今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「『君には忠親には孝』という言葉は残っていたが、実体はもうなかった。親のためを思えば、こいつ(?)、勉強しなければいられぬと、明治の末ごろ県立の名門山口中学に貧しいなかを通学を許されたのちの小説家嘉村礒多は口走って、友の一人に嘲笑されている。山口といえば忠君愛国の本場長州である。そこで孝は笑われている。農村では忠孝はまだ残っていたが都会では滅びつつあった。私たち東京の中学生は天皇を天ちゃんと呼んでいた。ただし悪意はなかった。
『きけわだつみのこえ』は反戦厭戦の手記を選んだが、あそこにあるのは多く大正デモクラシーの声で、孝の言葉は旧幕のころとくらべると激減している。吉田松陰は革命家である。その松陰の辞世の歌は、
親思う心にまさる親心 今日の音ずれ 何と聞くらん
小林多喜二は親孝行で名高い。多喜二は社会主義と孝が両立した最後の人である。」
「大正デモクラシーはインテリにあって一般にはなかった。ことに田舎にはなかった。青白いインテリといって学生あがりはあなどられていたが今も昔も学歴社会である。官庁大会社の要所々々を占めているのはみなインテリである。
大正デモクラシーのあとを襲ったのは社会主義である。社会主義には若者を魅す正義がある。したがって社会主義にかぶれない若者はなかった。その多くは転向したが次なる正義を発見しないかぎり社会主義の影響は去らない。それを駆逐する正義があらわれなければインテリの支配は去らないだろう。
〔『文藝春秋』平成十三年二月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)