今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成13年10月の「牝鷄晨す」と題した小文の一節です。
「来世は男に生れたいかと女に問うと、戦前はみんな男に生れたいと答えた。
『人生婦人の身となることなかれ、百年の苦楽他人(夫)による』と唐代の詩人はうたったから、千何百年も前からそうだったのだろう。女はソンで男はトクだと思っていたが、戦後は反対になった。
次第に来世も女に生れたいと答える女がふえたが、今は十人中九人までは再び女に生れたいと答える。」
「まれに一年間だけなら男に生れてもいいがそれ以上はいや、もとの女に返りたいという娘がある。これはまだ男を知らぬ女だ。男を知った女に問うと男は哀れだからと言う。たいてい年増で、どこが哀れだと問いつめてもそれ以上は答えない。」
「男が哀れだというのは sex のことである。女は自立できるようになると男と対等になった。生む生まないは女の勝手にはなったが、本来女の体は生むようにできている。だから男をしぼってしぼってやまないのである。女に敵う男はない。古人はそれを知ってつとに牝鷄(ひんけい)晨(あした)すと言った。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
(筆者注)広辞苑によれば、「牝鷄晨す」は、「牝鶏が時をつくる意で、女が勢力をふるうことのたとえ、家や国がほろぶ前兆・原因とされた」とあります。
「来世は男に生れたいかと女に問うと、戦前はみんな男に生れたいと答えた。
『人生婦人の身となることなかれ、百年の苦楽他人(夫)による』と唐代の詩人はうたったから、千何百年も前からそうだったのだろう。女はソンで男はトクだと思っていたが、戦後は反対になった。
次第に来世も女に生れたいと答える女がふえたが、今は十人中九人までは再び女に生れたいと答える。」
「まれに一年間だけなら男に生れてもいいがそれ以上はいや、もとの女に返りたいという娘がある。これはまだ男を知らぬ女だ。男を知った女に問うと男は哀れだからと言う。たいてい年増で、どこが哀れだと問いつめてもそれ以上は答えない。」
「男が哀れだというのは sex のことである。女は自立できるようになると男と対等になった。生む生まないは女の勝手にはなったが、本来女の体は生むようにできている。だから男をしぼってしぼってやまないのである。女に敵う男はない。古人はそれを知ってつとに牝鷄(ひんけい)晨(あした)すと言った。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
(筆者注)広辞苑によれば、「牝鷄晨す」は、「牝鶏が時をつくる意で、女が勢力をふるうことのたとえ、家や国がほろぶ前兆・原因とされた」とあります。