医療事故調査 病院の情報開示が重要

2015年10月21日 15時10分07秒 | 医科・歯科・介護
毎日新聞社説:


毎日新聞 2015年10月16日 東京朝刊

 医療事故で死亡した時の原因究明や再発防止を目指す医療事故調査制度が今月から始まった。
 遺族、医療機関双方の要望で実現した。遺族が不利にならないよう、制度が公正に運用されなければならない。
 1990年代末以降、大学病院などで死亡事故が相次いで発覚し、医療不信が深刻化した。遺族が裁判を起こしても、真相究明には長い時間と労力がかかる。医療機関も医師が裁判で責任を追及されることに抵抗があり、第三者機関が関与する調査を望む声が両者から出ていた。
 この制度は昨年6月の医療法改正でつくられた。全国約18万カ所の医療機関や助産所での「予期せぬ死亡、死産」が調査の対象だ。
 「予期せぬ死亡」なら、医療機関は第三者機関である「医療事故調査・支援センター」(日本医療安全調査機構)に報告する。併せて自ら院内での調査を行い、遺族に結果を説明しなければならない。遺族は説明に納得できなければ、センターに再調査を依頼できる。
 センターは年間1000〜2000件の死亡事故が医療機関から報告され、このうち遺族の依頼によって300件程度を独自に調査することを想定している。
 制度の課題は、まず「予期せぬ死亡」について、適正な認定が行われるかどうかだ。死亡するリスクを医療機関が患者側に事前に説明したり、カルテに記載していたりすれば、「予期せぬ死亡」とならない可能性が残る。
 患者側への説明が不十分だったとしても医療機関が「予期していた」と判断すれば、センターへの報告義務はない。
 その場合、遺族はセンターに直接事故を届け出て調査を依頼することはできない。
 また医療機関が院内で調査して結果を遺族に伝える際、報告書を手渡すことは努力義務にとどまり、「口頭、または書面、もしくは双方」とされた。報告書が医師への責任追及に使われるのではないかと一部の医療関係者が反対したからだ。
 医療機関が死亡事故の調査や報告に及び腰になればどうなるか。かえって遺族の不信感は強くなり、裁判を起こすしか方法がなくなる。そうなれば制度本来の目的から外れてしまう。
 医療機関が事故を公正にセンターへ報告すれば、センターは多くの事例を詳細に分析し、改善点を医療機関に広く伝えることができる。それは再発防止につながる。
 患者の立場は弱い。制度の成否は医療機関が死亡事故について情報開示を誠実に行うかどうかにかかっている。














日歯連前会長ら3人を起訴

2015年10月21日 15時09分13秒 | 医科・歯科・介護
「迂回」初の違法性審理へ

共同通信 2015年10月20日16:14 配信

 政治団体「日本歯科医師連盟」(日歯連)が年間の法定上限(5千万円)を超す寄付を隠すため、迂回献金をしたとされる事件で、東京地検特捜部は20日、政治資金規正法違反の罪で、前会長 高木幹正容疑者(70)、元会長 堤直文容疑者(73)、元副理事長 村田憙信容疑者(70)の3人を起訴した。団体としての日歯連も起訴した。
 2つの政治団体の間に別組織を介在させた資金移動を、実態は直接の移動だったと捉え、政治資金収支報告書の虚偽記入などで刑事責任を問うのは初めてとみられる。3人はいずれも否認しており、法廷で違法性が審理されることになった。














(論壇時評)2015年「安保」のことば 

2015年10月21日 15時07分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 「わたし」が主語になった

 作家・高橋源一郎

朝日新聞 2015年9月24日 配信

 「安保関連法案」が参議院で採決された夜、わたしのいた国会南門のあたりも人が溢(あふ)れだしていた。スピーカーから、遠く離れた場所で行われているシュプレヒコールとスピーチが交互に流れ、人びとは、姿が見えない話し手たちのことばに、静かに耳をかたむけ、時折、コールに唱和していた。
 近くに、わたしと同じように、黙ってひとりで佇(たたず)んでいる、制服の女子高生がいた。彼女は、少しくびをかしげ、スピーチのことばに聴き入っているように見えた。ひとりで、なぜここに来て、なにを考えているのだろうか。わたしには、彼女の姿が好ましいものに見えた。
 1960年、そして70年を中心に、かつて二度、「安保」という名のついた大きな社会運動が起こった。その象徴的な運動の場所が国会前だった。それから半世紀ほどの時が過ぎて、やはり「安保」という名がついた法制への反対運動が、同じ場所で起こった。過去の二度の反「安保」運動との違いの一つは、徹底した非暴力性だろう。そして、もう一つは、「ことば」がなにより重視されたことだろう。そのことばには、古い政治のことばも、簡単には説明できない、新しいことばも交じっていたが。
     *
 この運動を大きく動かすことになった学生団体・SEALDs(シールズ)(自由と民主主義のための学生緊急行動)に参加した、ある女性は、こう述懐している〈1〉。
 「昨年の12月、私は布団のなかからSNSを通してSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会=SEALDsの前身)の存在を知った。眠れない夜更けにスクロールしたフェイスブックで、普段政治の話をしない友人が投稿した政治的な動画に興味を持った。しかし、私はその動画の中でSASPLのメンバーが言う、『日常の幸せ』がわからなかった。……『この当たり前の日常を守りたい』などと片時も思ったことはなかった。はやく、誰か、この日常をぶち壊してくれ、と願いながら、頭から布団をかぶり、ここではないどこかを夢想した」
 この社会から突き放され、苦しみ、もがく、同世代の女の子たちと知り合うようになった彼女は、やがて、SEALDsに参加し、こう考えるようになる。
 「彼らのなかに飛び込んで、はじめて気づいたのは、SEALDsは個人の集まりであるということだ。そこでは、沖縄出身の子も、東北から来た子も、在日の子も、『わたし』として法案に反対する理由を語っていた」
 政治の世界では珍しい、「わたし」を主語とする、新しいことばを持った運動。その運動に魅(ひ)かれてゆく、ひとりの人間の心の動きが正確に刻みこまれた文章が、そこにあった。
     *
 「安保法制」に反対する運動が巨大化したのは、その「法制」を制定しようとする人たちの言動に、民主主義とは相容(あいい)れぬものを感じ、不安になったからだ。
 55年前の第一次安保闘争時、無党派の組織「声なき声の会」に加わった鶴見俊輔は、こう書いている〈2〉。
 「私にとって、声なき声は、1960年5月に岸信介首相が日米安保条約を強行採決したことへの抗議としてはじまった。安保条約そのものへの反対というだけでは十分の動機ではない。十五年戦争の指導者だった人が、ふたたび戦争体制となりやすいものを、民衆の意見をゆっくりきくこともなしに、決定するということへの抗議だ」
 時の権力が、「民衆の意見をゆっくりきくこと」がなくなったとき、それに反対する運動は静かに始まるのである。
 同じ、第一次安保闘争の理論的指導者でもあった、偉大な政治学者・丸山真男は、「デモクラシーの政治ってのは、(ふだん政治に参加しない主権者の)パート参加で初めて成り立つ」とした〈3〉。「主権者」である民衆が、自分たちの意見が無視されていると感じたとき、一時的に預けていた「主権」を取り戻し、自ら直接「参加」しようとする、その「パート」参加の「理念」こそ、民主主義の根幹だとしたのである。
 2015年の反「安保」運動は、人びとの、「民主主義」を回復させようという願いを根拠にしていた。それは、鶴見や丸山が見た運動とよく似ている。しかし、同時に、そこには、過去にはなかった、なにか新しいものが含まれているようにわたしには思えた。
 今回の運動に触れながら、五野井郁夫は1968年「パリ五月革命」との共通性を示唆している〈4〉。その「体制転換なき革命」とも呼ばれる運動は「必ずしも政権を取らず、体制転換もせず、けれども決定的にその後の人々のものの考え方には影響を与え」た。
 それは、政治運動というより文化運動であった。そして、優れた劇を観終(みお)わったとき、観客が、観る前とでは世界がすっかり変わってしまったと感じるように、その参加者の「内面」も「価値観」も変えてしまうような運動だった。五野井は「選挙制度が必ずしも民意を反映」しない社会状況でこそ、そんな運動が真価を発揮するとした。
 実は、民主主義には、単なる政治システムではなく、「内面」も「価値観」も変えてしまう文化運動の側面もあるのだ。そのことに、人々は気づき始めているのではないだろうか。
 新しい運動の「ことば」に耳をかたむけていた女の子の姿を見ながら、わたしは、そんなことを考えていた。
     *
注〈1〉大澤茉実(まみ)「SEALDsの周辺から 保守性のなかの革新性」(現代思想10月臨時増刊号「総特集 安保法案を問う」)
〈2〉鶴見俊輔『随想 暮らしの流儀をつくる』(太郎次郎社エディタス刊)
〈3〉丸山真男『自由について 七つの問答』(SURE刊)
〈4〉五野井郁夫「議会主義と民主主義の政治」(現代思想10月臨時増刊号「総特集 安保法案を問う」)
     ◇
 高橋源一郎(たかはし・げんいちろう):1951年生まれ。明治学院大学教授。近刊にSEALDs(シールズ)との共著『高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?』。

耕論:安倍談話の歴史観 
インタビュー構成
成田龍一さん、李 元徳さん、久保 亨さん

朝日新聞 2015年10月10日 配信

安倍晋三首相がこの8月、戦後70年を機に出した「安倍談話」に流れる歴史観について、改めて考えてみる。それは歴史を、矛盾なく説明できるものなのか。




■司馬史観、一側面だけ利用 
成田龍一さん(日本女子大学教授)

 安倍談話の歴史観は、司馬遼太郎の歴史観と一見、近いものがあります。8月14日は韓国にいて、韓国の日本研究者たちと談話の発表を見ていたのですが、みんな「ああ、司馬だ!」と言いました。
 西洋諸国の植民地支配の中で、日本が近代化を進め、独立を守り抜いたという出発点や、日露戦争が近代化の達成点だということ。やがて日本が第1次世界大戦後につくられた新しい国際秩序に対する挑戦者になり、失敗したという見方もよく似ています。
 司馬史観の特徴は、国民国家という枠組みや価値観を肯定していることです。「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などでは、日本が国民国家化をなしとげたプロセスを1960~70年代初めの経済的繁栄の追求と重ねて描くことで、戦後日本の指針を示そうとした。
 ただ、そこには弱点もありました。司馬は、日本の近代化と国民国家化は成功だったが、その先で間違えたという二段階で考える。だが、近代化の過程で欧米とそっくりな国にしたために、日本は軍事的にも領土的にも拡大路線をとらざるをえなかった。司馬が成功と見なしたことが、実は失敗に直結していた。安倍談話も同じく二段階で捉えているから、司馬史観の弱点を引き継いでいるといえます。
 もう一つの弱点は、植民地の問題に視線が及んでいないことです。「坂の上の雲」には台湾や朝鮮の植民地化がほとんど出てこない。安倍談話も「植民地支配からの訣別(けつべつ)」は強調しても、誰が植民地化したのかには触れない。日本が加害者だという視点が希薄な点でも共通しています。
 ただ、忘れるべきでないのは、司馬の考えが時代によって変化していたことです。60年代には、国民国家にもとづく経済的繁栄こそが日本の進むべき道だと考えていた。それが80年代には、「菜の花の沖」で、高田屋嘉兵衛という商人が日本を超えてロシアと接触する姿を描いた。「韃靼(だったん)疾風録」では、長崎・平戸の武士が単身で明に渡り、多くの民族の中で、日本人としてのアイデンティティーが薄れていく様を描いた。
 つまり、司馬は単純に国民国家を肯定していただけの人ではなく、グローバル化の波の中で、国民国家の枠組みを超えていくことも考えていました。しかし、安倍談話はそうしたものは一切、採り入れていない。「坂の上の雲」の司馬しか見ず、司馬史観の一つの側面だけを安易に利用しているように見えます。
 東日本大震災の後、経済的繁栄とは違う新たな目標を誰もが求めた。60年代の司馬的な理念はそこで終わったはずですが、安倍談話は国民国家を立て直し、経済的繁栄を取り戻すという、司馬自身も80年代に捨てた夢を追っている。そこが決定的な問題だと思います。
 (聞き手・尾沢智史)

*成田龍一(なりたりゅういち):51年生まれ。専攻は近現代日本史。著書に「近現代日本史と歴史学」「戦後思想家としての司馬遼太郎」「司馬遼太郎の幕末・明治」など。

     ◇
■日露戦争「悲劇の始まり」 
李 元徳さん(韓国・国民大学教授)

 安倍談話には「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とあります。これは韓国の立場から見て、最も違和感を覚える部分です。
 日露戦争は朝鮮半島と満州の支配をめぐって争われ、日本がロシアを破った。日本は1905年に第2次日韓協約で韓国の外交権を握り、保護国にします。そして10年には韓国を併合し、植民地にしてしまう。日露戦争は、朝鮮半島からみれば勇気づけられたどころか、悲劇の始まりだったわけです。
 「独島(トクト)」(日本名・竹島)もそうです。日本は1905年2月、「竹島」を島根県に編入します。日本海でのロシアとの海戦を前に、独島が軍事的に価値があると判断したためで、韓国では日本による主権侵奪の最初の犠牲と受け止められている。日露戦争と独島、植民地化の問題はつながっているというのがいわば常識で、それに反しているから違和感が強いのです。
 韓国の歴史学者でも、当時の状況について、自己反省的な歴史認識を持っている人も多い。日本は近代国家づくりに成功したが、当時の朝鮮半島では近代的な文明を採り入れて改革すべきだという勢力と、守旧派による権力闘争が続いていました。それが外部勢力による侵略を招いたという側面は否定できない、という考え方です。ただ、だからといって、植民地化がやむを得なかったというわけではありません。
 95年の村山談話は「植民地支配と侵略」によって、「多大の損害と苦痛」を与えたことを認め、「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)び」を表明しました。2010年の併合100年に合わせて出された菅談話では、それがさらに明確に示されています。
 ところが、安倍談話では1931年の満州事変から、進むべき針路を誤ったとなっています。村山談話以降の日本政府の歴史認識を否定し、後戻りしたかのようです。一方で安倍談話は「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」としている。相矛盾する考え方で、どちらが安倍首相の本当の歴史認識なのか。
 朴槿恵(パククネ)大統領は「揺るぎない」という部分に注目して一定の評価をしましたが、それは日韓関係をこれ以上、悪くしないための戦略的な判断だったと思います。実際にはより、不信感は強くなったのではないでしょうか。
 私は安倍首相が韓国嫌いだとは思っていないし、韓国の重要性も理解していると思いますが、今回の談話には韓国に対する怒りも感じる。慰安婦問題などで極端に悪化した日韓関係の現状の反映かもしれません。「ポスト安倍」になれば、村山談話の歴史認識に戻れるのか。それが、大きな関心事です。
 (聞き手・東岡徹)

*李 元徳(イウォンドク):62年生まれ。2005年から韓国・国民大学日本学研究所長。韓国現代日本学会長、韓国外交省政策諮問委員も務める。

     ◇
■「内向き」脱し、広い視野を 
久保 亨さん(信州大学教授)

 日露戦争でアジアの小国がヨーロッパの大国に勝ったことは、インドやベトナムの民族運動指導者に確かに強い印象を与えました。しかし、日露戦争をその面だけから描くのは、あまりに日本中心の歴史観だといえます。
 例えば、勝敗の決め手の一つとなった1905年の奉天会戦は、日ロ合わせて60万人近い兵力がぶつかりました。戦場は中国の遼寧省。そこに住んでいた中国人たちは避難民になってしまった。
 戦争中に発生した避難民は計100万人以上とされ、当時の清朝政府の地方官は、誤射などの巻き添え被害で数百人以上が死亡したと記録しています。戦争で迷惑をかけたこのような歴史事実は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも触れられてはいません。
 安倍談話はまた、日本が「戦争への道を進んでいった」きっかけとして29年の世界恐慌を挙げました。その後の満州事変、国際連盟の脱退を経て、日本は全面戦争に向かったという見方です。
 しかし、これも正確ではありません。軍事力にものをいわせ、日本が中国で利権を手に入れようとした動きは、もっと早くに起きているからです。それらが結局、「戦争への道」を踏み固めていったと私は考えています。
 典型例は第1次大戦中の15年に、中国につきつけた「対華21カ条要求」です。
 最大の要求のひとつはドイツが山東半島で進めていた鉄道、鉱山開発などの権益継承でした。大戦に参戦した日本は敵国ドイツの青島(チンタオ)基地を5万人の兵力で攻略し、後釜になろうとした。要求は認められ、日本軍は青島に230ヘクタールの工場用地を造成しました。
 安倍談話の歴史観を一面的と言いました。ただ、中国の20世紀の歴史を全体的、客観的に捉えることは、実はいまもなお難しい。革命によって政権が3回変わった結果、自分たちが打倒した前政権の悪いところ、遅れた点を新政権が強調したためです。
 日本が侵略した国民党時代の欠陥を共産党政権は批判し続けました。侵略した日本は悪かったけれど、当時の中国もひどい状態だったという歴史観が日本で根強いのは、その影響かもしれません。侵略を合理化する歴史観からまだ脱しきれていないのです。
 実際には国民党時代も、「21カ条要求」を受けた中華民国北京政府の時代も、近代国家形成への努力がありました。そうした中国となぜ対等な協力関係を築けず、日本は侵略や戦争を起こしたか。
 それらを客観的に振り返るためには、日本中心の内向き歴史観を克服して、アジアの隣人とも共有できる、広い視野を備えた歴史観を持つことが不可欠です。首相だけではなく日本社会全体の、「戦後70年」後の課題でしょう。
 (聞き手・永持裕紀)

*久保 亨(くぼとおる):53年生まれ。専門は中国近現代史で、主に20世紀前半の社会経済史を研究。2013年から歴史研究者の全国学会「歴史学研究会」委員長。
 














安全保障と民主主義

2015年10月21日 15時04分49秒 | 社会・文化・政治・経済
(インタビュー)国際政治学者・石田淳さん

 


朝日新聞 2015年10月16日 配信

 国民の間に広がる反対を押し切って集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法制が成立した。来年3月までに施行される。抜け落ちていた議論は何だったのか。今後のかぎをにぎるのは「私たちの民主主義」だと指摘する国際政治の専門家、石田淳・東京大学教授に聞いた。


「歴史認識は、現在の価値観を映すとともに、将来のあり方も決定づける」=天田充佳撮影




 ――新しい安保法制をどう考えていますか。
  「まず、集団的自衛権の行使は内閣法制局による従来の憲法解釈を外れるので反対です。安全保障の根幹は国家として大切だと考えるものを守り抜くことです。その対象には、国民の生命、財産、領土だけではなく、憲法上の価値や理念も含まれる。安全保障のためとして、憲法をないがしろにしたのは皮肉なことでした」
 「安保法制を推進する立場の議論は、脅威の存在を所与のものと考える抑止論に偏っており、安全保障論を都合良くつまみぐいしたものです。欠けていた論点を考えることで、今後、どうすれば日本の安全を損なわずにすむかが、見えてくるはずです」
 ――つまみぐいとは?
 「安全保障は、『抑止』と『安心供与』の二つから成り立っています。前者は、現状を守るためには断固として武力を行使するぞ、と威嚇して現状の変更を思いとどまらせることです。後者は、こちらに不信の目を向ける勢力に対して、現状を守るため以外には武力を用いるつもりはないと約束し、不用意に挑発しないことです。相手国の不安をかきたてることなく、自国の不安を減らす。これが、本来の安全保障政策です」
 ――安保法制では、抑止力の強化しか議論していない、と。
 「戦後の日本の安全は、日米安保による抑止力のみで確保されてきたわけではありません。憲法9条の制約なしに戦後日本が再軍備していたら、アジアは緊張に満ちた地域になっていたでしょう」
 「(新しい法制は)専守防衛に徹してきた戦後日本の安全保障政策を大きく転換しました。周辺国に安心ではなく、むしろ、不安を与えることになりました。従来の首相談話を引き継ぐとする安倍談話も、誤解と不信を打ち消すシグナルとしては不十分でした」
 「安心供与は、お花畑の空論ではありません。軍備にせよ、同盟にせよ、それが防衛目的であることが相手国から見ても明らかかどうか。そこに知恵を絞るという非常に現実的な戦略です。タカに見える抑止論、ハトに見える安心供与論。安心供与なき抑止では安全は守れない。両方備えてこそ安全保障のリアリズムです」
     ■     ■
 ――タカもハトも飼う。では、安心供与の手段はなんですか。
 「多面的です。まず、自衛権の行使を必要最小限にとどめる法律の拘束力があること。そして、外交に民主的な統制がきく国だと周囲から理解されることが大切です。歴史修正主義も自制すること。敗戦国が歴史を書き換えようとしては、関係国はサンフランシスコ講和条約や東京裁判で固定したはずの戦後の現状への挑戦と受け止めますからね」
 ――自衛権行使へのしばりは安保法制で弱まった?
 「集団的自衛権による武力行使の範囲は、日本が支援する同盟国が自衛権をどう行使するかに左右されます。日本の場合、米国です。歴史を振り返ると、米国がベトナム戦争に本格的に介入するきっかけとなった1964年のトンキン湾事件から、2001年の同時多発テロ後のアフガニスタン攻撃などテロに対する武力行使まで、米国は自衛権を拡大解釈する傾向があります」
 「日本はどうかと言えば、安倍晋三首相は『日本は米国の武力行使に国際法上違法な武力行使として反対したことはありません』と国会で答弁しています。米国が自衛を掲げて乗り込む戦争に巻き込まれるリスクは高まりました」
 ――ただ、この法制の狙いはむしろ、米国を巻き込むことで、日本の安全を守りたいのでは。中国の軍拡こそ不安を与えるシグナルとなり、日本の安全保障環境の悪化が強調されました。
 「同盟の枠組みを日本に都合よく使えると考えるのは楽観的すぎます。日本は東アジアの危機への備えとして、米国は世界規模に展開する活動の補完として、それぞれ互いを期待しています。安保法制に対する双方の期待がそもそも食い違っていることは自覚しておく必要があります。同床異夢こそ、同盟の現実です」
 「また、日米が中国への不信から同盟を強化すれば、中国の側にも不安と不信が増す。相手の不安をかきたてずに自国の不安をぬぐいさることができない。安全保障のジレンマの典型です。中国の軍拡に根拠を与えるような行動をとっては緊張が高まるばかりです。日米同盟を強化するのであれば、非軍事では米国に同調せずとも何がやれるかを考えるべきです」
     ■     ■
 ――しかし、日本が安心感を与えようとしたら、日本は弱腰だぞ、御しやすい、と中国が受け止める恐れはありませんか。
 「中国との間では、維持したい状態が一致していないことが最大の問題です。中国はアヘン戦争から170年余、列強に半植民地化される前の原状を回復しているつもりでいます。領土紛争も彼らにとって、国権回収の文脈にあります。現状を不当と考える相手に、現状の変更を威嚇によって思いとどまらせる抑止政策は、容易には成功しません。互いの不信を増幅させないためには不断の努力が必要で、終わりはありません」
 ――それに、一党独裁の中国に、民主的統制は期待できないのではないですか。
 「中国の体制や内部の人々の意識を固定的に考えず、民主的な社会に変わるように促す努力も必要です。また、日本を見ているのは中国だけではない。例えば、韓国や北朝鮮が日本の『自制』をどう評価するかも重要です」
 「中国への不安は国連では対処できません。彼らが安全保障理事会の常任理事国として拒否権を持つからです。それだけに、東アジアでこそ多国間の協議の場が必要なのに、進まないのは残念です。特に韓国との協調が必須で、韓国との関係改善なしに中国や北朝鮮の脅威に備えようとするのは現実的ではない」
     ■     ■
 ――一方、日本は民主主義国家として、制度としての統制がきくのでは。
 「民主主義は政府と国会の中だけにあるものではありません。日々の人々の政治的な発言も含むものです。その意味で国会前の抗議デモも一部分といえる。国民が納得できる議論を必要とする国であることが、海外からみれば、日本は簡単に武力行使には踏み出さないという安心感につながります。情報公開や事後検証を厳しく求める国民を前にしては、軽々に戦争に踏み出したら政権すら失いかねず、そんなことはしないだろう、と思われるからです」
 「戦争は、非戦闘員も含む双方の国民の生命を奪い、人権を侵すものです。戦時のみならず平時においても、人間の権利を簡単に侵害できない国であることが、関係国の安心感につながります」
 「ただし、安全保障のコストを国民が感じなければ、政府の裁量の幅が膨張してしまう。たとえば、米軍基地が沖縄に集中し、負担と犠牲が局地化しています。原子力発電所の問題にも共通していますが、政策の負担が特定の地域の有権者に限られる場合には、監視や批判が広がりにくい」
 ――米国との関係で、自立した判断ができるかも心配です。
 「過去を振り返ると、日本が安全保障の分野で、米国を離れて独自に判断できたとは思えない。例えば、核兵器の日本への持ち込みについて、時の首相は『非核三原則』に基づき、米国との事前協議を通じて拒否権を確保しているので持ち込みはない、と断言していましたが、黙認する密約があった。イラク戦争についても、日本政府は仏独と異なり、米国に対して批判的な立場は取らなかった。イラク攻撃の根拠とされた大量破壊兵器が存在していなかったことが明らかになった後も、英国のような事後検証もしていません」
 「将来、国会が存立危機事態を認定して、集団的自衛権の行使を事前承認しようとするとき、政府は十分な情報を提供するでしょうか。仮に政府が情報を隠したり、うそをついたりして、国会の判断を誤らせた場合、政権与党は責任を問われ、野党に転落するのでしょうか。政府与党が権力を過信できない社会であることを示すことが、周辺国の不信を和らげる安心のメッセージとなるのです」
     *
 石田淳(いしだ あつし) 1962年生まれ。東大教授。リアリズムを踏まえた理想主義的な国際政治の論客として知られる故坂本義和東大名誉教授に学ぶ。
 
 ■取材を終えて:「タカ」を飼うだけでは安全は守れない。「ハト」の知恵と声は十全だろうか。安全保障環境の悪化にせよ、米国追従の外交にせよ、所与のものとせず、そうならない条件をどうつくるか。安保法制が成立したあとも、いや、成立したからこそ考えるべきことは多いと思った。「民主」の国のひとりとして。(編集委員・吉岡桂子)





△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      10月19日 10時 以降掲載

○ 大臣会見等

・平成27年10月16日付大臣会見概要
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=215169



┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━━━━┓

 「製薬企業からの医薬品の適正使用等に関するお知らせ」 ( 2015/10/20配信 )

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

本日、「製薬企業からの医薬品の適正使用等に関するお知らせ」のページに、
以下の情報を掲載いたしましたのでお知らせいたします。

酸化マグネシウムによる高マグネシウム血症について
(酸化マグネシウム製造販売会社各社)
http://www.pmda.go.jp/files/000207871.pdf

■本剤投与中に高マグネシウム血症を起こし、
重篤な転帰をたどった症例が多数報告されています。

■長期間投与している患者さん、腎障害を有する患者さんや高齢の患者さんでは
高マグネシウム血症を起こしやすくなっております。

■特に便秘症の患者さんでは、腎機能が正常な場合や通常用量以下の投与であっても、
高マグネシウム血症を起こし、重篤な転帰をたどる例が報告されています。

■本剤の投与に際しては、高マグネシウム血症の発症・重篤化防止、早期発見のため、
以下の事項にご留意ください。

・処方に際しては、必要最小限の使用にとどめてください。

・長期投与又は高齢者へ投与する場合には
定期的に血清マグネシウム濃度を測定するなど特に注意してください。

・嘔吐、徐脈、筋力低下、傾眠等の症状があらわれた場合には、
服用を中止し、直ちに受診するよう、患者さんにお伝えください。

※患者さん向けに自覚症状等を説明したリーフレットも掲載しておりますので、
ご活用ください。


(関連情報)「使用上の注意の改訂指示(医薬品)」発出のお知らせ
http://www.pmda.go.jp/safety/info-services/drugs/calling-attention/revision-of-precautions/0293.html














放送大学:政権批判の問題文削除 

2015年10月21日 15時00分46秒 | 社会・文化・政治・経済

「検閲」に無自覚
>

大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話

毎日新聞 2015年10月20日 東京朝刊

「放送大学が放送法との関係で微妙な立ち位置にあるのは確かだが、大学である以上、学問の自由や自治はある。また、放送法が定める公平性は、一つの番組ではなく、放送局の番組全体を見て担保されていればいいというのが定着した政府見解で、個々の試験問題まで公平性は要求されていないはずだ。社会問題を扱う科目では、教員のスタンスを切り離して考えることはできない。異議を唱える人もいるだろう。だが、問題文の特定の部分が不適切かどうかは、大学ではなく教員自身が考えるのが原則だ。大学側は、検閲的な行為をすることの危険性に無自覚なのではないか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

放送大学:政権批判の問題文削除 
単位認定「試験に不適切」――学生の苦情に反応

毎日新聞 2015年10月20日 東京朝刊
 今年7月に出された放送大学の単位認定試験問題を巡り、大学側が「現政権への批判が書かれていて不適切」として、試験後に学内サイトで問題を公開する際、該当部分を削除していたことが分かった。この部分は安全保障関連法案を念頭に置いたもので、当時は国会審議中だった。一般的に担当教員の裁量があるとされる単位認定試験に対し、今回の大学側の対応は論議を呼びそうだ。【日下部聡】
 この問題は、客員教授の佐藤康宏・東京大教授(60)=美術史=が、7月26日に670人が受けた「日本美術史」の1学期単位認定試験に出題した。画家が戦前・戦中に弾圧されたり、逆に戦争に協力したりした歴史を解説した文章から、画家名の誤りを見つける問題だった。
 問題視されたのは問題文の導入部5行。「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」などとあった。
 放送大は単位認定試験の過去問題と解答を学生ら関係者だけがアクセスできるサイトに公開している。佐藤氏によると、7月28日に大学の事務担当者から「学生から疑義があった」として、学内サイト公開前に問題の削除や修正を求められた。
 担当者から来たメールに添付された「学生からの疑義」には「現在審議が続いている事案に対して、このようなことをするのは問題」「思想誘導と取られかねない愚かな行為」などと書かれていた。
 大学側は、試験に対する質問を受け付ける学内のオンラインシステムに試験当日、1人の学生から苦情が寄せられたとしている。問題は事前に複数の専任教員による校正を受けたが、特に指摘はなかったという。
 佐藤氏が大学側の求めを拒むと、該当部分の削除を通告する文書が8月上旬、宮本みち子副学長名で届いた。削除理由として「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」と記されていた。
 これに対し佐藤氏は納得せず、昨年度から2019年度まで6年間の契約だった客員教授を今年度限りで辞めると大学側に伝えた。佐藤氏は「学生に美術史を自分のこととしてリアルに考えてほしかったので、この文を入れた」と説明した。その上で「大学は面倒を恐れて先回りした。そういう自主規制が一番怖い」と話す。
 放送大の来生 新(きすぎ しん)副学長は「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い、放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した」と話した。
 放送法4条は放送局に対し「政治的に公平である」「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことを求めている。

 ◇放送大学:文部科学、総務両省所管の特別な学校法人が運営する通信制大学で、1983年に設立された。授業は主にテレビ、ラジオ、インターネットの番組で行われるが、単位認定試験は全国各地の大学施設で行われる。今年度の学生数は大学・大学院合わせて約8万9000人。

今年は救済制度特設サイトのトップページをリニューアル

2015年10月21日 14時56分53秒 | 医科・歯科・介護
┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━━━┓

メディナビにご登録いただいている医療関係者の皆様へ ( 2015/10/19 配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

日頃よりPMDA業務にご理解、ご協力いただき大変ありがとうございます。
今年も医薬品副作用被害救済制度集中広報の時期となりました。
今年は救済制度特設サイトのトップページをリニューアルし、CM放映内容の動画視聴が可能となっています。
特設サイトには救済制度について患者の皆様方にお伝えいただきたい内容のページも用意していますので、医療関係者の皆様からも是非患者の皆様に制度のご案内を頂ければ幸いです。

救済制度特設サイト
http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai_camp/index.html

医療関係者の皆様へ
http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai_camp/general04.html


------------------------------------------------------------------------
PMDA(医薬品医療機器総合機構)健康被害救済部企画管理課
・健康被害救済制度ホームページ
 http://www.pmda.go.jp/relief-services/index.html
・救済制度のご相談は
 kyufu@pmda.go.jp

怒りを魚釣りで紛らわせていた

2015年10月21日 06時42分08秒 | 日記・断片
写真:小掘地区と古利根の光景

昨日は、久しぶりに「小掘(おおほり)の渡し」で船に乗る。
高齢者は無料。
昔、取手付近で利根川は今よりも南側に大きく蛇行していた。
明治の末、国はこの地域を水害から守るために川の流れを直線に変えた。
そして新たに堤防を築く大改修工事を行った。
工事は大正9年に完成したが、利根の流れは様相を変え、それまで取手側に位置していた井野村小掘地区は新しい川道の南側へ分断された。
川で分断されたのだから交通・生活に不便をきたした。
そこで小掘地区の村民は、工事に先立つ大正3年、自分たちの手で渡し舟の運行を始めた。
渡しは100年の歴史となった。
渡し舟は昭和42年には取手町営となった。
そして、平成11年に取手市営の小掘循環バスが開始するまで、小学生、中学生の通学や地域住民の日常生活の足として活躍した。
以上の説明は船のスピーカーから流れてきた。
当時の川幅は約70㍍。
現在、川幅は240㍍に広げられた。
渡しは上、中、下の3箇所あった。
思えば渡し舟に乗ったのは釣りに行った時代。
55歳で日本歯科新聞社をリストラになって日々、怒りに燃えながら釣りをしていたのだ。
年齢がネックとなって再就職はままならない。
怒りを魚釣りで紛らわせていた。
当方は、株主の意向で次期社長の可能性があっただけに、立場的に自尊心も傷ついていた。
ところが、当時の社長は6年間も株主総会を開かなかった。
創業者で会長・主筆の当方の恩人の横田眞次郎さんが抗議したが、社長はそれを黙殺し続けた。
その創業者の横田さんは戦前、産経新聞社の満州総局長だった。
早稲田大学でロシア文学を学んだ知識人・エリート。
学生時代は共産党員でもあり官憲を逃れ1930年代にはドイツに滞在していた。
昨日、渡し舟に乗って、悶々とした日々を悪夢のように思い出した。


















美里の「夢馬券」

2015年10月20日 10時26分26秒 | 創作欄
艶やかなピンクのトックリのセーターは美里自身が編み上げたものだ。
彼女はワンレグの髪をアップにしており、23歳の年齢より大人びて見えた。
人妻のような色っぽさも漂わせていた。
ポニーテールの美里を授業中に後ろの席から見ながら、ノートにボールペンで描いたこともあった。
「相変わらず、競馬やっているの?」コーヒーカップを手にしながら聞く。
徹は黙って頷いた。
「損ばかりしているのね」上眼となって尋ねる。
「運がないんだ」徹は自嘲気味に言葉を返した。
そして緑のソーダー水を飲む。
徹はコーヒーが苦手であった。
メランコリーな気分になるコーヒーは彼にとっては禁忌である。
ハチ公の像がある広場の通りの向かい側の喫茶店で待ち合わせをするのが2人は常であった。
「まだ、彼女できないの?」美里は何時もの嫌味を言うのだ。
「彼女?目の前にいるじゃないか」徹はマジである。
「私はダメ、彼氏がいるでしょ」突き放される。
先日は「これから、成田へ行こうか?」と美里唐突に言う。
「成田、危ないよ」徹は腰が引けた。
「成田闘争を一度、見て置きたいの」美里はマジである。
「それじゃ、鎌倉にしよう」
「俺は、競馬に行きたいんだ」
「競馬か?一度行ってみようか」美里が乗り気になったのが意外であった。
財布に5000円しかない徹は、渋谷の場外馬券場へ行こうと思っていたのだ。
だが、美里は「府中競馬場へ行ってみたい」と言うのだ。
「お金あまり持っていないんでしょ。交通費なら私が出すわ」美里の鋭い感覚に、徹は冷笑を禁じ得なかった。
「これでは恋いにならない」徹は心の内でつぶやく。
渋谷駅から井の頭線で明大前まで行き、京王線に乗り換えた。
二人が通っていた高校が下高井戸にあった。
昼の時間には、三井牧場で寝転んで2人で空を仰いだことがある。
「徹君は詩人になるの?」
「できればね」
「お金持ちにはなれないね」徹は、美里は高校生のくせに現実的な娘だと呆れた。
下高井戸を電車が通過した時に美里は「沢村さんは、どうしているかな?」と窓に目を転じた。
美里が恋いした先輩である。
府中駅から競馬場まで2人は歩いた。
府中図書館に勤めている同期生の本間悟のことが思い出された。
「そうなの、本間君は図書館にいるんだ。本好きだったから良かったわね」美里は彫刻が好きで、彫刻家の息子の本間に敬意を抱いていた。
「これが競馬場なのね!」美里は、想像以上に広々とした馬場にまず感嘆した。
そしてメインスタンドより内馬場の方へ行きたがった。
「女の子、以外に多いのね。競馬場ってオッサンばかりと思っていた」美里は認識を新たにしたようであった。
美里は冬枯れに近い内馬場の広場の上を走った。
「まだ、美里速く走れるじゃん」徹は美里のきれいな走りに今更、驚いた。
「陸上の練習のこと、思い出すな」美里は2、3回ランを繰り返した。
高校総体で400㍍に美里は出場し、3位であった。
徹はビールを飲む。
美里はコーラーを飲んだ。
7レース、8レースは馬券を買わずにレースを見た。
9レースは岡部騎手が乗った馬が人気となり、本命サイドで決まった。
徹はそれを2000円買っていた。
配当は480円であった。
次の10レースでは5000円失ってしまった。
それでもメインレースの資金は残っていた。
徹はリーディングジョッキーに期待して馬券を買った。
一方、美里はスポーツ新聞の「夢馬券」のコラムに注目した。
夢はあくまで夢で大穴の予想である。
「私のこの馬に賭けてみようかな?」8枠の一番の人気薄馬である。
同じ8枠の別の馬も人気薄であった。
美里は8枠のゾロ目の馬券を買ってから、徹に「他にどの馬を買うべきなの?」と意見を求めた。
「2枠と3枠の馬かな」5連勝中の馬と前回のレースで圧勝した馬を勧めた。
美里は一番人気薄の単勝馬券も買っていた。
さらに複勝馬券があることを知って、その人気薄の馬にも賭けていた。
結果は、夢馬券が実現する大波乱となったのだ。
そして、美里は実に57万円を払い戻したのだ。
「徹君、こんなことがあるのね。夢のようね。信じられない!」美里は興奮し頬を紅潮させ、肩で息をしていた。
「徹君に半分あげる」と言う。
「いいよ。気持ちだけで」と断ったが、美里は7万円を徹のスーツのポケットに入れた。
美里は医師の彼氏を思い出して、「彼が来月、アメリカの学会へ行くので私、彼に着いて行こうかな」と興奮が冷めやらないなかで言う。
徹は少し寂しい気持ちになったが、美里の親友の奈緒にアタックしようと決意を新たにした。






















numata727 さんが 2014年10月19日 に書かれた記事をお届けします

2015年10月20日 10時04分15秒 | 【お知らせ】
numata727 さんが 2014年10月19日 に書かれた記事をお届けします。

行方市 霞ヶ浦の帆引き船

font color="green">いばらき魅力再発見かつての風物詩 観光用にワカサギ漁やシラウオ漁に活躍し「かつての風物詩」と言われた霞ヶ浦の帆引き船。しかし、動力船を使ったトロール漁に取り変わられ、伝統漁はいつしか姿を消す。行方市は1994年、水辺の賑わいを取り戻すシンボルとして、観光帆引き船事業を開始...
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取手の人々

スナック「絆」は午後1時から6時まではカラオケ店であり、午後7時から午後12時まではスナックになる。銀司は午後2時に「絆」姿を見せた。1000円で歌い放題、コーヒが出る。アルコール類は別途料金である。常連の男性は3人ほど、女性客は7、8人である。夫婦で来る客もいる。「いいわね。旦那さんが居て」と倉持美沙子が、...
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利根輪太郎のコーナだいぶ前の話であるが同僚の米山さんが「競馬や競輪はやらないね。外れて“ちくしょう”という気持ちなるでしょ。あれがいやなんで、賭けごとはやらなくない」と言う。年の瀬、有馬記念が迫っていた。それは、昭和53年ころであった。同僚の中野さんは、パチンコは負け知らず。さらに、競輪も負け知らずであった。...
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衣服に火、高齢者に集中 



厚着の季節、増す危険 広い袖は注意/「防炎」エプロンも朝日新聞 電子版10月11日 配信ガスコンロなどの火が衣服に燃え移る火災が後を絶ちません。「着衣着火」と呼ばれており、2013年は全国で121人が亡くなりました。高齢者の事故が目立ち、東京都は先月、注意点をまとめて公表しました。 総務省消防庁によると、火災...
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医療に理解ある厚労相、舛添氏がトップ

直近10年間、「いない」との回答も6割 ◆Vol.3 m3.com 10月17日(金) 医療維新:池田宏之(m3.com編集部) ________________________________________■Doctors Community10周年 注目トピックスと10年後の医療 アンケート直近10年...
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「医薬品リスク管理計画(RMP)について」のページを更新

┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━┓ 医薬品リスク管理計画の掲載のお知らせ ( 2014/10/17 配信) ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━...
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すき家と吉野家「歴史的和解

牛丼戦争の転機 ――“ニュースこう読む” 日経 電子版 10月16日 配信(編集委員 中村直文) 外食業界でこの夏、ちょっと驚く出来事があった。犬猿の仲とされた吉野家ホールディングスの安部修仁会長とすき家を運営するゼンショーホールディングスの小川賢太郎社長が和解したというのだ。2社の歴史を振り返ると、外食産業...
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エボラ出血熱 国内検査に懸念

危険ウイルス扱えず、感染判断は困難毎日新聞社 2014年10月16日(木) 配信  エボラ出血熱への対策が国際的な課題となっているにもかかわらず、日本では感染が疑われる患者が見つかってもウイルスを調べる体制が整っておらず、確実な診断ができないことに懸念が広がっている。危険性が高いウイルスを扱う能力を備えた施...
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医療機関の消費税問題

「来年10月の解決難しい」、消費税問題で自民・野田氏「医師報酬」の明確化求める声も、議連開催 m3.com 2014年10月15日(水) 医療維新:レポート 池田宏之(m3.com編集部)  350人以上の自民党議員で組織する「国民医療を守る議員の会」(会長:高村正彦副総裁)は10月15日に総会を開いて、控除...
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大病院の紹介なし初診、「5000円」で抑制

社会保障審議会健保法改正、保険給付を減らすか否かが焦点 m3.com2  10月16日(木)  医療維新:レポート 橋本佳子(m3.com編集長)  社会保障審議会医療保険部会(部会長:遠藤久夫・学習院大学経済学部教授)は10月15日の会議で、紹介状なしで大病院を受診する場合の患者負担の在り方について議論、...
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エボラ国内確認なら…新型インフル用国産薬投与

読売新聞 2014年10月16日(木) 配信 西アフリカを中心にしたエボラ出血熱の感染拡大を受けて、厚生労働省は、国内で感染者が確認された際に、新型インフルエンザ治療薬「アビガン錠」の投与を認める方針を固めた。 アビガン錠はエボラ出血熱の治療薬としては未承認のため、患者を受け入れる指定医療機関での臨床研究と...
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エボラの未承認治療容認、世界医師会決議

m3.com 10月16日(木)  配信 池田宏之(m3.com編集部) 世界医師会の総会が10月8日から11日にかけて、南アフリカ共和国のダーバンにおいて開かれ、アフリカだけでなく欧米に感染が広がっているエボラウイルス出血熱について、「資源の不足や、医療時従事者らの感染対策訓練の不足で、大流行を制御するこ...
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景気動向・カジノ法案――問題解決における成功要因を考える

■大前研一ニュースの視点 より ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━8月の景気動向指数 前月比1.4pt低下カジノ法案迷走 日経新聞-------------------------------------------------------------▼ ついに、アベノ...
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カジノ法案:論議本格化 


経済期待…治安は? 今国会成立は不透明毎日新聞 2014年10月17日 東京朝刊 カジノ解禁の是非を巡る論議がにわかに盛り上がっている。超党派の「国際観光産業振興議員連盟」は16日、先の通常国会で継続審議になった議員立法「統合型リゾート(IR)整備推進法案」(カジノ法案)について、日本人の入場に一定の制限を設...
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日本人の長寿を支える「健康な食事」のあり方

〜「健康な食事」の基準と、その普及のためのマークの策定〜厚生労働省は、この度、『日本人の長寿を支える「健康な食事」のあり方に関する検討会』(座長:中村丁次神奈川県立保健福祉大学学長)の報告書を取りまとめましたので、公表します。 本検討会は、日本人の長寿を支える「健康な食事」とは何かを明らかにし、その目安を提示...
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第6回社会保障審議会福祉部会 資料



平成26年10月16日(木)18:00〜20:00厚生労働省 省議室(東京都千代田区霞が関1−2−2 中央合同庁舎第5号館9階) ○議事次第•議事次第(PDF:31KB) ○委員名簿•委員名簿(PDF:71KB) ○資料1•業務運営・財務運営の在り方について(PDF:...
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昭和50年代を回顧

2015年10月20日 05時56分18秒 | 創作欄
写真:10月桜(井野天満宮)


茨城県牛久のカーテン屋さんをみんなが社長と呼んでいた。
彼の実家は福島県白河の和菓子屋である。
「商売人の息子だからね。商売は向いているんだ。サラリーマンの経験は約3年だったね。新宿のデパートの外商部に居たけど、自分で商売をすることにしたんだ。色々商売はやったな」
トラック運転手の真田孝蔵は、自衛隊を5年やって除隊していた。
納豆屋の萩野克史は競輪場の選手宿舎に納豆を納入していた。
元タクシーの運転手の宮坂虎治は年金生活であり、時々頼まれて仏壇屋のアルバイトをしていた。
仏壇屋のオヤジの倉持信一は若い頃は、ヤクザであり背中に刺青を入れていた。
利根川で砂利を採集している大野真は文字通りのヨーロッパ男であった。
競輪の車検は必ず4、6、8を絡ませるのだ。
彼らは決って正面スタンドの2階にたむろしていた。
利根輪太郎は「希望の星」を自認していた。
彼らは帰りにタクシーでスナック「エイト」か「ロード」に行っていた。
競輪仲間の溜まり場であり、競輪選手も顔を見せることがある。
彼らのウイスキーのボトルが置いてあるのだ。
「坂本勉のボトルだな」止まり木に座り萩野克史が顎で示す。
坂本選手はオリンピックで銅メダルを獲得し、競輪選手となったのだ。
彼の兄も競輪選手であった。
武藤八郎選手はハンサムで歌が上手かったので女にもてた。
だが、選手としては1流にはなれないでいた。
ビルを建てた堅実な競輪選手もいた。
昭和50年代、取手駅前の祇園横丁という一画に、如何わしい店をあり、輪太郎は酔わされてカネを10万円ほど女から抜き取られた。
ヤクザの情婦がやっていた店だった。
「驚いた。貯金通帳も持ち歩いているよ」と若い女の桃子が言うので目覚めた。
睡眠薬でも入れられたようであった。
輪太郎はその日、200万円ほど競輪で儲けたので、普段は足を踏み入れない祇園横丁に来たのだ。
桃子は以前、キャバレー「桃山」で見かけたので、輪太郎は桃子と呼んでいたが、桃子が勤める「三つ葉のクローバー」がヤクザ絡みの店とは思わなかった。
因みに武藤八郎選手は若くして亡くなった。
輪太郎は牛久のカーテン屋さんと取手駅前の居酒屋で飲みながら、昭和50年代を回顧した。
思えば生きているのは、彼と輪太郎だけとなっていた。




























高齢化を極めた田舎に若者たちが流入

2015年10月20日 03時17分44秒 | 社会・文化・政治・経済
★国土交通省は、国民生活に密接に関係する幅広い分野を担当します。
公明党は現場の声をしっかりと受け止めて、それを政策に反映していく、一番現場に近い、生活者感覚に近い政党です。
この公明党の持ち味を十分に発揮していくたいと思います。
国交省は約6万人の職員が全国各地の現場で働き。まさに現場力や総合力を最大の特徴とする省庁ですので、私がリーダーシップをしっかり発揮していきます。
国交相・石井啓一衆議院議員(公明党)
★ダムや橋、道路など暮らしを支えるインフラ(社会資本)施設を観光資源として見学する「インフラツーリズム」に注目が集まっている。
普段できない体験が好評。
★田園回帰-幸せで美しい人生を送る日本人増やせ
高齢化を極めた田舎に、若者たちが流入。
30代の若い世代が流れ込み、4歳以下の子どもの数が増えている集落が増えている。
新たな展開に希望がある。
★朝顔がまだ咲いている。
特に目立つのは、取手一高の元菜園近く。
昔は生徒たちが育てた野菜を売りに来たものだ。
井野天満宮の下でもある。
朝顔のつぼみは、開花する前日の夕方、暗くなりはじめると、時を刻む。
そして、約10時間後に、開花するそうだ。
★10月桜も井野天満宮で咲いていた。
一般の桜は、開花する前年の7、8月頃につぼみができる。
そのつぼみは「越冬芽」という硬い芽の中に包み込まれ、秋には咲かない仕掛けなのだ。
桜は秋の初めに冬が来るのが、なぜがわかるのか?
葉が夜の長さをはかるそうだ。
葉がアブシシン酸という物質をつくり、芽に送り、芽はそれを受けて越冬芽をつくる。
春になると、まず越冬芽が目覚めて、開花の準備が整えられる。
冬の寒さを感じることが必要。
寒さを感じることで、アブシシン酸が分解され消失する。
その状態を、つぼみが「目覚める」といい、次の段階として、暖かい気温のなかでようやく開花、となる。

















イベントに参加してほしいものだ

2015年10月19日 07時31分15秒 | 日記・断片
昨日の会合で司会者となったので、茨城県取手市と千葉県印西市との交流について報告出来なかった。
取手市企画のバス旅行では、取手の藤井市長が見送りに来て挨拶し、バスは午前9時に印西市へ向かった。
印西市に到着すると、印西市の市長が出迎え、歓迎の挨拶をした。
また印西市観光協会の会長も挨拶。
舟での川めぐりで白鳥があれほど多く見られたとは感動した。
八重洲地区の方も市のイベントに参加してほしいものだ。
出初式、凧揚げ大会、ひな祭り、夏祭り(八坂神社)、取手花火、灯ろう流し、町内会の祭り・カラオケ大会、駅前の祭り(愛宕神社)・カラオケ大会、文化祭、産業祭など。
文化・芸術交流、地域活性化、文化・講演会などのイベントも。





























難病克服の体験談にも感動

2015年10月19日 06時52分07秒 | 日記・断片
昨日の地元・取手の八重洲地区の会合では、友人の田島さん(仮名)のマイストリーが聞けた。
故郷、岩手の御両親や兄弟、姉妹の幸福のために行動し、実現した話には感動した。
家族のことを思いやる田島さんの優しい心情がマイストリーに込められていた。
人のために行動し、尽くせることは素晴らしい!
毎回、どのたかのマイストリーを聞くことができるので楽しみのコーナーだ。
また、仕事で欠席したお二人のビデオメッセージの企画、脚色、演出には驚かされた。
2日間で製作したそうだが、ビデオメッセージはプロの領域に達していた。
歌のコーナーでも八重洲バージョンの企画・映像をバックに全員で合唱。
「歌わず、画面をみていたいほどですね」と会合に招き、久しぶりに出席していただいた関川さん(仮名)が感嘆していた。
また、関川さん(仮名)の難病克服の体験談にも感動した。
終わって何時ものとおりお茶会。
栗ご飯をいただく。








家人の記憶力

2015年10月19日 05時38分26秒 | 日記・断片
成田山へ行ったのは約2年ぶりであった。
箱根駅伝の応援のあとに川崎太師へ行く。
大田区に住んでいた子どものころは、毎年、川崎太師へ初詣に行っていた。
その帰りに家人が「今度は成田へも行ってみよう」と言うのだ。
春になってその年に成田へ行き、川豊のウナギを食べた。
成田参道で一番混んでいるウナギ屋だった。
閑散とした店もあり、同じウナギの店でも大きな格差があることを知る。
今回のバス旅行では、昼にソバとミニ天ぷら丼を食べたので、ウナギの匂いを嗅いでも食欲は湧いてこなかった。
また、家人が成田の地酒屋のある場所と前回甘酒を飲んだ店を覚えていたことに関心した。
「頭がいいの」と家人は言う。
家人の記憶力で言えば、プロ野球のセ・リーグ、パ・リーグの大半の選手について記憶している。
阪神の応援で、横浜、神宮、東京ドーム、千葉マリン、西武などへ行ったが、その試合の相手投手を記憶していた。
特に負け試合では、誰にホームランを撃たれ、誰(投手)に抑えられたのかを記憶していた。
当方は双眼鏡を覗いて、外野席やベンチの様子を見たり、酒を飲んで周囲の様子を見ている。
「野球の試合に少しも集中しないで、何しに来の?!」と家人に指摘される。
息子も感心するが「よく選手知っているね。女の人でおふくろほど選手に詳しい人はいないな」と。























自ら新しい自己を造ることは偉大な事業

2015年10月18日 22時28分37秒 | 医科・歯科・介護
★蔭の力に徹する役割もある。
表面的な真面目さではなく、生き方そのものが真面目。
哲学をもつこととは、何かに徹することだ。
★夢を諦めない信念と使命を貫く決意の力で、生き方そのものを磨く。
★広岡浅子は60歳を超えるまで、青年に苦言を呈するだけだった。
だが、「その誤りを悟ってから」は「自分も若い人々とともに進もう、死ぬまでともに進んで止まない態度をもって、わが人格を築きたいと願うようになりました」と述懐した。
★自ら新しい自己を造ることは偉大な事業-作家・幸田露伴
★「治安が悪くなった」その原因は?
「地域社会の連帯意識が希薄となったから」
周囲に無関心な人が多く、近所に住む人と挨拶を交わさない、顔も名前もわからないという地域では、不審者がいても気付かず、声掛け運動も難しい。
★「防災や防犯、環境改善や相互扶助も、地域の人と人が心を通わせるなかで、初めて可能になる」
★「民衆のにぎやかな歌声のあるところに、自由があり、躍動がある。
音楽には強制はない。
文化に暴力はない。
すべて人間性の開花につながる」
★音楽に代表される文化があってこそ、真の人間主義の道が開かれ、世界の平和が構築sれていく。