「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

気散じ Long Good-bye 2023・11・21

2023-11-21 05:31:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 冷える 。冴える 。

 晴れる 。」と題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 口にするだけで 、すっきり洗われるような気分になる言葉が

  ある 。

  『 ああ 、せいせいした

  自分が言うときも 、だれかが言うのを聞くときも 、勢い

  よく風が吹き抜けてゆく爽快を感じて『 せいせいする 』 。

  長くごたついた離婚話にようやく片がついたともだちが 、役

  所に届けを出して外にでた瞬間 、飛び出た科白がこれなのよ

  と言っていた 。よくわかる 。ぜんぶを振りきって残滓の一滴

  さえまとわりつかせない 。きれいさっぱりとした快感がこの

  言葉にはある 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 森鷗外の小説に『 寒山拾得 』という一編がある 。

  どうにも気晴らしをしたくなると 、むしょうに この『 寒山拾得 』

  を読みたくなるという知人がいる 。

   みじかい一編である 。唐の時代に閭 ( りょ ) という官吏がおり 、

  遠く天台へ向かう 。逢いたいのは国清寺にいるという拾得と寒山 。

   じつは 拾得 は 普賢延命菩薩 、寒山 は 文殊師利菩薩 。閭がぶじに寺

  に着き 、僧に案内を請うと 、痩せてみすぼらしい格好ををした小

  男ふたりが火に当たっているので 、閭が名乗りでる 。二人は同時

  に閭を一目見た 。それから二人で顔を見合わせて腹の底から籠 ( こ )

  み上げてくるような笑声を出したかと思うと 、いっしょに立ち上が

  って 、厨 ( くりや ) を駆け出して逃げた 。逃げしなに 寒山が『 豊

  干 ( ぶかん ) がしゃべったな 』と云ったのが聞えた 。

   読むたび 、自分らの意のままに次元を超えるようすが痛快で 、わた

  しも関を破り宙を駆けるような自由を味わう 。気が晴れるのだ 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

 

  ( ついでながらの

    筆者註:「『 寒山拾得 』( かんざんじっとく )は 森鷗外の短編小説 。
        1916年(大正5年)1月 、『 新小説 』 に発表された 。

        あらすじ

         貞観の頃 、台州の知事職に相当する 主簿 を務
        めることとなった 閭丘 胤( りょきゅう いん )は 、
        求道者でもなければ 、反対に無頓着な人でもなく 、   
        道を求めている他者に 「 盲目の尊敬 」 をもって接
        する人間であった 。赴任の当日 、リュウマチ性の頭
        痛に悩まされていた彼の元に一人の乞食坊主が訪
        れる 。閭( 鷗外の誤りで 、正確には 姓が 閭丘
        =以下訂正 )の頭痛を まじないによって 見事に
        治癒したこの男は 台州・天台山国清寺 の 豊干
        ( ぶかん )と名乗り 、これから同地へ赴く 閭丘が
        会いに行くべき偉い人はいないかと尋ねると 、それ
        ぞれ 文殊菩薩 と 普賢菩薩 の化身 だという寒山
        と拾得の名を挙げて去っていった 。この出来事のた
        めに 、閭丘は 台州につくと 間も無く 二人が暮らし
        ている 国清寺 を目指したのであった 。丸二日かけて
        やってきた 閭丘 は 道翹( どうぎょう )と言う僧に
        案内されるかたわら 、豊干や拾得についての話を
        聞く 。実際に 二人と対面するため 台所へ通され
        ると 、みすぼらしい身なりをした二人の小男が火に
        当たっていた 。閭丘 は 聖人に接する意識で 自ら
        の官職を述べる拝礼をしたが 、寒山と拾得は 大
        声で笑ったかと思うとその場から逃げ去ってしまった 。」 

        以上ウィキ情報 。

       「 全体世の中の人の 、道とか宗教とかいうものに
        対する態度に三通りある 。自分の職業に気を取
        られて 、ただ営々役々 ( えきえき ) と年月を送っ
        ている人は 、道というものを顧みない 。これは読書
        人でも同じことである 。もちろん書を読んで深く考え
        たら 、道に到達せずにはいられまい 。しかしそうまで
        考えないでも 、日々の務めだけは弁じて行かれよう 。
        これは全く無頓着 ( むとんじゃく ) な人である 。
         つぎに着意して道を求める人がある 。専念に道を
        求めて 、万事をなげうつこともあれば 、日々の務め
        は怠らずに 、たえず道に志していることもある 。儒学
        に入っても 、道教に入っても 、仏法に入っても基督
        ( クリスト ) 教に入っても同じことである 。こういう人
        が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのも
        のになってしまう 。つづめて言えばこれは皆道を求め
        る人である 。
         この無頓着な人と 、道を求める人との中間に 、道
        というものの存在を客観的に認めていて 、それに対
        して全く無頓着だというわけでもなく 、さればと言っ
        てみずから進んで道を求めるでもなく 、自分をば道
        に疎遠な人だと諦念 ( あきら ) め 、別に道に親
        密な人がいるように思って 、それを尊敬する人があ
        る 。尊敬はどの種類の人にもあるが 、単に同じ対
        象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると 、道を求
        める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬す
        ることになり 、ここに言う中間人物なら 、自分のわ
        からぬもの 、会得することの出来ぬものを尊敬する
        ことになる 。そこに盲目の尊敬が生ずる 。盲目の尊
        敬では 、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠 ( せ
        いこく ) を得ていても 、なんにもならぬのである 。 
        ( 森鷗外著 「 寒山拾得 」 青空文庫 所収 ) 」)

 

   ( ´_ゝ`)

 

    早朝にイヤホンで聞くラジオの聞こえが悪いように感じる

  ことが増えてきた 。かけている メガネの度 が合ってないように感

  じることも増えた 。

    気のせいではない 、老いるショック 。

    もの みな 上がる 2023年 の 秋 。

    今年 締めくくりの 打ちおさめに 、ロシア仕込みの ICBM が 南に

  向かって飛ぶそうな 。ロシアのは 、サルマタ でしたっけ ? 

   北極 、南極を周回する 衛星軌道は 新たな脅威か 、はたまた単なる

  デモンストレーション ? 偵察のみでは 、コスパが合わず 、ロシアのパシリ 。

    気散じに 、増税くそ眼鏡減税うそ眼鏡 と言ってみる 。(「減税おそ眼鏡」「減税せこ眼鏡」もあるそうな )

    つい 中間人物 に八つ当たり 。ああ 、せいせいした 。

   政界は 、おカネを巡る 安倍派と岸田派の泥仕合 。

   シン・ゴジラ か 地震が 来れば 、ガラガラポン 。)

 

コメント
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