今日の「 お気に入り 」は 、山田太一さんのエッセイ
「 夕暮れの時間に 」( 河出書房新社 刊 ) から 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
( タイトル「 脱・幸福論 」の中から )
「 ・・・ 若くて脚光を浴び 、金が入って もてもての人気者の
幸福と 、しがない六十代のテレビライターの時折 横切る幸福
感など比べようもないのだが 、あっちは浅くてこっちは深い 、
などと思っている 。
これはたぶん生きるための必要なのだろう 。人は時に浅薄で
あることで生きる力を得 、時に深くあることでまた生きる力を
得る 。真相は 、たぶん 、どっちの幸福も等価なのだ 。そう
思って 、幸福論などあまり推しすすめないようにしている 。
ひとの幸福を自分の幸福観で裁かない方がいい 。裁きたいの
も人情だから 、ほどほどには仕方がないけれど 、それは生理
の必要でしているぐらいに思って丁度いいのではないか 。『 こ
れぞ真の幸福 』などという想を得て 、ひとの幸福にランクを
つけ 、自分の幸福観で屈服させようなどということは 、控え
めにいっても卑しく哀しい 。
生きるためには 、どうしてもいくらかの幸福感が必要で 、そ
れは個別の境遇 、年齢 、体力 、性格やらなにやらに添ってあ
る程度自然に湧いてくるものだと思う 。( 後 略 )
( 『 文藝春秋 臨時増刊 』 2001年9月15日 )」
( ´_ゝ`)
( 杉田成道著「 願わくは 、鳩のごとくに 」についての書評 ( 文庫本の解説 ) から )
「 ・・・『 マラソンランナーは走っているときがもっとも美しい ( 略 )
同じようなことが演出家にも当てはまるのだろうか 』とまるで自分が
美しく見えたのは自分の輝きではなく光線のせいです 、とでもいいたい
ような留保を書き添えてしまう 。しかしそれはもう杉田さんが美しかっ
たのだと思う 。
余計なことだけど 、演出家はいいなあ 、と思う 。脚本を書いている
だけの私など 、それじゃあ一番美しいときを誰にも見せられないでは
ないか 。本気で走っているときの自分なんて鏡で見たこともない 。
それどころではない 。仮に見たとしても 、とてもそれは美しいなんて
ものではないだろう 。 人にはきっといろいろあって 、私は 『 鶴の
恩返し 』 の鶴のタイプで 、みずからの羽をむしりとって布を織る姿は
見られたくない方だから 、残念だけど仕方がない 。( 後 略 )
( 杉田成道『 願わくは 、鳩のごとくに 』扶桑社文庫 、2014年8月 )」
( ´_ゝ`)
( 山田太一著 「 夕暮れの時間に 」河出書房新社 刊 所収 )
引用おわり 。
( ´_ゝ`)