今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ
「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 背後の気配 」
と題した小文の一節 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 がさり 。
背中のうしろでかすかな音が鳴った 。
辻角のちいさな駐車場にひとりで立っている 。連れはさっき料
金を支払いに行ったから 、ほかに誰もいないはずなのに 、あわ
てて振り返ってみるとやっぱりだれもおらず 、空耳だったのだと
思い直す 。
ばさっ 、がさがさ 。
こんどは風を孕んだ 、ふくらみのあるおおきな音だ 。どうやら
空耳ではなかったようだ 。急に落ち着きをなくし 、音の正体を
捕まえようとあたりを見回す 。
用心ぶかく背後をにらみながら 、はんぶん脅えて視線を彷徨わ
せると ―― 。なーんだ 。スーパーのレジ袋がふくらんで転がっ
ており 、内側に風が吹きこむたび宙に浮いて騒いでいる 、その
音なのだった 。
風が止めば 、音も止む 。けれども 、いったん気配を感じてし
まったから 、もうたったひとりではなくなってしまった 。 」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
よその国と比べれば 、比較的 平和な この日本でも 、年寄りにとって
気の抜けない社会状況があるのは 悲しいが 、現実 。
日々 気を張って 、用心深く 、目配り怠りなく 、暮らさねば 。
食品価格の高騰は 、高齢の年金生活者の生活を直撃し 、蝕んでいく 。
( ´_ゝ`)
以下 、沢村貞子さんのエッセイ「 老いの楽しみ 」( 筑摩書房 刊 )
の中の「 老いを思い知る 」と題した小文の一節 。もひとつ 、今日の
「 お気に入り 」 。
引用はじめ 。
「 老いるということは 、なんとも悲しい 。齢ごとに頬はこけ 、
眼はくぼみ 、髪は白く薄くなるばかり 。手馴れた家事をしよ
うとしても 、掃除器さえ思うように動かせず 、煮ものの鍋は
重いし 、柱の釘も 、まっすぐには打てない 。ときおり ・・・
雑巾をもってヨタヨタと歩く自分の姿が姿見にうつったりする
と 、ぞっとする 。何をしても疲れが烈しく 、もの忘れはます
ますひどく ・・・ つい 、愚痴のひとつも言いたくなる 。
『 まったく 、ひどいねえ 、若いときはこんなことはなかった
のに ・・・ いくらなんでも 、もうすこし 、なんとかならない
ものかねえ 』
わが家では ・・・ どちらか一人がそう言って嘆いたりすると
・・・ 相手はすぐ 、冷たい顔でハッキリ言うことになっている 。
『 だめですねえ 。なんともなりませんよ 。失礼ですけれど 、
あなた 、おいくつですか 』
そのトタンに 、嘆いた方は 、
『 え? あ ・・・ そうか 、そりゃあそうだ 』
とニヤリと笑って 、すぐあきらめて ―― それでおしまい 。
つまり 、お互いに ―― 人間は二十歳ごろから 、一日十万
個の脳細胞が失われてゆく 、ということを 、耳学問で知って
いるからである 。
その勘定でゆくと 、私たちの場合 ―― 十万個を三百六十五倍
して 、さらに 、六十何倍かしただけの脳細胞が 、すでにもう 、
なくなっているわけだから ・・・ 残りの細胞は 、どっちみち 、
いくらもないはず 。どんなに丈夫な金属でも 、使いすぎれば 、
金属疲労という現象がおきるということ ―― 私たち老人が 、あ
っちこっちガタガタしてくるのは 、ごく当り前 ―― というわけ
になる 。
『 ま 、仕方がないでしょう 、お互いに ・・・ 』
そうあきらめれば 、すっと 、気が軽くなる 。夫婦とも寝つきが
いいのは 、そのせいかも知れない 。
床の上に脚をのばして 、
『 ヤレヤレ 、今日もなんとかすぎました 。無事でけっこう ――
寝るほど楽があるなかに 、浮世のバカが起きて働く 』 ( 「 寝るほど楽はなかりけり 、・・・ 」とも )
などと ―― 働きものだった亡母の口真似をしているうちに 、もう 、
ぐっすり眠ってしまうから ―― まことにもって 、後生楽 ( ごしょ
うらく ) 。( 後 略 )
( 沢村貞子著 「 老いの楽しみ 」 ちくま文庫 所収 )」
引用おわり 。
子どもの頃 「 世の中に寝るほど楽はなかりけり 起きて働くバカもいる 」
と聞いたことがある 。五・七・五・七・五 ( ん? みそひともじじゃない ) 。
( ついでながらの
筆者註:「 沢村 貞子( さわむら さだこ 、旧字体:澤村 、1908年
11月11日 - 1996年8月16日 )は 、日本の女優 、随筆家 。
本名は 大橋貞子( おおはし ていこ )。
生涯に350本以上の映画に出演し 、幅広い役柄と個性的な
演技で名脇役女優として活躍した 。日本女子大学在学中に
新築地劇団へ入り 、左翼演劇運動に加わって 2度逮捕され
る 。その後 日活に入社して 映画女優となり 、東宝を経て
戦後は フリーとなる 。エッセイスト としても知られ 、
半生記 『 貝のうた 』『 私の浅草 』 などを発表している 。」
「 配偶者 今村重雄(1931年 - 1933年)
藤原釜足(1936年 - 1946年)
大橋恭彦(1968年 - 1994年)死別
著名な 家族 ( ん? )
父:竹芝傳蔵 狂言作者 ( 本名:加藤伝九郎 )
姉:矢島せい子
兄:四代目澤村國太郎 ( 本名:加藤友一 )
弟:加東大介 ( 本名:加藤徳之助 )
甥:長門裕之
甥:津川雅彦
姪:加藤勢津子 」
以上ウィキ情報 。
晩年は 、逗子の海浜のマンションにお住まいだったかと 。
そう 、作家の川端康成さん ( 1899 - 1972 ) がお住まいだったマン
ションと同じとこ 。
明治41年生まれの 沢村貞子さん 、明治39年生まれの 杉村春子
さん 、ともに戦前・戦中・戦後 を渋とく生きた 女優さん 。
時々お二人を混同してしまうが 、共通してるのは 男どもとは 比べ
ものにならない 気の強さ 。生命力でも 、鈍感力でも 、オスはメス
に敵わない 。)