「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・05・06

2006-05-06 08:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成12年5月の「遅まきながら『東京県人会』」と題したコラムの中の文章です。

 「『東京人』六月号が花柳界特集をしているのを見て、『向島』がはいっていない、差別だと微笑を禁じ得なかった。
 花柳界は男女の交際がままならなかったころの社交界で、ここは女が自由に発言してわがままに振舞える唯一の場所だった。なかでも柳橋は旧幕のころから東京一の土地で、明治維新の成上りの官員をきらって、旧幕臣の味方をしたから、官員は新橋の『転び芸者』をひいきにして柳橋は名のみの一流で次第に衰えた。戦後最も早く滅びた。
 山の手は下町の風俗言語を下品だと言った。下町は山の手をヤボだと言った。昭和初年までは着物の柄と着付が下町と山の手でははっきり違った。食い物の好みもちがった。下町のおでんはまっ黒だった。山の手のは次第に白くなった。まっ白なこんにゃくなんて食えるか。
 天ぷらもごま油であげたから黒ずんでいる。関西風が東京に攻めのぼってきたのは昭和初年で、天ぷらの衣は薄く色はすき通るほど黄色で上品である。あっというまに西風(せいふう)は東風を圧した。
 東京ではおしんこと言わない、香のものまたはお香こという。試みに深川育ちの青年に聞いたら、今でも家(うち)ではお香こと言っているそうである。
 私はこの百年を関西が関東を滅ぼした時代だとみている。若年のころ私は、学校内の寮の一隅に『愛知県人会』『岡山県人会』の看板が出ているのを見上げて多少の感慨を催した。地方出身者は早くも将来の人脈を探っているのだなと理解した。東京人にはついぞ無いことである。お国はと問われて、薩摩です、長州ですと答えれば僕も私もと話がはずむ。東京ですと言えば僕も私もと応ずる者がないから座は白けるから言わない。かえってハワイやニューヨークにはいまだに和歌山県人会、広島県人会があって、そこでは昔なつかしいいっそ古風な日本語をきくことができると聞いた。」

 「戦後はながく向島は末流の三業地だった。ところが知恵者がいてアルバイトの娘を百人以上やとって芸者風にキモノを着せ、なかに五人に一人、十人に一人本ものの芸者をいれると遊興している気分になって、いま花柳界では唯一繁昌している土地に成上った。それでも末流は末流だと認めないガンコ者がいるのに私は微笑を禁じ得なかったのである。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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