今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日引用した平成12年6月の「わが社は老人語の宝庫」というタイトルのコラムの一節です。。
「内田百の晩年の小説集に『いささ村竹』がある。中野重治に『むらぎも』がある。共に何やら床しいのは、わが宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の 音のかそけきこの夕べかも(大友家持)の古歌の裏打があるからである。むらぎもは『心』にかかる枕言葉でこれも多くの古歌がある。
わが国の字引は新しい言葉をとりこみたがる。五千語ふやした一万語ふやしたと自慢する。けれども字引はハンディでなければならぬ。一万語ふやすには五千語追いださなければならぬ。『リトレ』というフランス語の字引は新しい言葉はすぐ消え失せる、三十年たってなお生き残っているならやむを得ない、渋々採用すると聞いた。新語、流行語はそれぞれの字引にまかせる方針である。今も堅持しているだろうか。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「内田百の晩年の小説集に『いささ村竹』がある。中野重治に『むらぎも』がある。共に何やら床しいのは、わが宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の 音のかそけきこの夕べかも(大友家持)の古歌の裏打があるからである。むらぎもは『心』にかかる枕言葉でこれも多くの古歌がある。
わが国の字引は新しい言葉をとりこみたがる。五千語ふやした一万語ふやしたと自慢する。けれども字引はハンディでなければならぬ。一万語ふやすには五千語追いださなければならぬ。『リトレ』というフランス語の字引は新しい言葉はすぐ消え失せる、三十年たってなお生き残っているならやむを得ない、渋々採用すると聞いた。新語、流行語はそれぞれの字引にまかせる方針である。今も堅持しているだろうか。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)