「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・07・14

2005-07-14 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『彼は意識的に反抗した』『彼には国家という観念がない』などと言わずに『彼はわざと反抗した』『彼には国家という考えがない』と言ってはどうかと、谷崎潤一郎はあの名高い『文章読本』(中公文庫)のなかで勧めている。
 巡査よりおまわりさん、容疑者よりお尋ね者のほうがいい、それには職人の言葉が参考になると谷崎は同じ本のなかで書いている。
 職人の言葉もそうだが、花柳界の言葉も参考になる。その一つに、思い出すと苦笑せずにはいられない『ご相談』というのがある。
 芸者は『芸』を売って、『色』を売らないことになっているが、実際は売る。ただ、なかなか売らないのと、すぐ売るのがいて、なかなかはすぐを当然バカにする。すぐは芸者のくせに芸がないから色を売るので、衣装が劣るのでひと目でそれとわかる。
 別に時と場合によって売るのがいる。女将に相談すると、たいてい承知するからこれを『ご相談』と言う。
 客が帰るのを玄関まで芸者が送って出て、客が『おや雨か』と気がついて『たまらぬな』とつぶやいたのを『泊らぬか』と聞き違えて『どちらでも』と小声で答えたのをあざけって書いた随筆をむかし読んだことがある。この女は芸も少しはあり、衣装もさして見苦しくなかっただろうに、と思えば哀れである。
 いまもむかしも赤坂や新橋では『待合政治』が行われている。なぜ行われるかというと、待合での話なら絶対に漏れない。バーやクラブなら漏れる。いくら非難されても改まらないことには、改まらないわけがある。
 ところがついこの間赤坂でそれが漏れた。これでは待合の意味がなくなるから、近く滅びるだろうと、その委曲を『諸君!』に書いた。なかにちょっといい言葉がたくさんある。これはその一つである。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする