仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

家族での休日は「生産的」連帯で過ごすか「生産的」連帯で過ごすか

2017年08月18日 | 家庭教育
 2日間の休暇がもらえた。そこで、家族と過ごすことにした。
 
 何をして過ごすか、家族からは特にリクエストもなかったので、みんなで「掃除」をすることにした。

 まずは、ゴミ出し。ゴミ袋10袋分くらい出した。それだけでもほぼ1日かかった。

 かなりすっきりした。




 あとは、必要なものだけを取り出しやすいところに戻す。

 そして、固く絞ったぞうきんで拭き上げていく。


 
 休暇だから、小旅行に行っても良かったのだけれども、掃除の方が家族で過ごすいい夏の思い出になると考えた。


 家族の連帯にには、大きく分けて2種類あると考えている。

 旅行や外食、買い物などは、「消費的」連帯である。これはこれで楽しい。

 もう一つは、

 一緒に掃除をする。食事を作る。家具を作る。等は、「生産的」連帯である。

 あまり楽しくないときもあるが、これは思い出に残ることが多い。少なくとも自分は思い出に残っている。

 (これらの連帯の中間的なものもあるだろう)

 残り少ない夏休み、「消費的」連帯もいいけれども、「生産的」連帯もおすすめである。

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思春期の息子を叱る時の物差し

2017年06月13日 | 家庭教育
 次男坊が中学3年生、思春期である。

 小学生の頃は、挨拶や返事、履き物揃えなどで厳しく言ってきた。

 中学生ともなると、厳しく言うことはなくなった。

 履き物揃えについては、できていなければさせるが、言われなくてもできている。

 挨拶や返事は、小さいながらもちゃんと言っているので、とやかく言わない。そういう年頃だと考えているので。

 あんまり叱ることもなくなってきた。

 今は、「大丈夫。」「できるできる。」「頑張ったなあ。」等と励ます言葉を多くするように心がけている。

 ただ、叱る時には、叱る。

 判断する時の際の物差しがある。

 それは、

 「30歳になった時の次男坊から見て、『許せない』と感じるであろう時は叱る。」

 である。

 30歳になった次男坊が、中学3年生の自分の言動を見て、

 「これは、いけない。するべきじゃない。」 

 と感じるであろう言動があれば、叱る。ためらわない。

 「お父さん、こんな時は叱ってよ。」

 と言ってくるだろうと想像できる時は、叱る。

 例えば、母親に対して

 「くそばばあ」「ばかやろう」等の言葉を吐いた時である。

 きっと30歳になった次男坊が見たら、

「言うんじゃなかった。」

と後悔するだろう。

 そう判断できる時は、遠慮なく叱ることにしている。
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不登校や引きこもりの子供や若者達のサポートをしている方の講演

2017年05月10日 | 家庭教育
 今晩は、市内小中学校合同の家庭教育学級があった。

 不登校や引きこもりの子供や若者達のサポートをしている方の講演もあった。

 その講演が素晴らしかった。約60分間の公演があっという間だった。

 体験に基づく話、具体的な話は迫力があった。そして、それらの体験から得た教訓がまとめになっており、分かりやすかった。

 例えば、講師の方がこれまで見てきた不登校では、次のような原因、要因があるそうだ。

 
 不登校になる原因、要因

1 ゲーム、ケータイ、パソコンに依存している。(モノがあり、時間制限もない。)

2 父親不在(子供が家庭の頂点になっている)

3 「宿題をしていなかったから学校に行かない」が不登校の始まりであることが多い。

4 孤立した家庭(親は周りに相談できる人がいない)

 


 ほかにもなるほどと感じる学びがたくさんあった。


 
 欧米では、国を挙げて不登校対策をしている。日本は遅れているそうである。

 欧米で、国を挙げて不登校対策をしている理由をきいて納得である。

 理由は「将来の納税者を確保するため」ということだった。




 現場は、机上の空論では対応しきれない。

 例えば、「褒めて伸ばしましょう」と言うが、その結果、自分は有能だと勘違いする子も育つ。

 例えば、「子供の気持ちを尊重しましょう」と言うが、その結果、わがままな子供が育っている家庭もある。 バランスが大事で、褒めるのも叱るのも大事。

 


 「引きこもりやニートになっている若者の9割近くが子供の頃不登校だった」そうである。

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必ず扱う山上憶良の短歌

2017年02月08日 | 家庭教育
 国語では、古文を教える時がある。その時にいくつかおすすめの短歌や詩を紹介している。

 それらはできれば暗唱するほど音読してもらう。

 もちろん、いっぺんにたくさん読むのではなく、少しずつ、短時間で読む。

 ただ1回の授業ではなく、何回にも分けて繰り返し音読してもらう。

 必ず扱う詩文の中の一つが、次である。

 銀(しろがね)も 金(くがね)も 玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

 万葉集の山上憶良の短歌である。確か紀元700年頃の人なので、1300年も前に作られた短歌である。

 小学生が音読しても実感は湧かないだろう。

「ふうん、そうなの?」

 と感じるくらいだろう。(自分がそうだったから。)

 ただ、大人になり、我が子ができるようになると、とてもとても共感できる。

 自分は、子供の頃に覚えていたこの短歌を、大人になってから、我が子ができてから思い出した。

 その時は、感動した。1300年も前の山上憶良の気持ちがよおく分かったからである。

 子を思う親の気持ちは不変である。

 今この短歌を覚えた小学生も、大人になってから実感と共感を味わう日が来るかもしれない。自分と同じ感動を味わってほしい。

 それまでは、子供の心の中に、まるでタイムカプセルのようにしまわれていることだろう。


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家庭で国語力を高める簡単で確実な方法・・・その2

2017年01月22日 | 家庭教育
 家庭で国語力を高める簡単で確実な方法とは、・・・「会話の中で、問いと答えを意識させる」である。

 では、「会話の中で、問いと答えを意識させる」ためには、どうすればよいか。

 それは、「問いに合う答えを言わせる」である。

 例えば、

 親「今日はどこで遊んだの?」 

 子「太郎君と遊んだ」

と言われたら、「どこ?」を聞いたのに、「どこ?」ではなく、「誰?」を答えている。

 

 この後、どうするか?

 なんと言えば、「問いと答えを意識」するか?

 方法は簡単である。

 「はじめの問いを繰り返す」

 それだけでいい。

 親「今日はどこで遊んだの?」 

 子「太郎君と遊んだ」

 親「あらそう。今日はどこで遊んだの?」 そこで、殆どの子は、気づく。

 子「運動公園で遊んだ」

 問いに正対した答えを言う。



 中には、強者もいる。

 2回も同じ問い「今日はどこで遊んだの?」と言っても、

 子「太郎君と遊んだ」 

という子がいる。問いに対する答えを言わない。(うちの子はそうでした)



 それなら、もう一度繰り返せばよい。

 しかも、次は、このように言う。

 「今日はどこで遊んだの?」(「どこで」を少し強調して言う。) 

 そうすると、次はちゃんといえる。



 家庭で国語力を高める簡単で確実な方法とは、「会話の中で、問いと答えを意識させる」という簡単なことである。

 しかし、大人自身が問いと答えを意識して聞いていなければならない。

 結局は、大人の心がけ次第かもしれない。
 
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家庭で国語力を高める簡単で確実な方法・・・その1

2017年01月20日 | 家庭教育
 家庭で国語力を高める簡単で確実な方法とは、次である。

 「会話の中で、問いと答えを意識させる」である。

 簡単なことである。

 例えば

 親「今日はどこで遊んだの?」 

 子「運動公園」「ジャングルジムで遊んだ」


 例えば

 親「昼休みは、何をして遊んでるの?」

 子「○○君たちとドッジボールをしたよ」


 当たり前と言えば当たり前の会話かもしれない。

 しかし、よくよく聞いてみると、子供は問いに対する答えを言わないことがある。結構多い。


 例えば、

 親「今日はどこで遊んだの?」 

 子「太郎君と遊んだ」

 という答え方をする子がいる。「どこ?」を聞いたのに、「どこ?」ではなく、「誰?」を答える子である。


 例えば

 親「昼休みは、何をして遊んでるの?」

 子「運動場にいた」

 という答え方をする子もいる。「何?」を聞いたのに、「どこ?」を答える子である。

 

 だから、親子の会話で、こんな会話もある。(実際にこんなズレた会話がある)

 親「今日はどこで遊んだの?」 

 子「太郎君と遊んだ」

 親「へえー、昼休みは、何をして遊んでるの?」

 子「運動場にいた」

 これで、会話が進んでいくから凄い。


 では、「会話の中で、問いと答えを意識させる」ためには、どうすればよいか。

 それは、明日のブログに続く・・・。
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躾は強制する

2017年01月19日 | 家庭教育
 我が子に対して、躾に関しては、強制的にさせてきた。

 例えば、「挨拶、返事、履き物そろえ」である。そのほかには、「両手でご飯を食べる」「腰骨を立てた綺麗な姿勢で過ごす」くらいかな?(結構多いかな)

 これらは、強制させてよい。強制してでもできるようにさせた方が幸せになるからである。

 もちろん、なぜしないといけないかは、理由は言う。ただ、これらの躾は、できるようになってから初めてその大切さが分かる。だから、説明はほどほどでもよいと考えている。

 強制する上での絶対条件もある。

 それは、言っている大人自身が実践しているという点である。

 実践した上で強制していれば、いずれ子供ももできるようになる。

 さらに言うと、強制するというのは、ガミガミ言うことではない。叱り飛ばすことでもない。

 親が粘り強く「言って聞かせ、やって見せて、やらせてみて、褒め続ける」を続けることである。

 と考えていますが、いかがでしょう。
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我が子に「勉強しなさい」とは言わない。その代わりに・・・。

2017年01月18日 | 家庭教育
 我が子に対して、「躾に関する内容は、強制するが、それ以外は、強制するのはなるべく控えてきた。

 「○○しなさい」という言葉はなるべく言わない。強制されると、さらに意欲が落ちたからである。(自分の場合は!)

 例えば、「勉強しなさい」という言葉は言わない。

 その代わり、「勉強は何時から始めるの?」とは言っている。

 「勉強をしなくてはいけない」と言うことは我が子も分かっているので、しようとは思っているようである。そのきっかけ作りのためである。

 「何時から始めるの?」と聞けば、子供自身が自分の行動を決めることになる。

 「勉強をしなさい」と言うよりは、少しはましだと考えている。





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我が子への褒め言葉を生かす親と生かせない親の違い

2016年12月07日 | 家庭教育
 学校の先生に、我が子のよいところを教えてもらう時がある。

 その後の対応で、子供の行動ががらっと変わる。

 例えば、次のように褒められた場合。

 「太郎君は、履き物そろえの習慣がよく身についていますね。靴箱の靴がいつ見ても綺麗にそろっています。」

 我が家ではあまり並べていない太郎だが、学校ではよくできているらしい。

 我が家で次のように言えばよい。

 「先生に褒められたよ。太郎君はいつも靴を綺麗に並べるよって。さすがだね。」

 そうすると、「自分は靴を並べる子だ。」という意識を持つ。いずれ家庭でも並べる可能性は高まる。

 ただし、逆効果になる言葉もある。次のように。

 「先生に褒められたよ。太郎君はいつも靴を綺麗に並べるよって。」

 その後である。マイナスの言葉を付け加えるのである。

 「家ではちっとも並べないのに、学校ではできるんだね。」

 これを言っちゃあおしまいである。子供の意識に、「自分は、学校では履き物を並べるけれども、家では並べない。」

 という意識が身についてしまう。せっかくの褒め言葉がもったいない。

 学校の先生や周りの大人から我が子が褒められたならば、マイナスの言葉を付け加えずに、そのままの言葉で、また褒めればよい。そうすると、プラスの行動が増えていく。

 意外と、マイナスの言葉(私は「呪いの言葉」と呼んでいる。)を子供に使っている保護者は多い。

 もったいない。

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親の口癖

2016年10月09日 | 家庭教育
うちの親は、口癖があった。

「歯磨きしたか。」

「顔を洗ったか。」

「挨拶しろよ。」

「靴を並べろ。」

「返事をしなさい。」

「人に迷惑をかけるなよ。」

等々、毎日言われていた気がする。

おかげで、大人になるにつれて、少しは意識できるようになった気がする。

うちの子にも、同じように言っているなあ。

大切なことは、繰り返し繰り返し、しつこく言った方がいいのかもしれない。

もちろん、言っている親自身が手本を見せていないと逆効果になるけれども。
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ぐれない子の特徴

2016年09月27日 | 家庭教育
 人に与えるという喜びを知っている。だから絶対にぐれない。ぐれるのは与えることを知らない子供達ですよ。

 月刊誌「致知」2016年10月号p.27にあった、曾野綾子氏の言葉である。


 確かにその通りかもしれない。

 人に人に与えるという喜び、例えば茶碗の片付けをする子、選択をする子のように人の役に立つ時間や労力を惜しまないこのことである。

 そういう子で、ぐれた子を自分も知らない。

 利他の行動ができる子は、ぐれない。
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子供をゲームから遠ざける方法

2016年08月30日 | 家庭教育
 きのうは、「子供がゲームに夢中になるのは誰の責任か」を書いた。

 では、ゲームから遠ざける方法は何か。

 それは、ゲームよりも楽しい遊びを与えればよい。

 基本的には、自然の中で体を動かして遊ぶのは、多くの子が好きである。

 自然の中で遊ぶ時は、ゲームよりも遙かに多くの情報に接する。しかも、五感をフルに使って遊ぶので、刺激的である。

 ということで、うちの場合は、近くの川(または遠くの海)に連れて行くことが多い。



 川にいる生き物を捕ったり、近くの獣道を歩いたりするだけで刺激的な出来事にたくさん出会う。

 あっという間に時間がたつ。

 「えっ?もう夕方?」

 と我が子は言っていた。

 
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子供がゲームに夢中になるのは誰の責任か

2016年08月29日 | 家庭教育
 子供がゲームに夢中になるのは、親の責任である。

 子供というのは、一番楽しいことをする。一番と二番との差はものすごく大きい。

 ゲームに夢中になっている子というのは、それ以外の楽しい遊びを知らないのである。

 楽しい遊びを教えていない、もしくは、楽しい遊びをする機会を与えていないという意味で、親の責任である。

 本当は、子供はゲームよりも自然の中で遊ぶことを好む。

 慣れないうちは、虫が怖い、何かちくちくする、べたべたする等の不快感を味わうかもしれない。

 しかし、それらへの対処を覚えれば、リアルな楽しい世界が待っている。

 例えば、魚釣りが好きな子がいたとする。そういう子は、魚釣りのテレビゲームも好きかもしれない。しかし、あくまでも一番目はリアルな魚釣りである。

 テレビゲームは、リアルな魚釣りの楽しさにはとうてい及ばない。



 親に責任があると書いたが、親も自然の中で遊んでいなかった世代になりつつある。

 そうすると、高度成長期に親だった、今のお爺ちゃんお婆ちゃん世代にも責任があるかもしれない。

 せめて我が子や自分が関われる子供達には、ゲーム以上に楽しい世界を味わわせたい。
 
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幸せな子供に育てる親の口癖

2016年08月10日 | 家庭教育
 「いい子に育っているなあ」と感じさせられる子の親には、共通する特徴がある。

 それは、口癖というか、言葉の習慣である。

 いろいろあるが、大きな特徴としては、

 「プラスの言葉をたくさん口にする」

 である。

 例えば、

 食事をした一口目

 「うまい!」と呟く。

 例えば、

 親子で一緒に遊んだ後、

 「あ~、おもしろかった。」と呟く。

 例えば、

 仕事から帰ってきての一言、

 「今日も仕事を頑張ったあ。充実した一日やった。」と、しみじみ呟く。

 子供は親の口癖をまねしてしまう。それ以外の口癖を知らないから。

 プラスの言葉を口にする度に、実は口にした本人は幸せを感じることになる。

 逆に、マイナスの言葉を口にしたらどうなるかを考えればよい。

 「まずい!」「「つまらなかった。」「仕事で疲れた。きつかった。」

 口にする度に不幸を味わうことになる。

 簡単なことだけれども、現実には、マイナスの言葉を口にしている大人は多い。

 子供もその通りにまねして育っていく。

 自分も気をつけないといけないなあ。
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斜めの関係が豊富

2016年06月01日 | 家庭教育
 勤務している地区の子は、本当に素直でのびのびと育っている。

 宮崎県は、「いい子どもが育つ」都道府県ランキングでは、常にトップクラスにある。

 宮崎県の中でも、うちの地区の子は、いい子に育っているなあと感じる。



 まず、変なストレスを感じていない。習い事や部活などで、過度の競争をすることがない。

 保護者や祖父母、地域の方からかわいがられていることが伝わってくる。(会話すると分かる)

 中でも、都会と最も違うだろうなあと言うのが、「斜めの関係」の豊富さである。

 親子は縦の関係といえる。しかし、近所のおじちゃんおばちゃんやお兄ちゃんやお姉さんは、それに対して斜めの関係であるといえる。


 特に、うちの地区は、近所のお兄さんお姉さんの存在が大きい。

 斜めの関係の人は、アドバイスをしてくれる。褒めたり、場合によっては叱ったりしてくれる。

 「親が言っても聞かない。しかし、近所のお兄ちゃんが言うと子供は聞く。」

 なんてことが結構ある。

 きっと、お兄さんやお姉さんにとっては、「自分もしっかりしなければ、お手本にならなければ」という責任感も感じいているような気がする。



 都会の多くの地域では、親子の関係、つまり縦の関係が人間関係の多くを占めているだろう。

 うちの地区は、斜めの関係が豊富である。人間関係が豊富なのだ。
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