今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から
「 楽浪 ( さざなみ ) の志賀 」の一節 。
備忘の為 、抜き書き 。いつ読んでもほっこり落ち着く語り口 。
引用はじめ 。
「 『 近江 』
というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう 、私には
詩がはじまっているほど 、この国が好きである 。京や大和が
モダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつ
あるいま 、近江の国はなお 、雨の日は雨のふるさとであり 、粉雪
の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう 、においを
のこしている 。
『 近江からはじめましょう 』
というと 、編集部のH氏は微笑した 。お好きなように 、という
合図らしい 。 」
「 はるかな上代 、大和盆地に権力が成立したころ 、その大和権力の
視力は関東の霞ケ浦までは見えなかったのか 、東国といえば岐阜県
からせいぜい静岡県ぐらいまでの範囲であった 。岐阜県は 、美濃と
いう 。ひろびろとした野が大和からみた印象だったのであろう 。
さらには静岡県の半分は駿河で 、西半分は遠江 ( とおとうみ ) と
いう 。浜名湖のしろじろとした水が大和人にとって印象を代表する
ものだったにちがいない 。遠江は 、遠 ( とお ) つ淡海 ( あわうみ )
のチヂメ言葉である 。
それに対して 、近くにも淡海がある 。近つ淡海という言葉をちぢ
めて 、この滋賀県は近江の国といわれるようになった 。国のまん
なかは満々たる琵琶湖の水である 。もっとも遠江はいまの静岡県で
はなく 、もっとも大和にちかい 、つまり琵琶湖の北の余呉湖 ( よ
ごのうみ ) やら賤ケ岳 ( しずがたけ ) のあたりを指した時代もある
らしい 。大和人の活動範囲がそれほど狭かったころのことで 、私は
不幸にして自動車の走る時代にうまれた 。が 、気分だけはことさら
にそのころの大和人の距離感覚を心象のなかに押しこんで 、湖西の
道を歩いてみたい 。
ちなみに湖東は平野で 、日本のほうぼうからの人車が走っている 。
新幹線も名神高速道路も走っていて 、通過地帯とはいえ 、その輻輳
( ふくそう ) ぶりは日本列島の朱雀 ( すざく ) 大路のような体 ( て
い ) を呈しているが 、しかし湖西はこれがおなじ近江かとおもうほ
どに人煙が稀れである 。
『 湖西はさびしおすえ 』
と 、去年 、京都の寺で拝観料をとっている婦人がいった 。その
あたりに彼女の故郷の村があるらしく 、あれはもう北国どす 、と
言い 、何か悲しい情景を思い出したらしく 、せわしくまぶたを
上下させた 。『 そこへゆくと 、京はにぎやかで 』 といって 、
私から百円の料金をとりあげた 。」
「 たれか道連れがほしいと思い 、この県の民俗調査をやっている菅沼
晃次郎氏と大津で落ち合った 。私より四つほど若く 、車内で同席す
るなり 、
『 速記から民俗学に入りましてん 』
と 、そんなぐあいに自己紹介された 。大阪うまれで 、いかにも大
阪人らしい率直な物の言い方であった 。怪態 ( けったい ) なはなし
で 、と菅沼氏はいう 。昭和二十四年ごろでしたやろか 、ええ暑い
ころです 。大阪城のそばの馬場町の営林局の宿舎で柳田國男先生と
折口信夫先生の民俗学の講演会がありまして 、といわれる 。
なるほど豪華な講演会である 。日本の民俗学の二人の創始者が二人
とも顔をならべての講演会だというのだが 、当時の大阪はまだ戦災
から復興しきっておらず 、その講演会場が営林局宿舎の二階だった
というのがおもしろい 。聴衆は三 、四十人だったという 。そのとき
速記をたのまれたのがこの世界に入るきっかけでした 、と菅沼氏はい
うのである 。 」
「 上方の話し言葉は語尾が『 て 』でつづいてゆく 。私はラジオ屋の
子でして 、工業学校を出まして 、それがもう一つ何ちゅうか 、面
白う無うて 、なにか面白いことがないかと思いまして 、それで速記
をならいまして 、習った早々に柳田・折口先生の速記をするという
ハメになりまして 、こっちのほうがおもしろいやないかと思いまし
て 、それでその講演会の幹事をしておられた鳥越憲三郎先生がほな
らおまえ民俗学やれといわれまして 、それでいろいろやりまして 。
・・・・・・
『 それでは 、近江はあんまり 』
『 へい 、あまり縁が 。八年前でした 、来ましたのは 。これだけの
風土をもちながら県に民俗学会というのがない 、ということでお前
行ってやってみいとひとに言われてやってきまして 、それで滋賀県
民俗学会というのをつくりましたけれど 、県が経済的な面倒をみて
くれませんので 、火の車ですわ 』
と 、愉快そうに笑った 。 」
引用おわり 。
上方の話し言葉がなつかしく 、おもしろい 。
後段はテープ起こしして 、書かれているにちがいない 。
もう一つ「 お気に入り 」。
「 淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ 」
( 柿本人麻呂 )
( ついでながらの
筆者註 :万葉集にある和歌の代表みたいな歌 。
原文は 、「 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念 」とか 。
淡海(あふみ)の海 ( うみ ) 夕波千鳥(ゆふなみちどり )
汝 ( な )が鳴 ( な ) けば 情(こころ)もしのに 古(いにしへ)
思 ( おも ) ほゆ )