みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

三つ子の魂百まで

2007-06-07 23:46:54 | Weblog
ということばを知っている人もきっと少ないのかもしれないが、小さい頃に親や学校の先生から教えられたことというのは意外なほど忘れずによく覚えているものだ。
最近の年金の問題もそうだし、それ以前から公務員があまりにも職務に怠慢で民間の企業ほどの仕事もしていない云々というようなニュースを見聞きするたびに、小学生の頃担任の先生から授業で教えられたある人の話しがいつも思い出される。
先生いわく「戦後まもなく、お米がまだ配給だった頃、配給されるお米だけじゃ足りなくて、闇で取り引きされるお米を買ってみんな飢えをしのいでいたのです。でも、闇で買うことは違法。なので、それを取り締まる裁判官の人で山口良忠さんという人は、自分が取り締まる立場にいるのに闇のお米で飢えをしのぐのは公務員としてはとてもできないと、一切の闇米を拒否。しかし、現実に自分の子供たちにはちゃんと食べさせなくてはならなかったので、自分の分のお米を子供たちに食べさせ自分の分を削ってしまったために山口さんという人は餓死してしまったのです」。
その話しを聞いた時の私の素直な感想は「なんていうエライ人なんだろう。自分を犠牲にしても子供たちに食べ物を分けてあげたのは本当に公僕としての公務員の鏡みたいな人だ」というもの(今の子供たちが同じ話しを聞いても、きっと「ウソ~」のひとことで終わってしまうだろうけど)。
それほどまだ世の中のことを理解していなかった当時の私にも、その山口さんという人の「えらさ」は素直に理解できたし共感できた。
「公務員というものは、公僕なんだから、まず自分より先に他人であるべきだ」という先生の意図みたいなものをそのままストレートにわかったような気がしていた。
こんな何十年も前の話しを今でも自分の脳細胞が大事にとってあるのは、きっと、私の中にも「自己犠牲」や「自分よりもまず他者」といった美学のようなものが自分の中に必要な意識なのでは?と思っているからなのかもしれない。
私は、公務員のような生き方が嫌いで、むしろそれと正反対のような自由業をずっとやってきたのだが、実は、私の中には「自分よりもむしろ他人」という美学が強く生きている。どこの組織にも属さずに自分一人で生きていく「自由業」という生き方は、もし自分勝手に生きたら簡単に挫折してしまう生き方だ。むしろ、自分以外の他者との関係を一番大切にしないことには絶対になりたたない生き方でもある。
「毎日が日曜日」でもかまわない自由業でもし本当に毎日が日曜日だったら、きっとこの山口さんのように簡単に飢え死にしてしまうかもしれない。自分を律して生きることしか自由業の人たちが本当にサバイバルできる道はない。
童話「アリとキリギリス」の話しで言えば、公務員がアリで、音楽家がキリギリスなのだろうが、現実は、よりセルフコントロールが必要なのはキリギリスさんの方で、ある意味、アリさんの生き方の方が甘い。だから、現実の公務員も「甘さ」に溺れてしまうのだろうが、本来は山口判事さんのような立派な公務員だっていたわけで、それに比べて、社会保険庁の人たちは。。。とついつい思ってしまう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿