仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

継続こそ力なり

2015年04月15日 | 人生観
 若き日のイチロー選手の専属打撃投手を務めた奥村幸治氏がが、イチローに尋ねた事がある。

 「これまでに、これだけは絶対誰にも負けていないと胸を張っていえる努力って何?」


 イチロー選手は、

「高校の時に寮に入っていた三年間、僕は寝る前の10分間素振りをしていました。そしてそれを一年365日3年間欠かさず続けました。それがぼくの誰にも負けないと思える努力です。」


 「継続は力なり」と言うが、「継続こそ力なり」だと考えている。10分間の素振りは、イチロー選手の習慣になっていたのではないかと思う。継続するためには、習慣化できれば一番よい。




 今のところ、自分は習慣化できているのは、朝のストレッチくらいだろうか。真向法を15分くらい欠けてやっている。やっているうちに気持ちよくなるので、続いている。

 このほかにも、毎日の習慣にしたい事はいくつかある。

 例えば、
 「書く時間を10分作る」「掃除をする時間を5分間作る」である。


 書く時間も掃除をする時間も、とってはいるのだが、まとめてとるより、毎日一定の時間作れた方が力が付く気がする。



 
 なお、イチロー選手がしていたという「10分間の素振り」であるが、後日談がある。


 イチロー選手の高校の先輩によると、

「10分間の素振りね、あれは最低10分間だからね。やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ。」

 
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しもやんワンデイセミナーin宮崎2015年3月

2015年04月05日 | 人生観
 先日、「しもやんワンデイセミナーin宮崎」に参加した。

 場の空気が暖かい。人がよすぎるような人たちだけが30人集まっているような場だった。

 手帳活用術に始まり、筆文字講座、そしてマインドマップ講座があった。

 「勝ち組、負け組やない、楽しみ組を目指そう」「楽しみ組に来たら、周りにも広げよう、そういう人は楽しませ組や」
 
 という少しゆるーい感じの言葉が講師の「しもやん」こと下川浩二氏から次々に発せられる。


 最後は(お約束のようである)プレゼントコーナーである。しもやんの対談CDや小冊子がたくさん配られる。このプレゼントコーナーだけでもかなりお得感のある講座である。

 「プレゼント」という行為は、しもやんの1つの哲学になっていると思われる。

 きっとプレゼントすればするほど、プレゼントした人が素晴らしい体験ができるという経験を何回もされているんだろうなあと感じた。


 ゆるい雰囲気だけど、みんながまじめに楽しみながら学んでいる1日だった。

 しもやん、そして企画、運営してくださったスタッフの方々、ありがとうございました。
 
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「仕事の道楽化」とは?

2014年11月19日 | 人生観
本ブログの「仕事の道楽化」という言葉は、本多静六氏の著書で学んだ。

どのような意味かというと、次の引用文の通りである。

>万一不慣れ不適当な仕事に当面することになっても、これを天職と確信し、これを命運と甘受し、迷わず、疑わず、最善を尽くして努力するならば、初めの間こそ多少の苦痛は伴っても、いつとはなしその仕事に慣れ、自分もそれに適応するようになって、能率も上がり、成績も良くなり、自然とその仕事に趣味も生じてくる。そうして、ついにはそれが面白くてたまらなくなるところまで新局面が展開される。そこまで来ればもう立派な「職業の道楽化」が達せられたわけで、この「職業の道楽化」が完成すれば、もはやその仕事に適不適もなければ、利益不利益もない。あとは全く人と職業とが一体化せられて、その大成功は求めずとも必ず向こうからやってくるのである。(以上「人生計画の立て方」実業之日本社p133より)

 大体において仕事は楽しくできるようになったのだが、まだまだ楽しめるはずである。
 仕事の道楽化には、道半ばと言うところである。

 職業の道楽化が達成できれば、人生そのものも道楽化できそうな気がする。
 
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日本人に合った成功の形

2014年09月25日 | 人生観

中村 文昭氏の『何のために』を読み終えました。


 

 

何のために 何のために
価格:¥ 1,620(税込)
発売日:2014-07-23

この方は、もともと夢は持ってなかった。と言っています。ただ、目の前の人を喜ばせ続けたいと考え、実行していたそうです。


よくよく考えれば、日本にはこのような成功例がありました。有名な話です。昔話になっています。目の前の人を喜ばせ続けたら、長者になっていたという話です。日本人ならみんな知っている話ではないでしょうか?







 それはわらしべ長者です。

 わらしべ一つだけのもとでですが、それを使って周りの人を喜ばせ続けたところ、多くの方から信頼される人になっています。


 中村市の本を読みながら、「この人は、わらしべ長者だなあ」と思えてきました。

 目標や夢を持つよりも、まずは目の前にいる人を喜ばせるという生き方の方が、日本人には合っているような気がします。

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大事なのは柔道で頑張ったことを人生に生かすことだ

2014年07月13日 | 人生観

 山下泰裕氏が、月刊誌「致知」2014年7月号で、横綱白鵬氏と対談をしていた。

 山下泰裕氏といえば、柔道界で引退するまで203連勝の負け知らずだった選手である。実際、30年前に柔道少年だった自分は山下氏が負けた試合を見たことがない。

 その中で、山下氏の中学校の時の恩師の言葉が紹介されていた。

~以下引用~

「みんなの中から将来日本チャンピオンになって、日の丸を胸につけて国際舞台に出ていく、そんな選手が出てくれたら俺は嬉しい。夢は大きく持って、その夢に向かって毎日頑張れよ」と。

 

 そういう話から始まって、しかし途中から転調するんですね。

 

「しかしな、どんなに柔道で頑張って日本一になった、世界一になったとしても、選手としてやれるのは30歳くらいまでだ。大事なのは柔道で頑張ったことを人生に生かすことだ」

 

「柔道でチャンピオンになれる人は一人しかいない。しかしその人が人生のチャンピオンになれるかどうか分からない。柔道で学んだことをみんなが普段の生活の中で一所懸命生かしていけば、全員が人生のチャンピオンになれる。柔道はそのためにやるものだ」

 

さらに具体的なこともおっしゃっていました。

 

「みんな俺の話を真剣に聞いてくれているよな。大事なのは俺の話を聞くような気持ちで、みんなのことを思ってくれているお父さん、お母さん、担任の先生の話を聞くことだ」

 

「道場でできることと日常生活を一致させることが大切だ。道場では挨拶もするし、ルールも守る。夢に向かって努力もするし、仲間と力を合わせ、戦った相手のことも思いやる。それを道場で終わらせるな。人生に生かすんだ」

 

こんな話をたびたびされたんです。わんぱく坊主だった私も、そういう話がスーッと心に入ってきたんです。

 ~以上引用終わり~

 かなりの腕白だった山下少年は、柔道のおかげで、恩師のおかげで心も体も頭も成長することができたそうである。柔道を通しての人間形成である。

 柔道に限らず、どんな競技でも、勉強でも、「○○を通しての人間形成」ができると思う。

 人間形成ができるかどうかは、やはり指導者の意識次第である。

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向き、不向きより前向き

2014年06月05日 | 人生観

致知出版社の月刊誌「致知」には、読み応えのある記事が満載である。

「人間学を学ぶ月刊誌」という説明もある通り、よりよい人生を生きるための考え方、哲学、体験談が載っている。


 今日読んだページには、次の記述があった。


  「二十代をどう生きるか」という連載で、野村證券で「伝説の営業マン」と称された市村洋文氏の言葉である。

 ~2014年4月号より~

 体力も気力もある二十代のうちはフルスイング、力の出し惜しみなんかするなと言いたい。中には、「この仕事は自分に向いているのか」「やりたい仕事が見つからない」と考え込んでいる人もいるだろう。

 だが、大事なことは「向き、不向きより前向き」。私はいまだに証券マンが自分に向いていたかどうか分からない。でも、与えられた現状の中で前向きに取り組んできたという自信だけはある。

 青い鳥はどこか遠くにはいない。今与えられた仕事に対して一所懸命努力していくこと以外、自分の人生をよき方向へ導いてくれる解決策はないのだと思う。



 ~以上引用終わり~


 確かに、二十代を精一杯生きた人、挫折を乗り越えた人が三十代、四十代になって花開くような気がする。

 また、向き、不向きはあんまり無いと思う。一所懸命やっていると、自分がその仕事にあっていくものだと思う。
 一所懸命にやっていると、まわりの人に喜ばれる時が来ます。すると、それが自分の喜びになり、さらにがんばれます。

 二十代でがんばっているみなさん、今きつくても、きっと花開く時が来ますよ。
 

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1日を振り返る一番シンプルなポイント

2014年04月07日 | 人生観

 1日を終えて、振り返る時目安にしているポイントが1つある。

「今日は幸せな1日だったかな?」

と振り返る時のポイントである。

 それは、
「心が平静だったか」
である。

 人間だから喜怒哀楽がある。「喜」と「楽」は、たくさんあってもよいが、「怒」と「哀」は、ないに越したことはない。でも、必ず「喜」と「哀」はある。そういう時が必ずやってくる。

 そんな時に、あまり「心を乱さない」方が幸せだと考えている。


 平静な状態でいることを積み重ねるよう心がけている。結構難しいんですよ、これが!

(あまりエキサイティングな人生ではないかもしれないが・・・)


 仕事をしていて、思わず「カッ」となるような時がある。心配でおどおどしそうな時もある。
しかし、そういうことがあったとしても、平静な心で過ごすように努めている。

 1日を振り返った時、「今日も平穏無事に過ぎた。」「こんな感謝すべきことがあった。」と思える日を積み重ねられる人は、幸せである。


 今日の自分は・・・不合格かなあ・・・。


 明日こそは!!

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ばあちゃん有り難うございます

2013年11月14日 | 人生観

 11月5日に祖母が亡くなった。99歳である。亡くなる1時間前から父母と一緒に祖母の病室にいた。午後8時35分に呼吸が止まり、5分後に心臓が止まった。45分に医師の診察で亡くなったことが確認された。実に静かな時間だった。

 死因は老衰である。「眠るように亡くなる」というが、まさしくその通りの亡くなり方だった。自分もこういう死に方が理想だと思えた。


 祖母は、幸せな生き方を実践して見せてくれた人だった。大正4年生まれで、「激動の」という形容詞が着く昭和を生き、苦労もたくさんしたにもかかわらず、そういうそぶりを一切見せない人だった。


 例えば、4人生まれた子供のうち、2人を亡くしている。4歳で三男を、29歳で四男を無くした。この世で最もつらい「わが子を自分より先に亡くす」という体験をしている。どんなにかつらかったことだろう。


 また、曾祖父、曾祖母、祖父の三人を介護している。合計で20年近く自宅での介護をしていた。親や夫を介護できるは幸せなことかもしれないが、重労働ではあったはずである。


 これ以外にも、苦労はたくさんしてきた方であった。


 しかし、それでも、子や孫には一切苦労話はしなかった。いつもどんなときでも上機嫌で接してくれた。

 自分も40歳を過ぎたが、いつも上機嫌でいることの難しさを感じることが多い。


 いつも上機嫌でいられる人は、芯が強いのである。もちろん祖母にも誰かに相談する、頼るということはあっただろう。ただ、子や孫にはいつも上機嫌で接してくれていた。

 葬儀では、孫である姉、妹、そして私が祖母への挨拶をする時間があった。参列者の前で姉や妹が祖母とのメッセージを語る。

 私は、いかに素晴らしい祖母だったかを、ひ孫である我が子や参列者の方にも伝えたいと思い、次のような挨拶をした。



 ばあちゃん、有り難うございます。

 私は、ばあちゃんから、人の悪口や愚痴を聞いたことがありません。ばあちゃんが一番よく言っていたのは、「おおきになあ」「ありがとなあ」という人様への感謝の言葉です。

 ばあちゃんの部屋に行けば、いつも温かい笑顔で、

「元気やったね。みんな元気しちょいね。(元気にしてる?)」

と迎えてくれました。


 大正四年生まれで「激動の」昭和を生きてきたばあちゃんには、つらい体験もしてきたと思います。しかし、そんな苦労は人に語らず、私たち孫やひ孫には、励ましの言葉、あたたかい言葉だけをかけてくれました。


 いつもばあちゃんの部屋に行けば会えた笑顔は、もうありません。


 ばあちゃんがいなくなった寂しさをこれからひしひしと感じることになります。


 ばあちゃんは、私たち孫やひ孫に、幸せに生きるお手本を見せてくれました。
 私もばあちゃんのように、温かさ、優しさを持って生きていきたいです。


 ばあちゃん、本当に有り難うございました。

 

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努力すればするほど楽しくなる

2013年10月24日 | 人生観

 トライアスロンを昔やっていた。


 始めた頃は、5キロ走るのに25分かかった。それでも死ぬんじゃないかと言うくらい必死に走った。


 練習を毎日すると、24分切れるようになった。しかも楽に。


 練習すればするほど速くなった。20分切り、19分も切るようになった。


 昔の自分からは考えられないようなタイムで走れるようになった。

 この時に得た教訓は、「がんばればがんばるほど楽しくなる」

 である。


 考えてみると、高校の頃にテスト勉強がいつもよりできた時は、結果が楽しみだった。


 仕事でも同じだった。


 思い切り準備ができた、勉強できた研究授業の前は、授業をするのが楽しみだった。(うまくできたかどうかは別として)


 努力すればするほど楽しくなるというのは、真理だと思う。



※ ただ、努力すればするほど、新たなハードルが次々に見えてくるのも真実ですよね。

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結果論で言うのは無責任

2013年09月04日 | 人生観

 今日は、台風17号のため、臨時休校になった。残念だが安全確保のためには仕方がない。

 午前9時頃には、青空が広がった。素晴らしい青空である。あまりの美しさに、写真を何枚も撮った。

Img_0859

 こんなに晴れているなら、授業もできたはず・・・。

 と言う主張は、気持ちは分かるが同意はしない。

 なぜなら、

「本日は休校」

という判断は、多くの人を考えての判断であるからだ。


 子どもの安全確保を考えた場合、最悪の場合を想定して休校を決めたはずである。


 登校できるか?もし、登校時刻を送らせても登校できるか?その他、全ての保護者のことを考えて決めている。


 こういうとき、管理職や教育委員会の当事者は悩む。きっと前夜は眠れないはずである。その上での判断を尊重したい。





 以前、運動会の全体練習が雨で延期になったことがあった。当日朝まで土砂降りだったからである。運動場も水がたまっている。

 午前9時頃になったら、晴れてきた。

 そこで、ある教員が言った。
「全体練習もできたのにねえ。」


 自分は体育主任ではなかったが、腹が立った。


「それは結果論でしょう。3時間前は、誰もそうは思えなかったでしょ。」

と思わずいってしまった。



 体育主任も考えに考えた上で決断したはずである。


それを結果論で、「できたのにねえ」はないだろう。

 
 そういうことを思い出して、今回の臨時休校も決断するまでには、悩んだことと思った。


 結果論だけで言うのは無責任な人であると考えている。

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ライバルは自分

2013年06月27日 | 人生観

 わが子達は、みな水泳に興味がある。水泳を競技スポーツとして楽しんでいる。

 

 その子達が競技大会に出た後に親として聞くことは次の2つである。

 1つは、「自己ベストは出た?」

 である。水泳は特に客観的な「タイム」というデータで出る種目である。

 わたしは、専門的なことをあれこれ言えない。

 そんな親としては、

 

 「過去の自分に勝てたか?」が一番の関心事であり、順位などを聞いたことは一度もない。

子どもから、○位だったよ。」と言われれば、「そう、良かったね。」とは言うが、自己ベストを出した報告ほどうれしくはない。

 2つ目は、

「お世話になったコーチにはお礼の「ありがとうございました。」が言えたか。である。優先順位としては、こちらが優先である。

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山・・・ご先祖からのおくりもの

2013年01月21日 | 人生観

 週末は山歩きだった。・・・といっても、登山ではない。

 
 両親は、山に少しだけ土地をもっている。ほんの少しではあるが、5箇所位に別れているため、ややこしい。 
 

 山というのは、境界が分かりにくいことが多いため、専門の方(お役所関係の方)に、境界を調べてもらったそうだ。

 
 

 週末は、その境界に当たる樹にペンキを塗って回った。両親からの依頼(命令?)である。
 
 

 

 びっくりしたことがある。

 

 

 もう亡くなった祖父がつけたペンキのあと(25年位前)が、今もうっすらと残っているのである。

 

 

 
 もっとびっくりしたのは、自分ではない人のため(子孫)に、役立ててもらおうという意識で植林をしたり、木々の手入れをしたりしていた事実を実感したことである。
 

 

 
 自分が幼い頃に植えた木もあった。(ただし2~3本である)

 自分ではあまり覚えていないが、寒くて泣きながら木を植えたような木はする。

 

 
 その木は、今直径20~30㎝位である。大きくなったような気はするが、役立つほどの大きさではない気がする。きっとあと100年位すれば、木材として役に立つであろう。

 

 

 山の中には、直径70センチ位の見るからに立派な樹もあった。

 

 

 それは、祖父や曾祖父が植えたものらしい。

 

 

 祖父「が植えた木は、決して祖父が使えるわけではない。100年後位にやっと使える。

 

 

 しかし、それでも、後世に生きるもののために、木を植えるというのは、何か崇高な行為に思えた。山を通して、何か後世におくりものができるような気がする。

 

 

 そういう意味では、『山』に土地があるというのは、いいものだと思う。ご先祖からのおくりものを目に見える形でいただける気がする。

 

 『山』に限らず、何らかの形で、後世におくりものができるような生き方がしたいなあ。

 

 

 週末は、山を歩きながらそういうことを考えた。

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何のために読書、映画鑑賞、音楽鑑賞をするのか

2013年01月16日 | 人生観

 読書、映画、音楽、どれも自分の生活を豊かにするために欠かせない。

 なるべくたくさん読んで、観て、聴くようにしている。

 
 その目的の1つは、

 自分の古典になる作品、自分が繰り返し触れたくなる作品を探すためである。

 
 「これは、自分の古典になりそうだぞ」と思える作品に出会えた時は、言葉に表せないほどうれしい。


 
 例えば、
 
 小説なら

 池波正太郎氏の「剣客商売」シリーズ
 
 

 

 映画なら
 

 
 フランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」

 

 音楽ならカーペンターズのベスト盤

青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ

 
 
 繰り返し触れて、心が洗われるような気持ちになる。

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心に残る言葉

2012年10月02日 | 人生観

 本当に今を一生懸命生きたら不安はなくなります。不安があるのは一生懸命生きていないからだと思いますし、一生懸命生きていれば、いろんな助けが自然とやって来るんです。
 

 

 みやざき中央新聞平成24年(2012年)10月1日版 土居伸光氏の言葉

 つい手抜きをしてしまいがちな自分には、心に残る言葉である。

 

 

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シルバー川柳

2012年09月26日 | 人生観

 面白いだけでなく、深く考えさせる川柳がある。

 

 シルバー川柳である。

http://www.yurokyo.or.jp/topics/20120918.html

 

 徘徊と噂されて散歩やめ(68歳男性)

 
 
 離れ住む 子らに病む日も無事と書き(74歳男性)

 いびきより 静かな方が 気にかかり(52歳女性)

 カード無し、 ケータイも無し、 被害無し。(75歳女性)

 祖母の知恵 教科書よりも 役に立ち(58歳男性)

 優先席 座って行き先 山歩き(66歳女性)

 

 いずれも人生の深みを感じる。悲しみだけでなく、たくましさ、ユーモアを忘れないたくましさを感じる。

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