仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

手ぶらで帰らせるわけにはいかない

2012年08月14日 | 人生観

 アテネオリンピックでの松田丈志選手のエピソード (メダルを取れずに帰国したときの話)

 

 帰国して成田空港に着いたとき、まずメダリストから出迎えの人たちが待つゲートの外へ出て行くように指示されました。彼らがテレビ局へ向かうためのバスに乗ったあと、メダルのない私たちは荷物を受け取った場所で解散しました。あのときどれだけみじめな思いをしたでしょうか。 

 「自分超え」松田丈志 久世裕美子 著 (新潮社)p.32

 

 この本を読んで、なおさら松田選手の次の言葉が心に響いた。

 「(北島)康介さんには言っていないが、ほかの3人で『康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない』と話していた。」

 

 こういう「誰かのために」頑張る人を応援したくなる。

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当たり前ではない毎日

2012年08月10日 | 人生観

 職場の身内の方が亡くなられたので、葬儀に参列した。

 

 会場には、亡くなられた方の生前の元気な様子を紹介する写真やビデオがあった。

 

 葬儀では、お孫さんが亡くなられた方の思い出を語っていた。

 大きな手で何でも作ってくれた話、

 受験、就職など、悩んでいたときに相談にのってもらい、最後はいつも励ましてくれた話、

 聴いていると涙が出てきた。 本当に尊敬され、慕われている方だったことが伝わってきた。

 

 

 葬儀に参列して、改めて考えたことがある。

 

 1つは、当たり前の毎日は、実は当たり前ではない。

 家族や友人と当たり前のように過ごせる毎日は、実は当たり前ではない。

「死」は、いつやってくるかは分からない。今過ごせている1日は、とても大切な1日である。

 

 2つ目は、悔いなく最後の日を迎えたいということである。

 

 自分は、いつ最後の日を向けるかは分からないが、どれだけ人のお役に立つような生き方ができるだろうかということを考えた。

 まだまだ恩返しも十分できていないし、まだまだ自分にはできることがある。

 

 

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反応する子を育てよ

2012年07月10日 | 人生観

 こんな授業を見たことがある。

教師: 「教科書○ページを開きます。」

児童:・・・無言。

教師:題名を書きなさい。

児童:・・・無言。

教師:○番の問題を解きます。解いたらもってらっしゃい。

(持ってくる)

教師:よくできたね。マルです。

児童:・・・無言。

 

 一見、静かに授業は進んでいく。しかし、違和感を感じた。

 

 それは、子どもが反応していないということである。

 

 反応する子を育てるのは、とても大切である。授業が活性化する。

 こんな授業の方を自分は目指している。

 

教師: 「教科書○ページを開きます。」

児童:・・・(書き終わった子が、「書きました。」と言う。まだの子は、少しプレッシャーを感じる。)

 

教師:題名を書きなさい。

児童:・・・(書き終わった子が、「書きました。」と言う。先ほどとは違う子が「今度こそは!」という気持ちで、はやく書くことも多い。)

 

教師:○番の問題を解きます。解いたらもってらっしゃい。

(持ってくる)

 

教師:よくできたね。マルです。

児童:・・・「やった。できたあ。」

     「有り難うございます。」

 等々である。

 

 

 意外と、こういう「反応するこ」とを指導しているクラスは少ない。

 

 

 基本的には、働きかけに対して反応する子どもを育てることが、本人を初め周りの人たちにとって幸せな教育を進めていることになると考えている。

 (もちろん、指導する内容にもよる。シリアスな内容の場合は、反応は望んでいない。しかし、一般的な学習の場合、反応する子を育てた方がよいと考えている。)

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克服体験を味わう機会を与える

2012年06月12日 | 人生観

 大学時代のことである。キャンプに行った。その時、川遊びをしたときのことが印象に残っている。

 みんな泳ぎは上手だった。ただ、飛び込む遊びになったとき、頑なに拒否する同級生がいた。

 

 岩場から飛び込もうということになったのである。高さはいろいろである。3m、5m、・・・1mの高さもあった。

 どの高さからも「イヤ」という同級生がいた。

 1m位の高さでもダメである。そこから3m位の深さの川ならば、全く問題はないと感じた。

 理由は、「怖い」である。

 

 それまで、もっと深いところで泳いだりもぐったりしていた同級生である。初めは、なぜ「怖い」というのかが分からなかった。

 

 

 よく聴いてみると、深さではなく、高さが「怖い」とのことである。

 

 これまで、泳いだことはあっても、飛び込んだことはないとのことであった。

 

 確かに、経験していなければ「怖い」のである。

 

 逆に、経験していれば、怖くないのである。

 

 

 

 

 小学校、中学校の学習指導要領解説「体育編」には、次のような記述があった。

 

「スタートの指導については, 安全への配慮から, すべての泳法について水中からのスタートを扱うようにする。」

 

 

 愕然とした。これでは、プールの上からのスタートは教えないことになる。

 

 これでは、ますます子どもたちはひ弱になる。前述した「泳ぎはうまいが飛び込みは怖くてできない同級生」をたくさん生み出してしまう気がする。

 小学校のうちに体験していれば、どんな角度で飛び込めばよいのか、どんな角度は危ないのかが分かる。小学生ならば、逆さ感覚などの身体感覚も身に付きやすい。

 

 低いところから初めて、どんな角度で入水すればよいのかを確認し、だんだん高くすればよい。

 

 せめてこれからの子どもたちには、自分と同じ位厳しい環境に身を置き、たくましいからだと精神力を身につけてほしいと心から願っている。

 

 少なくとも、わが子や身近な子どもたちには、飛び込み台からのスタートを教えたい。

 

 そして、自分と同じように、水中に飛び込むときのスリル、楽しさを味わってほしい。

 

 スモールステップをふまえた恐怖体験や克服体験を味わう機会を奪うのは、子どもたちにとってかわいそうである。

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古典に現代の命を吹き込む

2012年05月31日 | 人生観

 下川浩二氏の『人生は、まねしてトクして楽しうもう』のDVDを見た。(本も出ている。)

 その中に、

「TTP・TKP・OKP」

があった。

(自分も、何か上達したい技があれば、次のステップで上達を図るようにしている。)

 

まず手本になる人を見つけて、その人の行動を徹底的にまねる。

TTP・・・「徹底的にパクる」
 

 この中でも、『徹底的に』という点が大きい。つまり『量をこなす』と言うことである。

TKP・・・「ちょっと変えてパクる」

OKP・・・思い切り変えてパクる

 ここまで書いていて、思い出す言葉があった。

 

 それは、『守・破・離』である。

 

 目指しているのは、TTPと同じである。

 

 今の若い人にも分かるように伝える言葉は、やはり『守・破・離』であろう。

学ぶ事は、まねる事から始まる。
まず手本になる人を見つけて、その人の行動を徹底的にまねる。

それが、出来たら次はTKP、「ちょっと変えてパクる」
まねる際に少し自分なりの工夫を入れる。

それが出来たら最後はOKP、「思いっきり変えてパクる」

 

 確かに、この上達論を意識することで、上達は、早まる気がする。

 

 「守・破・離」は、上達論としては昔からある。

 

 この上達のステップを、現代の特に若い人にも分かりやすく伝えている下川氏はすごいと思う。

 

 

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「かたづけ士」小松易氏

2012年05月23日 | 人生観

 日本初の「かたづけ士」小松易氏のDVDを見た。(正確には運転中に「聴いた。」)

 

 「1日に15分間の片付け時間を設定する。」

 

 「ここはきれいにしておく。という『聖域』をつくる。」

 

 は、きれいな状態をキープしておくためにも大変参考になる一言だった。

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言っていることと、していることが一致しているか

2012年05月16日 | 人生観

 「元気に挨拶をしなさい。」

 「笑顔が大事です。」

 「返事をしなさいね。」

 「整理整頓をしなさい。」

 

 等々、教師や大人が子供達に言うことはたくさんある。子どもの幸せを願ってのことである。

 

 自分が子供の頃、素直に聴けるときと聴けないときがあった。

 

 その基準は明確である。

 

 「その人自身が実践しているか」

 

 である。子どもはそこをとても見ていると思う。少なくとも自分は見ていた。

 

 

 実践していない大人に言われると、かえって反抗していたような気がする。

 

 それは、40歳を超えた今でも同じである。

 

 「本を読みましょう。」

 「実践記録をたくさん書きましょう。」

 「時間を守りましょう。」

 

 どれも大切なことである。自分もそうしたい。努力し続けているところであるが、なかなか思うようにはいかない。

 

 最近は、少し世間が分かってきたので、あからさまな反抗はしない。

 

 その代わりに軽蔑する。してしまう。

(修行が足りないなあ。)

 

 

 言っていることと、していることが一致している人は、すごいなあと思う。信用できる。尊敬できる。

 

  自分が尊敬している野口芳宏先生は、いつ話をしても言行一致である。

 

 「自分のやったことしか言わない。書かない。」

 

と主張している。

 

 そして、本当に実践していることしか言わない。

 

 野口芳宏先生のように尊敬できる方々が身の周りにいらっしゃる。

 そんな自分はとても幸せ者である。

 

 追記

 

 自分はできないけれども、子どもに言わなければならないときがある。

 

 そういう時は、自分ではなく、他の人の話をする。

 例えば、読書の場合、

 

「自分は、読書がとても好きです。でも、1ヶ月に10冊読んでいるかどうかです。

 たくさん読書をしているわけではありません。

 ○○くん(さん)と話をすると、読んだ本の話になります。実に楽しそうに、読んだ本の話をします。たくさんの本を読んでいることが分かります。読書を楽しんでいることが伝わってきます。○○くん(さん)みたいに、読書をもっと楽しめるようになりたいなあと思います。」

 

こんな感じで、自分の憧れを語ることが多い。

 

  「読書は大切です。月に○冊読みましょう。」

と、自分のことは棚に上げておいて子供達だけに強制するよりは、ずっと話を聴いてくれると考えている。

 少なくとも、子供の頃の自分はそうだった。

 

 

 

 

 

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 掃除と片づけがメインのゴールデンウィーク

2012年05月06日 | 人生観

 連休最終日、夕べは庭にテントを張り我が家のちびっ子とテント泊。興奮状態で寝付くちびっ子も熟睡。

 

 夜中に風の音で何度も目が覚めるが、ちびっ子は熟睡。

 

 

 外敵から身を守るためにも、壁や屋根のある「家」は大切だなと痛感。

 

 

 午前中は、講座の準備、午後は連休中に大掃除して出たゴミを分別し、最終処分場まで運ぶ。

  (「今日は、200台以上の車(一般家庭)の方が来てますよ。」とのことだった。)

 

 いつもの日曜日と比べても数倍のゴミが搬入されてきたとのこと。「GWは掃除と衣替えの時間」と考えている家庭が我が家以外にもたくさんあるのかもしれないと思った。

 

 

 かえったら、お風呂の掃除、3時間かけてみっちりと掃除をする。

 

 掃除の後の風呂の気持ちよいこと!!

 

 これから何ヶ月はちょこっと掃除をすればきれいな状態が保てるだろう。

 

 そんなこんなで、掃除と片づけがメインのGWだった。

 

 

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こんな休日の過ごし方もいいかもしれない

2012年05月05日 | 人生観

 昨日は、実家(専業農家です)の草刈りをした。

 もうすぐ田植えの時期である。その準備の一つであるあぜ道の草刈りをした。 

 午後2時から始めて終わったのが6時半。4時間半、ほぼずっと草刈り機を背負って作業をした。

 

 今朝は、腰が痛い。昨日は腕の方が痛かったのだが、今朝は腰が痛い。

 

 自宅の掃除もまだやりたいことがあるのだが、無理をしない方がいいだろうなあ。 

 

 以前はこういうことはなかったのだが、これが年を取っていくと言うことなのだろう。

 

 

 疲れた作業ではあったが、作業の後、両親は喜んでいた。

 

 また、作業の合間にみる山々の新緑の鮮やかさはとても美しかった。

 

 よい休日の過ごし方だったと思う。

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応援したくなる人たち

2012年05月03日 | 人生観

 長女は現在合宿で、連休最終日まで泳いでいる。

 

 地元の陸上競技場では、高校の陸上部が合宿中である。

 

 全国的に見れば、この連休をチャンスと捉えてトレーニングや勉強に励んでいる団体は多い。

 

 頑張っている子供達や指導者にエールを送りたい。

 

 

 有り難うございます。

 

 よく職場の方と話すのだが、

 

 「最後は体力勝負になるよね。」

 

 という結論になる。

 

 今頑張っている若者たちは、将来きっと

「鍛えていてよかった。」

 

 と思う日が来るだろう。

 

 そういう鍛える場をこの連休中も作って下さる方々がいる。

 

 本当に有り難い気持ちでいっぱいである。

 

  将来の日本を支える人材を育てて下さっている方々である。 

 

 

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今年のゴールデンウィークの過ごし方

2012年05月02日 | 人生観

 今年のゴールデンウィークの過ごし方は、衣替えと家の大掃除である。

 

 行楽地には行かない。

(根が田舎者であるせいか、人混みが苦手である。)

 

 さっぱりした気持ちで連休明けを迎えるであろう。

 

 連休最後の日に温泉に行けたらもう最高である。

 

 連休疲れはない。

 

 考えてみると、掃除をしていて休みが無駄になったと感じたことはないなあ。

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昔も今も、どの世界でも、世に知られていない名人、達人はいる

2012年04月18日 | 人生観

毎週日曜日は、近所の貸し切り風呂に行く。

 

 そこで、池波正太郎氏の「剣客商売」を読むのが楽しみである。

 

 世に知られていないが、ものすごい剣の達人がたくさん出てくる。 

 

 そういえば、自分の周りにも、有名にはなっていないが、すごい力量を持った教育者が結構いる。

 

 昔も今も、どの世界でもそうなのかもしれないが、世に知られていない名人、達人はたくさんいるのだろう。

 

 「剣客商売」を読みながら、そういうことを考えてしまった。

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自分の力でできていると思ったら大間違い

2012年04月15日 | 人生観

 ある講演会のCDを聴いていたら、心に響く一言があった。

 

 仕事というものは、必ず誰かの助けや支えがあってできている。うまくいっているのは、必ず誰かのおかげである。

 

 

 

 自分の力でできていると思ったら大間違いである。

 

 自分を支えてくれている職場の人、先輩や後輩、そして家族がいるから今の自分はある。

 

 

 

 それを忘れてはいけない。

 

 今日一番自分の心に響く言葉だった。

 

 本当にそうである。

 

 みなさん、有り難うございます。

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別れがあるからこそ人の世は美しく、出逢いがあるからこそ人の世は素晴らしい

2012年03月30日 | 人生観

 「別れがあるからこそ人の世は美しく、出会いがあるからこそ人の世は美しい。」

 

 という言葉は、向山洋一氏の本で知った。

 

 年を取るほど、その意味が分かってくる。

 

 

 歓迎会では、次のように言ったことがある。

 

 

 「『別れがあるからこそ人の世は美しく、別れがあるからこそ人の世は美しい。』という言葉があります。自分が大好きな言葉です。

 

 今、素晴らしい出会いをすることができました。この出会いは、美しい別れの始まりでもあります。

 

 みなさん、美しい別れに向かって、お互い頑張りましょう。」

  今日も、「別れ」を経験してしまった。

 

 しかし、美しい別れだった。

 

 こういう「別れ」を経験しながら、年を積み重ねていくのだろう。

 

 

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「まだかなあ」と待つ楽しみ

2012年03月18日 | 人生観

 小学館の月刊誌「小学○年生」を毎月楽しみにしていた。

 

 発売日は、月末27か28日だったと思う。(宮崎だったので都会よりも3日遅れになると知ったのは大人になってからである。)

 

 まだ発売されていないと知っていながら、2,3日前の26日位から駅前の本屋さんに

 

 「小学○年生、来てますか?」と聞きに行っていた。

 

 思えば、あのワクワクしながら待っていた感覚は、とても幸せだったように思う。

 

 発売日に売っていなかったときは、とてもがっかりしていた。

 

 本屋さんから買って、脇に抱えながら走った帰り道は、とても幸福だった。

 

 

 今ではなかなか味わえない幸福感覚である。

 

 

 ところが、最近似たような感覚を味わっている。

 

 iPadを買うことにしたのである。今、届くのを待っているところである。

 

 iPod touch が製品としてあまりにも素晴らしかったので、買うことにした。

 

 

 今、昔の「まだかなあ」という感覚を久々に味わっている。

 

 

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