わったとしても、人々の心の苦しみが消えるとは限らない。
魯迅は、本当に変わるべきは「人間」それ自身であると訴えた。

▽魯迅の民衆観はそのまま、彼の歴史観でもあった。

▽世界を見渡せば、解決すべき問題は多く、また巨大である。

▽真面目な民衆が報われる社会が築かれなければならない。


一人の人間の生命を変革するほかない

2022年09月05日 15時12分32秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

暴力で、社会が改革できるなどというのは幻想だ。
革命で、絶対に一人も犠牲者を出してはならない。

帝政ロシアの時代や、フンランスの旧制度の時代は、一握りの支配者が栄華を貪っていた、単純な社会だった。
しかし、今は、社会は高度に発達し、多元化している。
利害も複雑に絡み合っている。
矛盾と不合理を感じながらも、既存の秩序の安定のうえに、繁栄を楽しむ人びとが圧倒的多数を占めている。

そうした現代社会に、単純な暴力革命の図式はない。

科学も、医学も、法律も、さまざまな制度も、人間のつくりあげたすべてものが、人間の幸福のために寄与し、価値を創造していく社会をつくることが、元来の目的であるべきだ。

社会を変革するためには、一人の人間の生命を変革するほかない。

求められているのは、権力の魔性、人間のエゴイズムや魔性に打ち勝つことだ。


永遠のファシズム

2022年09月05日 14時13分42秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 
 内容(「BOOK」データベースより)
現代イタリアの代表的知識人による政治的・社会的発言集。湾岸戦争、ネオナチの台頭、難民問題など、執筆当時の時事的問題を取り上げながら、日常の中になにげない装いでしのびよるファシズムの危険性を説く。
さらに知識人の責任、メディアの役割、信仰なき者にとっての道徳的確信の根拠など、現代の課題を鋭く問い詰める。
EUの問題、トランプ米大統領の排外主義などが取り沙汰されている今、まさに読まれるべき思想的問題提起の書。
 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
エーコ,ウンベルト
1932年北イタリア・アレッサンドリア生まれ。ボローニャ大学教授、同大高等人文学研究所所長を歴任。小説家としても活躍。2016年ミラノで逝去

和田/忠彦
1952年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京外国語大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
 
 本書の親本は、1998年に出版され、本書はその文庫化である。
収録の「エッセイ」は、1995年、1996年、1997年に発表されている。
ここでわかるのは、これらの文章が、「2001年9月11日」以前に書かれたということであり、ネット時代は始まっていたが、いまほど一般には流通していなかった。
そんな時代に、イタリアの「知識人」(ネット時代にはすでに死語であるが)である(記号学者にして小説家である)ウンベルト・エーコは、「戦争」について、ああでもないこうでもないと考えている。
本書の原題は、『CINQUE SCRITTI MORALI』で、直訳すれば、「五つの道徳に関する記述」であり、このさりげなさと生活に即物的な表現こそ、記号学者にして小説家のエーコにふさわしいと思える。
そしてエーコは、その時、その時で、微妙に表現を変えていく。
頭で考えた抽象的な教条主義ではない。
それがわかるのは、同じ岩波書店から出ている『歴史が後ずさりするとき』(2013年1月刊)。
これを読んだ時も、その初出がやや古いのに、ややがっかりしたものだが、それでもかろうじて、9.11以降のものである。
この歴史的事件を通過し、エーコも考えを微調整している。それこそ思想というものである。
『歴史が後ずさりするとき』の原題は、『A PASSO DI GAMBERO』、日本語では「エビの歩み」となる。
よくエビのように、時々、さっと後退してしまう人がいるが、いつのまにか前に出ていたりする、そんなことをくりかえす「歩み」である。
これこそ、記号学者としてのエーコにスタンスであると思われる。
 さて、本書は、以上のような「事実」をまったく考慮の外において編集されたものである。これではまったくエーコがかわいそうである。
なぜなら、本書の文章は、特定の相手に向かって書かれたものであり、そのひとつは、つい最近、大規模な子どもへの性的虐待が暴かれたばかりの「カトリック司祭さま」である。
なにが「モラル」なのか? 
 こんな本より、『歴史が後ずさりするとき』をお勧めします。
訳者はイタリア人で、微に入り細にわたり、エーコ使用のイタリア語を分析しています。それも感心するばかり。
 結局のところ、ファシズムとは、イタリアの産物であり、ムッソリーニが始めた牧歌的なものを、「原ファシズム」と呼んでいるのだろうけど、それに賛成なのか反対なのか、よくわからない。
 心情的な「共感」(?)のようなものは、なにもエーコでなくても、和辻哲郞も、『イタリア古寺巡礼』のなかで、子どもファシストの、かわいらしい行進に出くわしたことを記述している。そこでは、ファシズムは、住民の暮らしに、あたりまえのように入り込んでいた。
 
 
 
ムッソリーニのファシズム政権の模様と、現在の安倍政権とそれに付和雷同する人びとの在りようとが、ずいぶん似ている。
つまり、ファシズムは古今の時代を問わず、洋の東西を問わない普遍的な社会の姿なのであろう。
それに対して、レジスタンスは、軍事的にはいかに小さくても、倫理的・心理的な意味があるという指摘は力強い。
――以上「永遠のファシズム」

キリスト教信徒であれ、非信者であれ、倫理というものは他人が登場することから始まります。
――「他人が登場するとき」

倫理について、直接的に切り込む言葉がすがすがしい。
 
 
 

倫理に関する小論がいくつか。硬質で入りづらい文章ですが、ニューロ・コンピュータに踊らされる戦争、伝統/反知性のファシズムのこととわかれば、読めるようになります。

小生の印象に残った点は以下です。
・永遠のファシズム(共通的なファシズム)の特徴は以下の14。
1) 伝統崇拝。矛盾した混合主義で、知の発展はありえない。
2) 近代の拒絶。血と土であって、非合理主義。
3) 行動のための行動を崇拝。文化を否定。
4) 批判/区別を嫌う。科学や意見の対立は裏切り行為。
5) 差異の恐怖を利用。余所者排斥、人種差別主義。
6) 下から脅かされる中間階級の欲求不満へ呼びかける。
7) 唯一の特権は、同じ国に生まれたこと。ナショナリズム。外国人嫌い。
8) 敵の力を客観的に評価できない。
9) 生が永久戦争。平和主義は悪。
10) 大衆エリート主義。より下を見下す。
11) 英雄主義。死の崇拝。頻繁に他人を死に追いやる。
12) 女性蔑視。男根の代償として武器と戯れる。
13) 個人なき民衆主義。議会の否定。
14) ニュー・スピークを話す。貧弱な語彙と平易な構文。大衆的トークショー。
いつでもファシズムはよみがえる。

 イタリアの知性。さすが『薔薇の名前』の作者です。
 
 
 

エーコが珍しく、時事問題について語った講演、寄稿した文章からなる。
表題の、永遠のファシズムが、やはり一番、読み応えがある。
自らの経験も踏まえながら、ファシズムの起源となったイタリアのファシズムについて、冷静にその特徴を分析している。
ジェンティーレ、グラムシ、ダヌンツォなどのエピソードも登場し、さながら現代イタリア思想史の趣きもある。
エーコが分析した永遠のファシズムの特徴を聞いて愕然とした、現在の日本の状況に、驚くほど当てはまっている。
 
 
  
 私たちの社会は、「判断力の衰弱」という見出しのもとにまとめるのに最もふさわしい、数々の重大な徴候に満ちている―J.ホイジンガ『朝の影のなかに』(堀越孝一訳、中公文庫)

 先ず、正直に述べると、本書の著者であるイタリアの知識人、ウンベルト・エーコ(Umberto Eco,1932〜)については、往年に観覧した名作映画『薔薇の名前』の原作者であったことすら知らなかった。数年前、何となく当書のタイトルに惹かれて購入し、味読したのであるが、恐らく現在に至っては、本書を一般の書店で入手することはかなり難しいのではないかと推測される。

 それはさておき、この評論集は5篇の“モラル”に関する考察から構成されており、そして何といっても、書名にもなっている「永遠のファシズム」が私たちに極めて重い課題と反省を投げかけている。当該論攷は、原題が「ファジーな全体主義と原ファシズム」であり、1995年4月、ヨーロッパ解放記念行事としてコロンビア大学で行われたシンポジウムでの講演がベースとなっている。

 この「永遠のファシズム(fascismo eterno)」においてエーコは、具体的に「原ファシズム(Ur-Fascismo)」を見極める〈伝統崇拝〉など14の典型的特徴を列挙、提示し、私たちに警鐘を打ち鳴らす―原ファシズムは、今でも私たちのまわりに、時には何げない装いでいるのだ、と…これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムが甦る可能性は、今でもあるのだ、と(本文)。

 確かに、辺見庸が語るごとく「今ふうのファシズムには一見して『悪』が露出しない仕掛けになっている」(抵抗論)。とはいえ「過ぎてゆく日ごとに、悪の前進が見てとれる」(ル・クレジオ)昨今、「私たちの義務は、その正体を暴き、毎日世界の到るところで新たな形をとって現れてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾すること」(本文)というエーコの訴えに、私は切実なものを感じる。
 
 

本書は、エーコが欧米各地で行った講演の記録を主体にまとめたもので、その中の「永遠のファシズム」は1995年にアメリカのコロンビア大学で行われた講演に基づいている。
1932年生まれの著者は、この講演を少年時代の、自らのムッソリーニへの忠誠を誓った作文体験から始めている。自らの少年時代がどのような時代であったか、「解放後」初めて自覚できたと告白している。このように、国や時代を問わず、ファシズムとはその渦中にいる人々にはそれと気付かせないくらい、人々の心に深く浸透するものらしい。つまり、「ファシズムへの愛」は、「自発的隷従」とセットである。

「一部が全体をあらわしてしまう」全体主義運動であるファシズムについて、誰もが納得する定義はない。しかし、著者はあえてファシズムの典型的特徴を列挙し、それらを備えたものを「原ファシズム」あるいは「永遠のファシズム」と呼ぶことを提案する。そのうちのいくつかをピックアップする。


(1)「伝統崇拝」志向であり、「反知性」志向であること
(2)「反近代主義」あるいは「非合理主義」であること
(3)「行動のための行動」を崇拝すること
(4) 批判を許さないこと
(5)「余所者排斥」あるいは「排外主義」、「人種差別主義」であること
(6) 社会的・経済的危機における個人や社会の不満から発生すること
(7) 一般大衆に向かって「ナショナリズム」を訴えること
(8) かならず「敵」を作るが、敵の力を客観的に把握する能力に欠け、最後は敗北する
(9) 大衆一人一人を英雄にすべく、教育すること
(10) 潜在的意志を性の問題に向け、女性蔑視や性的マイノリティ排斥に向かうこと
(11) 少数の選ばれた集団の声が「民衆の声」にすり替えられること(質的ポピュリズム)
(12) 貧弱な語彙と「単純な表現」を好むこと

これらの「原ファシズム」の特徴が、現在の日本の政治社会状況(特に一部政治家や排外主義グループ)を見事に表しているのに驚く。ファシズムは民主主義の停滞の隙間を狙っているという著者の警告を肝に銘じよう。
 
 
 
 
単行本は20年も前に発刊されたものですが、内容は今なお色褪せることのないアクチュアリティを持っています。
安倍晋三=日本会議に代表される、日本に忍び寄るファシズムの影、インターネットの普及によりさらに地位が低下した新聞、EUを揺るがせる移民問題、トランプが煽る排外主義など、まるで今の状況を目の前にして書かれた論考のような気すらしてきます。
岩波書店が本書を復刊した理由が分かる気がします。

 

 
 
 
 

長い時間軸で人生を見るべきだ

2022年09月05日 11時48分19秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽勝負を決するのは策や方法ではなく「生命力」。
そして「何のため」という目的観をもつことが大切。

▽心が変わると行動が変わる。
「大抵のことは努力で乗り越えられる。でも自分を変えなければ、本当の意味での環境は変えられない」

▽現実に起きる困難は人それぞれだが、<試練こそ宝>と前向き捉える。
強い一念で生命力を湧きたたせることだ。

▽より良い社会を構築するための課題とその方途。

<人生とは何か>を考え、価値ある人生を送る糧を探る。

▽長い時間軸で人生を見るべきだ。

▽他者の利益も望みながら自分の利益も得ていくことだ。

▽選択肢を増やしていく生き方が期待さる。

▽危機の本質は心にある。

▽生命を考えるとき、人間の生命だけでなく、動物、植物を含めた地球生態系を考えることが重要だ。

▽排外主義的なナショナリズムの悪を浄化し、平和を創り出すことだ。

▽社会から遊離し、孤立してしまえば使命は果たせない。

▽生命の尊厳に至上の価値をおくことを、普遍的な価値基準としなければならない。


映画 『金子文子と朴烈』

2022年09月05日 06時46分12秒 | 社会・文化・政治・経済

『金子文子と朴烈』(かねこふみことパクヨル、原題:박열(→朴烈))は、朝鮮と日本で活動したアナキスト(無政府主義者)の朴烈と、朴に共鳴した日本人女性アナキスト金子文子を描いた韓国の歴史映画、伝記映画。

1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件や朴烈事件がとりあげられている。
2017年6月28日韓国で劇場公開され、1週間足らずで観客動員数100万人を記録した。
日本では2018年3月9日に第13回大阪アジアン映画祭にて『朴烈 植民地からのアナキスト』の邦題で初公開後、2019年2月に『金子文子と朴烈』と改題されて一般公開された。

金子文子と朴烈
박열
監督 イ・ジュニク
脚本 ファン・ソング
製作 イ・ジョンセ
ショーン・キム
製作総指揮 キム・ジンソン


出演
イ・ジェフン - 朴烈
チェ・ヒソ - 金子文子
キム・インウ - 水野錬太郎
キム・ジュンハン - 立松懐清
山野内扶 - 布施辰治
金守珍 - 牧野菊之助
趙博 - 内田康哉
柴田善之 - 山本権兵衛
小澤俊夫 - 田健治郎
佐藤正行 - 平沼騏一郎
金淳次 - 若槻礼次郎
松田洋治 - 江木翼
ハン・ゴンテ - 栗原一男
ユン・スル - 新山初代
劇団新宿梁山泊メンバー

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近代史を扱った見事な作品

 2019年6月28日
 
愛を描いた映画として出色で、日韓の複雑な歴史にスポットを当てた点でも高く評価できるし、表現の自由の大切さを訴えた作品としても素晴らしく、権力と大衆の愚かさの普遍性を描いたという点も見事。
同じ時代を舞台にした『菊とギロチン』と合わせて観るとより深く理解が進む作品だと思う。

大正末期の関東大震災直後は、震災のショックと政治権力の圧力の増大という点で、現代とも共通した社会背景があるが、朝鮮人へのいわれなき非難などのデマの横行など、人々の行動もあまり変わらないようだ。

日本人、韓国人の登場人物ともにフェアに描かれていて、国籍関係なく時代と権力に翻弄された人々の生き様を鮮烈に描いた作品だ。
有名な「怪写真」のくだりは、どの程度事実なのだろうか。

作中の解釈は正しいのかわからないが、あの2人の人間性に惹かれた人間は、実際に権力側にもいたのだろうか。

少なくとも、本作での、あの写真の撮影に至るまでの物語には非常に説得力があったと思う。あの写真の2人のふてぶてしさが全編に渡ってよく表現されていた。

 

日本ではあまり知られていない歴史??

UNEmiさん
 
2022年2月6日
 
私が無知ゆえだけど、こんなことがあったとは、まったくく知らなかった。

文子役のチェ・ヒソ、日本語うまいな~と思ってたら、小学生時代に日本にいたと知って納得。
絶妙な配役。
過去のことをいつまでも引きずらないでほしいと思う反面、こんなことしてきたんだから恨まれても当然、とも思う。
日本人も、自分たちの過去を知らないといけない。

 

自分を生きる

 
2021年10月8日

関東大震災朝鮮人虐殺事件も最近知ったし、
朴烈事件もこれで初めて知った。

難しい内容でWikipediaなんかも覗きながら観たけど、
金子文子の生き方、特に最後の言葉は胸に刺さった。

生きると言う事はただ動く事ではなく、
それが死に向かっての行動であっても
それは生を否定してるわけではなく肯定してる事であって
自分自身を生きたと言う事。

他人は短命だった方に、まだ若いのにと言うけれど、
どう生きたかが大切だよなと思えました。

朴烈もカリスマ性があって良かった。
最初は大虐殺の理由のでっち上げに捕まったのかと
思ってたけど、皇太子暗殺は計画してたんだな。
隠蔽されないためにも朝鮮人として、
死刑を選ぶと言う生き様はなかなか出来る事ではないし、
そんな朴烈をただの罪人ではなく一人の男として
ある種認めてる立松とのやり取りもグッと来ました。

ただ日本人役を日本人に演じてほしかったなとは思いました。誰が朝鮮人で誰が日本人なのかスゴく分かりにくかったし、朴烈たち在日朝鮮人の日本語には字幕をつけて欲しかったです。


すごい映画です。

久しぶりにすごい映画を観ました。

実話だというこの話、朝鮮人の大虐殺、話はもちろん誰でも知っているでしょう。この事件の裏側にこんなにも悲しく強く心打たれる2人がいたことは全然知らなかった。
アナキストの朴烈はやってもいない罪を逆手にとって日本人の権力者に利用されて殺された同胞の無念をはらそうとした。そんな男を同志として支える金子文子、これまた腹にどかんと信念のような揺るがない物を据えていて、自ら捕まってからも動じることなく2人の裁判はすすむ。
権力のある者がそれを利用して弱者を痛めつける。自分達が有利になるように策を講じる。何をやっても醜いのだ。
朴烈は自分たちがひどい目にあっても怒りの矛先は決して間違えない。そしてそんな高潔さに権力側にも理解を示す人がでてくる。日本人としてそこは唯一の救いかもしれない。過去の恥ずかしい過ちを真摯に受け止めて次の一歩を踏み出すべきだと思う。
今の政治家にこれほど高潔な人間がいるのか、保身など微塵も考えないこの男の生き方を見習ってほしいと思ってしまった。

 


大逆事件は英雄物語ではない。稚拙なテロリストの話

YAS!さん 2019年12月29日 

犬ころ供と僕は逆の世界に生きている。
珍奇な脚本家が書いた反日映画は、被害者面したとても悪意に満ちたもので
これを正当化したら、中東のテロさえも肯定されてしまうだろう。

この映画は最初から最後まで違和感の連続だけが続き
日本語を話しているようだが、一部の役者がしゃべる日本語は 僕には犬語に聞こえた。
文子さえ、根っからの犬に見えたので、
日本人役にはせめて日本人を使う冪だ。

爆弾を準備する事は町井戸に毒をいれるのとまったく同じであり
犬が求めているのは平等ではなく、「自分達には都合が悪い日本政府に成り代わり、犬ころが日本社会を支配し
日本の民を自分達に従える」という
”自分達が上に立ちたい”が為には、人だって殺す革命思想上に居るものであり

皇室に対して、暗殺計画を進めていた重罪はけして許されるわけがない。
知っていた者 関係者すべてが極刑に値する。
重犯罪者糞安重根と同じである。
日本に死刑と言う刑罰がなければ、現場処理ができていただろう。

今年度初めに観て、感想を書こうかずっと迷っていた。
鑑賞後、純粋に憎悪だけが残り、読むに堪えがたい感想文だったからである。
しかし観た者は観たものであり、1年の終わりにそのまま記す。 


隣人との違いを理解することの大切さ

とえさん 2019年5月13日 

関東大震災の騒乱に乗じた日本人による朝鮮人の虐殺と、その火消しに利用された朴烈と金子文子の物語

正直な話、関東大震災の時に井戸に毒を入れた朝鮮人がいたというデマが流されたことは聞いたことはあっても、その火消しに利用された朴烈と金子文子の話は知らなかった

なぜ、知らないかと言えば、私の勉強不足なせいもあるけれど、多くの歴史上の汚点がそうであるように、歴史から消し去られてしまったからではないかと思う

とはいえ、その当時は朝鮮は日本の統治下にあって、日本政府も未熟なところがあり、関東大震災で火の海となってしまった東京の苦悩から目を逸らすためにねつ造されたデマだったと思われる

それにしても、それはあまりにも幼稚で、酷すぎるデマだった

その噂を信じた日本人たちは「朝鮮人憎し」と虐殺を始めてしまう

その虐殺された人数を知って、ヤバイと思った政府は、次に犯人をねつ造する

そのねつ造されだ犯人が、朝鮮独立の活動家だった朴烈だったのだ

そして、その朴烈の思想に惚れ込んだ恋人が金子文子だったのだ

この映画は、韓国で製作されたものだけど、決して「日本憎し」という反日的な作り方をしていない
そこが、ありがたいというか、良いなと思った

独立のために活動していた朴烈だけど、全ての日本人を嫌っていたわけではない

彼の周りには彼を慕う日本人たちもいたし(そういう人たちは、当然、他の日本人からはアカと言われたけれど)、朴烈自身も、日本人の考え方にとても興味持っていた

そして、何より、彼が愛した文子は日本人だったのだ

その事実を知って思うのは、これから先、同じ過ちを繰り返してはいけないということ

そのために、私たちがしなければいけないのは、他の国の人たちとの違いを知り、受け入れることだと思った

しかし、それが簡単なようで、とても難しいのだ

だから、私たちには、この朴烈と金子文子の愛が必要なのだ

後半は、どんなことがあっても信念を貫き通す二人の愛に泣いてしまった

彼らの愛をお手本に
違う国に生まれた者同士、習慣や考え方は違って当たり前
その違いを楽しめるぐらいの心のゆとりがあってこそ、成熟した国になれるのではと思う

それ以前に、この二人の物語をぜひ知って欲しいので、一人でも多くの人に観て欲しい作品                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

 


何が私をこうさせたか――獄中手記

2022年09月05日 06時09分05秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 

内容(「BOOK」データベースより)

関東大震災後、朝鮮人の恋人と共に検束、大逆罪で死刑宣告された金子文子(一九〇三‐二六)。
無籍者として育ち、周囲の大人に虐げられ続けながらも、どん底の体験から社会を捉え、「私自身」を生き続けた迫力の自伝を残す。
 
 
率直

100年ほど前に書かれた内容にも関わらず、あらゆる側面で共感できる。厳しい環境に置かれても、素直で強い心で賢明に生き抜いた文子に尊敬の念を覚える。読んでよかった。


過酷な生涯に言葉を失う。

逮捕、収監までの著者の生い立ちに、言葉に絶するような悲惨さを覚え、戦慄しました。 

 

人間の尊厳、という言葉に行きついた。

何が私を・・・とか獄中日記とか、タイトルで本書を読もうかなと思った人は覚悟を決めて買った方がよい。
犯罪者の心理や反省でも投獄への批判でも隠された事実でもない。と思う。
読みようによっては恨みつらみの羅列、だったり、こんな不幸な人もいるのねえ、だったりするかもしれない。
興味本位で読める400ページではない。
なんと言えばいいのか、読んで直ぐサラサラッと感想を書ける代物ではない、ということは言える。

特殊な例、なのかもしれない。
けれど、著者の受けた仕打ちや向き合わされた出来事は(たとえ誇張されていたとしても)この日本であったこと。
当時の制度や因習であったとしても、それが行われたことには変わりない。
また、ここに書かれたことに近いことがあったことは身内のものから聞いたこともある。
そういったことがいつのまにか何となく、(表立っては)記憶から消えてしまうのは良くないよな、と思う。

何かに救いを求めてあるいは対峙しようとした時に頼れるはずの宗教や政治思想などへの失望。
アンチは元がなければ成り立たず、権力を覆したものがまた別の権力を握ることへの呆然。
結果、自分が自分としてしっかりと立つしかないが、人が一人で生きていくのは難しい。
ただただ流されていけばよいのかもしれないが、それでは己をどう認めればよいのか。

ここまで書いて、人間の尊厳、という言葉に行きついた。


 たつねこ
 我が首を、撫でました。

高橋源一郎氏の勧めで購入、内容を語るほど野暮な私ではないから書かぬが、貧困、無国籍児、女性蔑視、現代に繋がるテーマは勿論、学ぶ事への執着と、事情立ちはだかる困難を読ませ/見せ付けられた。
少なくも僕は、贅沢のし放題だったと思う。

改めて作者の人生をたどる

貧困と虐待に近い扱いが、反発を生み、良い意味で底力を身につけ、正義のあり方を自ら学び取る。

その不屈さに、今の我々に足りない、しぶとさを見た。

このしぶとさが何処から来たのか。

人間性は何によって作られるのだろう。精神力?

 

人間の探究心?

映画を観たあと興味をもって読んでみた。

この手記が書かれた時代背景を考えると、この獄中手記を読めるということがある意味奇跡なのかもしれない。

印象的な文をいくつか挙げておく。
P34 無論、その頃の私はまだ 、あらゆる人の悦びは、他人の悲しみによってのみ支えられているということを知らなかったのだ。
P137 そして、今、こうした孤独にまで蹴落とされた刹那、私ははっきりと知った。 教師なんて、どんなに臆病な、不誠意な、そしてその説くところがどんなに空虚な嘘ッ八であるかということを。
P334 基督教の教えるところは果たして正しいのであろうか。それはただ、人の心を誤魔化す麻酔剤にすぎないのではなかろうか。
P388 人々から偉いといわれることに何の値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。
P408 最後の4行 ーー 買って読んでね。

 

にゃん

何が彼女をそうさせたか?

映画「金子文子と朴烈」に感銘を受け、金子文子なる女性に興味を持つ。

断っておくが、私個人は反天皇でもアナキストでもない。

しかしながら、自分と違う考えを持つものを徹底してこき下ろすような現代の風潮には辟易している。

今よりはるかに封建的で人権意識も低かった時代に自らの運命にあがない続け、短い生涯を生き抜いた日本人女性が存在した事が、むしろ誇らしく思われた。

この手記の多くは不遇だった少女時代に充てられ、朴烈に関する記述はわずかながら、この二人が何に共鳴しあい結ばれていったかが十分に理解できた。


 一人の女性の強い生を感じる手記.若者の正義感の多くがこの時代に摘み取られて、戦争に突き進んだ時代があったことを忘れてはならないだろう。


1923年の関東大震災で、軍隊・警察・民間人による朝鮮人の虐殺が起きた。

金子文子と内縁の夫朴烈もこの騒乱に乗じて逮捕され、皇太子を爆殺する計画を立てたとして死刑判決を受ける。

金子も朴烈も恩赦を拒否して、金子は獄中で自殺。

朴烈は終戦まで獄中にいて、戦後釈放される。
本書は、金子が獄中で金子の出生から捉えられる直前までの半生を綴ったもの。

わずか23年の生涯だった。
金子は横浜に生まれる。女性にだらしない父と父に捨てられた母親との生活のなかで、母親が繰り返す婚姻の中で金子は極貧の中で苦労する。

もっとも、ひどく金子が母親と心が離れてしまうのが、困窮の中で母が金子を娼妓に売ろうとする件である。
そして、紆余曲折の中、朝鮮に暮らす父方の祖母に引き取られていくのだが、当初「養女」として家の後を継がせるという約束も反故にされ、女中以下の仕打ちを受けいじめぬかれ、自殺さえも決意する。
この祖母の家は、いわゆる朝鮮を植民地として入植した日本人であって、朝鮮の地方で一定の権威を持って高利貸しなどを生業としている。

自宅の下僕の朝鮮人をいじめる様や、地域日本人の朝鮮人に対する侮蔑も金子は観察する。
「何が私をこうさせたか」この手記では、金子によって結論は記述されるわけではない。

手記の最後に「私の半生の歴史を広げれば良かったのだ。

心ある読者は、この記録によって十分これを知ってくれるであろう」と記述している。
おそらく社会の矛盾の中で、多くの日本人・朝鮮人がいじめられているそのことをどうにかしたいという社会主義者、朝鮮独立運動の人々の思いや立ち上がりの正当性を訴えるものだろうが、それ以上に、一人の女性の強い生を感じる手記となっている。
現代であれば、金子と朴烈の刑が死刑に値するものではあり得ないであろう。そのことの解説は、他書に譲るが、若者の正義感の多くがこの時代に摘み取られて、戦争に突き進んだ時代があったことを忘れてはならないだろう。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 
 
 

利根輪太郎の競輪人間学 2本立てで臨むべきだ  

2022年09月05日 04時47分23秒 | 未来予測研究会の掲示板

岐阜競輪場  GⅢ  長良川鵜飼カップ

最終日(9月4日)

10レース

7-1(13.2倍) 7-2(30.2倍) 7-8(37.2倍) 7-9(32.6倍)で勝負する。

久しぶりに新町の寺田さんと出会う。
スポーツ新聞を見ていた寺田さん。
そこで、「その新聞の本命は?」と聞いてみた。

「8-2 2-8」と言う。
そこで、おさに2-8(10.6倍)を買う。

8-2で並んでいるので、8番選手を2番選手が差すだろうと期待したのだ。

先行する3-9ラインに7番選手が番手勝負で絡む展開に。
9番は後退し、3-7-1-8-2-4の並びになるが追走する8番が内側から捲り、8-7-1-2-4の展開となる。
だが、7番は8番を追走できず後退。
8番から離れた2番が直線伸びて8-2-4となる。

結果論であるが、7番選手に拘り過ぎたのだ。

7番村田雅一選手S1(90期38歳 競争得点110.53)
8番松本貴治選手S2(111期28歳 競争得点103.58)

若い松本選手が9番と番手勝負で脚をロスした7番村田選手の番手にはまる展開なら一気に捲れる。
3-7-1-8-2-4の展開なら結果は違っていただろう。
思うに、2本立て臨むべきだった。

7番の軸だけではなく、基本的には7-1ラインと8-2ラインの勝負であったのだ。
2-8を買って、8-2を買わなかったことが敗因。

 
  車番 選手名 府県 決まり手  
1着 8 松本 貴治 愛 媛  
2着 2 福島 武士 香 川 <button class="btn btn_fsz onbtn wd120 " disabled="disabled" name="blDgsKanYiBtn" type="button">一押し選手登録</button>
3着 4 室井 健一 徳 島   <button class="btn btn_fsz onbtn wd120 " disabled="disabled" name="blDgsKanYiBtn" type="button">一押し選手登録</button>
2車単 8-2 1,020円 (1番人気)
3連単 8-2-4 3,230円 (2番人気)