団地が持つエネルギーの多様性

2022年06月26日 09時11分06秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽誰もが皆、自分にしか果たせない使命を持って生まれてきたかけがえのない一人一人だ。
だから負けてはいけない。
自分で自分を諦めてはいけない。

▽嵐さえ追い風に変え、新しい道を切り開いていくことだ。

▽人生の途上では、最悪な事態に陥ることもあるが、「これが最悪だ、などと思える間は、まだ本当の最悪ではない」-シェイクスピア

▽団地は「小さな合衆国」ともいえるだう。

今日、団地には高齢化に伴う課題が凝縮されている。

▽団地は便利で暮らしやすい。
人と人に距離が短い。
そこで地域に「共助」の連帯を広げることもできる。

▽元来、「支え合う」「励まし合う」「助け合う」など―人間の温かい絆も生まれやすい場でもある。
「雇用促進住宅」に住み自治会の役員を経験したことが、良い思い出の一つだ。


勝つことより負けないことだ

2022年06月26日 09時05分27秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽自らの「弱い心」に打ち勝つことだ。
人生は「自分自身との勝負」である。

▽自身の「生命の変革」に重きを置くことだ。

▽我々の生命は、時に困難の壁に直面すると、挑む前に逃げ出そうとしてしまう。

その弱い生命を如何に変革するかだ。

▽勝利とは「諦め」「臆病」といった自分の弱い心に打ち勝つことなのだ。

▽勝つことより負けないことが、実は偉大なことなのだ。
自身の弱い心に負けないで、挑戦を貫くそれ自体が、深い次元での「勝利」なのではないだろうか。

▽人生「持続の人」に勝るもとはない。


 旧ソ連時代、カザフスタンでは450回を超える核実験が行われ150万人が影響を受けた

2022年06月24日 14時42分28秒 | 新聞を読もう

カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連時代の1949年以降、約40年間に450回以上の核実験が行われました。

周辺住民には正確な情報が伝えられないまま、放射能汚染が繰り返され、150万人以上もの人が被曝したといわれています。

100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)が広範囲にばらまかれました。 熱や地面の揺れを感じ、ほこりや雨を浴びたと答えた人もいます。

核実験の時、家の外に出るように指示されたとの証言(もあり、被害者の中には、人体実験だったと考えている人もいるそうです。

住民は、核実験の放射線がどれほど危険か知らされていませんでした。 放射線による悪性腫瘍の発生は白血病、甲状腺、食道、胃、肝臓、腸、 肺、乳房に観察されている。その他、染色体異常や奇形など放射線によるとさ れる異常が観察されている。


阪神 斎藤友貴哉が1軍合流、昇格の見通し ウエスタン防御率0・00

2022年06月24日 14時24分20秒 | 野球

配信

阪神-中日」 (24日、甲子園球場)  阪神・斎藤友貴哉投手(27)が24日、中日戦から行われる甲子園の試合前練習に合流。そのまま出場選手登録される見通しだ。  
ウエスタンでは5試合に登板し、1勝0敗、防御率0・00と安定した成績を残してきた斎藤。再昇格前の1軍成績は16試合の登板で0勝1敗、防御率5・40という結果だった。ファームで好投を続けてきた右腕が、1軍で力を発揮する

久しぶりに東京へ

2022年06月24日 12時06分18秒 | 日記・断片

午後2時21分の取手駅発の電車に乗る。

1番先頭の車両であった。

4人がけの席であるが、席に座るのは当方が一人。

松戸駅でようやく、席が埋まった。

同様に、向い側の席も1人から、3人となる。

品川行であり新橋へ行くのを変更して、上野駅で降りてみる。

上野駅の構内で山形の物産店を覗く。

御徒町方面へ向かう。

観光客であろうか、3時30分過ぎの時間帯に、酒を飲んでいる。

当方は一人なので、店に入るのはやめた。

秋葉原で、参議院議員候補者の街頭演説を聞く。

メイド喫茶に誘う若い女の子たちが立ち並び、ビラ配りをしていた。

その数20人余、もっといたかもしれない。

神田駅のガード下は、広くなるり、バー・フロリダなどが存在した路地裏の面影は消えている。

20代に勤めていた志平ビル(漢方薬卸)も無くなっていた。

薬業会館や製薬企業、卸企業が並んで本町界隈や室町の細い路地も消えていた。

都内はどこも同じで、高層ビルが増えていた。

東京駅を経て有楽町へく向かう。

ここでも、街頭演説を聞く。

夕刻となり仕事を終えた友人と新橋で会い、酒を飲む。

友人は「痛風が出たので」と日本酒は控えて、アルコールはビールのみであった。

帰りには、人身事故で常磐線電車はしばし停まる。

 

 

 

 


ミスタータイガース 藤村富美男 『新・必殺仕置人』の元締・虎役でレギュラー出演

2022年06月24日 10時25分14秒 | 野球

本来、ミスタータイガースの呼称は藤村富美男に対して与えられたものである。

藤村は、1935年の球団創立時からチームに在籍しており、20年以上攻守にわたってチームの中心選手として活躍し、4度の優勝にも貢献。特に、1948年からはゴルフクラブを参考に「物干し竿」と呼ばれる長いバットを用いて本塁打を量産し、闘志溢れるプレースタイルがファンから絶大な支持を得た。

この時代、戦後の復興期にあって、藤村の人気は関西圏の野球ファンを一気に増加させ、タイガースを象徴する存在であるとして、「ミスタータイガース」との呼称が考案された[2]

本来は、球団創設メンバーであり1940年代後半に不動の4番打者として活躍した藤村富美男に対する称号である。

1977年に俳優としてテレビ時代劇『新・必殺仕置人』の元締・虎役でレギュラー出演し、中村主水(藤田まこと)・念仏の鉄(山崎努)ら江戸中の全仕置人を束ねる闇の殺し屋組織『寅の会』元締という役柄で、特に寅の会の掟を破った外道仕置人(演:今井健二)を物干し竿を一振りで仕置するシーンには現役時代のフィルムがカットインするなどの演出も盛り込まれた。

同ドラマの最終回では殺される役柄であったが、同じ役で1982年の必殺スペシャルにも出演し、1979年にはその後の仁義なき戦いにも出演。

野球では1974年に野球殿堂入りを果たし、完全にタイガースとも縁が切れたわけではなく、1977年オフには球団が藤村を総監督に据える構想を描き、藤村は後藤次男への監督要請前に承諾したが、1966年の総監督・藤本定義―監督・杉下茂という二頭政治の失敗を目の当たりにしている後藤は「それなら引き受けられない」と反発した。

長田睦夫球団社長は藤村について「現場には一切口を出さない。私的な相談役」と無報酬・非常勤の球団社長付アドバイザーで落ち着いた。

1984年のインタビューではタイガースから「顧問としていくばくかのお金をいただいている」と述べ[62]、1985年のタイガース優勝時には大阪スポーツ専属評論家として日刊スポーツに優勝コメントを寄せた。同年には甲子園を訪問した際に川藤幸三に対し、「テレビで見たが、お前ベンチで偉そうにしているな。それでいい。タイガースの歴史を作ってきたのは大学出のスターじゃない。お前ら補欠の人間だ。だからそのまま偉そうにしておけ」と激励した話が伝えられ[70]、川藤はこの藤村の訓示を直立不動で聞いたという。

1988年以降は病院や介護施設で闘病生活を送っていたが、1988年に村山が監督にな


岡田彰布氏 阪神・大山の状態が少し気がかり 自分から崩れにいくような打撃

2022年06月24日 10時22分29秒 | 新聞を読もう

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「広島3-3阪神」(23日、マツダスタジアム)  阪神は引き分けたが、序盤の好機で得点を奪えていれば、勝てた試合だっただろう。特に6月は絶好調だった大山の状態が少し気がかりだ。

 2点を先制後の初回1死三塁は広島の内野が前進していたが、カウント1-1から3球目の内角高めの直球に詰まって浅い右飛に倒れた。三回1死満塁では空振り三振。特に気になったのは、同点の七回2死一、二塁だ。  2ボールから森の高めのチェンジアップを引っかけて三ゴロに倒れた。

この場面は1球見送ってストライクを取られても打者の方が有利なのだが、見送ればボール球のようにも見えた球を追いかけるように打った。

 大山は「狙い球を絞る」というより、「バッティングカウントなら打ちにいく」と決めているのかもしれないが、七回は決して無理して打ちにいく場面ではない。余裕があれば、ああいう打撃にはならなかっただろう。  

大山は構えた時にバットのヘッドが投手方向に入っているため、追いかけるような打撃になるとバットの軌道が波を打って、高いバウンドのゴロになるケースが多く、今日はそういう打撃に見えた。

 いい時は無心で自分のポイントで打てていたが、今日のように自分から「打ってやろう」と崩れにいくような打撃をしては状態が狂ってしまう。  

これまでの大山の打撃を振り返ると、調子の波が大きいことが気になっている。一球、一打席でバッティングは崩れるもの。調子がいい時ほど、謙虚な気持ちを忘れずに打席に立ってもらいたい。

 
 

民主主義とは何か

2022年06月23日 12時13分18秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
 
宇野 重規  (著)
 
民主主義とは、「普通の人々が力をもち、その声が政治に反映されること」にあるとも。
人々の意志が政治にされるという「信頼」がなければ民主主義は立ち行かない。
 
行き過ぎた市場競争や格差や不平等を拡大し、大衆の不満や不信をたてに分断を煽るポピュリズムがはびこっている。
 
トランプ大統領をはじめとする「ポピュリスト」の跋扈、旧社会主義諸国および中国など権威主義国家の台頭など、近年の世界の政治状況は、民主主義という制度の根幹を揺るがすかのような観を呈しています。
日本の状況を見てみても、現行の政権が「民意」の正確な反映、すなわち「民主主義的な」政権だといわれると、頸をかしげる人も少なくないのではないでしょうか
はたして民主主義はもう時代遅れなのか? それとも、まだ活路はあるのか?
それを議論するためには、まず何よりも、民主主義とは、そもそもどのような制度なのかを「正しく」知らなければならないでしょう。
今では自明視されている「民主主義」という制度ですが、人が創ったものである限りそれもまた歴史的な制度として、さまざまな紆余曲折を経て現在のようなものになったのであって、決して「自然」にこのようなになったわけでではないのです。
そこで本書では、ギリシア・アテナイにおける民主主義思想の「誕生」から、現代まで、民主主義という制度・思想の誕生以来、起こった様々な矛盾、それを巡って交わされた様々な思想家達の議論の跡をたどってゆきます。
その中で、民主主義という「制度」の利点と弱点が人々にどのように認識され、またどのようにその問題点を「改良」しようとしたのか、あるいはその「改革」はなぜ失敗してしまったのかを辿ることにより、民主主義の「本質」とは何なのか、そしてその未来への可能性を考えてゆきます。
またあわせて、日本の民主主義の特質、その問題点についても分析してゆきます。
民主主義という思想・制度を知るための、平易な政治思想史の教科書としても最適です。
 

著者について

宇野 重規
宇野重規(うの しげき)
一九六七年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。現在、東京大学社会科学研究所教授。
専攻は政治思想史、政治哲学。主な著書に『政治哲学へ 現代フランスとの対話』(二〇〇四年渋沢・クローデル賞LVJ特別賞受賞)、『未来をはじめる 「人と一緒にいること」の政治学』(以上、東京大学出版会)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社学術文庫、二〇〇七年サントリー学芸賞受賞)、『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)などがある。
 
 
 

作者は菅内閣から任命拒否された学者さんです。
内容も素晴らしく、優れた学者が優秀な教育者であるという非常にレアな本。
民主主義を真面目に考えると政府から睨まれるって戦前みたいである。不思議なもので民主主義は菅内閣からすると都合が悪いらしい。

『政治的に中立である事=政権批判をしない』の感覚こそ間違っている。

追記 後書きにこの本が認定NPO法人かわさき市民アカデミーのワークショップ「民主主義とは何か」をたたき台にした本とある。
なんとレベルの高いワークショップ…
そんじょそこらの大学など足元にも及ばない。
 
 
「民主主義とは何か」について、歴史的アプローチして、民主主義の危機を乗り越える方法を探る本
はじめにで、三つの問題を出す。一、民主主義は多数決か少数派尊重か、二、民主主義とは選挙に尽きるのか、三、民主主義は制度か理念か。
序が民主主義の四つの危機で、一、ポピュリズム台頭、二、独裁的指導者の増加等、三、技術革新(AI)、四、コロナ危機。
第一章が民主主義の「誕生」で、古代ギリシアの民主主義。
第二章がヨーロッパへの「継承」で、西欧議会制、アメリカ独立、フランス革命とルソー。
第三章が自由主義との結合で、民主主義と自由主義、トクヴィル、ミルと代議制民主主義。
第四章が民主主義の実現で、人民投票的民主主義と独裁、エリート民主主義とポリアーキー、ロールズ正義論。
第五章が日本の民主主義で、民主主義の成立、戦後民主主義の行方。
結びが民主主義の未来。
私的感想
〇内容紹介にあるように、民主主義という思想・制度を知るための、平易な政治思想史の教科書である。歴史上の著名な思想家たちが登場するが、民主主義という枠で、数と内容を絞っており、読みやすい。
〇冒頭に民主主義に関する三つの問題を出しておき、結びで三つの問題を検討する。この際に、第一章から第五章までに出てきた思想家、思想がもう一度登場する。つまり、第五章までで学んだ歴史知識を使って、三つの問題を解く形式になっている。優れた形式で、復習にもなり、とてもよい。
〇ただ、ちょっと気になるのは第三問の検討の最後に出てくるロサンヴァロン(現代の執行権の増大をいかに統制するか)は、現代の学者であるのに、第三章で顔を出していること。ちょっとバランスが悪い。
〇最後は四つの危機の解決法。平凡といえば平凡、常識的といえば常識的だが、誠実である。
 
 
初めに、読売で「郵便土曜配達廃止を閣議決定」の記事を読んだ。本日配達してくれた配達員の人と
話た際、「まだ正式決定ではありませんから」の言葉を聞いて頼もしく思った。本日は土曜どころか
日曜だったのに。これが真の民主主義だと思う。

本書は、世界史をやった人なら、今さら言われるまでもないという感じ。正確に言えば「民主主義史」
と言った感じで、客観的に書かれているだけだ。

70ページ 古代ギリシアのデマゴーグ「大げさな言葉や振る舞いによって人々の注目を引きつけ
民衆におもねった」
現代では、デマ=フェイクニュースと短絡的に解釈され使用されているが、これはまさにヒトラーの
パフォーマンスであり、本書ではポピュリズムの元祖となっている。

199ページ 「ポリアーキー」複数の支配、政党政治。

210ページ「モッブ」階級社会の脱落者「余計者」。アニメとかで出て来る『モブキャラ』の
事と考えられる。

214ページ 「正義論」平等な自由の第一原理。公正な機会均等の下、もっとも恵まれない人の境遇を最大限に
改善する限りで格差は認められるという第二原理。

235ページ 戦前の日本の会社 学歴に基づいて、『正社員と雇員』の区別。
今でも、正社員と派遣社員の制度がある。結局は何も改善されていない。

学校においても、「学内カースト」などという紀元前からのインドの階級制度をもじった
つまらない階級社会が存在するらしい。大学や職場に行く前に既に格付けされている。バカバカしい。

本書は、私達が毎回やるような、思考や行動に対する民衆へのアピールはまったくない。
『自分で考え、分析し、判断し、できれば行動せよ』・・・・・そういう事だろう。

世界史の復習として(笑・皮肉)、できるものは、疑似民主主義の現状社会の分析材料として
真の民主主義に一歩でも近づくためのテキストとして、必読の書。
 
 
 
 
 
ふと思って(政治理念としての)自由主義と民主主義についての本を何冊か買った中の一冊です。

古代ギリシアから現代に至る(日本も含めた)民主主義の歴史を概観できるので、知識としての民主主義の歴史に関心があれば読む価値はあるかと思います。
内容的には、著者の先生がトクヴィルの研究をしていたためだと思いますが、トクヴィルの話が比較的詳しい感じです。

とは言え「第四次産業革命」とかいう形容する言葉も見つからないような言葉を臆面もなく使っている本で、当然ながら、現在の情報に関わる技術を活かして、現状の日本が陥っている民主主義と自由主義の形骸化から救う道筋を模索しているわけでも全くないので星3つが良いところだと思います。

個人的には、この本に登場する人物の中ではミルとロールズの主張に共感できました。ミルは「自由な国ほど経済的にも繁栄」としたそうですが、今の日本では(解釈はいろいろあるのかも知れませんが)政治理念としての自由主義が形骸化していることの自覚がまずは必要かと思います。

この本もそうですが、そもそも民主主義を意志決定の手段として考えるから話が難しくなるわけで、持たざる多数者による「利権」や「既得権益」の排除(平等の実現?)の(そして社会を硬直化から救う)手段として民主主義を考えれば、今の民主主義が形骸化しているのは自明ではないかと思います。

この本が最近の出版なのは新型コロナの話が載っているのを見て初めて気がつきましたが、(新型コロナ等の本質的な危機とは言い難いものには言及しているとはいえ)最近の出版とは思えない、歴史を語って満足するような危機意識の低さからすればやっぱり星3つですかね。

というか上を書いた後にベンサムがパノプティコン構想が頓挫した以降に「邪悪な利益」(つまりは「利権」や「既得権益」のことに他ならないわけですが)の排除をテーマにしていたことに気がつきましたが、東大法学部教授が「邪悪な利益」について知らないはずはないのに、この本には言及が一切無いので星1つにしておきます。
 
 
 
キーワードは「参加と責任のシステム」。古代ギリシアの都市国家における民会からヨーロッパ、アメリカにおいて発達してきた議会制民主主義が、市場経済と結びついて欧米諸国をこえて広がっていったという歴史的な流れを追いながら、「変化し、相互に矛盾する多様な民主主義の意味」を解きほぐしていく。

ギリシャの都市国家における民会は現代の民主主義とはかなり性質が違う。
われわれがいま民主主義と呼んでいるものはギリシャ都市国家の民会が原型ではなくそれは近代ヨーロッパでうまれた議会制民主主義だ。もともとは貴族や聖職者など特権階級の者が集まって税などについて王権と交渉を行う場が議会だった。
「集権化する国家とそれに抵抗する社会集団の対決(フランシス・フクヤマ)」の場である。国家と社会の力が均衡し、この交渉が機能する限りにおいて安定と繁栄が実現した。
この均衡は「狭い回廊(アセモグル&ロビンソン)」といわれるのは、そもそもこうした議会をうまく機能させるのは容易なことではないということを意味している。強力な国家(リヴァイアサン)の必要性を説いたトマス・ホッブズ、『統治二論』で社会契約説を説いたジョン・ロックのいたイギリスはいちはやくこの狭い回廊を通り抜けた。

一方フランスは絶対王権が進むなかで貴族たちは土地との結びつきを弱め、そこに官僚が入り込むなど王権に対して社会の側がまとまりきらなかったため、議会が機能せず、三部会(身分制議会)が長く開かれなかった。
そしてじつの170年ぶりに開かれた三部会を契機にフランス革命が起きる。三部会の第三身分(平民。第一身分が聖職者、第二は貴族)が聖職者と貴族が特権にしがみついてまったく議論を進める意思がないとみて自分たちこそが「国民議会」だと宣言する。
「第三身分とは何か、すべてである」と。もともとは国家の財政赤字をなんとかするための会議がここへきて階級とイデオロギーの闘争となり、革命に至る。フランスは「狭い回廊」を抜けられなかった。
トクヴィルはその理由として「平等化の趨勢が適切な政治的枠組みを与えらなかった」ことを挙げる。人間は平等であると自覚した人間は不平等に抗議の声を上げる。これをうまく吸い上げる仕組みがなかった。
しかしそれまでまがいなりにも王権に対峙してきた貴族にかわって中産階級が主導する政治体制は可能なのか。その問題意識をもって彼はアメリカにわたる。

第二次世界大戦以降、民主主義のリーダー、お手本、伝道者的な立場をとるアメリカだが、その礎となる合衆国憲法は黒人を五分の三人とする差別的条項があり、「建国の父」の多くは奴隷を実際に所有していた。
また彼らは貧しい農民による急進的な動きを警戒してこれをけん制する意味でより強力な連邦政府を目指した。
彼らはそもそも市民による直接民主主義ではなく、選ばれた市民による代表制をとりいれた共和政を目指していた。その伝統を組むのが今日の共和党でありより多くの市民の参加による政治を目指すのが今日の民主党である。
実際建国期のアメリカでは「民主主義」と言う言葉は積極的に使われることはなく、「共和制」「共和国」といった言葉が好んで使われた。トクヴィルによる『アメリカのデモクラシー』は連邦政府でも州政府でもなくタウンシップの自治や結社活動に注目して書かれたもの。
トクヴィルのこの本をきっかけに、古代ギリシア以降、否定的に語られてきた民主主義という言葉の用法、意味合いが変わった。

アメリカの独立、フランス革命などを経て立法権をもつ議会とその運営が活発に議論されるようになり、普通選挙や政党制など、議会の普遍性や代表機能を高めるための工夫や仕掛け取り入れられていく。
そのような民主主義の実践、試行錯誤のなかで起きた悲劇ともうべき自体がナチスドイツだ。
「選挙権拡大という民主化への動きが、結果として非民主主義的な事態をもらたした矛盾」そのものである。
マックス・ウェーバーは、「国家とは『特定の領域の内部』で『正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体』と言ったが、ウェーバーも起草に加わった、当時世界でもっとも民主的とされたヴァイマル憲法で大統領に国家緊急権を付与したことから後にそれをナチスに利用されることになる。
ドイツの法学者・哲学者のカール・シュミットによれば「民主主義は議会主義ではなく、むしろ独裁と結びつ得られるべきなのです」。

1942年にシュンペーターが『資本主義・社会主義・民主主義』を出し、そのなかで古典的民主主義を否定し、それに代わるいま一つの民主主義論を展開。彼はすべての人民が一致できるような「公共の利益」を実現するための理念ではなく、人民が代表を選出する仕組みそのものが民主主義であるとした。一方でロバート・ダールは「社会における多元的な集団が、相互に競争しつつ協調を実現することでポリアーキーを達成する」のが民主主義であると主張する。

二十世紀になり、第二次世界大戦後に世界の先進国は「例外的」な平等社会を経験する。それは「総力戦、相続税や累進課税の導入、そして高度経済成長」のたまものだった。ここから「資本家・富裕層と労働者層との間に福祉国家をめぐるコンセンサスが成立し、いわば戦後民主主義の安定期を迎えた」。
吉田徹の『アフターリベラリズム』でも語られていたとおりこの「リベラルコンセンサス」は脆くはかなく、1970年代にはオイルショックもあって早くも岐路に立たされる。
その後サッチャー、レーガンなどののちに新自由主義と呼ばれる政策が実施されると格差が再び拡大し、中間層が没落し、持てるものと持たざるものとの分断が深まっていく。これが今日の民主主義の行き詰まりにつながっている。
ハンナ・アーレントはたとえばヒルビリーエレジーに描かれたラストベルトの白人労働者のように「階級社会からこぼれ落ちていった人々」や、やむをえない理由で母国を棄てた、あるいは母国に捨てられた移民難民など、自分の声はどこにも届いていないと感じる人たちが議会制民主主義を見捨て強力な指導者を求めるようになる。これは、いつか来た道ではないのか。

本書は民主主義とは何か、というギリシャ時代から今日まで続いている民主主義の歴史を追いつつ、その定義の曖昧さ、思想的な不完全さ、制度としての困難さを明らかにしていく。チャーチルが「民主主義は最悪の政治形態だ(ただし、これまで存在したすべての政治形態を除いては)」という言葉で表現したとおりである。
ベストがないなかでのセカンドベストが民主主義なのだ。
こんな古くて性能のよくないものを使い続ける意味があるのだろうかとも思うが、性能がよすぎる統治システムの危険性を歴史から学んだ結果、民主主義という仕組みをうまくメンテナンスしながら使っていこうという機運が世界的に高まったのが第二次世界大戦以降の流れだった。
戦後の経済復興がその追い風となったが、低成長の時代に入る一方で民主主義を選ばなかった国の台頭もあり、改めて民主主義というものが問われている。
 
 
 
 
 

 

 
 
 

 


厳しい現状を嘆いても仕方ない

2022年06月23日 11時21分44秒 | 社会・文化・政治・経済

▽苦難をどう乗り越えるかによって、人間の真価が決まる。

▽いかに苦しくとも<今ここから>自身のドラマを起こそうと努力する。
その先に飛躍的な成長があるはずだ。

▽戦争の残酷さを知ることで、平和が当たり前でないことが分かる。
生命尊厳の心を育み続ける不断の努力を重ねる以外にない。

▽厳しい現状を嘆いても仕方ない。
核兵器は人間が生み出したものであるので、解決できるのも人間であるはずだ。

▽エイブラハム・リンカーンは「良心」という言葉を用いたが、人間は限りなく利己的で自己中心的な存在になりうる。
一方では、利他の心、社会的な心を併せもっている。
人間が持つ良い性質を一人一人が磨いていくことだ。

▽今日の社会では、相手に対して否定的なステレオタイプ(固定観念)が一般に広まっており、敵対的な心情を抱く人が多くいる。

▽政治やイデオロギーが全てではない。
それ以前に皆、同じ人間であり、誰しも良心を備えている。
英知が今、非常に重要だ。

▽核兵器はその性質からして、一度使用されてしまえば、途中で止めることは非常に難しい。
しかも、被害はあまりにも壊滅的である。
核兵器よる報復合戦は、地球を終わりにするだろう。
それほどの人類の危機はない。

▽この地球を良い形で次世代に託すために努力していくことが、現世代の我々の責任である。


創造的人間

2022年06月23日 11時15分59秒 | 社会・文化・政治・経済
 
湯川 秀樹  (著)
 
科学の進歩は人間に何をもたらすか。我が国初のノーベル賞受賞者の言葉。

人間のもつ創造の本質とは何か、科学と人間の関係はどうあるべきか、科学の進歩は人類に何をもたらすのか。
ゆきづまるかに見える科学文明の打開の道を模索し、人間の創造性の発現に光を見いだそうとする。日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川博士が、物理学に関心をもつ人だけでなく、ひろく一般の人たちに向けて、いまなお鋭い問題提起をあたえる書。
1、人間と科学
科学文明の中の人間、科学と人間性
2、創造者としての人間
模倣と独創、科学者の創造性、創造性と自己制御、学習と研究、創造性の尊重、天才と機械
3、科学の進化
科学とは何か、学問の自由と大学の理念、科学的志向について、東洋的志向、科学的思索における直観と抽象、発展途上における中間子論、中間子以後三十年、自然認識の現段階、物理学の老化と若返り、素粒子論に関する成人学校について。
解説井上 健
 

内容(「BOOK」データベースより)

自然界のなかにもともと潜在していたさまざまな可能性を人間が見つけ出し、それを現実化した結果が科学文明である。しかし自動車を愛好すると同時に交通事故を、原子力発電を望むと同時に核爆発をおそれなければならなくなってきた。人間にとって都合のよいはずの文明が、どうして天使と悪魔の二面相を持つことになったのか。科学技術の進歩が顕著な現代だからこそ読みたい、日本人初のノーベル賞受賞者が残した鋭い考察。

著者について

●湯川 秀樹:1907年東京生まれ。京都帝大理学部物理学科卒業。39年、京都帝大教授となり翌年、学士院恩賜賞を受賞。43年文化勲章を受章。東京帝大教授も兼任。35年に「中間子理論」を発表した業績により49年、日本人初のノーベル物理学賞を受賞。様々な分野で多大な業績を残す。81年没。
 
 
 
湯川秀樹先生の文章は、個人的には非常に大好きで、とてもきれいな文章を書かれる印象です。
そんなイメージをもって本書を購入しました。

ノーベル賞を受賞後に執筆された文章なので、今読むと古いと感じる表記はあります。例えば、コンピューター(AIを含む)を電子計算機と言っていたり・・・・。時代を感じますね。

ただ、創造性や教育に関しての問題意識は、非常に高く現代にも通じると思います。
時代を経ても通じるということは、本質的な意見とみなしてもいいのかもしれません。もしかしたら、当時から根本的な解決が提示されていないのかもしれませんが・・・。

湯川先生の教育に対しての姿勢は謙虚。
自身が研究者であって、教育に関しては当事者でありつつ迷いつつ行っていることが語られています。
実績からしたら、ほんと謙虚としか言いようがありませんが、本人としては実感なんでしょうね・・。すごいことです。

創造や教育ということでは、目新しい発言は見いだせないかもしれません。
でもこの世界トップクラスの頭脳が、悩みつつ問題提議をしていることには、とても重みを感じます。
個人的には、素直に面白い一冊だと思いました。
 
 
 

高1の子供の頃「旅人」を読み、偉大なる物理学者湯川秀樹先生の人生を知った。まさに理想的名文である。その次に手にしたのが、この創造的人間であった。湯川の思索の後が、子供にも分るように明晰に書かれてあった気がする。
高度な知性は、こんなにも明晰で豊かな文を書くのかと驚いた。その後、湯川秀樹自選集や湯川秀樹著作集を購入したのは、この思い出が強烈であったためだが、これも昔の話になるが、1970年3月にNHKの新日本紀行で放送された「定年」を見て感じたことが有った。
そこで湯川は、基礎物理学研究所の退職記念の談話会でこう語っていた。「今の若い人は、将来私がこの世から消えてしまった時、「こんな面白い事があるのに、あいつは死んでしもうた、可愛そうな奴ちゃ」と思われる事でしょう。しかし、当時、私の若い頃にも、今の若い人が知らない面白いことはあった…」と、いう事から話を始めていたと記憶している。湯川は自分の研究人生を振り返り、若い弟子達に研究の要諦を伝えたかったのだろう。

1936年に原子核の安定力を説明するために、中間子を導入した。計算によりその質量を予想している。π中間子がそれである。その後非局所場の理論を構想するが、第一論文が出た後、辛辣で有名なW・パウリに、次の論文は出ないだろうと揶揄された。それで意地になって頑張ったが、自分自身どうにも満足できる論文には成らなかった。
湯川は、量子力学を電子や陽子に適応する際に生ずる発散を解決しようとしていた。どうしても我々の世界には基本的長さの導入が不可欠だ、と云う認識に到達した。それを突き詰めて、1967年に湯川は「素領域理論」を提唱した。
だが、余り周囲の人達には理解されなかったらしい。しかし、湯川の基本的な長さが存在するという洞察は、30年をへて超弦理論として結実し、現在「M理論やDブレーン論」などと成って変身し、一つの「素領域理論」の変形として発展している。計算値の発散を避けるには、空間と時間の基本的長さの導入は必然であった。
たぶん、これ等の理論の出現を、湯川は知らずに亡くなった。まさに、彼が談話会で話したように、「面白い事が一つ出現したのだ」。ご著書「創造的人間」には、人間の理解力や想像力について様々な考察が書かれている。
湯川先生のこれらの諸問題に対する、豊かな構想力と深い洞察力に満ちた文章を読むと、中学時代まで白痴のような少年であった私も、そして、今も相変わらず知能の薄弱な投稿者としては、何故か、自分が少し利巧に成った様な気がするのは、おそらく錯覚なのだろう。
 
 
 
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みんなの図鑑を再開した

2022年06月23日 10時13分45秒 | 沼田利根の言いたい放題

何年前か記憶は定かではないが、毎日のようにみんなの図鑑を利用していた。

実は、インスタグラムのアカウントが停止になったのだ。

理由は定かではない。

誰かに乗っ取られたよいうに思われた。

みんなの図鑑に投稿すると、自動的に瞬時に花の名前を教えてくれる。

その機能性-優れたサイトに改めて感嘆するばかりだ。
近隣ばかりではなく、車で遠出すると、思わない花との出会いがあるものだ。

 

 


インスタグラムから排除される

2022年06月23日 09時14分31秒 | 新聞を読もう

インスタグラムアカウントが凍結されたら?解除の方法と原因

Instagramアカウントを運用する上で気をつけなければいけないのは「炎上」だけでありません。

ある日突然アカウントが凍結されることもあるのです。
Instagramは企業や個人の情報発信ならば何をしても良いというわけではなく、Instagramのポリシーに則した投稿や運用を行わなければアカウントが停止や削除されることもあります。
継続的な集客や販促を行うためにはInstagramのポリシーをしっかりと理解しておく必要があります。

せっかく獲得したフォロワーを逃してしまうことにもつながりかねないので、注意しておきましょう。

もちろん、こうしたリスクはInstagramに限らず、twitterやFacebookなどほかのSNSも同様です。
Instagramはtwitterよりも凍結リスクが低いSNSとされてきました。しかし、facebookによる個人情報不正利用に関するポリシーが厳しくなったことから、凍結リスクが向上。これから先も同じようにアカウント凍結や削除のリスクが低いままではなくなりました。

時間をかけて大切に育ててきたアカウントであっても、誤ると一瞬で削除あるいは凍結されてしまいます。今回はInstagramアカウントの凍結対策について考えていきましょう。

「異議申し立て」の部分にリンクが設定してあり、リンク先に飛ぶとユーザー名などを記入するフォームが表示されます。フォームをきちんと埋めて「送信」を押すと、メールが届きます。

自動返信メールにはアカウント凍結解除方法が記載されており、解除には3つの手順が求められます。

  • メールに記載されているコード、名前、ユーザーネームを紙に書く
  • 自分の顔を含め、紙を持っている写真を撮る(アメリカの囚人写真のイメージ)
  • 画像を添付して返信する

なかでもハードルが高いのは自分の顔写真を含んだ写真を撮影するという点でしょうか。しかし、最近ではアカウントが本人か確認するため、こうした作業が求められています。
注意点としてはスパムではないのか事前に確認する点です。スパムメールに返信すると自分の個人情報が悪用される可能性があります。
Instagram凍結後に自分で処理したことを確認した後、写真を送るようにしましょう。

その後は1週間~1ヶ月後に確認が取れ次第、凍結解除されるようです。


利根輪太郎の競輪人間学 山本 伸一選手が期待外れ

2022年06月22日 22時37分43秒 | 未来予測研究会の掲示板

高松競輪 FⅠ CTC杯 

最終日(6月22日)

並び 6-1 2-4 3-5 7(単騎)

レース評
山本が強力な捲り先行を放ち上田との一戦を目指すが、久米−室井の破壊力も差はなく接戦。八谷次第で市橋の浮上も充分。

1番人気 2-4(5.2倍)

このメンバーでは、2番の軸は固いと期待する。

だが、捲りが不発に!

期待した方が、悪かったと諦めるほかない。

出目作戦では、本命2番の隣りの1番から車券を買うてこともできたが、皮肉なことに2番山本 伸一選手への変な思い入れが、災いしたのだ。

2-4 2-1 2-3の3連単車券で勝負する。

結果

1-3 3,380円(12番人気)

1-3-5 1万5,660円(55番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 市橋 司優人   11.2    
2 3 久米 康平 1/8車輪 11.4 SB  
3 5 室井 竜二 1/2車身 11.2      
× 4 4 上田 国広 タイヤ差 11.1      
5 7 小川 祐司 1/2車身 11.0      
6 2 山本 伸一 1/2車輪 11.2      
  7 6 八谷 誠賢 7車身 12.2