今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の「ひとこと」です。
「物くれる人はいい人にきまっている」
山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「やぶから棒」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。
「お歳暮を虚礼だというものがあるが、とんでもないことである。『徒然草』の昔から物くれる人はいい人にきまっている。
(略)
大きな声では言えないが、私は袖の下またワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる。下級官吏が意地悪だったり、新聞記者が正義を振回しすぎるのは、彼らにワイロをおくる人も、またくれる人もないせいである。
だから中元と歳暮があるのだなと、私は思っている。この時に持参すればおかしくない。すこし金目のものでも、それは歳暮であって袖の下ではないと、思い思われることができて、古人は何とうまいことを考えたのだろうと私は感心するのである。」
(山本夏彦著「やぶから棒」所収の「潔白なのは残念なこと」と題するコラムです。)
ついでながら、「徒然草」の第百十七段に次のような件があります。
「友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵(つはもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。
よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師(くすし)、三つには知恵ある友。」
「物くれる人はいい人にきまっている」
山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「やぶから棒」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。
「お歳暮を虚礼だというものがあるが、とんでもないことである。『徒然草』の昔から物くれる人はいい人にきまっている。
(略)
大きな声では言えないが、私は袖の下またワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる。下級官吏が意地悪だったり、新聞記者が正義を振回しすぎるのは、彼らにワイロをおくる人も、またくれる人もないせいである。
だから中元と歳暮があるのだなと、私は思っている。この時に持参すればおかしくない。すこし金目のものでも、それは歳暮であって袖の下ではないと、思い思われることができて、古人は何とうまいことを考えたのだろうと私は感心するのである。」
(山本夏彦著「やぶから棒」所収の「潔白なのは残念なこと」と題するコラムです。)
ついでながら、「徒然草」の第百十七段に次のような件があります。
「友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵(つはもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。
よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師(くすし)、三つには知恵ある友。」