人の命の重みと尊さ

2016年09月24日 22時40分00秒 | 社会・文化・政治・経済
★沖縄県・米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる初の司法判断は、国の主張を全面的に認めたものとなった。
日米関係について、判決は「日米間の信頼関係の破壊、国際社会からの信頼喪失」になる、とまで決めつけた。
★司法は国を守る立場とも言える。
公害問題にそれが如実に表れている。
国の過失など司法は認めない立場なのだ。
★毎日新聞9月15日の槙允翼さんの「相模原殺傷 私の視点」の訴えに強い衝撃を受け、覚醒させられたような気持になった。
ご自身も重度の障害を持っておられる槙さんは、今回の事件での警察による匿名発表を、障害者の立場に立って論じ、批判されていた。
今回、犠牲者は「命のみならず名前も顔も奪われた」と槙さんは指摘している。
この指摘は、私の心の奥に潜んでいた偏見にも深く突き刺さった。
こうした不条理を、私は今まで「正義」の視座から評論家のように批判してきたことに気付いた。
良かれと思っていたことでも、思慮が浅かったと反省している。
「誰ものが自由に生きる社会を実現するために力を尽くしたい」という槙さんの勇気ある訴えによって、私も人の命の重みと尊さを、改めて教えられたような気がする。
無職 藤田修三さん(70)静岡市葵区)
毎日新聞「みんなの広場」を毎日楽しみに読んでいる。
とても参考になるのだ。

人を恋して時は

2016年09月24日 12時30分45秒 | 創作欄
人恋しい時は
年重ねても心は若くいたいものだね
どんな言葉が黄昏ときに似うのか
幸になれるものなのに君は拒み続ける

人を恋して時は
年重ねても心は熱くいたいものだね
どんな言葉が川の流れに似うのか
ささやかな希望求めて共に道行く

人を恋して時は
年重ねても青さ残していたいものだね
どんな言葉が奏でる曲に似うのか
温かく豊かな心で明日を夢見る

遅かった性の初体験

2016年09月23日 18時59分57秒 | 創作欄
徹が就職活動のために初めて濃紺のスーツを仕立てたのは、昭和41年の年であった。
母親はずっと家政婦の仕事をしており、泊まりがけの日も少なくなかった。
東京・千代田区麹町の呉服屋にも派遣され、住み込みで働いていた。
そのなある日、40代前半を思われる御婦人が世田谷区用賀の借家に訪ねてきた。
「お母さんに頼まれて来ました。よろしいでしょうか?」
「頼まれた?何を?」徹は若い女性に全く縁がなかったが、この中年女性に気が許せそうに思われた。
「背広の寸法を測りに」相手は玄関のガラスドの戸口で逡巡しているような素振りに映じた。
「背広?」
「そうです。時間はそれほどかかりません。よろしいでしょうか?」
徹は一歩退くようにして「どうぞ」と相手を招き入れた。
借家は6畳と4畳半に土間の台所の間取り。
10月半ばであり、家は午後4時を回りすでに薄暗かった。
羞じらう気持ちで裸電球を徹が灯した。
家の前の道は多摩丘陵に続く林の道であり、300㍍ほど行くと尼寺があった。
徹は訪れて来て、沢田美知恵と名乗る女性が尼さんの一人にどこか似ているように思った。
「どのような事情があって、尼になったのだろうか?」文学青年であった徹は想像を膨らませた。
沢田と徹の母親の関係は分からない。
沢田は初めに徹のウエストを計った。
「ウエスト68cm?細いのですね」沢田が驚きの声を上げた。
その声は、ハスキーでしかも甘く耳障りが良く徹が憧れていた北玲子に似ていた。
徹は声に敏感な質であった。
悪性の母親の声に子どもの頃からウンザリしていた。
そして、中学時代から合唱団に所属していた姉の声に魅力を感じていた。
声変わりする前の徹の声は、姉の声に似ていたのである。
だが、その声が段々、母親の声に似てきたのだ。
「沢田さん、素敵な声をしているんですね」徹は言ってしまってから耳を赤くした。
「私の声ですか?!」沢田は心外な表情をした。
徹は気まずい気持ちとなっていた。
話題を変えねばと気持ちが焦った。
「徹さんとお呼びしていいでしょうか?」
「はい」段々、沢田に主導権を握られるような予感がしてきた。
「お母さんに似て、素敵ですよ。女の人に持てるでしょう」
沢田は跪いた姿勢で徹の顔を仰視した。
「それが、全然なんです。なぜでしょうね」徹は自分の心を他人に表出したことをむしろ怪しんだ。
「お好みの望みが高いのですね」沢田は弾みであろうか、ズボンの上から徹のペニスの脇側に指を滑らすようにした。
性体験のない徹であったが、快感が走った。
沢田は何食わぬ顔で、股下の寸法を再度計った。
そして、今度は膨らみかけた徹のペニスに頬を寄せていた。
「若いんですね。いいですよ。遠慮しなくて・・・」

生命の尊さを目の当たりにできる場所

2016年09月23日 13時14分38秒 | 医科・歯科・介護
★児童発達支援センター
「一人一人の障害特性を理解して関わっていくことが、子どもの成長に必ず通じます」
宮崎明美院長
作業療法士に道に入り40年のベテラン。
保育士たちと協力し、子どもたちと真剣に向き合う日々。
子どもたちは遊びや食事などの取り組みを通して、日常生活や集団行動の経験を重ね、自分ができることを増やす。
これを目標にしている。
宮崎さんや担任のもとには、保護者から、さまざまな悩みが寄せられる。
障害がある子どもへの関わり方はじめ、他のきょうだいへの接し方や成人後への不安。
また、夫の理解が得られず孤独感に陥っている場合もある。
母親たちが勇気を出して相談してくれたその思いに応えようと、じっと耳を耳を傾ける宮崎さん。
なかには、子どもの障害は、自分のせいではないかと感じてしまっている人も。
「そうじゃない。この子は命の大切さを伝えたくて、生まれてきたんだから。誰のせいでもないんよ」と包み込むように語る。
「この子が“生まれてきてよかった”とお母さんが思ってくれるように、お母さんが“この子と出会ってよかった”と言えるように、一緒に前を向いていきましょう」
宮崎さんにも障害のある弟がいた。
難産の末に誕生した7歳下の弟は、重度の脳性まひで寝たきり。
人はなぜ生まれながらに幸不幸の差があるんか。
弟が入園している施設でリハビリテーションの場面を目にしたことが、将来の夢を具体的にするきっかけになった。
東京の専門学校を卒業後、、都内の心身障害総合医療療育センターに作業療法士として働き始めた。
9年間、肢体不自由児等の作業療法を担当した後、故郷・岡山の社会福祉法人へ移った。
心掛けたのは治療を受ける子どもだけでなく、付き添っている母親にも積極的に声掛けを行うこと。
作業療法の時間は、週1回40分。
それ以外の長い時間を共に過ごしているほは母親や家族たち。
最も身近にいる人が元気にならなければ、子どもにも伝わってしまうという思いから、母たちの支えになりたい!と。
そうした姿勢が評価につながったのだろう。
児童発達支援センターの園長の辞令を受けた。
長年歩んできた医療の分野から福祉の道へ。
長女の妙美さんは、米国・ネバダ州立大学で音楽を専攻。
現在は、同じ社会福祉法人で、肢体不自由児の生活支援を行う。
得意の音楽生かして、施設内でオーケストラをつくり、技術指導、コンサート運営に携わっている。
「母は、私に小さい頃からいつも、人に尽くす人生を教えてくれました。私も困難があっても、勇気の一歩を踏み出す生き方を貫いていきたい」
障害のあるなしではない。
日々成長していく生命の尊さを目の当たりにできるこの場所で、お母さん方と共に、さらに成長していきたいと思います」
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相模原殺傷事件

障害者が一方的に「社会的弱者」として位置づけられている。
障害者を社会的弱者と位置づける点は容疑者と通じるものがある。
「保護する対象か「殺害の対象」か、両者の考えは真逆だ。
上から目線で「社会的弱者」とレッテルを貼っていることに違いはない。
健常者から「守べき存在」とされている。
あるいは公にすべきではない存在、存在そのものを隠す対象とされる。
警察による被害者の匿名発表。
なぜ匿名なのか?
生命次元の問題である。
つまり「生命」をどのようにとえるかである。

沼田利根

創作欄 「村八分」1)

2016年09月23日 08時05分07秒 | 創作欄
2012年12 月 8日 (土曜日)

『雄弁は銀、沈黙は金』
雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのは さらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。

物言えば唇寒し秋の風 松尾芭蕉の句である。
余計なことを言うと、それが原因となって災いを招くという意味である。
人の短所を言ったあとは、むなしい気分になることから転じているそだ。
「男はだまって・・・」の日本的な父親像をよしとしていた徹だが、沈黙できない質であった。
そのため、不本意にもしばしば人との軋轢ができてしまった。
徹自身が自己分析すると、自分は何かに拘泥するタイプであるが、いい加減な性格でもあった。
性格は粘着質のようでもあり、蛋白でもあるので、言わば両極端である。
それは父親と母親の遺伝子だと言えばもっともらしい解釈だった。
徹は12月8日には、格別な思いがあった。
挫折感からそろそろ方向転換をする時期に来ていると思ったのである。
いわゆるピンチはチャンスとも考えた。
「捨てる神あれば拾う神あり」
世の中はうまく出来ていて、見捨てる人がいれば助けてくれる人 もいる。
悪いことばかりではないよという意味を徹は実感していた。
「自分の居場所が、必ず何処かにあるはず」と希望を抱いたのだ。
歯科関係の出版社の1社であるO社の社長と徹は懇意にしていた。
社長のOさんは元高校の教師であった。
実は徹は教師に成り損ねていた。
そこで、徹はOさんに親近感を抱いた。
徹は大学で国文科を選んだが、Oさんも国文科卒であり、高校では国語の教師だった。
一方、徹は国文科なのに体育の教師を目指した。
何故、志向が体育の教師であったのかと言えば、教師として向いていると思ったからだ。
では始らか国文科ではなく体育科へ進学すれなよかったのだが、徹には詩人の道も残して置きたかったのだ。
徹は自分の過去を重ねて、Oさんに関心をもったのだ。
なぜ、元高等学校の国語教師が歯科の出版社に関わったのかと・・・

この心秘め

2016年09月23日 07時50分30秒 | 創作欄
なぜあの人を好きになったの
鏡に向かい問いかけて涙ポロポロ
この心秘め口紅をひく
明日の旅立ち伸ばせたら
この街を捨てて行けたら

不思議なほどの出会いだったの
日記に記す乙女のように
この心秘めペン走らせる
旅館の枕濡らすばかりね
あの街は遠くなるばかり

5年経ったらまた逢いたいと
男の身勝手聞き流したの
この心秘め古都の鐘聞く
新たな職場も慣れ親しんで
あの街は戻るすべない


社会変革のために

2016年09月22日 14時06分33秒 | 社会・文化・政治・経済
★心の問題
自分も台風で被災したことで「被災者の気持ちを知った」
「苦難に立ち向かう心の真価を教えられた」と前向きな姿勢。
★「ああここにおれの進む道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう」夏目漱石
★必ず嵐の時がある。
苦難の中で自身を鍛え、宿命を使命に変えゆく中で、成長と充実があるのだろう」
★社会変革のために、絶えず自身を向上させるのだ。
★この瞬間をよく生きることだけに全力を傾けよ―トルストイ

人類を結ぶ共生の智慧

2016年09月22日 12時10分43秒 | 社会・文化・政治・経済
★本物の決意には、緻密な計画と行動が伴っている。
それがないというのは、夢物語を口にしているにすぎない。
懸命な努力、真剣な祈り、そこに困難の壁を打ち破る要諦がある。
★求道の心に集い、仏法の話しを聴き、語り合う。
★「女成仏」を明かした法華経。
★無慈悲の自分を乗り越えて「人間革命」の戦いを。
★「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
★「人間は自己の人格をとおして、他人にできるかぎりの影響をあたえるのであり、青年は青年にたいしてもっと強くはたらきかける」ゲーテ
★青年と青年の触発こそ、最も純粋な作用をもたらし、世紀に活気を与え、蘇生させる力がある。
★「人間革命」とい人格錬磨の実践を貫く青年たち。
★「信心は、年数ではなく、勇気である」
信仰は最極の勇気、人間変革の原動力となる。
★なぜ、我らの実践には喜びと感動があるのか。
「人間の世界は絶えず完成へ向かっている。そしてその完成の意識が人間にとって最良の喜びとなっており、またその完成に参加しうることによって、その喜びはますます増大するのである」トルストイ
★全人類の平和と幸福のために、勇んで自らの現実の課題に挑みつつ、人間共和の大理想を目指して進む。
これこそトルストイが願った人間の世界「完成」の実像ではないか。
★生きる希望を奪い取るような病や障害にも断じて屈しない。
★人間は誰もが生きたしるしを刻んでいく。
★私は、どんなに前途が多難であろうとも、新しい世界が要求する新しい知恵は早くから遅かれ学びとられることを確信する」英国の哲学者・ラッセル
★今、人類を結ぶ共生の智慧が求められている。

「生命尊厳の世紀」の実現へ

2016年09月22日 11時28分00秒 | 社会・文化・政治・経済
医学者も哲学を身につける必要がある。
その哲学は人間らしい生き方を教えるものだ。
根底に人間の尊厳、生きることの尊さを教える仏法の哲学が不可欠だ。
目の前の「一人」に同苦し、尽くす「慈悲の医学」の体現者を目指し奮闘する。
自身の境涯を高める日々の宗教活動に励み、自らの生命を錬練する。
4月の熊本地震の救護活動でも、「社会・地域の『信頼の灯台』に」のモットーの精神をいかんなく発揮した。
「生命尊厳の世紀」の実現へ、先頭を走る医師たち。

自分の枠を破ることから始まる

2016年09月22日 08時20分41秒 | 社会・文化・政治・経済
★フィリピンのデ・ラ・サール大学は戦時中、日本軍によって教職員が虐殺された。
慰霊碑に刻まれいる事実。
★詩人・童話作家の宮沢賢治は生前無名に近かった。
農業指導者で作家の松田甚次郎は賢治の弟子として編者となり「宮沢賢治名作集」を刊行、大いに売れ賢治の名声が定着した。
賢治は37歳、松田は35歳で生涯が燃え尽きた。
★全国に約820万戸あるといわれる空き家。
定住・移住へ空き家を提供。
「若者定住応援住宅」
いなか暮らし支援住宅」として提供。
★企業内保育所、企業主導型保育事業。
保育所を職場の最寄り駅近くや住宅街にも設置。
★新しい仕事は自分の枠を破ることから始まる。
★正しく行動するなら不当な非難など恐れるな―哲人・ヒルティ

夢の続き

2016年09月21日 17時43分44秒 | 創作欄
このままで終わりませんと
決意する君の笑顔が輝いて
明日へ向かって共に見る
希望の夢の続きを語る
利根の川面も光輝く

今日よりは明日に期待と
前向きの君の笑顔が輝いて
酒場の隅に共に居る
振り返る人生もある
酒に流して歌も奏でる

坂のある街が好みと
手をつなぐ君の温もり
もう二度と出会えぬ君の
面影を忍ぶ坂道を行く
夕陽が沈む白壁続く

思想や宗教に対する民衆の「無知」

2016年09月21日 16時41分13秒 | 医科・歯科・介護
鎌倉時代、多くの民衆は、安易に法然ら僧の言葉に従ってしまった。
当時の浄土宗に限らず、人々を不幸にする誤った教えが最大に広まっていた。
その最大の原因は、思想や宗教に対する民衆の「無知」であった。
日蓮聖人の行動は、人々の「無知」を打ち破り、民衆を賢く導くことであった。
当時の権力者にとって、民衆が「無知」な方が支配しやすかったのだ。
つまり日蓮大聖人は民衆を「覚醒」させるために、厳しく誤った宗教を糾弾したのだ。
大聖人の慈悲の精神を見逃すことができない。
「本物の信仰者になれ!」これが慈悲である。
社会変革と言っても、一人の人間革命から全てはじまる。
大聖人が眼目としたのは「人間の革命」であった。
その意味で卓越した21世紀に通用する宗教であった。

強制わいせつの東大生

2016年09月21日 14時54分52秒 | 医科・歯科・介護
5月11日、日本の最高学府である東京大学に通うエリート学生が、女子大生に「強制わいせつ」を働いたとして、警視庁に逮捕された。

「逮捕者は5人出ましたが、その主犯格とされるのが松見です。松見は泥酔させて連れ込んだ一人の女子大生の服を脱がせて胸を触った上、カップラーメンを頭からかけるといった、恥辱的行為まで働いたようです。

女子大生は必死に逃げ出し、110番通報。駆けつけた警視庁・巣鴨署の警官によって、まず松見が逮捕され、女子大生の供述により、残りの4人も19日に逮捕された」(全国紙社会部記者)

東京・豊島区内のマンションに女子大生を連れ込み胸を触ったとして、東大工学部4年の松見謙佑(22)ら5人の東大生・東大大学院生が強制わいせつ容疑で逮捕された。5月26日発売の「週刊新潮」が、その卑劣な犯行の一部始終を報じる。

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 逮捕されたのは、「東大誕生日研究会」なるインカレサークルの主要メンバーら。逮捕された東大生らが性交や乱痴気騒ぎをすることを目的に今年4月に設立した、いわゆる“ヤリサー”である。主犯格の松見らは、5月10日に池袋の大衆居酒屋で飲み会を行った後、メンバーの自宅マンションに21歳の女子大生を連れ込んで犯行に及んだ。

「最後には松見は女子大生の局部にドライヤーで熱風を浴びせかけ、それに耐えかねた女子大生はTシャツとズボンを着て泣きながら部屋を飛び出した」(同)

 警察官が駆けつけた部屋には、彼女のブラジャーが残っていたという……。取るものもとりあえず、いかに必死の思いで逃げ出したかがうかがえる。

***
 
「週刊新潮」5月26日発売号では、逮捕された“バカ東大生”の学歴一覧と共に、その素顔を加害者家族らへの取材で明らかにする。事件の1カ月前にも、彼らは同じマンションの部屋で女性の服を剥ぎ取り、無理矢理シャワーを浴びさせようとしていた。

2016年6月2日号 掲載 ※この記事の内容は掲載当時のものです


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人々から称賛される人材へ

「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候(そうらい)けるぞ」日蓮大聖人

仏法とは人間の生き方を説いたものであり、現実の人間や社会を離れて仏法ない。

人生の敗北者になってはならない。
「世の中には三種類の人間がいる」
「いてもらいたい人」
「いてもいなくてもどちらでもいい人」
「いては困る人」
人々から信頼され、尊敬され、好かれ、期待される人になる。
社会、職場、地域で必要とされる人材へ

“目標”は明確に

2016年09月21日 14時34分29秒 | 社会・文化・政治・経済
★日ごろ口にする言葉は、他者だけでなく自分にも影響を与え、行動に表れてくる。
多くの場合、その言葉は否定的なものだ。
★言葉はまさに行動の第一歩。
★僅かな時間でも有益な事に使える―哲人・ヒルティ
★自分には果たすべき使命がある。
“目標”は明確に。
★親は、どこまでも子どもたちの可能性を信じることだ。
★去年よりも今年、昨日よりも今日、まず、自分自身が、前進することだ。
★人間は、今の自分自身を乗り越えて、より強い自分へ、何ものにも負けない自身へと成長できるはず。

パソコンの修理補修会

2016年09月21日 14時15分00秒 | 日記・断片
官公庁・大企業で余剰となった
ノートパソコンをお譲りします

こんなチラシを見て、取手・常陽銀行の裏のナガタニビルへ行く。

ご自宅のパソコン修理補修会
専門技術者が診断し、ご希望があれば安価で補修を行います。

午後1時へ行く。
結局、メモリーは1GBで容量も少ない。
修理するより買ったらどうか、メモリー2GB2万8000円、3GB3万8000円で買えると勧められる。
4GBなどハード容量の大きい機種は4~7万円台であった。
金もないので、当分 今の自宅のパソコンで我慢することにした。
ところで、今日は老人会の打ち合わせであったが、昨日、連絡ををいただいのに、パソコンの修理補修会のことで、忘れた。
「忘れるなんて、日程、メモしたら」と家人に言われる。
駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで帰る。
家人は日本ソバ屋へ行くが当方は、朝食が遅かったので、食べる気がしなかった。