今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 わが神わが神では何のことか分るまいから、その前後を言うと、
――昼の十二時より地の上あまねく暗くなりて、三時に及ぶ。三時ごろイエス大声に叫びて『エリ、エリ、
レマ、サバクタニ』と言い給う。わが神、わが神なんぞ我を見棄て給いしとの意(こころ)なり、云々。」
「 聖書は文語体を最後まで残したものの一つだったのに、これも戦後口語に改められた。わが神わが神のくだ
りは『私の神よ、私の神よ、なぜ私を見すてられたのか』となった。『一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ
一粒にてあらん、もし死なば多くの果(み)を結ぶべし』『もし一粒の麦が地に落ちて死なないなら、ただ一つ
のまま残る。しかし死ねば多くの実を結ぶ』。
わが神わが神のほうは朗々誦することが出来るが、私の神よ私の神よのほうは出来ない。どうしてこれほどの
愚挙が行われたのか、すべては時の勢いだというよりほかない。」
(山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)