「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

金欲しつけあい Long Good-bye 2023・11・30

2023-11-30 05:40:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典

  「 ウィキペディア 」掲載の記事「 狂歌 」 。

   ( ´_ゝ`)

   引用はじめ 。

  「 狂歌( きょうか )とは 、社会風刺や皮肉 、滑稽を盛り込み 、

   五・七・五・七・七の音で構成した 諧謔形式の 短歌( 和歌 )。

   歴 史

    狂歌の起こりは 古代・中世に遡り 、狂歌という言葉自体は

   平安時代に用例があるという落書( らくしょ )などもその

   系譜に含めて考えることができる 。独自の分野として発達した

   のは江戸時代中期で 、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳など

   が知られる 。

    特筆されるのは 江戸の天明狂歌の時代で 、狂歌がひとつの

   社会現象化した 。そのきっかけとなったのが 、明和4年( 17

   67年 )に 当時19歳の 大田南畝( 蜀山人 )が著した狂

   詩集 『 寝惚先生文集 』 で 、そこには 平賀源内 が序文を寄

   せている 。明和6年( 1769年 )には 唐衣橘洲( からころも

   きっしゅう )の屋敷で 初の 狂歌会 が催されている 。これ以後 、

   狂歌の愛好者らは 狂歌連 を作って創作に励んだ 。朱楽菅江

   ( あけらかんこう )、宿屋飯盛( やどやのめしもり 、石川雅望 )

   らの名もよく知られている 。

    狂歌には 、 『 古今和歌集 』 などの名作を諧謔化した作品が

   多く見られる 。これは 短歌の 本歌取り の手法を用いたものと

   いえる 。

    明治以降は 、1904年( 明治37年 )頃から 読売新聞記者

   の田能村秋皐( 筆名は 朴念仁 もしくは 朴山人 )が流行語

   などを取り入れた新趣向の狂歌を発表し 、 『 へなぶり 』 という

   呼称で人気ジャンルとなった 。( へなぶり百人一首 天智天皇 秋の夜の 借着の夜具の 肌を寒み 己が子供等は 風をひきつゝ
                                〈 本歌・小倉百人一首 〉秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ )
 

    現代でも愛好者の多い川柳と対照的に 、狂歌 は 近代以降

   人気は衰えた 。しかし 石川啄木をはじめ近代の大歌人たちも

   『 へなぶり 』 に感化をされており 、近代短歌の精神の中に狂歌

   的なものは伏流している という指摘が 吉岡生夫らによってなされ

   ている 。

   狂歌の例

    ほとゝぎす 自由自在に 聞く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里

   ( 頭光( つむりのひかる ))

    花鳥風月を常に楽しめるような場所は 、それを楽しむための

    酒肴を買う店が遠くて不便だという意味で 、風流趣味を揶

    揄している 。

    ほとゝぎす 鳴きつるあとに あきれたる 後徳大寺の 有明の顔

   ( 大田蜀山人 )

    百人一首の徳大寺実定の歌( ほととぎす鳴きつる方をなが

    むれば ただ有明の月ぞ残れる )が元歌 。

    歌よみは 下手こそよけれ 天地の 動き出して たまるものかは

   ( 宿屋飯盛 )

    古今和歌集仮名序の 『 力をもいれずして天地を動かし … 』

     をふまえた作 。

    世わたりに 春の野に出て 若菜つむ わが衣手の 雪も恥かし

    百人一首の光孝天皇の歌( 君がため 春の野に出でて 若菜

    つむ わが衣手に 雪は降りつつ )が元歌 。

    はたもとは 今ぞ淋しさ まさりけり 御金もとらず 暮らすと思へば

    享保の改革の際に詠まれたもので 、旗本への給与が遅れた

    ことを風刺している 。

    百人一首の源宗于の歌( 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人

    目も草も枯れぬと思へば )が元歌 。

    白河の 清きに魚の すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき

    寛政の改革の際に詠まれたもの 。白河 は松平定信の領地 。

    定信の厳しい改革より 、その前の 田沼意次 の多少裏のあっ

    た政治の方が良かったことを風刺している 。大田南畝作という

    評判もあったが 本人は否定した 。別の寛政の改革批判の狂

    歌である 『 世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといふて

    夜も寝られず 』 も 『 詠み人知らず 』 とされているが 、大田

    南畝作の説が有力である 。

    泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず

    黒船来航の際に詠まれたもの 。上喜撰とは 緑茶の銘柄で

    ある 『 喜撰 』 の上物という意味であり 、『上喜撰の茶を四杯

    飲んだだけだが( カフェインの作用により )夜眠れなくなる 』

    という表向きの意味と 、『 わずか四杯( ときに船を1杯 、2

    杯とも数える )の異国からの蒸気船( 上喜撰 )のために国

    内が騒乱し夜も眠れないでいる 』 という意味をかけて揶揄して

    いる 。

    名月を 取ってくれろと 泣く子かな それにつけても 金の欲しさよ

    下の句を 『 それにつけても金の欲しさよ 』 に付け合うことで 、ど

    んな風雅な句も狂歌の体に収斂させてしまう言葉遊びを 『

    欲し付合 ( かねほしつけあい ) 』 という 。江戸中期に流行した 。

    世の中に 寝るほど楽は なかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く

   ( 読み人知らず )

    道教 、足るを知ること 、等に通じる高尚なところもあり 、怠け

    者の自己弁護のようなところもある有名な歌 。

   狂歌連

    大田南畝の率いる 山の手連 、唐衣橘洲らの 四谷連 など武士

   中心の連のほか 、町人を中心としたものも多く 、五代目市川團

   十郎とその取り巻きが作った 堺町連 や 、蔦屋重三郎( つたや

   じゅうざぶろう )ら吉原を中心にした 吉原連 などもあった 。

   著名な狂歌師

    狂歌師は洒落に富んだ狂名を号した 。

   狂歌三大家

   ・ 朱楽菅江( あけらかんこう ) - 山崎景貫 、幕臣 狂名は

     “ あっけらかん ” の捩り 。歌人・内山椿軒門下

   ・ 大田南畝( おおたなんぽ ) - 太田覃 、内山門下

   ・ 唐衣橘洲( からころもきっしゅう ) - 小島謙之 、田安徳川家

     家臣、内山門下

   狂歌四天王

   ・ 宿屋飯盛( やどやのめしもり ) - 石川雅望 、日本橋小伝馬

     町の宿屋

   ・ 鹿都部真顔( しかつべのまがお ) - 北川嘉兵衛 、数寄屋橋

     の汁粉屋

   ・ 頭光( つむりのひかる ) - 岸文笑 、日本橋亀井町( 現:

     日本橋小伝馬町 )の町代 、浮世絵師 狂号は 若禿 に

     因む

   ・ 馬場金埒 、( 銭屋金埒( ぜにやのきんらち ))、物事明輔

    ( ものごとあきすけ ) - 大坂屋甚兵衛 、数寄屋橋の両替商

   その他の狂歌師

   ・ 平秩東作( へずつとうさ く) - 立松懐之 、内藤新宿の煙草

     業 、内山門下 、号は書経に由来

   ・ 花江戸住( はなのえどずみ ) - 山手連 、山口政吉 、京橋

   ・ 便々館湖鯉鮒( べんべんかんこりう ) - 琵琶連 、大久保

     正武 、牛込山伏町 、幕臣

   ・ 大屋裏住( おおやのうらずみ ) - 元町連 、久須美氏孫

     左衛門 、日本橋金吹町の貸家業

   ・ 腹唐秋人( はらからのあきんど ) - 元町連 、中井嘉右衛門 、

     日本橋本町

   ・ 元木網( もとのもくあみ ) - 落栗連 、金子喜三郎 、京橋北紺

     屋町 、のちに 芝西久保土器町

   ・ 加保茶元成( かぼちゃのもとなり ) - 吉原連主宰 、岡本姓

   ・ 浜辺黒人( はまべのくろひと ) - 芝浜連 、本芝三丁目の本   

     屋 、色黒でお歯黒をしていたことに因むという

   ・ 文々舎蟹子丸( ぶんぶんしゃかにこまる ) - 葛飾連 、久保有

     弘 、与力 、『 ブンブン蚊に困る 』 に因む

   ・ 桐雅雄( きりまさお ) - 水魚連 、大谷( 通称は 桐屋 )三右

     衛門 、上野の商人

   ・ 花道つらね( はなみちのつらね ) - 堺町連 、5代目市川團十

     郎 、歌舞伎役者

   ・ 蔦唐丸( つたのからまる ) - 吉原連 、蔦屋重三郎 、浮世絵版

     元

   ・ 竹杖為軽( たけつえのすがる ) - 森島中良 、医者 、蘭学者

   ・ 酒上不埒( さけのうえのふらち ) - 恋川春町 、駿河小島藩士

   ・ 門限面倒( もんげんめんどう ) - 高橋徳八 、館林藩士

   ・ 土師掻安( はじのかきやす ) - 榎本治右衛門

   ・ 多田人成( ただのひとなり ) - 多田金次郎

   ・ 筆の綾丸 - 喜多川歌麿 、吉原連 、浮世絵師

   ・ 紫檀楼古喜( したんろうふるき ) - 落語家の2代目朝寝坊

     むらく の門下でもあり 狂歌を織り込んだ狂歌噺を得意とした 。

     本人を主人公とした 『 紫檀楼古木 』 という落語もあり 、六代

     目三遊亭圓生 、八代目林家正蔵 、六代目春風亭柳橋など

     が演じた 。圓生の枕によると 、蔵前で羅宇問屋を営んでいたが 、

     狂歌三昧で身代を崩し 、露天の羅宇商となり 、のちに噺家に

     なったという 。

   ・ 花村政一( はなむらまさいち ) - 江戸時代の狂歌師 。勾当 。

     伊達政宗から与えられた屋敷跡地が現在の勾当台公園であ 

     る 。 」

   引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

  「 どうする家康 」で耳にしたこんなうたも 狂歌 の一例 。

  「 御所柿は ひとり熟して 落ちにけり 木の下にいて 拾う秀頼 」 。

   ( ´_ゝ`)

   どなたかのブログで見掛けた「 金欲し付合 ( つけあい ) 」の例 。

  「 菜の花や 月は東に 日は西に それにつけても カネの欲しさよ 」

  「 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 それにつけても カネの欲しさよ 」

  「 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 それにつけても カネの欲しさよ 」

   こんなのもありました 。「 死して屍( しかばね )拾う者なし 」

  というコピーを 、俳句のあとにつけた例 。

  「 古池や 蛙飛びこむ 水の音 死して屍( しかばね ) 拾う者なし 」

  「 やせ蛙 負けるな 一茶これにあり  死して屍 拾う者なし 」

  「 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 死して屍 拾う者なし 」

   ユーモアあふれる狂歌の例 二つ 、好きだなあ 。

   秋山真之の狂歌
   「 雪の日に 北の窓開け シシすれば あまりの寒さに ちんこちぢまる 」

   大田南畝 、辞世の狂歌
   「 今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん 」 。

  「 Ⅹデー 」はいつか来る 。でも 、今じゃなさそう 、能天気 。

 

 

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