って思うことがここ最近多い。
おそらく、世の中が昔ほどの縦社会ではなくなってきていることが一番の原因なのかもしれない。だからこそ、年令によるタテワリの価値観や人生観ではなく、個々の能力や個々の考え方による違いがはっきり出る世の中になったということなのだろうと思う。
昔(と言っても、私の言う昔はそれほどの遠い昔ではなくせいぜい数十年前のことだ)は、二十歳で一人前の大人。三十で家庭を持って立派に社会人。四十で押しも押されぬ立派な人生観を持ち、かつ社会的な地位をちゃんと持つ人、みたいな人生観や価値観が世の中すべてが括られていたのではないかと思う(この辺って、きっと『論語』とかそういった考え方が元になっているのだろうと思うけど)。しかし、それこそこうした倫理や社会観、人生観は戦後の高度成長期にいわゆる団塊の世代がいっぺんに壊してしまった。まあ、それも彼らが自力で壊したわけでも何でもなくって、単に占領されてしまった相手のアメリカの個人主義的価値観を未消化のまま受け入れたに過ぎなかったわけだから、破壊はできても新しい価値観の構築なんかできっこない。その結果、今の日本の社会のように、ただ「何やっても自由だろ」みたいな大人と子供が増えるだけの社会になってしまったのだろうと思う。
そんなことを考えさせてくれたコンサートに今週は二つも行った。しかも、この二つのコンサートの主役アーティストの年令は、おじいちゃんとマゴほども懸け離れた二人だ。しかし、その二人とも音楽の内容、人間性共に本当に素晴らしいもので、それぞれにまったく別の感動を覚えることができた。ある意味、大人の年令でも、子供の年令でも関係ないよ、その人自身が優れているかどうかの問題だ、ということを実感させてくれたコンサートでもあった。
エルネスト・カブールさんという中南米音楽ファンに憧れの的の人物。このカブールさんのお弟子さんでもあり、現在中南米音楽のギタリストとしては第一人者でもある木下尊敦さんとこれまでに何回も共演させていただいた御縁なのだが、そんなことはまったく関係なく、一ファンとして存分に楽しめたコンサートだった。カチャランゴという小型のギターの第一人者のカブールさんのその演奏ときさくな人柄は、本当に音楽の楽しさと喜びを十二分に味わせてくれた。おん年いくつぐらいなのだろう?かなり高齢なはずなのだが、音楽を心から楽しんでいる人は、やはり年令はいつも不祥だ(笑)。
そして、もう一人のアーティストは、中川晃教さん。以前雑誌でインタビューしてからの御縁だが、この若干23才の若いアーティストには心をくすぐられるものがたくさんある。わりとロック系のアーティストには多いのだが、心の中のナイーブさやピュアな部分を音楽の中にストレートに出してくるタイプのアーティストだ。もちろん、この中川さんはミュージカル畑で活躍なさっている人だから、彼をロックのアーティストとは言えないけれど、心の中はけっこう「ロックな人」だナと思うことが多い。本当にイノセントな子供の心をいつまでも忘れたくない~!と歌の中で叫ぶような純真さを感じると同時に、もっともっと音楽や人間の深みに迫っていきたいと願っているようなそんな若いアーティスト。しかも、ただの若者ではなく、本当に「才能と意志」にあふれた若者。そんな気がする。
才能を持っている人なら世の中にゴマンといる。しかし、ちゃんとそれを自分の「意志」にできる人はけっこう少ない。私のまわりにもたくさんいる。せっかく才能があるのに、どうしてこの子はこれをちゃんと自分の意志として表現できないんだろう?そんな風に思う子が世の中にはあふれている。自分の意志をきちんと相手に伝えていくことは人として生きる基本。自分が「何かをやりたい」と思った時、それをまわりや相手に明確に伝えない限り、自分以外の人は気づいてくれないし、それを理解もしてくれない。しかし、最近は、それを理解してくれないのは「まわりの人間のせい」と思い込むような人が若い人にも中高年にもまったく年令に関係なく多いような気がする。人はコミュニケーションを持たない限り、生きていくことはできない。そのコミュニケーションの方法をわからないか理解しようとしない人があまりに多い。これって、年を重ねれば自然に身につくモノではないようだ。自分自身を客観的に見れない人は、多分いつまでたってもコミュニケーションなんかできないのだろうと思う。自分自身を理解できない人には、相手を理解しようとする気持ちもきっとおきないのかもしれない。
古い時代にあった「人の和」「家族の和」とか「社会の和」みたいなものは、封建的な因習を結びつきやすいので、今さら古い時代に戻りたいとは思わないけど、そういう社会にもあった本当に大事な人と人のコミュニケーションを今の時代にきちんと応用できるような社会にならないのかなといつも思う。「人」を大事にしなきゃ、結局「自分」だって大事にされない。そんな基本的なことをきっとカブールさんも、中川さんも年令に関係なくわかっているんだろうなと思う。それがアーティストの基本だとも思う。アーティストというのは、「自分の心」を明確に「芸で表現できる人」のことを言うのだから。
おそらく、世の中が昔ほどの縦社会ではなくなってきていることが一番の原因なのかもしれない。だからこそ、年令によるタテワリの価値観や人生観ではなく、個々の能力や個々の考え方による違いがはっきり出る世の中になったということなのだろうと思う。
昔(と言っても、私の言う昔はそれほどの遠い昔ではなくせいぜい数十年前のことだ)は、二十歳で一人前の大人。三十で家庭を持って立派に社会人。四十で押しも押されぬ立派な人生観を持ち、かつ社会的な地位をちゃんと持つ人、みたいな人生観や価値観が世の中すべてが括られていたのではないかと思う(この辺って、きっと『論語』とかそういった考え方が元になっているのだろうと思うけど)。しかし、それこそこうした倫理や社会観、人生観は戦後の高度成長期にいわゆる団塊の世代がいっぺんに壊してしまった。まあ、それも彼らが自力で壊したわけでも何でもなくって、単に占領されてしまった相手のアメリカの個人主義的価値観を未消化のまま受け入れたに過ぎなかったわけだから、破壊はできても新しい価値観の構築なんかできっこない。その結果、今の日本の社会のように、ただ「何やっても自由だろ」みたいな大人と子供が増えるだけの社会になってしまったのだろうと思う。
そんなことを考えさせてくれたコンサートに今週は二つも行った。しかも、この二つのコンサートの主役アーティストの年令は、おじいちゃんとマゴほども懸け離れた二人だ。しかし、その二人とも音楽の内容、人間性共に本当に素晴らしいもので、それぞれにまったく別の感動を覚えることができた。ある意味、大人の年令でも、子供の年令でも関係ないよ、その人自身が優れているかどうかの問題だ、ということを実感させてくれたコンサートでもあった。
エルネスト・カブールさんという中南米音楽ファンに憧れの的の人物。このカブールさんのお弟子さんでもあり、現在中南米音楽のギタリストとしては第一人者でもある木下尊敦さんとこれまでに何回も共演させていただいた御縁なのだが、そんなことはまったく関係なく、一ファンとして存分に楽しめたコンサートだった。カチャランゴという小型のギターの第一人者のカブールさんのその演奏ときさくな人柄は、本当に音楽の楽しさと喜びを十二分に味わせてくれた。おん年いくつぐらいなのだろう?かなり高齢なはずなのだが、音楽を心から楽しんでいる人は、やはり年令はいつも不祥だ(笑)。
そして、もう一人のアーティストは、中川晃教さん。以前雑誌でインタビューしてからの御縁だが、この若干23才の若いアーティストには心をくすぐられるものがたくさんある。わりとロック系のアーティストには多いのだが、心の中のナイーブさやピュアな部分を音楽の中にストレートに出してくるタイプのアーティストだ。もちろん、この中川さんはミュージカル畑で活躍なさっている人だから、彼をロックのアーティストとは言えないけれど、心の中はけっこう「ロックな人」だナと思うことが多い。本当にイノセントな子供の心をいつまでも忘れたくない~!と歌の中で叫ぶような純真さを感じると同時に、もっともっと音楽や人間の深みに迫っていきたいと願っているようなそんな若いアーティスト。しかも、ただの若者ではなく、本当に「才能と意志」にあふれた若者。そんな気がする。
才能を持っている人なら世の中にゴマンといる。しかし、ちゃんとそれを自分の「意志」にできる人はけっこう少ない。私のまわりにもたくさんいる。せっかく才能があるのに、どうしてこの子はこれをちゃんと自分の意志として表現できないんだろう?そんな風に思う子が世の中にはあふれている。自分の意志をきちんと相手に伝えていくことは人として生きる基本。自分が「何かをやりたい」と思った時、それをまわりや相手に明確に伝えない限り、自分以外の人は気づいてくれないし、それを理解もしてくれない。しかし、最近は、それを理解してくれないのは「まわりの人間のせい」と思い込むような人が若い人にも中高年にもまったく年令に関係なく多いような気がする。人はコミュニケーションを持たない限り、生きていくことはできない。そのコミュニケーションの方法をわからないか理解しようとしない人があまりに多い。これって、年を重ねれば自然に身につくモノではないようだ。自分自身を客観的に見れない人は、多分いつまでたってもコミュニケーションなんかできないのだろうと思う。自分自身を理解できない人には、相手を理解しようとする気持ちもきっとおきないのかもしれない。
古い時代にあった「人の和」「家族の和」とか「社会の和」みたいなものは、封建的な因習を結びつきやすいので、今さら古い時代に戻りたいとは思わないけど、そういう社会にもあった本当に大事な人と人のコミュニケーションを今の時代にきちんと応用できるような社会にならないのかなといつも思う。「人」を大事にしなきゃ、結局「自分」だって大事にされない。そんな基本的なことをきっとカブールさんも、中川さんも年令に関係なくわかっているんだろうなと思う。それがアーティストの基本だとも思う。アーティストというのは、「自分の心」を明確に「芸で表現できる人」のことを言うのだから。
これからも中川晃教をご一緒に見守っていっていただけたらうれしいです。
明日のキッチンライブ、行けないのがものすごく残念です。次の機会にはぜひ~。