今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「いま警察と政治家と芸人はやくざとは互に友だというと、とんでもない不祥事のように新聞は書くが、末端がやくざとつながっていなければよき情報は得られない。
テレビの銭形平次は樋口の旦那の手下ではあるが士分ではない。故に給金は樋口の旦那からもらう。年に二分(一分は一両の四分の一)かそこらだから、これでは下っ引ひとり雇えない。それでいて樋口の旦那も平次もりゅうとしたなりをしている。平次は町内の商家の旦那に養われている。大きな商家は盆暮れのつけ届けを怠らない。一旦もめごとがあると『平次を呼べ平次を』と呼びつけて事を内聞(ないぶん)にすませる。樋口は平次を、平次は下っ引を大事にしなければ捕物は出来ない。下っ引はやくざの改心したものだから、やくざの内情に通じている友である。町内の旦那方は表では親分親分と言っているが裏では『不浄役人』といってバランスをとっている。
その伝統は脈々と今日までつながっている。警察と芸人はやくざとつながっているというが当り前である、つながってなければ興業はできない。そんなことに新聞は正義を振回さないがいい。なぜ振回すかというと新聞の下っぱにはだれもリベートをくれないからである。袖の下をくれないからである。
故人田中角栄は新聞記者への土産に福田赳夫がサントリーを出すところを舶来の高価なウイスキーを出したそうだ。ほかにもつけ届けを怠らなかっただろうが、これしきのことでいま太閤、角さんとちやほやされた。
〔『諸君!』平成十三年三月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)