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今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『話しあい』というものはそもそも出来ないものだ、それを出来るように言いふらして信じさせたのは教育で、
教育には強い力があると言うと、どれどれ異(い)なことを言うと乗りだして聞いてくれる人と、てんから聞いてくれない
人にヒトはふた派に分れる。
この十年南京に大虐殺があったという派となかったという派が争っている。遅れて朝鮮人の慰安婦の強制連行があった
という派となかったという派が同じく争っている。互に証拠をあげて論じあっていつ果つべしとも思われないから、私は
読まない。読まなくても風のたよりでわかっている。
面倒くさいから手短かに言うと私は南京大虐殺なんかなかったと思っている。なかった派である。
南京は当時の首都である。時は昭和十二年十二月である。昭和十二年なら私はよく知っている。
事変が始まって半年も経ってない。これまで日清日露の戦いも満州事変も一年そこそこで終っている。
首都が落ちればこの事変は終る。大衆にとって戦争は儲かるものだったのである。
すでに失業率は激減している。各大学理工学部は全員売切れた。デパートに物資はあふれ、
カフエーバーダンスホールは満員で、この状態は昭和十四年まで続いた。
南京には従軍記者特配員文士画家が三百人近くいて記者は一番乗りを争っていた。
南京の人口は二十万人である。三十万殺せるわけはない。十万で累々たる死屍に足をとられた
はずなのに誰もとられてない。十年前なら従軍記者の過半は生きている。
新聞は連日大座談会でも開けばいいのに開かなかった。
新聞は大虐殺はあった派なのである。慰安婦の強制連行もむろん私はなかった派である。
あるはずがない、というのは昔から女衒(ぜげん)といって女を売買する商売人がいて、それにまかせて日本軍は
売笑婦の現地調達をしなかった。別に軍が道徳的であったわけではない。
『民』にまかせる発想しかなかった。貧しい女たちは身を売って大金をかせいで親もとに送った。
孝である。
そのもと慰安婦が三十年以上黙っていて今ごろ言いだしたのは、金が目あてである。
わが国の閣僚が強制はあったような発言をしたからである。
一人ならず何人も謝罪して言質(げんち)をとられている。
ブッシュ、クリントン両大統領も日本人記者に日本人に詫びる気はないかと問われ、毛頭ないと答えている。
原爆のことと察したからである。もし謝罪したら補償問題がおこるかもしれない。
アメリカ人に不利なことを大統領は言わない。ブッシュもクリントンも健康である。
自分の国の不利を招かないためにはサギをカラスというのが健康なのである。
いわんやありもしない強制連行をあったという閣僚は日本人ではない。
パンパンという言葉ならまだご記憶だろう。アメリカはわが国を占領するや否や直ちに政府を
通じて女を売買する商売人に元娼妓を集めさせた。慰安婦というから応募したら売笑婦だと分って怒って
帰る素人女もあったが、やむなくなった女もあった。
何事も慣れである。忽ち慣れて厚化粧して威張る女が多かった。
往年のパンパンの過半はまだ存命だろう。強制連行されて凌辱されたと訴えて出ないのは
彼女たちがモラルだからではない。相手にされないと知ってのことにすぎない。
日本はアメリカとは昭和二十六年、フィリッピンとは同三十一年、インドネシアとは三十三年、
以下国交回復と賠償を全部果している。韓国とはながい折衝の末昭和四十年『日韓基本条約』で
日韓の問題は『これをもって最終の解決とする』と大金を払って合意した。
もし蒸し返されたらそのつどこの条約をもちだして一蹴すればいいのにわが閣僚も新聞もしない。
それどころか陛下に謝罪の言葉がなかったと不服そうだから、若い読者にはこの条約の存在さえ知らないものが
ある。けれども『どうしてそんなに謝るの』と聞いてみるとうなずかない老若はない。
言い忘れたが北朝鮮は三十八度線下を韓国に向ってトンネルを何本も掘った。韓国は写真にとって世界中にばらまいたが、
北朝鮮はあれは韓国が掘ったものを北朝鮮が掘ったと言いふらしているのだと言って平気である。
論より証拠というけれど、この世は証拠より論なのである。
いかなる証拠をあげても大虐殺なかった派はあった派を降参させることはできない。
話しあいはできないのである。ここにおいて暴力が出る幕なのである。
暴力は自然なのである。正義は常に双方にある。
わが国には自衛隊があるという。あれは憲法違反であり税金ドロボーだった。国民の支持と敬意のない軍隊は軍隊ではない。
これだけ侮辱された自衛隊員の誰が国民のために死んでくれるか。
憲法九条を改めればいいのである。ドイツは四十三回、インドは七十四回、フランスは
十回改めている。改めることをタブーにしているのはひとりわが国だけである。
読売新聞は毎年憲法記念日に憲法改革試案を大々的に発表している。朝日新聞は
これを全く無視している。改憲論をタブーにする勢力はなお強力である。
私はわが国はアメリカの属国または植民地だとみている。共産圏は崩壊したがそれまで
わが進歩派にはソ連または中国の属国になって、直ちに改憲して軍隊を持つつもりの者どもがいた。
真の独立国になる気なんか当時も今もないのである。人は食える限り革命しない。
独立国だと自らあざむいて、私たちは半世紀枕を高くして寐ていたのである。
なお寐ていられるつもりなのである。
〔『文藝春秋』平成十年十月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)
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