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【ヤンググランプリ2024】太田海也、中野慎詞ら出場予定選手9名が決定!

2024年10月24日 20時49分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

2024/10/24(木) 

 

ヤンググランプリ2024に出場する太田海也(左)と中野慎詞(撮影:北山宏一)

 

 JKAは24日、静岡競輪場で12月28日に行われる「ヤンググランプリ2024」の出場メンバーを発表した。

 パリ五輪で日本代表として健闘を見せた太田海也中野慎詞をはじめ、121期の若手トップクラスが名を連ねた。9名全員が121期で、今大会出場権のある123期から出場者は出なかった。

 なお、ヤンググランプリ出場予定選手がKEIRINグランプリ出場権を獲得した場合は、KEIRINグランプリへの出場が優先され、ヤンググランプリは補欠選手が繰り上げ出場となる。

出場予定選手

 
NO 選手名 期別 年齢 府県 級班
1 太田海也 121 25 岡山 S1
2 中野慎詞 121 25 岩手 S1
3 後藤大輝 121 23 福岡 S1
4 東矢圭吾 121 26 熊本 S2
5 纐纈洸翔 121 22 愛知 S2
6 村田祐樹 121 26 富山 S2
7 山口多聞 121 23 埼玉 S2
8 大川剛 121 25 青森 S1
9 真鍋智寛 121 26 愛媛 S2

補欠選手

NO 選手名 期別 年齢 府県 級班
1 真鍋顕汰 121 30 三重 S2

 

 


今日も 高圧電位治療器 エナジートロンへ行く

2024年10月24日 20時11分00秒 | 日記・断片

思うに、体験が全てといういか、良いものは良いと思うのである。

多くの人たちが、で体調がよくなれば、その体験に勝る証言はないのではないだろうか?!

血液がドロドロに汚れれば、必然的に全身の健康に影響を及ぼすかもしれない。

現代医学で、そのメカニズムを解明されるべきだ―と期待している。

血液が酸化して、ドロドロになる。

そこで、その汚れた血液の流れを浄化する方途が、エナジートロンの作用にあれば?と思うのである。

まだ、多くの人は、エナジートロンの効果には、疑いを抱いているだろう。

だが、体験者の証言は無視できないのだ。

エナジートロンの効果が厳密に医学的に、検証されることを期待したい。

その検証結果的の如何で、体験者たちの体が良い方に改善されたら、その証がその医療費のもの医療費の削減にも、つながのではないだろうか!

 


法華経

2024年10月24日 14時58分36秒 | 社会・文化・政治・経済

お釈迦さまの教え(言葉)をまとめた「お経」の数は、「8万4千」といわれています。
その中でも、日蓮宗が一番大切にしている教えが「妙法蓮華経(以下、法華経)」です。

法華経はお釈迦様の晩年8年間で説かれた教えであり、お釈迦様の集大成の教えです。
その内容は28章に分かれており、あらゆる仏教のエッセンスが凝縮されております。
少し難しいと感じる部分もありますが、ここでは章ごとに簡潔に大切な部分をお伝えします。
ざっくりと法華経を学び、その“ココロ”に触れて頂きたいと思います。

日蓮宗の宗祖・日蓮聖人は、法華経こそが困難な時代を生きるあらゆる人々を救う最も尊いお経であると、説き続けられました。

法華経は、数ある仏教経典の中でもお釈迦様の教えの集大成と言われる経典で、第一章から第二十八章で構成されています。

前半部分の中心となるお経「方便品第二」には、みんな一人ひとりが仏になれる、そしてどのような人でも「仏の心」(仏性)が備わっていると説かれています。人だけではありません。動物も植物も大地も、全ての生きとし生けるものに「仏の心」はあるのです。

"自分"の心の中を考えてみても、そのなかにはさまざまな側面が存在していることに気がつきます。お釈迦さまは、私たちの心のなかに10の世界が備わっていると説かれました(十界互具)。それは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」の世界。これらのそれぞれが、お互いに関わり合い、私たちの一つの思いを成り立たせているのです。

たとえば、あなたが電車のなかで席に座っていたとします。そこに身体の悪いお年寄りがいたら、「席を譲ってあげよう」と思うでしょう。それが仏の心です。でも一方で、「今日は疲れているから、見て見ぬふりをしよう」と思うときもありますよね。それは悪い心が表れているのです。もちろん、人の心はいつも一定ではありません。だからこそ、その仏の心を少しずつ大きくしていくのが、仏教に生きるということ。善いことをする、悪いと思ったことはしない。とてもシンプルですが、仏になるとは、そういうことです。

そんな全ての仏さまに感謝し、手を合わせるのが、日蓮聖人が説いたお題目=「南無妙法蓮華経」の世界です。

「南無」とは、一心に仏を信じることで、「妙法蓮華経」の五字には、お釈迦さまが多くの人を教え導いた智慧と慈悲の功徳が、全て備わっているといわれています。

全てに備わる「仏の心」を信じ、この「南無妙法蓮華経」のお題目を口に出して唱えることで、自分のなかにある「仏の心」をも呼び現していこうとしているのです。

 

 


ブッダ 釈尊

2024年10月24日 14時56分04秒 | 社会・文化・政治・経済

ブッダबुद्ध buddha)は、「目覚める」を意味するブドゥ(बुध् budh)に由来し、「目覚めた人」という意味である[8][注釈 2]。もともとインドの宗教一般において、すぐれた修行者や聖者に対する呼称であったが、仏教で用いられ釈迦の尊称となった[19]。このため、ゴータマ・ブッダ[8]ともいう。漢訳の音写は仏陀、旧字体では佛陀であり、意訳は覚者である。仏陀の略称がであり、「仏教」や「仏像」などの用語はこの尊称に由来する[20]。「仏陀」の発音については「ぶっ-だ」の他に「ぶつ-だ」とも読まれる。

釈迦の異名は多くあるが、その中でも十号がよく知られている[21]

タターガタतथागत tathāgata)は、「そのように来た者」または「そのように行った者」[22]を意味する釈迦の尊称である。音写は多陀阿伽度、意訳は如来であり[23][24]釈迦如来ともいう。また、バガヴァント英語版भगवन्त् Bhagavant)は、世の中で最も尊い者を意味する釈迦の尊称であり[25]、音写は婆伽婆もしくは薄伽梵、漢訳は世尊である[25]

仏教では、釈迦牟尼仏[26][27]、釈迦牟尼如来[26]、釈迦牟尼世尊[28]としたり、またそれらを省略して、釈尊[7]牟尼[29]釈迦尊仏様お釈迦様と呼ぶ。

生涯

釈迦について同時代の一次史料は乏しく、人種さえ不明である。

釈迦の死後に成立した経典が伝える釈迦の生涯いわゆる仏伝は、説話的な色彩が濃いうえに、後世の信仰や教義を釈迦の生涯と結びつけようとする傾向があるため、実在の人物としての釈迦の生涯を知る上では注意して取り扱わなければならない。

例えば、近年の研究では仏教の修行法や教義は釈迦の死後に、

  • 最古層経典:修行法はほぼ「戒」や「定」や「慧」に該当する内容で占められる。
  • 古層経典:新たな修行法もみられるようになる。その代表的な修行法が七種の修行法(三十七道品)である。中でも「五根」が最も早くみられ、続いて「八正道(八聖道)」が「四諦(四聖諦)」と一体で説かれる。
  • 新層経典:新たに「四念処」「四正勤」「四神足」「五力」「七覚支」という修行法が説かれる。

と段階的に発展してきた(並川2023a[30],p.14)。ところが、仏伝では釈迦は「初転法輪」の段階で(後年成立したはずの)四諦八正道を説いたとしている。

本項の以下の記述は、伝統仏教の信仰的説話(後世の創作)の内容を含むものである。

四住期

釈迦族の王族として生まれた釈迦は、あとつぎの男子をもうけたあと、29歳で王族の地位を捨て、林間で修行し、悟りを開き、布教の旅に出て、遊行の身のまま世を去った。古代インドの人生の理想「四住期」(梵: āśrama)の考えかたにのっとった人生であった。


阿弥陀 あみだ

2024年10月24日 14時02分01秒 | 社会・文化・政治・経済
極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏。
弥陀とも略称される。《無量寿経》によれば,過去世に法蔵比丘が世自在王如来のもとで四十八の誓願をたて,長期間の修行を果たし,現在では阿弥陀仏となり,極楽浄土の主となって,その浄土へ往生を願う衆生を摂取するという。
四十八の誓願のうち第十八願は阿弥陀仏を念ずれば極楽往生できるというもので,後世の中国,日本では称名念仏の根拠とされた。

無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教経典の一つ。

原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(Sukhāvatī-vyūha)で、「極楽荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。

概要

サンスクリット写本、チベット語訳、漢訳が現存する。 日本では特記が無い限り『無量寿経』というと、漢訳『仏説無量寿経』の事を示し、浄土宗浄土真宗では根本所依の経典とされる。
この仏はサンスクリット文献ではAmitābha(無量光),Amitāyus(無量寿)として現れるが,阿弥陀はおそらくこの前半部amita(無限)の方言であろう(他にも説がある)。阿弥陀仏は大乗仏教の仏としてクシャーナ時代の初期(1~2世紀)に登場したらしいが,その起源に関してイラン思想の影響がいわれている。

1977年7月にインドのマトゥラー博物館が入手した,足だけを残す仏の台座に,この像が阿弥陀Amitābhaであることを示す文字があった。台座が奉献された時代はフビシュカHuviṣka王の28年(2世紀後半)と記されている。《無量寿経》が中国で翻訳されたのは252年であるが,それより前に安世高や支婁迦讖(しるかせん)(いずれも2世紀)が同系の経を翻訳したという伝承がある。

クシャーナ時代には北西インドにクシャーナの王たちが信奉するゾロアスター教系の信仰が広まったとみられ,クシャーナの貨幣には太陽神ミイロが表現され,また神や王の姿には光線や焰がそえられており,〈無量の光〉を属性とする仏の信仰を生みだす背景は十分にあった。

またオリエント(イランを含む)のメシア思想も無視しえない。阿弥陀仏は衆生を救済する仏として,従来の自力仏教の伝統のなかに他力仏教という新しい要素をもたらした。自力仏教においては阿弥陀仏は観想の対象としての意味をもち,修行者の成仏の意志を励ますものとなった。密教では絶対者の顕現の一つとしてそのパンテオンに組みいれられた。三身trikāya説では報身とされる。観音,勢至を脇侍とする。
[定方 晟]

日本における阿弥陀信仰

阿弥陀信仰は中央アジアを経て,中国に伝わった。中国でこの信仰が高まるのは4世紀後半から5世紀以後である。日本へは7世紀のはじめに伝わった。人々をひきつけたのは《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》であり,これらは阿弥陀仏とその浄土を語り,阿弥陀仏の救済が衆生の極楽浄土への往生で実現されることをのべている。奈良時代以前の阿弥陀信仰は弥勒信仰と混在した形であり,追善的性格が濃厚であった。

奈良時代の後期に浄土変相図がつくられ,阿弥陀仏と浄土への観想に関心が寄せられたが,往生を願う中心に死者だけでなく,自己を据えるようになってきた。阿弥陀仏とともに,その西方の浄土が日本人の心にしみついたのは平安時代からである。

 阿弥陀信仰の本格的展開のきっかけをなしたのは比叡山の不断念仏であり,源信の《往生要集》であった。阿弥陀信仰が成熟したのは平安時代中・末期である。阿弥陀堂,迎接堂が建てられ,聖衆来迎図が描かれ,迎講,往生講,阿弥陀講などが営まれた。信仰者は当初僧侶・貴族層であったが,官人,武士,農民,沙弥など各層に及び,奴婢,屠児など卑賤のものも阿弥陀信仰を精神的支柱としていた。

〈往生伝〉はこれら信仰者の往生の証の書であるが,10世紀末から約2世紀の間に,慶滋保胤の《日本往生極楽記》以下7種類も著された。鎌倉時代になると,阿弥陀信仰は質的に飛躍した。本願,往生,名号などに関する教学が深まり,いわば念仏宗ともいうべき新宗派,すなわち法然の浄土宗,親鸞の浄土真宗,一遍の時宗が成立した。

日本での阿弥陀信仰の特色は,阿弥陀仏の〈来迎引接〉と,行者の〈極楽往生〉に特別の関心が寄せられていたこと,阿弥陀仏の〈本願〉への絶対的な帰信がみられたこと,念仏が自身の〈滅罪〉と死者への〈追善〉に最適と考えられたことである。阿弥陀仏への帰依を本旨とした宗派(浄土宗,西山系の浄土宗,浄土真宗,融通念仏宗など)の信者は,今日,全仏教徒の約5分の2を占め,阿弥陀仏を本尊とする寺院は全寺院の半数近くに達している。
[伊藤 唯真]

図像

阿弥陀如来は浄土教信仰の主尊であり,したがって浄土教美術の中心的尊像である。薬師如来像とは異なり手に持物はないが,さまざまな印相(いんそう)(手の形)で表現され,印相の違いにより与願・施無畏印,転法輪印(説法印),定印,来迎印の像の4種に大別できる。

 与願・施無畏印の像は,左手は下げて右手は掌を外に向けて上げる。転法輪印の像は,両手を胸前にあげ,左手は大指(親指)と中指をつけて掌を内に向け,右手は大指と頭指(人指し指)をつけて掌を外に向ける。これは阿弥陀如来が説法する姿を写すもので,阿弥陀浄土図,観経変相図などの画像に表される。

与願・施無畏印と転法輪印は釈迦如来像にも表されており,阿弥陀特有の印相ではないが,阿弥陀には比較的古い時代から用いられたと推測される。定印の像は,腹の前で両手掌を上に向けて両手指を交差し,左右の頭指を立てて背中合せにし,その上に左右の大指を置く。

《両界曼荼羅》のうち胎蔵界の無量寿如来と金剛界の阿弥陀如来に表されており,平安時代の阿弥陀堂本尊(彫像)はこの印相の像である。来迎印は,両手とも大指と頭指とを合わせたまま右手は上げ左手は下げ,掌はいずれも外に向ける。往生者を迎える姿として表現されている。

作例

西北インドのガンダーラ地方において仏教の造像活動が活発になる1~2世紀ころ,北西インドでは大乗仏教がかなり広まり,阿弥陀信仰が行われていても不思議でない状況であったとされているが,その時代に造られた阿弥陀像と断定できる完全な作例はまだ報告されていない。

 

西域ではトゥルファン地方に大乗仏教が伝えられたが,西域の特色を示す阿弥陀像は発見されていない。注目すべきはトゥルファン東部のトユク(吐峪溝)から発見された中国唐代の大歴6年(771)の銘をもつ阿弥陀浄土図断片(絹絵)である。8世紀のトゥルファン地方では,仏教東漸の方向とは逆に唐代美術の影響が西方に及んだことをこの断片は示している。

中国においてもこの頃から阿弥陀如来を表現することが盛んになった。竜門石窟では6世紀に阿弥陀像が造られているが,著名な作例としてはアメリカのボストン美術館蔵の隋の開皇13年(593)銘を持つ《青銅阿弥陀如来像》がある。また,敦煌石窟では初唐時代から阿弥陀浄土図や観経変相図が数多く描かれた。彫像は左右に観世音菩薩,勢至菩薩を脇侍にした三尊形式の像で,与願・施無畏印が多い。朝鮮においても6世紀には阿弥陀如来像が造られたと考えられている。

辛卯銘《金銅三尊仏》は517年,癸酉銘《全氏阿弥陀仏三尊石像》(ソウル,国立中央博物館)は673年の造像と推定され,ともに右手は施無畏印である。左手は,前者が与願印に似るが無名指,小指を曲げ,後者は掌を上にして胸前に添える。7世紀末ころの作と推定されている慶尚北道の軍威三尊石窟本尊も脇侍の表現によって阿弥陀如来と考えられる。

 日本には7世紀中ごろに阿弥陀如来像が登場した。現存する作例は7世紀末ころのものばかりだが,東京国立博物館蔵法隆寺献納宝物中の小金銅仏のうち〈山田殿像〉と言われる金銅阿弥陀三尊像や法隆寺蔵《橘夫人厨子》の本尊は与願・施無畏印で,同寺金堂壁画(6号壁)の《阿弥陀浄土図》や同寺蔵の厨子入銅板押出阿弥陀三尊及僧形像の中の阿弥陀像は転法輪印の像であり,その当時の中国と朝鮮における阿弥陀像と同形式の古様を伝えている。

さらに奈良の当麻(たいま)寺には観経変相図があり《当麻曼荼羅》と呼ばれている。平安時代前期に入ると阿弥陀は,密教の両界曼荼羅図の中に定印の座像として表現されることはあるが,単独で造像されることはなかった。平安中・後期に浄土教が盛んになって各地に阿弥陀堂が建立されると,その本尊に定印の阿弥陀如来座像が造られた。定印の阿弥陀像には常行三昧など観法修行の本尊としての性格が認められることが指摘されている。浄土教信仰は,やがて阿弥陀如来が往生者を極楽から迎えに来る姿,すなわち来迎印の阿弥陀像を表現する。

阿弥陀聖衆来迎図》がその代表例で,さまざまな形式に表現された。特殊な例としては,説法印の阿弥陀如来が山の背後から巨大な上半身を現す《山越阿弥陀図》,後方を振り返る姿の《見返り阿弥陀像》(京都禅林寺)などが造られた。鎌倉時代以降は,当麻寺の《当麻曼荼羅》や長野善光寺の本尊阿弥陀三尊像(秘仏)が盛んに模作された。後者は〈善光寺式阿弥陀三尊〉と呼ばれている。

なお,九品阿弥陀の印相について,上品・中品・下品の各上生の印を定印とし,同じく中生印を説法印に,下生印を来迎印に当てて九種の印を組み合わせたものが,《仏像図彙》(江戸時代)などに見られ,現在も一般の概説書等に取り上げられているが,これらを説く儀軌はなく,しかも近世以前にはそれに基づいて造像されたものは存在しないことから,この九品印は近世に考案されたものと推定され,阿弥陀の印相としては説明すべきではないとの提言がなされている。
[関口 正之]

[索引語]
極楽浄土 弥陀 無量寿経 Amitābha 無量光 Amitāyus 無量寿 フビシュカ Huviṣka 三身 trikāya 阿弥陀信仰 阿弥陀如来 印相 与願・施無畏印 転法輪印 説法印 定印 来迎印 阿弥陀堂 見返り阿弥陀像 九品阿弥陀

 

阿弥陀
あみだ
 
 極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏。弥陀とも略称される。『無量寿経』によれば、過去世に法蔵比丘が世自在王如来のもとで四十八の誓願をたて、長期間の修行を果たし、現在では阿弥陀仏となり、極楽浄土の主となって、その浄土へ往生を願う衆生を摂取するという。
四十八の誓願のうち第十八願は阿弥陀仏を念ずれば極楽往生できるというもので、後世の中国、日本では称名念仏の根拠とされた。この仏はサンスクリット文献ではAmitābha(無量光)、Amitāyus(無量寿)として現れるが、阿弥陀はおそらくこの前半部amita(無限)の方言であろう(他にも説がある)。
阿弥陀仏は大乗仏教の仏としてクシャーナ時代の初期(一~二世紀)に登場したらしいが、その起源に関してイラン思想の影響がいわれている。
一九七七年七月にインドのマトゥラー博物館が入手した、足だけを残す仏の台座に、この像が阿弥陀であることを示す文字があった。台座が奉献された時代はフビシュカ王の二八年(二世紀後半)と記されている。
『無量寿経』が中国で翻訳されたのは二五二年であるが、それより前に安世高や支婁迦讖しるかせん(いずれも二世紀)が同系の経を翻訳したという伝承がある。クシャーナ時代には北西インドにクシャーナの王たちが信奉するゾロアスター教系の信仰が広まったとみられ、クシャーナの貨幣には太陽神ミイロが表現され、また神や王の姿には光線や焔がそえられており、「無量の光」を属性とする仏の信仰を生みだす背景は十分にあった。
またオリエント(イランを含む)のメシア思想も無視しえない。阿弥陀仏は衆生を救済する仏として、従来の自力仏教の伝統のなかに他力仏教という新しい要素をもたらした。
自力仏教においては阿弥陀仏は観想の対象としての意味をもち、修行者の成仏の意志を励ますものとなった。密教では絶対者の顕現の一つとしてそのパンテオンに組みいれられた。三身説では報身される。観音、勢至を脇侍とする。
[定方 晟]
日本における阿弥陀信仰
 阿弥陀信仰は中央アジアを経て、中国に伝わった。中国でこの信仰が高まるのは四世紀後半から五世紀以後である。日本へは七世紀のはじめに伝わった。人びとをひきつけたのは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』であり、これらは阿弥陀仏とその浄土を語り、阿弥陀仏の救済が衆生の極楽浄土への往生で実現されることをのべている。奈良時代以前の阿弥陀信仰は弥勒信仰と混在した形であり、追善的性格が濃厚であった。奈良時代の後期に浄土変相図がつくられ、阿弥陀仏と浄土への観相に関心が寄せられたが、往生を願う中心に死者だけでなく、自己を据えるようになってきた。阿弥陀仏とともに、その西方の浄土が日本人の心にしみついたのは平安時代からである。
 阿弥陀信仰の本格的展開のきっかけをなしたのは比叡山の不断念仏であり、源信の『往生要集』であった。阿弥陀信仰が成熟したのは平安時代中・末期である。阿弥陀堂、迎接堂が建てられ、聖衆来迎図が描かれ、迎講、往生講、阿弥陀講などが営まれた。信仰者は当初僧侶・貴族層であったが、官人、武士、農民、沙弥など各層に及び、奴婢、屠児など卑賤のものも阿弥陀信仰を精神的支柱としていた。「往生伝」はこれら信仰者の往生の証の書であるが、一〇世紀末から約二世紀の間に、慶滋保胤の『日本往生極楽記』以下七種類も著された。鎌倉時代になると、阿弥陀信仰は質的に飛躍した。本願、往生、名号などに関する教学が深まり、いわば念仏宗ともいうべき新宗派、すなわち法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗が成立した。日本での阿弥陀信仰の特色は、阿弥陀仏の「来迎引接」と、行者の「極楽往生」に特別の関心が寄せられていたこと、阿弥陀仏の「本願」への絶対的な帰信がみられたこと、念仏が自身の「滅罪」と死者への「追善」に最適と考えられたことである。阿弥陀仏への帰依を本旨とした宗派(浄土宗、西山系の浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗など)の信者は、今日、全仏教徒の約五分の二を占め、阿弥陀仏を本尊とする寺院は全寺院の半数近くに達している。
[伊藤 唯真]
図像
 阿弥陀如来は浄土教信仰の主尊であり、したがって浄土教美術の中心的尊像である。薬師如来像とは異なり手に持物はないが、さまざまな印相いんそう(手の形)で表現されており、印相の違いによって与願・施無畏印、転法輪印(説法印)、定印、来迎印の像の四種に大別できる。
 与願・施無畏印の像は、左手は下げて右手は掌を外に向けて上げる。転法輪印の像は、両手を胸前にあげ、左手は大指(親指)と中指をつけて掌を内に向け、右手は大指と頭指(人指し指)をつけて掌を外に向ける。これは阿弥陀如来が説法する姿を写すもので、阿弥陀浄土図、観経変相図などの画像に表される。与願・施無畏印と転法輪印は釈迦如来像にも表されており、阿弥陀特有の印相ではないが、阿弥陀には比較的古い時代から用いられたと推測される。定印の像は、腹の前で両手掌を上に向けて両手指を交差し、左右の頭指を立てて背中合せにし、その上に左右の大指を置く。『両界曼荼羅』のうち胎蔵界の無量寿如来と金剛界の阿弥陀如来に表されており、平安時代の阿弥陀堂本尊(彫像)はこの印相の像である。来迎印は、両手とも大指と頭指とを合わせたまま右手は上げ左手は下げ、掌はいずれも外に向ける。往生者を迎える姿として表現されている。
 日本には七世紀中ごろに阿弥陀如来像が登場した。現存する作例は七世紀末ころのものばかりだが、東京国立博物館蔵法隆寺献納宝物中の小金銅仏のうち「山田殿像」と言われる金銅阿弥陀三尊像や法隆寺蔵『橘夫人厨子』の本尊は与願・施無畏印で、同寺金堂壁画(六号壁)の『阿弥陀浄土図』や同寺蔵の厨子入銅板押出阿弥陀三尊及僧形像の中の阿弥陀像は転法輪印の像であり、その当時の中国と朝鮮における阿弥陀像と同形式の古様を伝えている。さらに奈良の当麻たいま寺には観経変相図があり『当麻曼荼羅』と呼ばれている。平安時代前期に入ると阿弥陀は、密教の両界曼荼羅図の中に定印の座像として表現されることはあるが、単独で造像されることはなかった。平安中・後期に浄土教が盛んになって各地に阿弥陀堂が建立されると、その本尊に定印の阿弥陀如来座像が造られた。定印の阿弥陀像には常行三昧など観法修行の本尊としての性格が認められることが指摘されている。浄土教信仰は、やがて阿弥陀如来が往生者を極楽から迎えに来る姿、すなわち来迎印の阿弥陀像を表現する。『阿弥陀聖衆来迎図』がその代表例で、さまざまな形式に表現された。特殊な例としては、説法印の阿弥陀如来が山の背後から巨大な上半身を現す『山越阿弥陀図』、後方を振り返る姿の『見返り阿弥陀像』(京都禅林寺)などが造られた。鎌倉時代以降は、当麻寺の『当麻曼荼羅』や長野善光寺の本尊阿弥陀三尊像(秘仏)が盛んに模作された。後者は「善光寺式阿弥陀三尊」と呼ばれている。なお、九品阿弥陀の印相について、上品・中品・下品の各上生の印を定印とし、同じく中生印を説法印に、下生印を来迎印に当てて九種の印を組み合わせたものが、『仏像図彙』(江戸時代)などに見られ、現在も一般の概説書等に取り上げられているが、これらを説く儀軌はなく、しかも近世以前にはそれに基づいて造像されたものは存在しないことから、この九品印は近世に考案されたものと推定され、阿弥陀の印相としては説明すべきではないとの提言がなされている。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

民衆のもつ草の根の力強さ

2024年10月24日 12時59分46秒 | その気になる言葉

▼すべては、一人から始まる。

幸福になる道を教え、伝える。

そして、自分を凌ぐ人材へと育てていく。

▼人間として大切なことは、生活という基本をおろそかにない、地に足の着いた生き方だ。

それが民衆のもつ草の根の力強さだ。

そして、その人たちが立ち上がることで、社会を根底から変えていくことができる。

それを現実に成し遂げていくのが、民衆の地道な地域の草の根の活動である。

▼カナダは、世界で初めて、多様な文化を平等に尊重する「多文化主義」生活を導入したことで知られている。

▼励ましの力

<君よ立て!>との生命からほとばしる必死の思いが、友の心に働きかけるのだ。

励ましとは、炎の一念がもたらす魂の触発なのだ。

▼あくまでも<勇気>である。

恐れることは、いちばんの不幸である。

勇気で進み、勇気で戦うのである。

 

 

 

 


高齢者の医療費負担を3割に―日本維新の会

2024年10月24日 11時11分46秒 | 社会・文化・政治・経済

高齢者に冷たい維新に広がる怒り

■医療費窓口負担を「3割」に!?/病院に行かず重症化リスクも

日本維新の会が衆院選向け公約でぶち上げた政策に対し、高齢者の不満と不信の声が渦巻いている。

この維新の政策に対し、公明党の石井啓一代表は、12日に行われた日本記者クラブ主催の「党首討論会」で「窓口での支払いを嫌って、医療にアクセスしない高齢者が圧倒的に増える。高齢者に対して、あまりにも冷たい政策ではないか」と糾弾した。

維新の公約によると「現役世代の社会保険料負担の軽減」が目的だというが、高齢者の医療費負担を増やせば、病院に行かず、重症化するリスクも増える。そうなれば結果的に現役世代の負担も増加することになるのは想像に難くない。

党首討論会では、高齢者の医療費窓口負担を3割に増やした場合、どれくらいの負担増を見込んでいるか問われた維新の馬場伸幸代表は、具体的な数字を示すことができなかった。

具体的な課題を把握せず、「改革」の名の下に無茶で乱暴な政策を打ち出すのはあまりに無責任ではないか。

■日本一高い大阪市の介護保険料/健康寿命の延伸施策に後ろ向き

一方、維新への支持が高い大阪市で、ここ数年、全国平均をはるかに上回る「日本一高い介護保険料」となっているのも問題だ。

市区町村ごとに3年に1度改定される「介護保険料」。

今年発表された第9期(2024年度~26年度)の介護保険料改定で、大阪市の介護保険料基準額は月額9249円に。前期の第8期(21年度~23年度)の8094円から1155円もアップ。

率にして14.3%の引き上げとなった。これは全国の平均月額6225円よりも3000円以上も高く、年額10万円を超える。

維新が大阪府・市の首長を担い、議会でも第1党を占めるようになって十数年。この間、“身を切る改革”のパフォーマンスを優先し、健康寿命を延伸させる地道な取り組みには後ろ向きな行政が続いたと言われる。「高齢者に冷たい維新!」との大阪市民の怒りは急速に広がっている。

 

衆院選 医療や年金など社会保障制度のあり方めぐり活発な論戦

衆議院選挙は終盤戦に入りました。選挙戦では医療や年金など社会保障制度のあり方をめぐり、各党による活発な論戦が行われています。

自民党は、全世代型の社会保障を構築し、国民皆保険は堅持しつつ、「年収の壁」を見直して働き方に関わらない中立な社会保険制度にするとしています。


また、年金制度は、被用者として手厚い給付を受けられる人を増やし、基礎年金の受給額の底上げも図るなどとしています。

立憲民主党は、「マイナ保険証」の利用率が低迷する中、国民の不安が払拭されるまでは、いまの保険証を存続させるほか、社会保険料負担の上限額を見直し、富裕層に応分の負担を求めるとしています。

年金制度では、低所得の高齢者の年金に一定額を上乗せして給付する制度を設けるとしています。

日本維新の会は、年金に世代間格差が生まれない「積み立て方式」などを導入し、高齢者の医療費の窓口負担を原則3割に引き上げ、子どもの医療費の無償化にも取り組むとしています。

また現在の診療報酬の仕組みを見直し、医療費の増大を抑制していくとしています。

公明党は、パートなどで働く人が「年収の壁」を意識せずに働くことができるよう制度の見直しに取り組むとしています。

また、離島や過疎地で暮らす人の医療体制を強化し、高齢者の所得保障を充実させるため、基礎年金の給付水準の底上げに取り組むとしています。

共産党は、物価高や賃金の上昇に追いつかせるために年金の支給額を引き上げ、介護保険制度の安定化に向けて国庫負担を10%増やすとしています。

また、国民健康保険料を抜本的に引き下げることや、後期高齢者医療制度の廃止も訴えています。

国民民主党は、年金制度は最低保障機能を強化した新しい基礎年金制度への移行を検討するとしています。

また後期高齢者の医療費の自己負担割合を原則2割にし、現役並みの所得のある人は3割にするとしています。

れいわ新選組は、国民健康保険料や介護保険料などを国庫負担で引き下げ、年金の支給額の底上げを行うとしています。

また保険証は現状を維持し、マイナンバーカードへの統合に反対するとしています。

社民党は、高齢者が安心して暮らせるだけの年金を確保すると訴えるとともに、後期高齢者の医療費の窓口負担を一律1割に戻し、病床の削減や公的病院の統廃合に反対するとしています。

参政党は、薬やワクチンに依存しない治療・予防体制の強化で国民の自己免疫力を高めるとともに、対症医療から予防医療に転換しむだな医療費の削減と健康寿命の延伸を実現するとしています。

 


腐敗する金権政治に「連座制」を強化

2024年10月24日 11時00分43秒 | 社会・文化・政治・経済

2009年の民主党政権下では、党の幹部が12億円の使途不明金、20億円の虚偽記載問題が起こり、5人の秘書が有罪となった。

しかし審議が進まず、廃案となる。

それが今回、公明党が、及び腰の自民党を説得し「連座制」を強化した。

「連立政権のなかに、公明党がいることで、腐敗する金権政治に厳しいメスが入ったのです」川上和久・麗澤大学教授が指摘。


映画 ヒトラーのための虐殺会議

2024年10月24日 09時55分38秒 | 社会・文化・政治・経済

10月24日午前2時45分からCSテレビのムービープラスで観た。ヒトラーのための虐殺会議

 
解説

第2次世界大戦時、ナチス政権が1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した「バンゼー会議」の全貌を、アドルフ・アイヒマンが記録した議事録に基づいて映画化。

1942年1月20日正午、ベルリンのバンゼー湖畔に建つ大邸宅にナチス親衛隊と各事務次官が集められ、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議が開かれた。「最終的解決」はヨーロッパにいるユダヤ人を計画的に抹殺することを意味する。

国家保安部代表ラインハルト・ハイドリヒを議長とする高官15名と秘書1名により、移送、強制収容、強制労働、計画的殺害などの方策が異論すら出ることなく淡々と議決され、1100万人ものユダヤ人の運命がたったの90分で決定づけられた。

出席者たちがユダヤ人問題と大量虐殺についてまるでビジネスのように話し合う異様な光景を、ありのままに描き出す。

2022年製作/112分/G/ドイツ
原題または英題:Die Wannseekonferenz
配給:クロックワークス
劇場公開日:2023年1月20日

スタッフ・キャスト

  • ラインハルト・ハイドリヒフィリップ・ホフマイヤー

  • アドルフ・アイヒマンヨハネス・アルマイヤー

  • カール・エバーハルト・シェーンガルトマキシミリアン・ブリュックナー

  • エーリッヒ・ノイマンマティアス・ブントシュー

  • ゲルハルト・クロップファーファビアン・ブッシュ

  • ハインリヒ・ミュラージェイコブ・ディール

  • インゲブルク・ヴェーレマンリリー・フィクナー

  • アルフレート・マイヤーペーター・ヨルダン

  • ローラント・フライスラーアルント・クラビッター

  • ルドルフ・ランゲフレデリック・リンケマン

  • フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリツィンガートーマス・ロイブル

  • ヨーゼフ・ビューラーサッシャ・ネイサン

  • オットー・ホーフマンマルクス・シュラインツアー

  • フレデリック・シュミット

  • マルティン・ルタージーモン・シュバルツ

 
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    【「ヒトラーのための虐殺会議」評論】戦場の凄惨さと絶望とは違う恐怖を突きつけてくる最悪の虐殺会議

    2023年1月21日
  • 1100万のユダヤ人絶滅政策に“全員異議なし” ヴァンゼー会議を映画化「ヒトラーのための虐殺会議」予告

    1100万のユダヤ人絶滅政策に“全員異議なし” ヴァンゼー会議を映画化「ヒトラーのための虐殺会議」予告

    2022年10月7日
  •  

    1100万ものユダヤ人絶滅政策を決定した“ヴァンゼー会議”を映画化 「ヒトラーのための虐殺会議」23年1月公開

    2022年9月10日
1942年1月20日、ナチス側によるユダヤ人問題について話し合ったバンゼー会議の記録。

案の定、『12人の怒れる男(2008)』とはいかないですね。ヒトラーを総統とするゲシュタポ主導の会議でした。

同意を求める方法も全体主義らしい。会議は淡々と進み、費用や輸送などの具体的な数字が生々しく、反論する文民側の根拠も正当性がある。それに文民側はいつの間にか総統の面目に議題をすり替えてるのもいい切り口。それでも…。

第一次の屈辱を味わったドイツの実行力と即決力は恐ろしいものを感じますね。たとえ、この結末が知っていても実行するかも知れないほどの憎悪と熱量と絶対性がある。戦争は始まってしまったら誰にも止められないと理解できた作品でした。


 
 
 ハンナ・アーレントは、「ヒトラーやヒムラーからの命令を実行しただけ」と繰り返すアイヒマンを「全体主義」「凡庸な悪」「思考停止」と言った。確かに無知の穴は、今日もいたるところに開いている。だが、本作を観るとその表現だけでは少し物足りない。


アウシュビッツでは、ナチスによって「ユダヤ人」が虐殺された以上のことが、ユダヤ人であるというだけで殺された「個人」に対して行なわれていた。

歴史がそれを「ユダヤ人の虐殺」としてしか扱わないのなら、人々の記憶が忘却された頃、また人類はナチスと同じところに行き着くかもしれない。

あらゆる抑圧の犠牲者たちの無数の幽霊の前で、我々はその痕跡をかき集めるしかない。焼き尽くされたユダヤ人の「個人」。その痕跡や灰、声なき記憶を忘却してしまう世界なら、どんな正義も、どんな法律も在りえないということだ。

もしも私がタイムスリップして

 
     
 
 
 

「自己信頼」

2024年10月24日 08時28分19秒 | その気になる言葉

▼戦う一人一人の「心」がどうか。

その一点で、結果は全く違ってくる。

「信じた時にしか、奇跡は起こらない」

▼ある課題に直面した際、自分の可能性を信じる「自己信頼」の人は、課題をより速く、効率的にやり遂げられる。

一方で、課題の難しさを悲観的に捉える人は、課題に取り組むのが遅く、集中力もそがれ、途中で諦めてしまう傾向がある。

▼「自己信頼」「おのれを信じよう」―思想家エマソン

「君が自分の仕事をすれば、きっと君は君自身を強化する」

自己信頼を土台として築かれる団結こそ最強である。

その原動力は、不可能を可能にする祈り(自己暗示)不屈の行動である。

自分を信じ、仲間を信じ、勝利を信じる―その強き信念の力で偉大な栄光の扉は開く。


物事を本質から捉える力

2024年10月24日 08時00分04秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼逆境であるほど、燃え立つ魂。

庶民の底力を社会に示すのである。

▼物事を本質から捉える力。

民主主義のベースとなる合意形成の力を養う。

それは、自己理解も深める。

▼哲学対話である「本質観取」には、さまざまな教育上の効果がある。

子どもたちの思考力や言語力を育む。

互いに納得できる本質的な答え(共通了解)を見出して合っていく哲学対話は、人々をつなぐ希望の場となる。