「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

おだまり 2006・05・14

2006-05-14 08:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から「美川憲一は云う『おだまり』」と題した平成十二年十二月の小文の一節です。

 「いま美川憲一ともとパトロンの間がもめている(本誌十一月二十三日号)。美川憲一は三十五年前売出して二十年近く忘れられて、この十年ほど前奇跡的にカムバックした歌い手である。」(筆者注:本誌とは週刊新潮)

 「芸人というものは再起しないものだった。それがテレビ時代になって変った。旦那が『法人』になった。芸人にカムバックはなかったのにタレント不足のテレビは人をもてあそぶ。克美茂は東京から声がかかって、邪魔になった情婦を殺した。もう一度檜舞台がふめると思ったのである。
 げんに美川憲一は再起している。今の若者はピンク・レディーの名も知らない。美川憲一は怪しい中年の新人だと思っている。いかにも借用書は書いた、藤山寛美や勝新太郎のように書いた、むろんもらったつもりである。
 それを今さら返せもどせと言われるのはあんまり芸人の世界を知らなすぎる。ところが戦後芸人は芸能人という芸術家になった。双方とも自分の都合のいいモラルを新旧を問わずにとって譲らないのである。
 今でもあのタレントなら、またあの選手ならオレが呼べばすぐ来るとバーの女たちに電話をかけさせる男がいる。果して万障くりあわせてくる、女給どもに威勢を示したのである。
 藤山寛美と勝新太郎は最後の芸人だと今でもほめものである。近くはいる金、はいるかはいらない金まで使ったからである。みんなあぶく銭である。寛美は若いころ路傍で母と共にいた子に、『アレ寛美だ』と指さして言われたとき、『およし指がくさる』とその手を払われたそうである。芸人というものはなが年こういう扱いをうけてきたのである。アウトローなのである。だから芸ひと筋、これだけを守ってきたのである。芸人が芸能人、アルティストになってこのかた別人になったようだが、どたん場になると化けの皮がはがれて昔の芸人にもどる。人はそのほうが好都合なときはもとに戻る。どっちもどっちなのである。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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