今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている
本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。
主人公 原田甲斐の股肱の臣 中黒達弥 の 独白 。
主の命を受け 、名を 黒田玄四郎 と改め 、幕府
老中 酒井雅楽頭( この物語のラスボス )の屋敷
内 、勘定部屋に職を得 、五年の長きにわたり 、
その内情を探ろうと努め続ける 諜者の青年 。
五年も経ち 、その間 、身の安全を脅かす事件 、
波乱のひとつも起こらなければ 、決心も鈍り 、
迷いが生じるのは 、自然であり 、人情である
と思う 。
引用はじめ 。
「 かれらはみんな 、平常で安穏な生活の中にい
る 。朝は健康な気分で眼をさまし 、家人が腕
をふるった食事をとり 、出仕すれば一日の事務
に精をだす 、同僚とたのしく茶飲み話しをし 、
こころよく疲れて帰る 。それから風呂にはいり 、
子供をあやし 、美味い夕食を喰べて 、知人のと
ころへ碁将棋をしにゆくか 、妻と二人でゆっくり
酒にするかする 。寝間は静かで温かく 、眠りは
さまたげられることもなく深い 。家計が窮屈だと
か 、少しばかり出世がおくれているとか 、同僚
とのちょっとした不和 、家族のあいだのつまらな
い感情のもつれ 、などということのほかに 、た
いした不満や不平もないだろう 。
―― それが生活というものだ 。
玄四郎はそう思った 。
世の中の大多数の人たちはそういう生活をしてい
る 。そしてまた 、そういう人たちの中にはそう
いう生活に飽きてもっといきいきした 、冒険や刺
戟のある生きかたを求める者もある 。だが 、そ
れは安穏で無事な生活の中にいて 、現実の仮借な
さを知らないからにすぎない 。かれらのすぐ隣り
にはべつの生活がある 。そこには生きることの不
安や 、怖れや 、貧困 、病苦 、悲痛や絶望がせ
めぎあってい 、悔恨や憎悪や復讐などのために 、
心の灼け爛れるおもいをしている人たちがいる 。
これらの人たちは 、渇いた者が水を求めるように 、
静かで平安な生活にあこがれている 。どのように
ささやかであろうと 、しっかりした根のある 、
おちついたくらしがしたいのだ 。
―― このおれがそうだ 。
玄四郎は心のなかで云った 。
―― おれ自身がその一人だ 。 」
引用おわり 。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます