「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

遊びをせんとや 2016・06・12

2016-06-12 14:55:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、結城昌治(ゆうき・しょうじ)さん(1927-1996)の「死もまた愉し」から。


  「よく、何のために生きるかといわれますが、私は、何のためもヘチマもないと思っています。

  人間、だれでも親を選ぶことができません。いやおうなしに生まれてくるわけです。この世に

  顔を出したからといって、とたんに、目的が生まれるわけもないんです。目的なんぞもつ必要

  はないんですよ。なまじ変な目的をもつから、ガリ勉をして、人を蹴落とすのを何とも思わな

  い人間になってしまう。あるいは、選挙のたんびに『お願いします』と土下座するのも平気な

  人間ができあがる。『遊びをせんとや……』(*)で、もともと人間は、そういうふうにはでき

  ていないはずなんです。

   人それぞれに生き方がありますから、目的をもって生きることがわるいと決めつけるつもり

  はありませんけれど、目的がないからといって、悩む必要もないと思います。とくに、もう自

  分の行き先が見えたと思っている人は、無理に目的をもたなくてもいいんじゃないでしょうか。

  目的がないと不安だというなら、身近なところで見つければいいんです。孫の顔を見るまでは

  生きていたいとか、勤めていた会社に厭な重役がいたら、あいつが死ぬまでは絶対に死にたく

  ないとか、何でもかまわない、ふだん考えていることでもいいわけです。その程度の目的なら、

  むきになる必要もないでしょうから、遊んで楽しむことを優先させることもできます。

   毎日、楽しく遊んでいれば、いつのまにか年をとり、いつかは死ぬときがやってくる。どう

  せ死ぬことはわかっているんですから、もっと楽しまなきゃ損だという気になればいいわけで

  す。そうすれば、しぜんに死にたいする心構えもできてきます。多少、気取っていえば、人生

  の暮れ時が見えてくるということです。」



  (*)筆者註:「遊びをせんとや生(う)まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけん、遊ぶ

         子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」  (梁塵秘抄)




  渾沌より汐泡(しほなだ)の如く浮び出でまた渾沌に戻るなるべし

                            (福永武彦)


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