創作欄 真田の人生 おわり

2016年09月20日 20時45分56秒 | 創作欄
2014年3 月13日 (木曜日)
創作欄 真田の人生 おわり
金がすべてはないが、金で解決できることもある。
金に困ると人は犯罪者にもなりかねない。
一番安易なのは、人を殺してまで金を奪うことだ。
奪った金はわずか500円。
財布には500円しか入っていなかったのである。
「500円?! 日当にもならん。この19歳の若者は無期懲役だろう」
真田は新聞の3面記事を読んで暗澹たる気持ちになった。
「愛と慈悲」について真田は考え、図書館で宗教関係の本を探し読んでみた。
さらに「最高の善とは何か?」と考え哲学書も読んでみた。
金儲けと博打などに生活の大半を注いできた真田には、心の栄養が不足していた。
思えば映画もほとんど見なかった。
ましてや元音楽教師でありながら歌劇やコンサートとは無縁な生活を送ってきた。
真田は取手音楽クラブの創設を思い立った。
音楽で取手の街を活性化する。
取手交響楽団が誕生したらそれを経済的に支える。
あるいは多くの著名で優れた音楽家や楽団を取手に招聘する。
真田は「最高の善」は、人に感動を与えることだとと思った。
木村は割烹「きむら」で再スタートしていた。
「さんざお世話になったマスターに俺の料理を食べてもらって、こんなに嬉しいことはない」
木村の顔は温和で端正になっていた。
人間は生きがい、やりがいがあれば蘇生するのもだ。
初子も紆余曲折があったが、木村の元へ戻っていた。
「私、家へ戻れない」と初子が言うので、しばらくみどりに託した。
「マスターの頼みだもの、しばらく初子さんをあずかるわ」
姉御肌のみどりは快く初子を受け入れた。
そして半年後、木村が初子を迎えに行き心のわだかまりが解けた。
「家へ戻れる資格はないのだけれど、許してもらえるなら・・・」
「一度、死んだも同然の俺だ。何もかもマスターのおかげだ。帰ってきてくれ」
木村は畳に頭をこすりつけるようにした。
「初子さん良かったわね。いい旦那さんなのだから、大切にしてね」みどりは初子の背中を押すようにした。




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2014年3 月12日 (水曜日)
創作欄 真田の人生
人を如何に励ますことができるか?
真田は思いを巡らせた。
あるいは生命をダイナミックに変革していく方途はあるのか?
死に神に取り憑かれたような虚無的な木村哲夫が、生きていくためには、夢と希望、生きがい、やりがいなどが不可欠だ。
木村に期待されるのは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」であった。
兄に請われて、割烹料理店の板前から建築業へ転身したことが、木村の人生や生活の歯車を狂わせた。
「もう一度、木村が板前に戻ればいいのだ」と真田は思いついたのだ。
同時に家を出た木村の妻初子を呼び戻さねばならないと決意し、的屋の小島健作と交渉した。 料亭「高島」に小島は舎弟の近藤進を連れてやってきた。
小島は浴衣姿であった。
「マスターなんの用かい?」 席に着くなり小島は上目で睨むように切り出した。
「まあ、食事をしながらのことだ」真田は仲居に鰻重と刺身の盛り合わせなどを注文した。
それにビールを頼んだ。
「どうなの? 商売の方は?」穏やかな口調で問いかけた。
「ボチボチだね。マスターのような才覚が無いんで、肉体で稼いでいるよ」
舎弟の近藤はかしこまって正座のままだ。
「かたい、席ではないのだから、楽にしなさい」と真田は促したが近藤は膝を崩さなかった。 注がれたビールを小島は一気に飲み干した。
「マスターのことは競輪仲間にも聞いているが、凄いギャンブラーなんだね。この店は冷えていいや。外は暑いな。露天商は本当のところ肉体労働なんだ」小島はニヤリとしたが目は笑っていない。
「冬は寒くて大変だね」
「そう、寒くてな、でも焼き鳥だから、暖は取れるがね」 小島が真田にビールを注いた時、右手の上部の刺青が見えた。
小島は早食いであり、真田が鰻重を半分食べているともう食べ終わっていた。
ビールの後は酒にした。
小島は熱燗であり、真田と近藤は常温で日本酒を飲んだ。
真田は人づてに小島が多額の借金をしていることを聞いていた。
そこで切り出したのだ。 「初子のことだが、家へ帰してやってくれ。場合によっては手切れ金を出す」
「マスター、手切れ金。本気なのかい?」小島は頬を緩めた。
そして舎弟の近藤へ目をやった。 「証人もここにいるんだが、手切れ金をよこすんだね」
「そうしても、いいんだ」真田は穏やかに言った。
「この俺もマスターには、かなねい。わかった」と小島は承諾した。
真田は麻のスーツから財布を取り出し、小切手を小島に示した。
「500万円?! マスター、こんなにいただいて、いいの」 小島は近藤を見ながら目を丸くした。


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<参考>
的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。
祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内や参道、門前町において屋台や露店で出店。
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レジリエンス(resilience)は「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。
心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。
「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。
元々はストレス (stress) とともに物理学の用語であった。
ストレスは「外力による歪み」を意味し、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め、精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い。
1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた。

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2014年3 月11日 (火曜日)
創作欄 真田の人生
生きることへの明確な意思と目的、そして新しい視点をもつ必要がある。
真田は死に囚われ人の心の病を想ってみた。
人は多くの困難を抱えているが、それを何とか乗り越えて生きてきている。
つまり、日々の厳しい現実の生活に流されているが、それ相応に何とか対応して生きている。
木村哲夫に欠如しているのは、他者を思いやる温かい心情であったと真田には思われた。
的屋の小島に誑かされ、夫と子どもを棄て家を出た初子の姿を夫の木村に見せる。
それは木村にとっては酷であったが、現実逃避の木村へのカンフル剤になると想われたのである。
「愛しているなら女房を取り返せ」真田は木村の背中を押したのである。
木村は取手に在住してから喫茶店「たまりば」、スナック「みどり」、幼稚園「ひまわり」、古本屋「本の町」、旅行代理店「世界は友」などを経営した。
さらに木村のために割烹料理店「きむら」のオープンを構想していた。
戦後の闇取引や不動産取引、株の運用などで当時10億円余を得た真田は、何とか在住した取手の活性化を念じていたので、その構想の中で木村の立場も活かしたいと念じていたのだ。
的屋の小島の女となった初子は、八坂神社の祭で露天で焼き鳥を焼いていた。
「初子」と木村は声をかけた。
初子は木村が声をかけたことに動揺したそぶりを見せない。
したたかな女に変貌していた。
木村の腰は引けていた。
そこで真田は微笑みかけた。
「初子さん、今は幸せかい?」 初子は真田の問いかけに明らかに動揺した。
「真田さん、それ以上聞かないで!」 初子は露骨に嫌な表情を浮かべた。
真田は木村の背中を押して促した。
「初子、家へ戻ってくれ」 木村の声は弱く震えていた。
「初子さん、後は心配ない。私が話をつけるからね!」
真田は言葉に力を込めたのであるが、初子は木村の力量を信じていなかった。

http://www.youtube.com/watch?v=PW7FZxMrl_M



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2014年3 月10日 (月曜日)
創作欄 真田の人生
自殺したいと思う人は、視野狭窄に陥った人でもある。
「自分以外に目を向けてこそ人は刺激や生きがいを感じるはずだ」と真田は思った。
八坂神社の祭に木村を誘ったのは、木村の妻の初子の姿を見せる意味もあった。
的屋(露天商)の女になった初子の姿を真田は度々目撃していた。
それは取手競輪場内であった。
JR取手駅東口を降りて直進、30m程先を右折した通りが「大師通り」である。
ここは、古刹「長禅寺」の門前通りとして古くから人が往来した通りだ。
駅から歩いて2、3分の距離に位置するこの通りは、昭和の時代には駅前商店街として大変賑わいをみせた通りであったあった。
取手に一時在住した作家・坂口安吾と所縁があるの海老屋酒店も大師通りに現存する。
大師通りは漬物屋の新六と地酒の田中酒造が並ぶ旧水戸街道へ続く。
この旧水戸街道と平行するのが新道である。
八坂神社の祭は新道を交通止めにして屋台が店を連ねていた。
木村の妻の初子は屋台で焼き鳥を焼いていた。
昭和20年生まれの初子はこの年、29歳であった。
初子は8歳の息子を置いて家を出ていた。
31歳の木村は的屋である40歳の小島健作に女房を寝取られた身であった。
小島は脇で的屋仲間と談笑していたが、真田と目を合わせると逃げるように姿を隠した。
「初子を家へ帰せ」と真田に言われていたのである。
戦後の闇社会にも身を置いた真田は60歳に近い年代であったが、威圧感のある存在であったのだ。
真田は競輪場では、マスターとか社長と呼ばれコーチ屋や飲み屋、ヤクザ者たちからも一目置かれている存在であった。
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<参考>
コーチ屋とは:
「次のレースは○○がくるぞ!間違いない!!相手はコレとコレや!しっかり儲けてや!」と声をかける。
コーチ屋の予想が的中すると「おい!ナンボほど買うてん?教えてやったんやから半分よこせや!」となる。

ノミ屋(ノミや)とは:

日本に於ける公営競技などを利用して私設の投票所を開設している者のことである。
また、その行為を「ノミ(呑み)行為」と言う。 



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創作欄 取手の人々

2016年09月20日 20時43分05秒 | 創作欄
創作欄
2014年3 月27日 (木曜日)
創作欄 取手の人々
1年遅れであるが、人生の完全燃焼へ向かって、一歩を踏み出そうと徹は想った。
奇しくも茨城県取手市の住民となって20年余、愛着も湧いてきた。
あの頃、徹は大学の友人に相談を持ちかけいた。
「田中、嫁さんの実家が近いことが、そもそも問題だな」
徹の愚痴を聞いて友人の木島孝司は指摘した。
2人は酒を飲まないので、常に会えば喫茶店で懇談していた。
木島は紅茶で徹はソーダー水である。
子どもの頃から緑色が好きな徹は、緑色のジーパン姿である。
「緑のジーパンか」と木島は呆れた顔をした。
徹のバックも緑色であった。
「雇用促進住宅を田中に斡旋するよ」
「雇用促進住宅?」
「労働省の外郭団体の雇用促進事業団の住宅なんんだ」
「つまり、木島が勤務する労働省の傘下団体なんだね」
「そう。普通は容易に入居できない。倍率は30倍以上。家賃が安いんで入居希望者が殺到している」
「それで、その雇用促進住宅を木島が斡旋してくれるんだ。有難い」
「船橋と取手に空きがある。どちらにする」
「船橋がいいな」
徹は競馬好きなので船橋を選らんだ。
「船橋は築15年、古い。取手は築2年、まだ新しい。瞳さんに聞いてみたら」
木島は瞳の性格を知っていたので促した。
徹は頭が上がらない妻の瞳の意見も聞くことにした。
惚れた弱みを徹は引きずっていた。
「かかあ天下」になるなと木島が予測していたとおりに、妻の瞳が家庭の実権を握っていたのだ。
男4人兄弟の家庭の一人娘であった瞳は、3人姉妹の家庭の一人息子として育った徹より、性格が勝っていたのだ。
結局、瞳が選んだ取手市内の雇用促進住宅に入居したのは、徹が28歳、瞳が24歳の年であった。

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2014年3 月24日 (月曜日)
創作欄 取手の人々
長男の忠則は何時ものように、足をバタバタ鳴らすように2階の部屋から階段を下りてきた。
次男の健児は忠則とは対照的で猫のように足音も立てず階段を下りる性質であった。
だから父親の信夫は長男を「バタバタ息子」次男「ネコ息子」と幼児のころから揶揄していた。 階段を勢いよく下ってきた忠則は玄関内に角刈りで眼光の鋭い男たちが立っているので度肝を抜かれた。
気が小さい性格であったので、友だちには小学生のころからいじめられてきた。
忠則は相手が暴力団の男たちだと思い、自分に何かトラブルはあったかを瞬時に頭を巡らせた。
一人の男が一歩前へ出て紙面て取り出し「浅生忠則だね。逮捕状が出ている。逮捕容疑は婦女暴行だ。逮捕す。被害者は2人。加害者は浅生忠則、長田健作、田辺次郎の3名。千葉県警松戸署に連行する」
忠則は被害者の名前を捜査員から聞かされて数か月前のことを思い出した。
「あれが婦女暴行なのか?!」
母親の早苗は覆面パトカーに息子が押し込めれる瞬間、母親の顔にすがりつくような視線を送る息子に「バカ」と叫びながら平手打ちを食らわせた。
早苗は夫が勤務する東京・日本橋本町の医薬品卸会社に電話をかけた。
「あんた、今日は早く帰ってきて、大きな声は出さないで聞いてね。いいわね」
夫の信夫は「何事なんだ」と声を潜めるように聞く。
電話を受けた三田慶子は怪訝な顔をしていた。
信夫の妻が会社に電話をかけてきたのは初めてであったので「何かがあったのだ」と思って聞き耳を立てていた。
実は信夫と慶子は不倫関係にあったのだ。
信夫は43歳、慶子は30歳であった。
「先ほどね。忠則が千葉の松戸警察に連れれていかれた。婦女暴行容疑だって・・・」
早苗は涙声になっていた。
「ええ!?」と信夫を声を発しながら思わず慶子の顔を見詰めた。
慶子は信夫の視線を避けるようにして書類に目を落とした。
この日の夜は金曜日、信夫は慶子と銀座に食事に行くことを約束していたのだ。
愛人関係にあるとは言え、家庭内のことは慶子には伝えれないと信夫は思った。
2人は社内ではプライベートのことは筆談を交わしていた。
「奥さんからの電話、妬けるわ」
「バカ、そんなこと書くな。今夜の約束、延期してくれ」
「理由は?」
「言えない。分かってくれ」
「仕方ないわね」 物分かりのいい女であるので、不倫関係は5年も続いていたのだ。


投稿情報: 07:07 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2014年3 月20日 (木曜日)
創作欄 取手の人々
大田修の従弟の浅生忠則が婦女暴行の容疑で逮捕されたことが新聞の片隅に載った。
いわゆる1段記事の小さな扱いであった。
狭い取手市内のことであるから、近隣の噂となり世間が知ることとなった。
幸い叔母の息子であり、浅生姓であった。
大田姓であったら兄が経営する「大田歯科」にも多少は影響が及んだであろう。
忠則は大学生で19歳、小学校時代の仲良し3人組みで18歳の少女2人をホテルに連れ込み婦女暴行した容疑で逮捕されたのだ。
新聞を読んで、大田修はこの事件に疑念を抱いた。
3人は午前1時ころ伝言ダイヤルで少女2人を呼び出し、車に引きずる込み込み犯行に及んだ。
伝言ダイヤルでは自分は1人だと浅田忠則が偽り、2人を安心させた。
だが、車内には土木作業員の長田健作、無職の田辺次郎(いずれも19歳)が待機していて2人を威嚇しながらホテルへ連れ込んだとされる。
犯行が行われたのは取手市内ではなく、松戸市内のホテルであるので浅生忠則ら3人は松戸警察署に逮捕されていた。
母性本能の強い叔母の早苗は、逮捕された息子を不憫に思い目を泣く腫らしていた。
「あの子に限って、婦女暴行なんかするわけないの。とても優しい子だから」
早苗は甥の大田修にすがり着くように訴えた。
修は忠則が幼児のころこら弟のように可愛がっていたのだ。
「叔母さん、気持ちは分かるよ。忠則が婦女暴行などするわけだない。何かの間違いだよ」
修は叔母を慰めた。
叔母は「時々、家の周囲に車が停まっていて、何だろう」と想っていたそうだ。
それまで警察が珍重に内偵していたようだ。
そして5月の末に6人の捜査員が突然、自宅にやってきた。
母親の早苗は暴力団がやってきたと思い驚愕して玄関の扉を開けたのだった。
「お母さんだね。忠則さん、家に居るよね。呼んで!」威圧するような口調だった。
「何か?」早苗は言葉を飲み込み後ずさりした。
外から半開きのドアを1人の男が強引に引き開けた。
「息子、居るんだろ。早く呼んで」
角刈りの体格のよい男が素早く玄関内に足を踏み入れる。
「忠則、忠則、直ぐに下りて来て!」
早苗は2階へ向かって悲鳴に近い声を放った。
早苗は息子が暴力団と何らかのトラブルを起こしたものと思い込み、恐怖心から気が動転した。
その時、忠則は2階でエロビデオを観ていた。





投稿情報: 09:34 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2014年3 月18日 (火曜日)
創作欄 取手の人々
人生をどうのうに捉えるのか?
肯定か否定か、確信か不信かで自ずと結果は大きく分かれるはずだ、と大田は気付いたのだ。
大田の高校時代の友人の倉持勉が、26歳で網膜色素変性症で失明した。
倉持は調理師になっていたが、失明してから水戸の盲学校へ入学し、3年後、「あん摩マッサージ指圧」の国家試験に合格し、取手市内に治療院を開いていた。
大田はその年の冬の大雪の雪かきで腰を痛め、倉持の治療院に通った。
「大田、お前の腰の治療をするとは思わなかったな。まあ、俺に任してくれ」倉持の声は確信に満ちていた。
「俺も、倉持の治療を受けるとはな。人生色々あるな」大田はどこか引け目を感じていた。
「俺は、目が見えなくなって、人の声に敏感になった。大田元気がないな、どうしたんだ?悩みでもあるのか?そうなら話してくれ。胸の内を明かすことで気持ちは楽になるもんだよ」
倉持は治療の手を止めた。
「最近、ツキに見放されてな。競馬で15連敗もしている」大田は自嘲気味に言った。
「競馬か、俺も調理師時代は取手競輪に通ったが、競輪は難しいな」倉持の指に力がこもった。
大田は取手に在住していたが、競輪場へ足を踏み入れたことはなかった。
「賭け事にのめり込むのは業のようなものだと、俺は失明して思った」
「業か、そうに違いない」大田は苦笑を浮かべた。
「大田、俺は思うんだが人生はどう生きるか、それで決まる。俺は失明したことは悪くなかったと今は思えるんだ」
倉持の言葉は確信に満ちているように力強かった。
「大田、何かに挑戦することに意味がある。そう思わないか?」
大田は沈黙して聞いていた。
治療の効果で腰の痛みが和らいでいた。
「倉持、なかなかの腕前ではないか。ありがとう。だいぶ腰が楽になった」
大田は心から率直に感謝して治療院を出た。
そして中山競馬場へ向かった。
新松戸から武蔵野線に乗り換えると車内はかなり込んでいた。
競馬人口の多さは競輪ファンの比ではなかった。
大田は船橋法典駅から競馬場へ続く長い通路の中で、気持ちが何時もと違うような高揚感を覚えていた。

投稿情報: 21:19 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
創作欄 取手の人々
大田修は広告代理店の営業や印刷会社の営業などをしてきた。
あるいは小さな出版社の営業もしてきた。
上司から編集の仕事を打診されたこともあったが、文章を読むことや書くことが苦手なので断った。
ただ、世の中には自費でも本を出したい人が以外に多く、大田は依頼者の相談に乗りながら、ゴーストライターと顧客の間を繋げてきた。
ゴーストライターの一人である木嶋孝介とは同じ競馬好きであることから、意気投合して土日には競馬場へ通ったものだ。
木嶋は元は経済雑誌の記者であったが、株のインサイダー取引に関与したことで解雇された過去を持つ。
重要事実の公表直前の売買、売り要因の重要事実を知っての買付け、買い要因の重要事実を知っての売付け、あるいはスクープ記事・憶測記事などで株価に多少の影響を与えたこともあった。
木嶋は酒を飲まされ、知人などに情報を流していたのだ。
自分にはまとまった金がないので、株で儲けた人間からおこぼれを貰ってきた。
木嶋は東京・中野に住んでいたので、大田は終電を逃すと木嶋のアパートに度々泊めて貰っていた。
上野発取手行きの最終電車は24時20分であり、新宿で飲むことが多かったので木嶋のお世話になっていた。
二人はいわゆるサラ金に手を出してまで競馬をしていた。
初めは10万円を借りて儲けて、直ぐに返済したこともあったが、そうとばかりは限らない。
大田は借金が200万円に膨らん時には、どうにもならなくなり母親の千代に泣きついたのだ。
「利子ばかり、毎月払っているんだね。バカバカしい。一括で返済するんだね。これはお前のために積んだ郵便貯金だよ。大事にしな」と通帳とハンコを出した。
太田は通帳を見て目を見張った。
500万円も積まれていたのだ。
結局、親バカであることが裏目に出た。
懲りない大田は今度は300万円の借金をしていた。
また、母親に泣きついたのである。
今度は300万円を抱えた母親が街の金融機関に同行し、「2度と息子に金を貸さないようにしてくださいね」と頭を下げた。
2年後に母親が急性心筋梗塞で亡くなった。
60歳の若さであった。
大田は「親不孝」だったと葬儀の場では反省したが、さらに3年後、500万円の借金をしていた。
大田は結婚もせず32歳になっていた。
兄の勇治は歯科大学の附属病院に勤務していたが、取手駅近くのビルで矯正専門医として開業していた。
勇治の妻智子は同期生であり、小児と一般歯科をやっていた。
父親も息子の修に甘かったのである。
「競馬で金儲けなど考えるな。俺の不動産業を手伝わんか。これはお前に渡す最後の金だ」 銀行の通帳と印鑑をよこす。
そこには1500万円が積まれていた。
大田は初めて父親に謝罪し「2度と競馬はしません」と念書まで自ら書いたのだ。
兄の勇治が以前「親父、おふくろさんも修に甘い。何時までも修は頼り切るだろう。金は老後のために取っておけよ。修の借金の尻拭いはよしたらどうか」と諌めたことが大田の脳裏に浮かんだ。


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2014年3 月14日 (金曜日)
創作欄 取手の人々
昨年4月以降、新しい方向へ踏み出そうと大田修は想っていた。
だが、不本意な条件で仕事を継続することとなった。
相手は大田にとって恩義ある人であった。
「人間の道として忘恩の人間にだけはなるまい」と決意してこれまで生きてきた。
当然、育てもらった親に対する恩もある。
大田は借金を重ねて、度々親の援助を受けてきた。
兄の勇治は「親父、おふくろさんも修に甘い。何時までも修は頼り切るだろう。金は老後のために取っておけよ。修の借金の尻拭いはよしたらどうか」と諌めた。
「お前は私立の歯科大学を出た。それなりに金をかけた。修は高卒でそれほど金をかけなかったから、300万円、500万円の借金は仕方ない」不動産業の父親は修をかばう。
「修の借金は競輪や競馬だろう。ドブに金を捨てるようなもんだ。親父もそろそろ修を突き放せよ。あいつはそうしないと一人前の人間になれない」
勇治はそろそろ開業を考えていたので、開業資金の一部を当てにしていた。
「親父、どせなら生きた金を使うべきだ」と自分の思惑に誘導する。
父の豪は茨城県取手市の農家の3男に生まれたが、農業高校を卒業すると東京に働きに出た。
だが、昭和40年代になって、取手市も大きく変わっていく。
多くの田圃や畑が公団住宅や市営住宅、民間住宅に変わっていく。
豪の実家の農地も宅地造成に組み込まれ、長男は土地成金になっていた。
豪は東京の町工場の工員に見切りをつけ不動産業に転身した。
豪は地縁などを生かして不動産業で成功を修めた。

愚かであってはいけない

2016年09月20日 12時57分57秒 | 社会・文化・政治・経済
★太陽が輝く限り、希望もまた輝く―詩人・シラー
★2016年1月~6月の振り込め詐欺など特殊詐欺の被害額は約198億円。
犯罪の標的になりやすい独り暮らしの高齢者。
防止対策は?
「セキュリティ型信託」の販売に力をいれている三井住友信託銀行。
親族の同意がなければ引き出せない引き出せない仕組み。
★学問も、芸術も、スポーツも、一流の次元には、たゆまぬ価値創造のためのリズムがある。
★多くの基礎を重ねた中でした、人の心を動かすような演奏、演技、競技はできない。
どの分野でも地道な鍛練の積み重ねが不可欠。
★愚かであってはいけない。
自分の生活において、どうしたら一番いい方向へ開けるか、はっきり見えてこなかればならない。
★自分のことだけでなく、一家の未来、地域の未来、社会の未来まで洞察しける「智慧の目」を身につけることだ。

わが子の個性を受け入れ、尊重する

2016年09月19日 10時24分00秒 | 社会・文化・政治・経済
★好きなことをやった体験が豊富な子ほどつらい時でも我慢できる子になる。
苦労の体験は必要。
苦労しながらも、やりたいことをやり抜いた子は、苦労に負けない忍耐力が身に付く。
社会に出て大変なことがあっても、耐性ができているからこそ頑張れる。
我慢ばかりだと、生活に喜びを持てず、自暴自棄になりがちだ。
好きなことを存分にやり、生きる楽しさを実感した子ほど、自分のことを大切にできるようになる。
そして、自分だけでなく、他人のことも大切に思えるようになる。
つまり、わがままになるのではなく、思いやりの心が育つ。
★今の社会は「人並み」を求めている。
いい学校に行き、いい会社に入ることが「幸福」との思い込みが強い。
「人並み」を追求して他の子を比較する。
「人並み」を目指すよりも、まずはわが子の個性を受け入れ、尊重する。
「この子らしくあればいい」との気付き。
他の子を比較すれば焦るのは当然。
将来の不安が強い親ほど、子育てでも多くの不安を抱き、ストレスを募らせているように思われる。














行動にこそ、人間の真実が現れる

2016年09月19日 09時45分03秒 | 社会・文化・政治・経済
★仏法:仏の教え
幸福な人生をつくる「希望の哲学」
★信用を得る根本は約束を守ること。
★学び続ける人生は、決して負けない。
学び抜く生命には、前進があり、価値創造がある。
★地域・社会に、希望と信頼を広げる一人一人へと成長していく。
★今日より明日へと常に前進を。
★人生の正念場には、決まって仕事でも生活でも新たな試練や挑戦を迫られることがあるものだ。
★人生の使命を深く自覚する原点。
★混迷する世界情勢。
必要不可欠なものが、仏法という生命の哲学。
★行動にこそ、人間の真実が現れる。
★教育こそ、21世紀の平和社会建設の源泉である。
ゆえに教育・文化の交流には、政治・経済の次元以上の力を注がなければならない。



















故郷の追憶

2016年09月19日 06時26分23秒 | 創作欄
○ 散る落ち葉 指に集める 夜明け前
  母を思えば 故郷の秋も深まる
  
  水車小屋 せせらぐ水音 和やかに
  父を思えば 故郷の小鳥さえずる

  寄り道の学校帰り蘇る
  友を思えば 故郷の山の音する

  城址行く石垣に立つ人影に
  君を思えば 故郷の恋のせつなさ

コスモスは希望の花だ

2016年09月18日 16時13分06秒 | 日記・断片
家人は姪の娘の文化祭のため東京四ツ谷まで行く。
家人の義理の姉が亡くなり、孫のつもりで運動会、文化祭、バレーの発表などに毎年出ている。
それが家人の楽しみとなっている。
帰りは家人の兄のがホテルなどで食事を御馳走してくれる。
75歳で現役、酒もタバコをやらないのでお金を残している。
孫に会う度におこずかいをあげているそうだ。

当方は今日は午後1時30分からの新道の地殻の中川宅の会合へ出た。
歌の合唱、啓発ビデオ、月刊誌の巻頭言を読んだり、活動体験を聞く。
体の具合が悪く、自暴自棄のようになっている堀川さんを励ましに行った中川さんの体験談がよかった。
全て自分の問題なのだが、体が不調のために自制心を失う人もいるのだ。
それでもあえて励ます。
相手は初めは拒絶するが、真心を込めて訴え、ともかく対話をすれば、心を開くものだ。
しかも、啓発用のビデオ映像は、人が言葉で語るより説得力を持つものだ。
愚痴を言いたくなる気持ちもわかるが、一番悪いのは自分の殻にからにこもり、人を拒絶することだ。
堀川さんがんの闘病は7年に及ぶ。

コスモスはあなたのようだ
嵐に倒れまた立ち上がる
コスモスは希望の花だ
土砂の中姿現す
コスモスは我慢の花だ
堪えている高貴な姿

八重洲地区の会合へ行く

2016年09月17日 23時17分44秒 | 日記・断片
木曜日、長男がやってきた。
新しいコンタクトレンズを買いに。
母親が息子の好きな夕食を準備していた。
当方は肉が思いのでミスターマックで500円に値下げされた寿司を買う。
阪神が弱いので長男もぼやいていた。
「なぜ、原口を使わないんだろうね」と言うが、同じ考えだ。
午後7時30分、八重洲地区の会合へ行く。
大型スーパー店で働いている木村さんやゴルフ場で働いている大内さんの話を聞く。
富田さんは、娘さんの結納の話をした。
自分もそのことを思いだしたが、しきたりとは言え面倒なものだ。
また、早田さんが息子さんの心臓手術の話をした。
先天性のもので、心臓に穴が空いていて、小学校になって手術に踏み切ったのだ。
家を9時に戻ると長男は我孫子のマンションへ帰っていた。
明日の弁当のおかずなどを持ち帰る。
米も10㌔。
確りしていて、もらえるものが何でも持ちけるのだ。
次男は自宅にずっといるので、文句ばかり言っている。
外へ出れば母親のありがたみが分かるはず。

スカパースピードチャンネル契約

2016年09月17日 22時51分13秒 | 未来予測研究会の掲示板
利根輪太郎は宮元武蔵に勧められ、スカパースピードチャンネルの契約をした。
キャンペーンなので、アンテナ、チューナー設置工事費は無料。
毎月、1717円の視聴料がかかる。
今日、午前10時過ぎに工事に来たが家が分からないという。
分からないはずで、住所が違っていた。
ミスターマックの宝クジ売り場で待ち合わせをした。
その車に乗って、家の駐車場まで案内した。
早速、映るようにしてもらう。
富山競輪場の共同通信杯を観る。
また、青森競輪場のミッドナイト競輪も観た。
観客が居ない。
夜中の競輪などがあることが信じがたい。

対話による人類共生の道

2016年09月16日 10時39分34秒 | 社会・文化・政治・経済
★「人間尊厳」こそ、世界が抱える課題の中で最も重要である。
★民衆の力を与え、社会から悲惨を取り除く。
★普遍的な人類的価値が求められている。
★シリアの内戦で30万人死亡。
世界の悲惨な現実から目を背けることはできない。
★難民や避難を余儀なくされた人々は過去最高の6530万人。
★戦争を起こすのは、人間である。
平和な世界を創造できるか否かも、人間自身の手の中にある。
★対話による人類共生の道を求めたい。

社会貢献の生活が不可欠

2016年09月16日 10時20分21秒 | 社会・文化・政治・経済
★「何もせず暮らすのは一つの罪悪である」
渋沢栄一
★自ら行動を起こそうとしない態度は、社会への忘恩に通じる。
つまり責任、義務を果たしていないのだ。
★政治が嫌いという人がいる。
政治が嫌いとは生活が嫌いと言っているようなもの。
★事なかれ主義の生活で満足することは自分中心で、実は自分の生活が、いかに経済社会の活動で支えられているか、という視点がかけている―渋澤健さん
★人間は一人では生きられない。
社会に対して恩を感じ、恩に報いることは、単なる道徳ではなく、人間の実存、生の本質と深く関わっている。
★自分はいかに多くの人に支えされて生きているのかに感謝し、報いたい。
★結果的には、善いことをしないことは、悪いことをしたと同じ。
イジメ傍観も同じ。
★社会貢献の生活が不可欠。

落とし穴

2016年09月16日 08時41分15秒 | 創作欄
愛の道にも落とし穴
気がつけば あれが始まり
波長が合うと 甘いささやき
ダンスに酔えば時も忘れる

歌の道にも落とし穴
気がつけば あれが始まり
素敵な声と 甘いささやき
カクテル酔えば時も忘れる

旅の出会いも落とし穴
気がつけば あれが始まり
温泉好きと 吊り橋渡る
旅情に酔えば時も忘れる

創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける

2016年09月16日 03時23分55秒 | 創作欄
2012年1 月21日 (土曜日)
創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける
韓国料理の店で酒を飲む。
徹は、いつものとおり招待された。
若い人たちの中で、話を聞きながら雰囲気を楽しむ。
そして昔の職場を思い出した。
あの頃は何かと酒の席が多かった。
月に2、3回は社員全員で酒を飲んでいた。
段々と記憶が遠くなるが、鮮明に覚えていることもある。
それは、ほんの同僚の一言であったりする。
思えば些細なことであるが、棘のように胸に刺さっていたことも。
東京・神田の駅界隈で、酒を飲んでいたのは10年間くらいで、その後は、水道橋が多くなる。
何故、神田から離れたのか、と記憶を辿ってみた。
「昨夜、友だちとあの店に行ったら、1万円だったの」
同僚の峰子さんが怪訝な顔で言う。
「1万円ですか? 私のボトルを飲んだのでしょ?」
「そうなの」
徹は直観した。
「2度と来ないでね」と言う意思表示をママの綾さんがしたのだと。
徹は峰子さんをその晩、寿司屋に誘った。
「あのママさん、徹さんに惚れているのね」
「そうかな?」
「女の直観よ」
徹は6月になれば30歳になろうとしていた。
「29歳にもなって、結婚をしていないのは、お前だけだよ!」
母親から言われていた。
確かに、近所に住んでいる中学の同級生で未婚なのは、徹だけであった。
徹は8度も見合いをしていたが、結婚には至らない。
「会社には相手は居ないのかい」と母親が言うが、同僚の彼女たちには既に交際相手がいた。
先輩で社内結婚をした人たちが3組。
徹が良いなと思った新入社員の女性も、既に結婚相手が決まっていたり、同僚の誰かが逸早く手を出したりしていた。
徹は面白くない気分を抱いて酒場へ足を向ける。