今日の「お気に入り」は、小田島雄志さんの「駄ジャレの流儀」(講談社)の中で紹介されている戸板康二さんの傑作駄じゃれのひとつです。
宝塚出身の南悠子さんの、四十歳の誕生日に戸板さんが仰ったという言葉。
「四十にしてマドモアゼル」
この駄じゃれは、「論語」の中の次の段を知らない人には通じないのです。これを知らない人はいないだろうと仰いますか。いるんです。
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩、
「子曰く、吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。」(為政4)
(孔子さまが言った、『わたしは十五歳で学問に志し、三十歳でこれが自分の学問だというものができた。四十歳で判断に迷いが生じなくなった。五十歳で天がわたしに与えた使命がわかった。六十歳で人の言葉が耳に逆らわず素直に聞けるようになった。七十歳で自分の思うとおりに行動しても行きすぎることがなくなった』)
「かぎカッコ」の中は読み下し文。(カッコ)の中は中野孝次さん(1925-2004)による現代語訳。
宝塚出身の南悠子さんの、四十歳の誕生日に戸板さんが仰ったという言葉。
「四十にしてマドモアゼル」
この駄じゃれは、「論語」の中の次の段を知らない人には通じないのです。これを知らない人はいないだろうと仰いますか。いるんです。
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩、
「子曰く、吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。」(為政4)
(孔子さまが言った、『わたしは十五歳で学問に志し、三十歳でこれが自分の学問だというものができた。四十歳で判断に迷いが生じなくなった。五十歳で天がわたしに与えた使命がわかった。六十歳で人の言葉が耳に逆らわず素直に聞けるようになった。七十歳で自分の思うとおりに行動しても行きすぎることがなくなった』)
「かぎカッコ」の中は読み下し文。(カッコ)の中は中野孝次さん(1925-2004)による現代語訳。