私の7册目の著作に関連してイベントが計画中で、それの企画をまとめたりしている。
今度は、本の出版だけでなく、レコードメーカーから同タイトルのCDアルバムも同時に発売されるので、来年の私の仕事はこの本の出版、CDリリースと共に明けることになる。
それと、同時にフランス人アーティストの日本での大ブレイク企画も進行しているので、毎日やることは多い。もちろん、前から進行している女性フルーティストたちのグループ<flu.flu>の方も休みなく動いているので、ますますやることは多くなる一方なのだが、まあ、それが私の人生なので、けっして「忙しくて、忙しくて、フ~」なんていうことは言わない(っちゅか言いたくない)。私は、もともと仕事と仕事以外のこと(つまり、遊びっていうことなのかナ?それとも、息抜きっていうことなのかナ?)の区別をしたことがないので、起きてから寝るまでのべつまくなし動いている。私が「仕事」と考えているのは、けっしてお金を稼ぐ手段なんかではなくって、自分という人間がこの世に生を受けた理由ともなるべき役割(つまり、使命とでも言った方が近いかもしれない)のことを指している。つまり、私は、ずっとこれまで音楽でお金を稼いできたけれども、それが私の仕事かどうかはわからないということ。私の本当の仕事、本当にするべきことは他にあるのかもしれない、からだ。要するに、私の言う「仕事」というのは、私という人間が「存在した証し」とも言うべきもの。「みつとみさんて、これをやるために生まれてきたんだよね」と、私が死んだ後に言われるものが果たして何なのか?これを見つけることが、私の人生にとって最も大切なことでもあるのだ。それが、フルートに関連したものなのか?それとも、執筆に関係したものなのか?それとも作曲に関連したものなのかは、結果が出てみないことにはわからないだろう。だから、取りあえず、私は、今私にしか出来ない仕事をこなしている、というわけかナ?
まあ、それにも関係する話しなのだが、プロデュースという仕事をやっていてつくづく思うのは、プロデュースする人とされる側の人との関係だ。つまりは、プロデューサーとアーティストの関係と言ってもいいだろう。私は、この両者の関係は、恋愛関係の男女に似ているなといつも思っている。恋愛に落ちる男女は、まず例外なく相思相愛だろう。どちらか一方の片思いだったら、まず恋愛ということば自体が使えるかどうか...?
プロデューサーとアーティストは、お互いに愛しあっている恋愛関係の二人の関係でなければならない。とは言っても、実際の恋愛関係に陥る必要性はない。恋愛関係の二人の関係ぐらいの強い絆と信頼関係が必要だということだ。どちらか一方が強烈に愛していて、片一方はそれほどでもないという関係のプロデューサーとアーティストの関係も時々は見受けるし、私自身もそんな経験は何回もしている。でも、そういう場合、うまくいった試しがない。プロデューサーがアーティストにものすごい愛情を注いだにもかかわらず、アーティストがいろんな意味でそれに答えなかったとしたら、ある日突然、その愛は絶望に、そして時には憎しみにすら変わることがある。本物の恋愛関係ではないのだから、プロデューサーとアーティストの疑似恋愛が終わった時にはストーカーなどの現象は起こりようもないが、その冷めた恋(プロデューサーの情熱)は周りには、とてもみじめなものに映ることが多い。普通の恋愛関係の男女の間でも「駆け引き」は日常茶飯事に行われるだろうが、こうした仕事上の疑似恋愛においての「駆け引き」は、時に壮絶な幕引きすら起こすことがある。
今回コンサートで一緒したアルパの上松美香さんのような本物のアーティスト性、そして本物のプロ意識を、私のまわりにいる多くのアーティスト候補生たちにも大いに見習って欲しかったのだが...。
今度は、本の出版だけでなく、レコードメーカーから同タイトルのCDアルバムも同時に発売されるので、来年の私の仕事はこの本の出版、CDリリースと共に明けることになる。
それと、同時にフランス人アーティストの日本での大ブレイク企画も進行しているので、毎日やることは多い。もちろん、前から進行している女性フルーティストたちのグループ<flu.flu>の方も休みなく動いているので、ますますやることは多くなる一方なのだが、まあ、それが私の人生なので、けっして「忙しくて、忙しくて、フ~」なんていうことは言わない(っちゅか言いたくない)。私は、もともと仕事と仕事以外のこと(つまり、遊びっていうことなのかナ?それとも、息抜きっていうことなのかナ?)の区別をしたことがないので、起きてから寝るまでのべつまくなし動いている。私が「仕事」と考えているのは、けっしてお金を稼ぐ手段なんかではなくって、自分という人間がこの世に生を受けた理由ともなるべき役割(つまり、使命とでも言った方が近いかもしれない)のことを指している。つまり、私は、ずっとこれまで音楽でお金を稼いできたけれども、それが私の仕事かどうかはわからないということ。私の本当の仕事、本当にするべきことは他にあるのかもしれない、からだ。要するに、私の言う「仕事」というのは、私という人間が「存在した証し」とも言うべきもの。「みつとみさんて、これをやるために生まれてきたんだよね」と、私が死んだ後に言われるものが果たして何なのか?これを見つけることが、私の人生にとって最も大切なことでもあるのだ。それが、フルートに関連したものなのか?それとも、執筆に関係したものなのか?それとも作曲に関連したものなのかは、結果が出てみないことにはわからないだろう。だから、取りあえず、私は、今私にしか出来ない仕事をこなしている、というわけかナ?
まあ、それにも関係する話しなのだが、プロデュースという仕事をやっていてつくづく思うのは、プロデュースする人とされる側の人との関係だ。つまりは、プロデューサーとアーティストの関係と言ってもいいだろう。私は、この両者の関係は、恋愛関係の男女に似ているなといつも思っている。恋愛に落ちる男女は、まず例外なく相思相愛だろう。どちらか一方の片思いだったら、まず恋愛ということば自体が使えるかどうか...?
プロデューサーとアーティストは、お互いに愛しあっている恋愛関係の二人の関係でなければならない。とは言っても、実際の恋愛関係に陥る必要性はない。恋愛関係の二人の関係ぐらいの強い絆と信頼関係が必要だということだ。どちらか一方が強烈に愛していて、片一方はそれほどでもないという関係のプロデューサーとアーティストの関係も時々は見受けるし、私自身もそんな経験は何回もしている。でも、そういう場合、うまくいった試しがない。プロデューサーがアーティストにものすごい愛情を注いだにもかかわらず、アーティストがいろんな意味でそれに答えなかったとしたら、ある日突然、その愛は絶望に、そして時には憎しみにすら変わることがある。本物の恋愛関係ではないのだから、プロデューサーとアーティストの疑似恋愛が終わった時にはストーカーなどの現象は起こりようもないが、その冷めた恋(プロデューサーの情熱)は周りには、とてもみじめなものに映ることが多い。普通の恋愛関係の男女の間でも「駆け引き」は日常茶飯事に行われるだろうが、こうした仕事上の疑似恋愛においての「駆け引き」は、時に壮絶な幕引きすら起こすことがある。
今回コンサートで一緒したアルパの上松美香さんのような本物のアーティスト性、そして本物のプロ意識を、私のまわりにいる多くのアーティスト候補生たちにも大いに見習って欲しかったのだが...。
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