今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ
「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
(「 倦まずたゆまず 」 と題した小文の一節 )
「 だいじなともだちが亡くなったその通夜の帰り 、数人で
ちいさなレストランに寄った 。報せを受けて準備を あれ
これ 手伝った者どうし 、ひとまず腰を落ち着けましょう
という話になったのである 。とはいえ肉を食べる元気は
でてこず 、焼いた熱いチーズをのせたサラダ 、自家製の
ハムなどをえらんだ 。『 じゃあ献杯 』と唱えながら白
ワインでくちびるを湿らせると 、冷たさと酸味がひとすじ
の流れとなって胃の腑へ滑り降りてゆき 、すると 、はっと
我に返るような衝撃があった 。驚いてふたくち 、みくち
続けて飲み 、塩漬けのオリーブにも手を伸ばすと 、熟成
した黒い実の濃厚なこくが口腔を充たす 。とたんに血が
どくんと波打って指先まで命脈が通じたことにふたたび
衝撃をおぼえた 。
飲み 、噛み 、嚥下する 。生まれてから半世紀以上 、数か
ぎりなく繰り返してきた日常の行為なのに 、わたしはうろた
えた 。飲み 、噛み 、嚥下する 、そのたびに硬直が揉みしだ
かれてほぐれる 。自分がほぐれていると気づいてはじめて知っ
た 。たったいままでどんなに強ばっていたかを 、何者かに強
引に手をひっぱられて 、遠い場所から一気に引きもどされた
格好だった 。このとき唐突に思ったのである 。『 わたしは生
きている 』 。その場に仁王立ちになりたいような生々しい揺
さぶりであった 。だいじなともだちは死んでしまったが 、い
っぽう 、生きている者はこうして食べて生きていくのだ 。食
べて 、生き抜いていかなくてはならないのだ 。そして 、こん
な思いに突き動かされた ―― 生きているかぎり 、おわりが
くるまで倦まずたゆまず食べていかなければならないのだ 、
このさきずっと 。
しかし 、味覚にはそんなひりついた神経を笑い飛ばす鷹揚さ 、
気楽さが備っていた 。おずおずとテーブルについたはずの
わたしたちは 、飲み 、噛み 、嚥下するうち 、つまり食べ
るうち 、しだいに緩んで心地良くなり 、ワインをお代わり
し 、あまつさえデザートまで頼んで平らげてしまったのであ
る 。 」
( 中 略 )
「 食べなくては生きていけないが 、食べなければけっして味
わい得ない人生のおもしろみやうまみがある 。おかしみも 、
せつなさもある 。それらがない交ぜになった ごった煮こそ
が生きることなのだろう 。
店を出てみんなで肩を並べて夜道を歩き 、それぞれに家路
についた 。いい月が出ていた 。 」
( ´_ゝ`)
(「 はるかな故郷へ 」 と題した小文の一節 )
「 現在を支えているのは 、おびただしい過去の堆積である 。
だからこそ 、たったいまを生き抜けば 現在は更新され 、明日
へ連なってゆく 。おのずと足もとに現れるのは自分なりのひと
すじだ 。 」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
最近 目にした「 食 」をテーマにした エッセイ の一節 。
引用はじめ 。
「 人の心の中にひそむ さまざまの欲のうち 、最後に残るのは
食欲 ―― とよく言われる 。 」
「 食欲というのは 、ほんとにすさまじいもの 、と 我ながら 呆
れるけれど ・・・ ちょっと 、いじらしいところもあるよう
な気がする 。お金や権力の欲というのは 、どこまでいっても
かぎりがないけれど 、食欲には 、ほど というものがある 。
人それぞれ 、自分に適当な量さえとれば 、それで満足する
ところがいい 。おいしいものでおなかがふくれれば 、結構 、
しあわせな気分になり 、まわりの誰彼にやさしい言葉の一つ
もかけたくなるから ―― しおらしい 。 」
( ´_ゝ`)
「 二十年来 、わが家の食卓は朝と夜だけ ―― おひるは
おやつ程度になっている 。従って 、私たちの今後の食事
の回数は 、残りの年月に2をかけただけである 。うっかり 、
つまらないものを食べたら最後 ・・・ 年寄りは 、口なおし
が利かないことだし ・・・ 。
さて 、そうなると 、一体 、なにをどう食べたらいいのだろう
か ? あれこれ悩んだあげくの果てに ―― こう考えた 。
( いま 、食べたいと思うものを 、自分に丁度いいだけ ――
つまり 、寒いときは温かいもの 、熱いときは冷たいものを 、
気どらず 、構えず 、ゆっくり 、楽しみながら食べること )
なんとも 、月並だけれど ―― どうやら 、それが私たち
昔人間にとって 、最高のぜいたく ―― そう思っている 。
( さあ 今日も 、ささやかなおそうざいを 一生懸命こしらえ
ましょう ・・・ )
( 沢村貞子著 「 わたしの献立日記 」中公文庫 所収 ) 」
引用おわり 。
平松洋子さん 、沢村貞子さん 、
お二人が 、日々を ていねいに 生きておられる ( た ) のがよくわかる 。
永年 、台所担当 を務める 筆者にとって 、沢村さんの「 献立日記 」は 、
レシピはなくとも 、ヒントが貰えて有り難い 。