100年ほど前に書かれた内容にも関わらず、あらゆる側面で共感できる。厳しい環境に置かれても、素直で強い心で賢明に生き抜いた文子に尊敬の念を覚える。読んでよかった。
過酷な生涯に言葉を失う。
逮捕、収監までの著者の生い立ちに、言葉に絶するような悲惨さを覚え、戦慄しました。
人間の尊厳、という言葉に行きついた。
何が私を・・・とか獄中日記とか、タイトルで本書を読もうかなと思った人は覚悟を決めて買った方がよい。
犯罪者の心理や反省でも投獄への批判でも隠された事実でもない。と思う。
読みようによっては恨みつらみの羅列、だったり、こんな不幸な人もいるのねえ、だったりするかもしれない。
興味本位で読める400ページではない。
なんと言えばいいのか、読んで直ぐサラサラッと感想を書ける代物ではない、ということは言える。
特殊な例、なのかもしれない。
けれど、著者の受けた仕打ちや向き合わされた出来事は(たとえ誇張されていたとしても)この日本であったこと。
当時の制度や因習であったとしても、それが行われたことには変わりない。
また、ここに書かれたことに近いことがあったことは身内のものから聞いたこともある。
そういったことがいつのまにか何となく、(表立っては)記憶から消えてしまうのは良くないよな、と思う。
何かに救いを求めてあるいは対峙しようとした時に頼れるはずの宗教や政治思想などへの失望。
アンチは元がなければ成り立たず、権力を覆したものがまた別の権力を握ることへの呆然。
結果、自分が自分としてしっかりと立つしかないが、人が一人で生きていくのは難しい。
ただただ流されていけばよいのかもしれないが、それでは己をどう認めればよいのか。
ここまで書いて、人間の尊厳、という言葉に行きついた。
たつねこ
我が首を、撫でました。
高橋源一郎氏の勧めで購入、内容を語るほど野暮な私ではないから書かぬが、貧困、無国籍児、女性蔑視、現代に繋がるテーマは勿論、学ぶ事への執着と、事情立ちはだかる困難を読ませ/見せ付けられた。
少なくも僕は、贅沢のし放題だったと思う。
改めて作者の人生をたどる
貧困と虐待に近い扱いが、反発を生み、良い意味で底力を身につけ、正義のあり方を自ら学び取る。
その不屈さに、今の我々に足りない、しぶとさを見た。
このしぶとさが何処から来たのか。
人間性は何によって作られるのだろう。精神力?
人間の探究心?
映画を観たあと興味をもって読んでみた。
この手記が書かれた時代背景を考えると、この獄中手記を読めるということがある意味奇跡なのかもしれない。
印象的な文をいくつか挙げておく。
P34 無論、その頃の私はまだ 、あらゆる人の悦びは、他人の悲しみによってのみ支えられているということを知らなかったのだ。
P137 そして、今、こうした孤独にまで蹴落とされた刹那、私ははっきりと知った。 教師なんて、どんなに臆病な、不誠意な、そしてその説くところがどんなに空虚な嘘ッ八であるかということを。
P334 基督教の教えるところは果たして正しいのであろうか。それはただ、人の心を誤魔化す麻酔剤にすぎないのではなかろうか。
P388 人々から偉いといわれることに何の値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。
P408 最後の4行 ーー 買って読んでね。
にゃん
何が彼女をそうさせたか?
映画「金子文子と朴烈」に感銘を受け、金子文子なる女性に興味を持つ。
断っておくが、私個人は反天皇でもアナキストでもない。
しかしながら、自分と違う考えを持つものを徹底してこき下ろすような現代の風潮には辟易している。
今よりはるかに封建的で人権意識も低かった時代に自らの運命にあがない続け、短い生涯を生き抜いた日本人女性が存在した事が、むしろ誇らしく思われた。
この手記の多くは不遇だった少女時代に充てられ、朴烈に関する記述はわずかながら、この二人が何に共鳴しあい結ばれていったかが十分に理解できた。
一人の女性の強い生を感じる手記.若者の正義感の多くがこの時代に摘み取られて、戦争に突き進んだ時代があったことを忘れてはならないだろう。
1923年の関東大震災で、軍隊・警察・民間人による朝鮮人の虐殺が起きた。
金子文子と内縁の夫朴烈もこの騒乱に乗じて逮捕され、皇太子を爆殺する計画を立てたとして死刑判決を受ける。
金子も朴烈も恩赦を拒否して、金子は獄中で自殺。
朴烈は終戦まで獄中にいて、戦後釈放される。
本書は、金子が獄中で金子の出生から捉えられる直前までの半生を綴ったもの。
わずか23年の生涯だった。
金子は横浜に生まれる。女性にだらしない父と父に捨てられた母親との生活のなかで、母親が繰り返す婚姻の中で金子は極貧の中で苦労する。
もっとも、ひどく金子が母親と心が離れてしまうのが、困窮の中で母が金子を娼妓に売ろうとする件である。
そして、紆余曲折の中、朝鮮に暮らす父方の祖母に引き取られていくのだが、当初「養女」として家の後を継がせるという約束も反故にされ、女中以下の仕打ちを受けいじめぬかれ、自殺さえも決意する。
この祖母の家は、いわゆる朝鮮を植民地として入植した日本人であって、朝鮮の地方で一定の権威を持って高利貸しなどを生業としている。
自宅の下僕の朝鮮人をいじめる様や、地域日本人の朝鮮人に対する侮蔑も金子は観察する。
「何が私をこうさせたか」この手記では、金子によって結論は記述されるわけではない。
手記の最後に「私の半生の歴史を広げれば良かったのだ。
心ある読者は、この記録によって十分これを知ってくれるであろう」と記述している。
おそらく社会の矛盾の中で、多くの日本人・朝鮮人がいじめられているそのことをどうにかしたいという社会主義者、朝鮮独立運動の人々の思いや立ち上がりの正当性を訴えるものだろうが、それ以上に、一人の女性の強い生を感じる手記となっている。
現代であれば、金子と朴烈の刑が死刑に値するものではあり得ないであろう。そのことの解説は、他書に譲るが、若者の正義感の多くがこの時代に摘み取られて、戦争に突き進んだ時代があったことを忘れてはならないだろう。