午前9時に取手市を出て、つくば市へ行く。
快晴で筑波山が鮮やかに見えた。
街路樹の紅葉も始まっていた。
つくば市議会議員選挙が始まる。
2024年10月20日午前9時30分からの街頭演説。友人の「しのうち幸代」さんが新人として立候補する。
午前9時に取手市を出て、つくば市へ行く。
快晴で筑波山が鮮やかに見えた。
街路樹の紅葉も始まっていた。
つくば市議会議員選挙が始まる。
2024年10月20日午前9時30分からの街頭演説。友人の「しのうち幸代」さんが新人として立候補する。
いまだ届かぬ救いの手
毎日新聞の記事を読み、改めて、国(行政)の対応は理不尽だと、怒りさえ覚えた。
原爆投下による黒い雨の被害者たち。
爆心地から約9㌔西にいた人。
体調不良になり、小学生の時のリンパ節の手術を3回も受けた。
国は1976年に「黒い雨」被害の救護対象区域を決めた。
それは降雨の証言がある地域よりも狭い範囲だった。
このために、救われるべき人々が放置されたのだ。
国(行政)は、なるべく被害者が存在しても金を出したくないのが本音なのだろう。
多く被害者は、明らかに黒い雨で、体内に取り込んだ被爆の結果だった。
だが、国(行政)は、現実に目を背けて、被害者たちの悲惨な現状を、過小評価したのである。
そして、政治家たちも、沈黙したのであろう。
また、国会では、国の線引きに対する<非学的措置>に言及して、論議してきたのだろうか?
目に見えない放射能で人体を蝕むが核兵器に対する<無知な政治家と行政機関・司法>は、改めて糾弾されるべきではないだろうか?!
浅村敦は、過去を振り返り思うのである。
小学生のころの親友は?
「やっちゃ」であり「きみちゃん」であった。
いわゆる幼馴染であり、悪さもした仲間でもあった。
「知恵おくれ」とされた「こんちゃん」のことも思い出される。
小学生1年生のころは、見ず知らずの大人の後に着いて行くと、池上線にも無料で乗れた。
そして、同じ要領で蒲田の映画館へ無料で入館していた。
中学生の時の親友は、秋山君と三村君であったが、二人とも仲違いして、親友でなくなる。
秀才の大野君と仲が良くなったことが、二人に反発されたのだ。
高校生のころの親友は?残念ながら居なかった。
人を寄せ付けない偏屈な性格が災いしたのだ。
唯一の親友は、我が家の下宿人の大学生の菅野さんだった。
彼の実家である福島県の飯坂には夏休み滞在し、その後の秋には、高校を2年生で中退する。
夜間高校での親友は、初めての親友である女性の奥野順子であった。
秋田生まれで3歳年上であった。
時には2人は将来の夢を語る文学仲間の仲であったが、彼女の京王線での自殺で幕が下ろされてしまう。
美貌でもなかった彼女は恋人ではなく、あくまでも親友であった。
言わば崇拝す姉と弟の仲ともいえただろうか。
大学生の親友は?
岡田次郎と先輩の鈴木幸志郎であった。
岡田と出会ったことで、後年には浅村敦は茨城県取手市の住民となった。
鈴木幸志郎からは、ドストエフスキーなどロシアの文学の魅力を教えられた。