鮭の日の 、今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ
「 なつかしいひと 」から「 ほとびる 」と題した小文の一節 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 箸でつまんだ梅干しをひとつ 、湯呑みのなかに入れて熱い湯を
注ぐ 。しばらく待っていると 、硬く身を閉ざしていた梅干しが
伸びをするかのように 、しだいにやわらかくなってくる 。だん
だんふくらんで 、ほとびている 。
ほとびる 。水を吸って膨れたりふやけたりするさまのこと 。す
っかり使われなくなってしまったけれど 、ことばの情景は 、じ
つはとても親しい 。水に漬けた豆がほとびる 。コーヒーに浸し
たパンの耳がほとびる 。ことこと煮た蛸の皮がほとびる 。しゃ
もじにへばりついて乾いた飯が盥のなかでほとびる ―― ただや
わらかくなるのではない 、水分がしだいに浸潤しながら緩やかに
ほどけ開いてゆくのである 。
森鷗外『 山椒大夫 』の一節も忘れられない 。
その時干した貝が水にほとびるように 、両方の目に潤いが
出た 。女は目が開 ( あ ) いた 。
『 厨子王 』という叫が女の口から出た 。
なにかこう粛然としてしまう 。厨子王の母の目から『 干した貝
が水にほとびるように 』つたった涙 。しずくのなかに時間の堆積
がこもっている 。
似ていても 、やっぱり ほかのことばでは 言いあらわせない 。て
んぷらそばのかき揚げが 、熱いだしのなかで ぐずりと なっている 。
それは 、ふやけているのとも違う 。崩れているのでもない 。やっ
ぱり 、ほとびていると言うのがぴたりとくる 。すこし情けなくて 、
おぼろげで 、頼りない感じ 。ことばじたいが恥ずかしそうに なり
を潜めたがっている気配 もあり 、だからよけいに 、こちらのから
だの感覚のすみずみまで捉えられてしまう 。そのぶん 、じんと 響
く 。 ( 後 略 ) 」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
語彙豊富 、小気味よい文章 。こんな日本語もあったなあ 、と
感じ入る 。
( ´_ゝ`)
( ついでながらの
筆者註:木へんに土をふたつ重ねると 桂 、人 ( にん ) べんに
土をふたつ重ねると 佳 、魚へんに土をふたつ重ねると 鮭 。
「 『 鮭 』という漢字のつくりの『 圭 』を分解すると
『 十一 十一 』になることから 、11月11日は『 鮭の
日 』とされています 。」
( 圭 と言えば 小室圭さん の 圭 、如何におわす「 うちのマコさま 」、「 となりのカコさま 」)
自分の姓名に使われている漢字を 、電話や口頭で
ひとに説明するのは難しい 。気に染まない 、ん? 、意に
染まない 説明はしたくないのに 、せざるを得ないことも
ある ・・・ 。
「 市場 ( いちば ) の市 ( いち ) 藤沢市の市 座頭市の市 、
居 ( い ) るの 居 ( い ) 住居の居 皇居の居 、
藤田嗣治の嗣 ( つぐ ) の字 口の下に一冊、二冊の冊を
書いて ( ただし 横棒は左右に出っぱってない ) 、
その横 〈 つくり 〉 に 司 ( つかさ ) と書いて 嗣 、( ああ めんどくさ )
明治の治 ( じ ) 政治の治 治ちゃんの治 ( おさむ or はる )
ふじたつぐはる とちがい 、いちいつぐはる ではなく 、
いちいつぐじ です 。 」
筆者の発音が悪いせいか 、聞き取りにくいせいか 、
” Tsuguji Ichii ” も 内外で わかってもらえた ためし が
ない ( のは 遺憾である ) 。)