今日の「 お気に入り 」は 、歴史作家 関裕二さんの著作
「 古代史の正体 」から 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 天智7年( 668 ) 夏5月5日 、天智天皇は 、
大海人皇子( のちの天武天皇 )や諸王 、内臣( 中
臣鎌足 )、群臣らとともに 、蒲生野( 滋賀県東近江市 、
蒲生郡日野町の周辺 )に薬猟( 不老長寿の薬になる
鹿の新しい角を取り 、薬草を摘む儀式的な行楽 )を行っ
ていた 。この猟の後の宴で 、歌が披露された 。その時の 、
額田王の 『 天皇 、蒲生野に遊狩したまう時 、額田王の
作る歌 』 が 、次の一首だ 。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
( 大意 )紫野を行き 、標野を行って 、野守に見られて
いないでしょうか 、あなたが手を振っているのを ・・・ 。
『 野守に見られていますよ 』 と 、はにかむ額田王を連想
してしまう 。手を振るしぐさは愛情表現なのだが 、古代人
にとってはさらに大きな意味があって 、魂を招き寄せる行
為だった 。一見して朗らかな歌なのだが 、これには 、裏が
ある 。というのも 、このとき額田王は 、大海人皇子のもと
を離れて 、天智天皇に嫁いでいたからだ 。『 元夫 』が野
原で手を振ってきた ( 魂込めて愛情表現してきた ) ことを 、
みながいる宴席で 、暴露してしまったわけである 。もちろん 、
今の亭主も 、目の前にいたにもかかわらず 、『 野守に見ら
れてスキャンダルになっちゃいますよ 』と 、その状況を告白し
てしまったのだ 。これに 、大海人皇子はどう応えたのだろう 。
紫草 ( むらさき ) のにほへる妹 ( いも ) を憎くあらば人
妻ゆゑにわれ恋ひめやも
( 大意 ) ムラサキ草のように照り映えるあなたを 、もし憎い
いと思っていたら 、人妻と知りながら 、どうして恋をしまし
ょうか ・・・ 。
微妙な歌だが 、天智天皇だけでなく 、一堂に会してい
た群臣たちも 、歌を反芻したにちがいない 。『 憎いと思
っているなら? 』『 何で恋をするでしょう? 』ということは 、
『 憎くない? 』『 だから 、手を振った? 』『 要は 、好き
なんだ ~ !! 』 。」
「 民俗学者の折口信夫はこれを 、『 戯れ言 』とみなし 、
この解釈が通説となっている 。たしかにそう考えなければ 、
その場は凍てついていたはずだ 。
( 中 略 )
政略結婚で天智天皇と額田王は結ばれたが 、大海人
皇子と額田王が 、いまだに愛し合っていたとなれば 、天
智天皇のメンツは丸つぶれになる 。だから和やかな雰囲
気の中で 、大海人皇子も額田王もケラケラ笑いながら
この歌を交わし戯れ事にしたと考えたのだろう 。
しかし 、本当にそうなのだろうか 。額田王は 、腸 ( はら
わた ) が煮えくりかえっていたのではなかったか 。彼女は
近江遷都の際にも 『 なんで三輪山から離れなければな
らないのだ 』 と 、天智の政策を批判する歌を作っている 。
好きでもない ( 憎んでいた可能性もある ) 人のもとに嫁
ぎ我慢していたのに 、大海人皇子はのんきに手を振って
くる 。それならばと 、猟のあとの宴席で二人の権力者に
一泡吹かせたのではなかったか 。男の度量を試したので
ある 。
額田王が歌った瞬間 、緊張が走り 、群臣たちはポー
カーフェースを決めこんだろう 。天智は顔をこわばらせ 、
大海人皇子も青ざめ 、たじたじだったにちがいない 。
天智と大海人皇子は 、反蘇我派と親蘇我派に分
かれて 、骨肉の争いを演じてきた仇敵である 。天智
天皇は親蘇我派を懐柔しなければ 、政権を運営で
きなかった 。だから 、やむなく大海人皇子に娘を大勢
差し出し 、その見返りに 、額田王ひとりをもらい受けた 。
屈辱の交渉を経て 、今 、ここにある 。いわば額田王は 、
娘数人と対等の人質だ 。その額田王が 、『 大海人
皇子とまだ恋愛中 』 と 、歌にしてみなの前で発表した
のである 。最も権威ある地位に立っている天智が 、コケ
にされたのだ 。殺意を抱いたとしても不思議ではない 。
そして 、大海人皇子が必死の思いで返した歌に 、天
智は顔を赤らめ怒り心頭に発し 、群臣はさらに緊張し 、
額田王はほくそ笑んだ ・・・ 。そんな情景が伝わってく
る 。
ならばなぜ 、天智天皇は大海人皇子を殺さなかった
のか 。そしてなぜ 、大海人皇子は 、額田王の問いか
けに 、『 憎いわけがないだろ 』 と 、殺されても文句が
言えない歌を返したのだろう 。
答えははっきりとわかる 。すでに述べてきたように 、天
智朝で重用されていたのは 、蘇我系豪族たちだった 。
彼らが集っている宴の場で 、天智は迂闊に手を出せ
なかったのだろう 。それを知った上で 、額田王と大海
人皇子は 、歌をやりとりし 、心の中で舌を出したので
はないか 。
痛快な事件と言っていい 。これほど胸のすく愉快な
事件が起きていたことを 、『 万葉集 』 は伝えたかった
のだろう 。女性の度胸に 、頭が下がる 。 」
( 関裕二著 「 古代史の正体 」新潮社 刊 所収 )」
引用おわり 。
異論もあろうが 、面白い 。いつの時代も ・・・ 。