今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から平成13年9月の「舞妓さんにわたしはなりたい」と題した小文の一節です。
「不思議な投書を見た。鎌倉在住の八歳の少女の『まいこさんに私はなりたい』という投書である(朝日新聞八月三十一日)。こんどは『私もなりたいまいこさんに』と静岡の六歳の子の投書が載ったのである(同九月八日)。
新聞が若者に読まれなくなって三十年近くになる。したがって投書人口は減って、六十代七十代になりつつある。たまに二十代の投書があると担当者はとびつく。けれども八歳と六歳は幼なすぎる。それにこんな投書を採用したわけがわからない。」
「保育園のころから踊りを習わせてもらっている。もう少し大きくなったらお茶、三味線、鼓も習い共に舞妓になりたいと書いてある。
二人とも芸がなければ舞妓になれないと知っている。一人はできたら鼓も習いたいと書いているから予備知識があることが分る。
こういう時代が昭和二十年代にないことはなかった。小くに、まり千代、五郎丸の全盛時代で、宝塚の女優にでもなるつもりで素人の娘たちが志願してなった。当時はまだ親に売られて芸者になった妓が現役でいた時代だから、互にうまくいくはずがなかった。実情を知って驚いてすぐやめた。あとはキャバレー、バーの時代で、花柳界は柳橋が最も早く滅びた。
赤坂は田中角栄の全盛のころはまだ盛んだった。角栄は白昼『千代新』に電話をかけて、これから行く、誰でもいいがあいている芸者を呼んどいてくれと命じて行って、三十分そこそこで帰ったという。それでいておかみにも女中にも十二分な祝儀を与えたから評判が悪かろうはずがない。閣僚は激務である。手まひまかかる恋愛なんぞされては国民は迷惑である。
角栄だから相手は不見転(みずてん)ではない。すこしは名のある芸者が枕席に侍ったのである。赤坂がそうなら新橋もそうである。祗園も例外ではない。ただ芸者は芸を売って色は売らない看板を出しているから素人はそうかと思う。それを新聞が知らないはずがないからけげんなのである。
アメリカではケネディまでは醜聞ではなく艶聞だった。世間は羨んだ。ケネディのあとを継いだジョンソンは三人の美人秘書を雇って、実はと切出したら一人は泣いて帰ったが、二人は承知した。執務中勃然と兆したときの相手をつとめるのが仕事である。角栄ばかりでなくそれ以下の政治家、実業家も似たようなものだった。まさか埋草に載せたわけではなかろうとけげんなのである。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「不思議な投書を見た。鎌倉在住の八歳の少女の『まいこさんに私はなりたい』という投書である(朝日新聞八月三十一日)。こんどは『私もなりたいまいこさんに』と静岡の六歳の子の投書が載ったのである(同九月八日)。
新聞が若者に読まれなくなって三十年近くになる。したがって投書人口は減って、六十代七十代になりつつある。たまに二十代の投書があると担当者はとびつく。けれども八歳と六歳は幼なすぎる。それにこんな投書を採用したわけがわからない。」
「保育園のころから踊りを習わせてもらっている。もう少し大きくなったらお茶、三味線、鼓も習い共に舞妓になりたいと書いてある。
二人とも芸がなければ舞妓になれないと知っている。一人はできたら鼓も習いたいと書いているから予備知識があることが分る。
こういう時代が昭和二十年代にないことはなかった。小くに、まり千代、五郎丸の全盛時代で、宝塚の女優にでもなるつもりで素人の娘たちが志願してなった。当時はまだ親に売られて芸者になった妓が現役でいた時代だから、互にうまくいくはずがなかった。実情を知って驚いてすぐやめた。あとはキャバレー、バーの時代で、花柳界は柳橋が最も早く滅びた。
赤坂は田中角栄の全盛のころはまだ盛んだった。角栄は白昼『千代新』に電話をかけて、これから行く、誰でもいいがあいている芸者を呼んどいてくれと命じて行って、三十分そこそこで帰ったという。それでいておかみにも女中にも十二分な祝儀を与えたから評判が悪かろうはずがない。閣僚は激務である。手まひまかかる恋愛なんぞされては国民は迷惑である。
角栄だから相手は不見転(みずてん)ではない。すこしは名のある芸者が枕席に侍ったのである。赤坂がそうなら新橋もそうである。祗園も例外ではない。ただ芸者は芸を売って色は売らない看板を出しているから素人はそうかと思う。それを新聞が知らないはずがないからけげんなのである。
アメリカではケネディまでは醜聞ではなく艶聞だった。世間は羨んだ。ケネディのあとを継いだジョンソンは三人の美人秘書を雇って、実はと切出したら一人は泣いて帰ったが、二人は承知した。執務中勃然と兆したときの相手をつとめるのが仕事である。角栄ばかりでなくそれ以下の政治家、実業家も似たようなものだった。まさか埋草に載せたわけではなかろうとけげんなのである。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)