10月30日(火)のつぶやき

2018年10月31日 03時16分02秒 | 医科・歯科・介護

文字・活字文化の日

2018年10月30日 20時39分34秒 | 社会・文化・政治・経済

言葉とは、自分と他者をつなぐツール。
分断や憎悪を煽る言論がはびこる現代。
理解と強調を生み出す力は、言葉にある。
「活字には言葉を修練し、社会の秩序を保つ力がある」作家・清水義範さん

読書週間は10/27~11/9

◎文字・活字文化の日
 2005(平成17)年に制定された「文字・活字文化振興法」により、「文字・活字文化の日」は10月27日と定められています。
 ※文字・活字文化振興法
 (文字・活字文化の日)
 第十一条 国民の間に広く文字・活字文化についての関心と理解を深めるようにするため、文字・活字文化の日を設ける。
    2 文字・活字文化の日は、十月二十七日とする。
    3 国及び地方公共団体は、文字・活字文化の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。

 ちなみに「子どもの読書活動の推進に関する法律」では4月23日が「子ども読書の日」と定められています。
本を手に取り言葉を磨こう

言葉とは、自分と他者をつなぐツール。
分断や憎悪を煽る言論がはびこる現代。
理解と強調を生み出す力は、言葉にある。
「活字には言葉を修練し、社会の秩序を保つ力がある」作家・清水義範さん

「子ども読書の豆知識」については「文学館通信」(2011/07/14)をご覧ください。

◎国民読書年
 文字・活字文化振興法施行5周年にあたる2010(平成22)年を国民読書年とする「国民読書年に関する決議」が、2008(平成20)年6月に衆参本会議で採択されました。
 (財)文字・活字文化振興機構では、座長の安藤忠雄氏(建築家・東京大学特別栄誉教授)など、各界を代表するメンバーによる国民読書年推進会議を2008(平成20)年11月18日に発足させました。
 2010(平成22)年には、国民読書年に関連する催事が多数開催されました。
(参考:財団法人 文字・活字文化振興機構ホームページ)

◎読書週間
 「読書週間」は、出版社・図書館・取次・書店・報道・文化関連各団体約30が「新生日本を文化国家に」との合い言葉のもと、1947(昭和22)年に読書週間実行委員会を結成し、実施したのが始まりです。第1回の「読書週間」は11月17日~23日で、これは11月16日から1週間にわたって開かれるアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」にならったものでした。
 各地で講演会・図書に関する展示会が開かれた第1回読書週間の反響は大きなもので、翌年の第2回からは期間も現在の10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、運動が全国に拡がっていきました。
 1959(昭和34)年11月には、年間を通して読書運動を推進していくため「読書週間実行委員会」を発展的に解消し、日本書籍出版協会・日本雑誌協会・教科書協会・日本出版取次協会・日本書店商業組合連合会・日本図書館協会・全国学校図書館協議会の7団体の総意によって、読書推進運動協議会(読進協)が設立されました。(その後、昭和44(1969)年10月に社団法人に改組)
 現在、読書週間を主催する(社)読書推進運動協議会、「読進協」は、秋の「読書週間」(10/27~11/9)、春の「子どもの読書週間」(4/23~5/12)を主催するだけでなく、「敬老の日読書のすすめ」「若い人に贈る読書のすすめ」など、読書普及のための活動を続けています。また関連他団体と協力して、「子どもの読書推進会議」の活動も進めています。
(参考:社団法人読書推進協議会ホームページ)


輪子の競輪日記 力の差で浅井選手

2018年10月30日 18時00分10秒 | 未来予測研究会の掲示板

輪子は看護の仕事があったので、競輪場の場外へ行けなかった。

11レースの「武田選手選手は、どうなったのかな?」
そして、「決勝戦は?」と気になるもの。
たとえ、車券を買っていなくとも。
現在は、ネットでライブ映像が見られる時代。
それでも、輪子は競輪ファンとして、スピードチャンネルの契約をしている。
SPEEDチャンネル(スピードチャンネル)は、ケーブルテレビおよびスカパー!プレミアムサービスで放送される競輪中継・分析専門チャンネル。
運営は株式会社車両スポーツ映像。
KEIRINライブのほか、レースダイジェストもあるので、病院から帰宅してから観ることができる。
12レース決勝戦のレースダイジェストを観て、浅井選手の強さに輪子は改めて感嘆した。
S級S斑の力の違いを見せつけたと思う。
GⅠレースのタイトルから、ここ数年見放された状態の浅井選手。
それでもさすが、グランプリレーサー(ベストナイン)として、力の違いを見せつけたことに輪子は感動!
「迫力のあるレース」に満足した。

豊橋競輪開設記念12レース決勝戦メンバー
1番 浅井康太 90期三重
2番 山崎芳仁 88期福島
3番 金子貴志 75期愛知
4番 金子幸央 101期栃木
5番 稲垣裕之 86期京都
6番 高橋和也 91期愛知
7番 古性優作 100期大阪
8番 吉田敏洋 85期愛知
9番 渡邉雄太 105期静岡
結果
2車単 1-3 580円(人気)=浅井康太-金子貴志
3連単 1-3-8 2530円(2人気)= 浅井康太-金子貴志-高橋和也

なお、11レースの武田豊樹選手は7番橋本強選手に競り込まれる展開なのに、それを凌いで何とか2着に。
結果
2車単 590円(1人気)=鈴木竜士-武田豊樹
3連単 5-1-6 9170円(30人気)=鈴木竜士-武田豊樹-北川紋部
次回の取手競輪開設記念の武田選手の活躍に期待!


牛久沼河童伝説

2018年10月30日 11時36分07秒 | 医科・歯科・介護

茨城県牛久市の南西に位置し、昔からかっぱが住むと言われている牛久沼。

茨城観光百選にも選ばれており、晴れた日には富士山や東京スカイツリーを望む風光明媚な景色が広がります。
牛久沼は牛久市の南西に位置し、筑波・稲敷台地と猿島・北相馬台地に囲まれ、流は小貝川につながっています。
 沼のまわりには つくばみらい市、つくば市、牛久市、龍ヶ崎市、取手市が隣接していますが、湖沼面は龍ヶ崎市に属しています。
 現在の牛久沼は、小規模な漁業のほか、その水は主に農業用水として使われています。また、週末などは多くの釣り人たちで賑わっています。
畔には「牛久沼かっぱの小径(こみち)」と名付けられた遊歩道があり、周辺の牛久市観光アヤメ園や雲魚亭などを含めたウォーキングコースとなっています。
気持ちの良い汗を流した後は、サイトウコーヒーでカッパの姿が愛らしい「カッパフェ」をぜひ!
「雲魚亭」からほんの少し歩くと、市指定文化財「河童の碑」があります。この碑は、昭和27年に芋銭を敬慕する人々によって建てられたもの。高台から牛久沼が望める、眺望の良い場所です。
雲魚亭のすぐ近くには、牛久沼の伝承のひとつ「カッパ松」があります。
その昔、村の若者がカッパに水の中へ引き込まれ、亡くなってしまうことが度々ありました。そこで、村一番の屈強な若者がカッパ退治をすることになったのです。ある日、その若者はいたずらカッパを見つけ、松の木にくくりつけました。ところが、カッパがあまりにも泣いて詫びるので、気の優しい若者はかわいそうになり、二度と悪事をしないことを約束させてカッパを放してあげました。それ以来沼で溺れる人はいなくなり、カッパをくくりつけた松は「カッパ松」と呼ばれるようになったそうです。
昭和38年に皇居外苑の植栽や白鳥の飼育などを担当している(財)国民公園保存協会内の、皇居外苑保存会を通じて譲り受けたコブハクチョウのつがいが牛久沼の白鳥の始まりです。でも残念なことに昭和52年につがいの1羽が死んでしまいましたので再度1羽を譲り受けるお願いをしたところ、残った1羽を保存会へ返し、改めて別のつがいを譲り受けることになりました。そしてその結果、翌年には8羽のひながかえり、以後毎年数羽ずつのひなが誕生しています。
 コブハクチョウはくちばしが橙赤色(幼鳥は灰青色)で、くちばしの根元に黒いこぶがあるのが特徴で、人にもよく慣れ飼育されています。サイトウコーヒーで「カッパフェ」を!





牛久沼車からの光景

2018年10月30日 11時16分14秒 | 日記・断片

追憶の光景

昨日は、佐々田さんの自動車に乗り、敢闘会の活動へ。

何時ものように、午前9時にミスターマックス前の通りで待ち合わせをして、取手市役所の近くのガソリンスタントでガソリンを入れ(自動)、荒川沖を目指す。
牛久沼が6号沿いから見える。
子どもが小さいころ鰻を食べに来たことが思い出された。
車の免許証がないので、バスに乗ってきたのだろう。
記憶が定かではない。
あるいは牛久駅から鰻店まで徒歩であっただろうか?
湖面が見える2階席からの眺め。
夕日が沈んでいく光景。
春、夏、秋の時節で、冬の頃は行っていないと思う。
河童の伝説を子どもに話すが、まるで興味は示さず。
息子たちはそのころ流行していたゲームウォッチに興じていた。
追憶は突然、起こるものだ。
その景色を見なければ、日常まず浮かばない追憶。
荒川沖駅の周辺、土浦駅住宅街、そしてつくば市内を回り、午後1時30分ころ取手へ戻る。

 



絵画で国立公園めぐり

2018年10月30日 10時00分15秒 | 社会・文化・政治・経済

平成29・30年度市町村立美術館活性化事業 第18回共同巡回展
小杉放菴記念日光美術館所蔵
―巨匠が描いた日本の自然―

このたび、一般財団法人 地域創造の助成による平成29・30年度市町村立美術館活性化事業の第18回共同巡回展として「小杉放菴記念日光美術館所蔵 絵画で国立公園めぐり―巨匠が描いた日本の自然―」をはつかいち美術ギャラリー(広島県)、瀬戸市美術館(愛知県)、小金井市立はけの森美術館(東京都)、釧路市立美術館(北海道)の全国4会場で開催します。

アメリカ合衆国で生まれた国立公園の理念や手法を取り入れ、1927(昭和2)年には、国立公園の制度づくりや啓発活動を行うため、国立公園協会が設立され、その候補地を絵画で紹介する「国立公園洋画展覧会」の開催が企画・実施されます。
そして、当時を代表する洋画家たちに絵の制作の委嘱を行い、26点が完成し、1932(昭和7)年に東京や大阪などで展覧会が開催され大好評を博しました。
その後、1934(昭和9)年に日本において初めて国立公園が指定されますが、国立公園絵画は随時内容の充実が図られていき、最終的には80点のコレクションとなり、国立公園協会の所蔵として活用されていきました。2012(平成24)年に「財団法人国立公園協会」が解散するに際し、国立公園制度と日光との強い繋がりや、国立公園内に所在する数少ない公立美術館であることなどから、この全コレクションが小杉放菴記念日光美術館に寄贈されました。
この国立公園絵画は、文化勲章受章者12名、文化功労者10名、その他も日本芸術院会員など、名実共に日本の近代洋画界を代表する画家たちが、国立公園協会からの依頼によって制作した国内有数の風景画コレクションといえます。
それらの作品は、自らの所属する団体の枠を超えて制作したものであり、その作品1点1点には、その画家の特徴や制作された時代の雰囲気などもよくあらわされており、日本近代洋画史の流れを辿ることができるといっても過言ではありません。
巨匠が描いた絵画を通じて、日本の自然の豊かさや多様性をご覧いただき、日本各地の国立公園めぐりをお楽しみください。
最後になりましたが、本展開催にあたり多大なるご助言と貴重な所蔵品をご出品いただきました小杉放菴記念日光美術館、助成を賜りました一般財団法人 地域創造、並びに関係各位に厚く御礼申し上げます。

各巡回館
<第1会場>はつかいち美術ギャラリー
<第2会場>瀬戸市美術館
<第3会場>小金井市立はけの森美術館
<第4会場>釧路市立美術館
所蔵館
小杉放菴記念日光美術館について
小杉放菴記念日光美術館 公式ホームページ
支援・補助
一般財団法人地域創造 市町村立美術館活性化事業

作品リスト

番号作家名作品名国立公園名
1中根 寛サロベツ原野より利尻礼文を望む利尻礼文サロベツ国立公園
2服部 正一郎知床知床国立公園
3鈴木 良三羅臼岳知床国立公園
4上野山 清貢摩周湖阿寒摩周国立公園
5辻 永双湖台より見たるペンケ・パンケ阿寒摩周国立公園
6松樹 路人湿原の夕映え釧路湿原国立公園
7足立 源一郎愛別岳・比布岳大雪山国立公園
8中村 研一大雪山大雪山国立公園
9栗原 信支笏湖畔支笏洞爺国立公園
10大久保 作次郎洞爺湖支笏洞爺国立公園
11柚木 久太八甲田の一角十和田八幡平国立公園
12大野 隆徳奥入瀬渓流の秋十和田八幡平国立公園
13林 武十和田湖十和田八幡平国立公園
14北川 民次八幡平十和田八幡平国立公園
15向井 潤吉浄土ガ浜三陸復興国立公園
16木下 義謙月山磐梯朝日国立公園
17寺内 萬治郎荒川渓谷磐梯朝日国立公園
18斎藤 與里裏磐梯磐梯朝日国立公園
19中野 和高那須日光国立公園
20猪熊 弦一郎塩原の渓流日光国立公園
21田辺 至秋の戦場ガ原日光国立公園
22田辺 三重松中禅寺湖日光国立公園
23中村 善策尾瀬沼尾瀬国立公園
24佐竹 徳清津峡上信越高原国立公園
25児島 善三郎発哺よりの展望上信越高原国立公園
26小山 敬三浅間山上信越高原国立公園
27中村 琢二妙高山妙高戸隠連山国立公園
28福沢 一郎奥秩父両神山秩父多摩甲斐国立公園
29鈴木 千久馬奥秩父雲取山頂より秩父多摩甲斐国立公園
30中川 紀元梓山秩父多摩甲斐国立公園
31三栖 右嗣小笠原父島から南島・母島を望む小笠原国立公園
32正宗 得三郎若葉の山中湖富士箱根伊豆国立公園
33川島 理一郎芦ノ湖の夕照富士箱根伊豆国立公園
34和田 英作三保富士富士箱根伊豆国立公園
35新道 繁西伊豆の海富士箱根伊豆国立公園
36山本 鼎秋の白馬岳中部山岳国立公園
37山下 新太郎黒部峡谷鐘釣附近中部山岳国立公園
38中澤 弘光上高地大正池中部山岳国立公園
39和田 三造中部山岳中部山岳国立公園
40高田 誠夜叉神峠より見たる白峰三山南アルプス国立公園
41田中 忠雄白水滝白山国立公園
42鬼頭 鍋三郎柴山潟の白山白山国立公園
43小磯 良平伊勢神宮伊勢志摩国立公園
44川口 軌外英虞湾伊勢志摩国立公園
45鹿子木 孟郎吉野連山吉野熊野国立公園
46奥瀬 英三瀞八丁吉野熊野国立公園
47伊谷 賢蔵鎧の袖山陰海岸国立公園
48刑部 人鳥取砂丘山陰海岸国立公園
49香田 勝太大山大山隠岐国立公園
50牛島 憲之日御碕大山隠岐国立公園
51田村 一男三瓶山大山隠岐国立公園
52小野 末隠岐の朝暾大山隠岐国立公園
53鍋井 克之新和歌ノ浦瀬戸内海国立公園
54野間 仁根摩耶山からの展望瀬戸内海国立公園
55田村 孝之介淡路島瀬戸内海国立公園
56小絲 源太郎鳴門瀬戸内海国立公園
57神下 雄吉寒霞渓紅葉瀬戸内海国立公園
58藤島 武二屋島よりの展望瀬戸内海国立公園
59満谷 国四郎櫃石島の帰帆瀬戸内海国立公園
60高畠 達四郎琴平宮瀬戸内海国立公園
61梅原 龍三郎朝の仙酔島瀬戸内海国立公園
62鈴木 信太郎厳島瀬戸内海国立公園
63須田 国太郎春の来島海峡瀬戸内海国立公園
64海老原 喜之助大華山瀬戸内海国立公園
65宮本 三郎姫島瀬戸内海国立公園
66芝田 米三夕陽宇和海足摺宇和海国立公園
67岡田 又三郎足摺岬足摺宇和海国立公園
68小林 和作由布岳阿蘇くじゅう国立公園
69田崎 廣助久住山阿蘇くじゅう国立公園
70石川 寅治大観峰より阿蘇五岳を望む阿蘇くじゅう国立公園
71坂本 繁二郎暁明の根子岳阿蘇くじゅう国立公園
72石井 柏亭雲仙・春雲仙天草国立公園
73野口 彌太郎雲仙・夏雲仙天草国立公園
74三岸 節子天草雲仙天草国立公園
75黒田 重太郎九十九島西海国立公園
76有島 生馬霧島連山遠望霧島錦江湾国立公園
77中山 巍霧島よりの展望霧島錦江湾国立公園
78原 精一桜島霧島錦江湾国立公園
79吉井 淳二屋久島永田岳屋久島国立公園
80山本 貞仲間川原生林西表石垣国立公園

※出品作品は会場によって異なります。


休・廃校施設利活用

2018年10月30日 05時04分23秒 | 社会・文化・政治・経済

2002~2015年度で全国で廃校となったのは計6811校。
約2割の用途が決まらず、放置されている。

先進事例からみた
休・廃校施設利活用の手法・効果

1 休・廃校施設の現状
(1) 全国的な現状
文部科学省の調査によれば平成4年度から平成23年度の公立学校の年度別廃校数は平成16年度に
500 校を超え、平成 23 年度は 474 校であった。
毎年 400~500 校が廃校となっている現状がある。
都道府県別にみると北海道が一番多く 760 校、滋賀県が最も少ない 32 校であり地域によっても廃
校数に大きな差があることが分かる。
休校等(文部科学省の調査によると調査基準日において在学者がいない学校(廃校を除く)をいう。)
は平成 24 年5月 1 日現在、435 校となっている。
徳島、高知と四国地方で休校等が多い状況にある。
なお、徳島県内では廃校が 79 校、休校等が 67 校であり休校等の数は全国一である。現在休校等と
なっている学校に児童生徒数が増加し、改めて学校として利用することは難しいと考えられるため休
校等の学校については廃校になっていく可能性が極めて高いということができる。
廃校になった 4,709 校のうち、建物が残っているのが 4,222 校である。
建物がある 4,222 校のうち 2,963 校が活用されている。学校はもともと地域の拠点であることから
その地域にあった活用を図っているケースも多い。しかしながら、活用されていない 1,259 校のうち
1,000 校で利用予定がないという状況である。

地域住民組織で運営
ふれあいの里さかもと
(勝浦町)
農村体験宿泊施設に転用、
地域住民組織で運営
山の楽校 自然の宿あさひ
(上勝町)
自然体験、合宿のできる
宿泊施設に転用
山の楽校 自然の宿あさひ
(上勝町)
自然体験、合宿のできる
宿泊施設に転用
いやしの里 増川笑楽耕
(東みよし町)

レストラン、カフェ、みそ工場にした例も。
● 演劇団体の稽古場利用、生涯学習、国際交流、映画上映会などが行われている。

演劇・ダンス等の創造の場を提供する「稽古場運営」をはじめ、アートを通じた様々な地域
交流事業や文化交流事業を実施している。
生活文化施設、発達支援センター、教育センター、郷土資料室、体育施設のほか、福祉
作業所、シルバー人材センター作業所等を含む複合施設としてリニューアルオープンした。
生活文化施設として各種市民団体等の活動場所となっており、平成 25 年4月~12 月の利用
者数は 15,133 人である。
● 規模が大きく部屋数も多いことから、教育、福祉関連の団体等が利用するなど有効活用して
いる。
アトリエやギャラリー、福祉ボランティア団体の拠点となる
ほか、カルチャー教室等も開かれ、地域の新しいにぎわいづくりに貢献している。

 


生身の経験がない

2018年10月30日 03時18分32秒 | 社会・文化・政治・経済

それに加えて面白いことに、日本社会の本音というのは常に、だいたい五分五分に落ち着くんですよ。自然とね。社会的な問題が起こったときに、賛成派と反対派が半々になる。僕は「内部の安定平衡」と呼んでいるんだけど、日本の場合、社会が安定平衡点に到達するのがすごく早い。

 

内田 上の世代がやって失敗したら、後続世代はその逆目に張るというのも日本的なソリューションですね。タイムスパンを広く取ると実はそれほど大きな変化はしていない。

養老 それが日本的な能率であり、日本社会が持っている、ある種の知恵ですね。

内田 安倍政権になって戦争のリスクは高まっていますが、どこかで日本社会の特性が歯止めになると思います。戦争とは戦争主体がいて、戦争目的、戦争計画があって行われるべきものですけれど、日本にはそれがありません。日本人の語る戦争はすべて「戦わざるを得ない状況に追い詰められて、やむなく応戦する」という筋で、最初から「後手に回っている」。これ、必敗の構造なんですよ。

養老 開戦の理由に主体性がないですからね。

内田 「世界平和を希求」と言っている以上、先制攻撃はできない。とすると、尖閣に中国軍が上陸して日本人に死傷者が出るような事態をただ待っている。いつ誰が戦争を始めるかという決定権を最初から仮想敵国に委ねている。こんな国に戦争はできません。

養老 主体を持たないというのは、主語を置かないのが日本語の基本構造になっているぐらい、日本の文化そのものです。アメリカ人はあんなに省略好きなのに、「I am」の「I」は絶対に省きません。「am」があれば「I」なんてなくても一人称だとわかるのに。

内田 「嫌韓・反中」の本が書店の棚を占領し、週刊誌も排外主義を煽っている。でも、実際に生身の中国人や韓国人を何人か知っているだけで、そんな単純な考え方はできないとわかる。僕の本は韓国でかなり翻訳されていて、講演会をすると何百人も韓国の読者が聴きにきますけれど、みんな本当にフレンドリーですよ。反日感情を感じたことなんか一度もないです。

養老 僕も気を付けているのは、中国と書かずに「北京政府」と書く。韓国と書かずに「朴(槿恵)政権」と区別する。政権が代われば変わるんですよ、ああいう国は。汚いヘイトスピーチをしている人たちは、それがわかっていない。メディアはメディアで「嫌韓・反中」と一括りにしてしまっているしね。

内田 韓国の人だって多くは自国政府の政策には批判的ですし。先日も韓国の読者がうちを訪ねて来たんです。日本旅行に来たついでに僕の道場を見たかったそうで。「韓国語版以外の著書も読みたいので日本語を勉強し始めました」って。ヘイトスピーチをする人たちには、そういう生身の経験がないんでしょう。


今の日本人は幼稚になっている

2018年10月30日 03時14分34秒 | 社会・文化・政治・経済

養老 そう考えると、今の日本人は幼稚になっている、つまり経験が不足したまま大人になっているんじゃないかと思いますね。

内田 未成熟であること、利己的であることのほうが、成熟した市民であるより利益が大きいと思っているからでしょう。すぐに怒ったり、キレたりするほうが、感情を抑制するよりも周囲から気づかってもらえる。子供のままのほうが大人になるより得だと思えば成熟の動機は損なわれます。

養老 政治家にもそういう人が増えてますね。

内田 ほんとです。異論と対話して落としどころを探ったり、誤りを指摘されて前言を訂正したりできる政治家がほとんどいません。だいたい感情的な反発しかしませんね。

安倍晋三首相がその典型ですけれど、彼だって自分が幼児的な対応をしていることはたぶんわかっていて、そのほうが政治的に有効だと思っている。あの人って対話能力ゼロでしょう。それ、人間としてはありえない。意識的に「対話しないキャラ」を採用しているんだと思います。

養老 そんな安倍首相がなぜ高い支持率を得ているのかというと、戦後民主主義的な価値観や教育が行き過ぎた部分を戻すという、揺り戻し的な面もあるんでしょうね。それが右傾化と言われる。

内田 安倍政権による日本の右傾化を、僕はあまり心配してないんです。変化が急激過ぎるから、反動も早いし、強い。安倍政権は想像以上に短命だと思います。経済政策の破綻をきっかけに、あっさり支持率が下がるんじゃないですか。

単純な見方ばかり

養老 経済指標は確固としたデータなので、ごまかせませんからね。

 日本が右傾化しているというけれど、やっぱり中国や韓国の振る舞いにも問題があって、それへの「反応」がナショナリズムを押し上げている面はある。尖閣諸島や竹島をめぐる問題は、戦前だったら明らかに戦争になっているような状況でしょう。そうならずに済んできたのは、平和憲法のおかげであってね。

内田 そうですね。

養老 日本人というのは外交にせよ何にせよ、基本的に「反応」しかしないんですよ。「空気を読む」という言葉もあるように、自分から主体的に何かを提示するんじゃなく、その場の状況や起こったことに反応して動く。逆に、自分から動こうとすると損をする社会。出る杭は打たれる。


他者と共生する技術を持たない人たち

2018年10月30日 03時09分58秒 | 社会・文化・政治・経済

養老 建て前としては「ありのままの自分」で行動していると言うけれども、実は一億総消費者になるために、個に分断されてしまっているわけですね。

内田 他者と共生する技術を持たない人たちが大量に出てきたのは、地域や親族などの共同体の解体の結果だと思います。

養老 僕たち年寄りは死んでいくから別にいいけど(笑)、若い人がこの先どうなるのか。正直、心配です。

内田 養老先生も先ほど言われたように「ありのままで」という言葉が流行しています。でも、「ありのまま」だけじゃ生きてゆけない。人間は「公」と「私」の葛藤の中でしか成長できない生き物です。大事なのは公私の「さじ加減」なんです。公共の福祉と自己利益を秤にかけて、適切な比率を見出す技術は場数を踏む以外に身につけようがない。

その経験知を備えた人が減りました。「誰かがやらなければいけない仕事なら、私がやる」という考え方をする人が一定数いないと社会は保たないんですけどね。

養老 一方で、そういう世界を小説で上手に捕まえているのが池井戸潤さんじゃないですか。『半沢直樹』の。

内田 そうなんですか。

養老 銀行や企業の中に、やはり公のルールというか、いわゆる倫理がきちんと守られていなければならないということが、一貫したメッセージになっている。現代版『水戸黄門』ですね。

内田 『大岡越前』にしても『暴れん坊将軍』にしても、公を代表する人物が、私利私欲で悪事をなす連中に正義の鉄槌を下すという物語は最近なくなったのかなと思っていましたけれど、やっぱりあるんですね。今それが求められているということは、高い公共性や職業倫理を持った専門家に、いい加減出てきてほしいという国民的願望の現れなんじゃないでしょうか。

「落としどころ」を探らない

養老 今は家族や共同体が消えちゃったので、「公」を遠すぎるところに求めるんですよね。自己評価やよりどころを求めて、いきなり直に「日本」につながろうとするから、変に歪んだナショナリズムに走り、ネトウヨになってしまう。

内田 生身の人間が語る思想は必ず「ノイズ」を含むもので、そう簡単に「すっきりしたもの」にはならない。でも、そのノイズがむしろ説得力になり、連帯の基礎になるんです。そういう生身の身体感覚が、今の政治運動には左右どちらにも欠落していますよね。

 
 

日本人が劣化している

2018年10月30日 02時56分09秒 | 社会・文化・政治・経済

スペシャル対談 養老孟司×内田樹 日本人はなぜ、「バカ」になったのか


——「ありのまま」「ネトウヨ」「ヘイトスピーチ」を大批判
週刊現代 講談社

他人には攻撃的な言葉を投げつけるのに、自分のことは「ありのままで」と肯定する。すべてをカネで解決しようとし、立場を有利にするためにとにかく怒る。最近、ヘンな人が増えていませんか?

非理性的で攻撃的

内田 最近、「日本人の知性が劣化している」とよく言われます。
つまり、日本人はバカになったんじゃないかと。
確かに今、非理性的な推論をしたり、ひたすら攻撃的な言辞を弄する人たちがずいぶん目立ちます。

でも、僕は社会全体の知性の総量は変わってないと思うんです。
従来なら知性が発動していたはずの領域が知性的でなくなっている。逆に、僕たちの知らないところが知性的に活性化している。
そうして「知の分布の変化」が起きているんじゃないでしょうか。

養老 内田さんがよく引用する勉強しない高校生の話があるじゃないですか。
成績の悪い生徒ほど、そのことに満足しているという。

内田 教育社会学者の苅谷剛彦さんが行った調査ですね。
'79年と'97年に同じ高校でアンケートを取ったら、約20年の間に大きな変化があった。成績が低いことに達成感を感じる生徒集団が登場してきた。
学校教育が求めるものを否定する自分に自尊感情を持つという、衝撃的な話でした。

養老 つまり、「自分はこれでいいんだ」と開き直って、「成績の低い自分が好き」と自己肯定してしまうんですね。
おそらく、その傾向が強まっていて、そういう人たちが大人になっているんじゃないですかね。

内田 当時はまだ少数でしたが、さらに20年近く経っていますから、今調査をやれば確実にその集団は増大していると思います。

養老 さらに、個人が公の社会や共同体と切れちゃって孤立化している状況がある。
例えば横浜市なんかは単身世帯が3分の1にもなるんですって。
戦後の日本は、善意に言えば、自立した「市民」を作ろうとしてきたわけだけど、その結果生まれた今の社会は全く成熟せずに、「市民」が成り立たなくなっている。

内田 共同体や家族を解体し、市民を「アトム(原子)化」するのは、市場経済の要請です。アトム化すると、地域や親族間で相互に支援し合っていた家事や育児が商品化される。無償で利用できたサービスや資源をすべて市場で、貨幣で買わなければならなくなるので、消費活動は活発になります。GDPを増やすには市民を孤立させ、生きるために要るものをすべてカネで買わざるをえない仕組みにするのが最も合理的ですから。

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言葉の壁

2018年10月30日 02時44分48秒 | 社会・文化・政治・経済

言葉の壁をどのように超えることができたのか?
疑問に思っていたが、ヤジロウら3人の日本人とインドのゴアで出会ったいたのだ。
これで納得できた。


フランシスコ・デ・ザビエル(スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日)は、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。
イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。
また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日。
1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船でゴアを出発、日本を目指した。

ザビエルと日本人
日本人の印象について、「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。
」と高評価を与えている。
ザビエルが驚いたことの一つは、キリスト教において重い罪とされていた衆道(同性愛又は男色)が日本において公然と行われていたことであった。
布教は困難をきわめた。
初期には通訳を務めたヤジロウのキリスト教知識のなさから、キリスト教の神を「大日」と訳して「大日を信じなさい」と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待されたこともあった。
ザビエルは誤りに気づくと「大日」の語をやめ、「デウス」というラテン語をそのまま用いるようになった。以後、キリシタンの間でキリスト教の神は「デウス」と呼ばれることになる(インカルチュレーションも参照)。
幕末に滞日したオランダ人医師ポンペはその著書の中で、「彼ら日本人は予の魂の歓びなり」と言ったザビエルの物語は広く西洋で知られており、これがアメリカ合衆国政府をしてペリー率いるアメリカ艦隊の日本遠征を決心させる原因となったのは明らかである、と述べている。