今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成12年6月の「反論よおこれおこれ」と題したコラムの一節です。
「NHKの『週間こどもニュース』を私は時々見た。毎日曜あさ十時ごろの放送だったが、この四月から時間を変えたので見失ってしまった。人気番組の放送時間は変えぬがいい。
昭和三十年代までの子供は旧式の目ざまし時計をあけて見て、大小の歯車がかみあって時計の針は動いていることを承知した、時計がクォーツになって以来こじあけて見なくなった。同じくラジオもトランジスタになってからはこわさなくなった。
子供は何でも知っている。電算機なんかあけても理解できないことを知っている。すべてブラックボックスになったのである。マイコンのたぐいは操作はすれども理解はせずで、子供ばかりではなく、大人も野蛮人に返ったのである。
こうして現代人は理解できないものに包囲されて、それを甘受するようになった。こどもニュースは二十一世紀は二千年からか、それとも二千一年からか、西暦が出来た当時はゼロがまだ発見されていなかったから、キリストが生れた年を西暦一年にした。わが国の数え年と同じだから、二千年は二十世紀末で、二千一年から二十一世紀だと早く教えてくれた。また夫婦別姓案はまだ認められていないといわれて私は一つ学問した。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「NHKの『週間こどもニュース』を私は時々見た。毎日曜あさ十時ごろの放送だったが、この四月から時間を変えたので見失ってしまった。人気番組の放送時間は変えぬがいい。
昭和三十年代までの子供は旧式の目ざまし時計をあけて見て、大小の歯車がかみあって時計の針は動いていることを承知した、時計がクォーツになって以来こじあけて見なくなった。同じくラジオもトランジスタになってからはこわさなくなった。
子供は何でも知っている。電算機なんかあけても理解できないことを知っている。すべてブラックボックスになったのである。マイコンのたぐいは操作はすれども理解はせずで、子供ばかりではなく、大人も野蛮人に返ったのである。
こうして現代人は理解できないものに包囲されて、それを甘受するようになった。こどもニュースは二十一世紀は二千年からか、それとも二千一年からか、西暦が出来た当時はゼロがまだ発見されていなかったから、キリストが生れた年を西暦一年にした。わが国の数え年と同じだから、二千年は二十世紀末で、二千一年から二十一世紀だと早く教えてくれた。また夫婦別姓案はまだ認められていないといわれて私は一つ学問した。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)