文学への道: 体験から表現へ 伊東一夫著

2024年06月23日 17時18分15秒 | 社会・文化・政治・経済

伊東 一夫(いとう かずお、1914年11月3日 - 2004年9月17日)は、日本近代文学研究者。

主として島崎藤村島木赤彦を研究し、島崎藤村学会会長、同名誉会長、島木赤彦研究会長を務めた

長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年、東洋大学文学部国文学科卒業東洋大学文学部研究科に入学する

1941年、同文学部研究科を退学し、東洋大学文学部副手、冨山房の事務手伝い、日本文化協会研究員、旧制松本高等女学校(現・長野県松本蟻ヶ崎高等学校)教諭を兼職する

1945年、長野県立諏訪中学校に転任。1956年、東洋大学文学部専任講師、1959年助教授、1969年教授

1962年「島崎藤村の人と文学における諸問題」で文学博士。1985年、定年退任、名誉教授、江戸川女子短期大学教授。1995年、同短期大学を退職した。

 

人間の生活が、日々の学習によって営まれゆくかぎり、それは同時に経験の集積であるとすることができる。

経験は人間の生活を助け、その営みを有効に行わせための方法であり言動力である。

したがって経験の深さは、この世に生きる者にとって、最大の力となる。

 

文学がの表現であるから、倫理や宗教と不可分のかかわりをもつことは自明の理である。

しかしまた一方において、文学は芸術であるという主張も一般的で根本的な考え方として行われてきた。

 

子どもの作文に対する著者の眼差しに、人生の「生]の経験に対する洞察の深さを感じた。

 

原則として、小説は(読者にたいして)多くの効用をもつものである。

よき一篇の小説にhs、活きた現実生活よりも、もっともなましの現実があり、人間の感情や心理のとらえがたき明暗表裏がとらえられ、絶望や不可能のなかに、希望がや可能性がみつけだされる(山本周五郎「小説の効用」

われわれの最初になすべき任務は、彼らの精神を改造することである。

そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一であった。

そこで、文芸運動を提唱する気になった(魯迅)

 


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