「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・07・10

2005-07-10 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「黒岩涙香の『萬朝報』のことは旧著のなかに書きましたが、明治の一流新聞で、はじめ醜聞で売出しました。『蓄妾実例』と題して妾を持っている各界名士の私行をあばきました。妾を持てない読者は喜び、妾を持つ名士は恐れ、妾を持たないけれど持つ力のある人はこの新聞と涙香を憎みました。涙香は醜聞を赤い紙で刷りましたので、世間はこれを赤新聞と呼びました。涙香は天才的ジャーナリストで、ほかに美人投票、百人一首大会などたて続けに企画し、いずれも成功しました。社業ようやく盛んになると彼は、内藤湖南、森田思軒、田岡嶺雲、内村鑑三、幸徳秋水、堺枯川(利彦)などを招いて社員にしました。いずれも当時第一流の操觚者(そうこしゃ)で、内村幸徳堺の三人が日露戦争に反対して、その論説をこの新聞に載せたことは、萬朝報は滅びてもいまだに語り草になっています。
 こうして萬朝報は時事や朝日を凌ぐ新聞になりましたが、それでも赤新聞であった過去を拭い去ることは出来ません。新聞記者の社会的地位は戦前までは低く、貸家があっても貸してくれないほどでした。かげでは『羽織ゴロ』と呼ばれていました。口では立派なことを言っているが、何をしているか知れたものではない、紋付羽織を着たゴロツキだというほどのことで、その恐れられることいまの週刊誌に似ていました。週刊誌は『押売と週刊誌お断り』と言われることがあるそうで、それだからいいのだと私は書いたことがあります。
 大新聞はいま正義の権化になって、やましいところはひとつもなくなってしまいました。ついこの間まで羽織ゴロだったことを忘れてしまいました。むかしの新聞記者は心中ひそかに恥じていました。自分はやましくなくても、自分の仲間、同業者がやましいことをしているなら恥じないわけにはいかないと、みな内心忸怩としていました。いまはしません。忸怩としなくなると、人はみな増長すること新聞記者に限りません。つまり人は潔白になってはいけないのです。社員一同潔白だと思いこんでしまうと、自分の言うことに間違いはないと思うようになるからです。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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