今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「むかし島崎藤村は時代を明治、大正、昭和と年号で区切って理解すると誤る、明治は大正十二年の大震災まで残っていた。」
「藤村は大震災までは明治の続きで、大正十二年から昭和ははじまったといった。卓見である。私は藤村に従って昭和三十年代、正しくは東京オリンピックまでは戦前が残っていて、それ以後から戦後がはじまったと見るようになった。」
「昭和三十年代までは、戦前と同じ貧乏があった。銭湯の時代だった。湯は石炭で、または薪でたいた。したがって月に一度は煙突掃除が回ってきた。会社には十六七の夜学生がいた。夜学生は天丼でもカツ丼でもよかったら二つ食べないかとすすめても、以前は食べたのに食べなくなった。もう飢餓の時代は去ったと漠然と知って、誰もすすめなくなった。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
このコラムの中で、山本夏彦さんの文章に乱れがあらわれています。筆者の見る限りでははじめてのことでした。
「むかし島崎藤村は時代を明治、大正、昭和と年号で区切って理解すると誤る、明治は大正十二年の大震災まで残っていた。」
「藤村は大震災までは明治の続きで、大正十二年から昭和ははじまったといった。卓見である。私は藤村に従って昭和三十年代、正しくは東京オリンピックまでは戦前が残っていて、それ以後から戦後がはじまったと見るようになった。」
「昭和三十年代までは、戦前と同じ貧乏があった。銭湯の時代だった。湯は石炭で、または薪でたいた。したがって月に一度は煙突掃除が回ってきた。会社には十六七の夜学生がいた。夜学生は天丼でもカツ丼でもよかったら二つ食べないかとすすめても、以前は食べたのに食べなくなった。もう飢餓の時代は去ったと漠然と知って、誰もすすめなくなった。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
このコラムの中で、山本夏彦さんの文章に乱れがあらわれています。筆者の見る限りでははじめてのことでした。