「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・07・08

2005-07-08 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「昭和二十年八月の原爆を、直接間接経験した日本人はまだたくさんいます。あれは人間のすることではないと言いますが、あれこそ人間のすることで、ほかの動物なら決してしないことです。人は獅子や虎を猛獣と呼んで恐れますが、なに彼らは腹がいっぱいなら何もとって食いはしません。弱い動物は彼らが満腹しているか否かを見て、満腹していると見定めるとその前を悠々と通ります。強い動物は後日のためにたくわえるということをしません。かくて弱い動物と強い動物は何万年も共存してきました。それを崩したのはほかでもない人間でした。いま、たくわえることは悪いことだと言いました。以前は保存するといってもかす漬けやみそ漬けくらいでしたが、このごろは冷凍して二年でも三年でもどんな大量でも保存できます。ほとんど無限に出来ます。
 ほかの動物は無益な殺生をしません。いま言ったように保存出来ないからで、保存出来るのは人間だけで、したがって人間は万物の霊長で、その人間に近いものほど高級だという考え方があって、最も近いのが猿だと言われていますが、猿のどこが高級ですか。いったいあれを見て顔をそむけない人がいるでしょうかと、科学史家の筑波常治氏が書いています。
 筑波さんいわく、人間はそんなに高等ではない人間は美しくない人間に近い動物ほど美しくない人間が高等なんかでない証拠は、いくらでもある生命の歴史全体からみた場合、これは地球上の『狂った進化』のなれのはてで、『人間の尊厳』だの『人間、この素晴しきもの』などという文句を見ると虫酸がはしる人間の繁栄ははてしない殺し合いの継続である『狂った進化』のふさわしい目標は人間の平穏裡の絶滅で、これこそ最高の幸福だと思う
 現代医学は人をなが生きさせようと懸命だが、それより安楽に早く死ねる手段の開発こそ研究の目標にすべきである近ごろ発想の転換と言うが、どうせ転換するならこのくらい転換せよ、と筑波さんは結んでいますが、私は大賛成です。同じディレクションのなかで、いくら発想を逆転させても、それはその外へは出られないでしょう。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする