「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・05・21

2014-05-21 08:15:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「『近くパリに帰るが一緒に行くか』『行く』と答えたのはこの世は生きるに値しない、どこで暮すのも同じだから応じただけで、私にパリにあこがれなんか全くなかった。まもなくシベリア経由でベルリンまで行った。そのとき土方定一と一緒だったのである。土方二十八歳私より十二齢上で東大美学出身の長身の美青年である。ただ顔色は肺病らしくすすけていた。
 ベルリンでは武林がブダペストにいる妻子のもとに行って帰るまで、一週間私は土方と同じホテルの同じ部屋にいた。入浴も同じバスでした。土方はお定まりのはじめ詩人やがてアナキスト次いでボルシェビキでドイツには病気で一年しかいられなくて、昭和八年私が帰ったころは明治文学研究家になりすましていた。戦後は美術評論家になって終った。私はそのご二、三年土方と往来があったが、土方は短気で些細なことで交わりを絶った。土方は晩年『近代美術館』の館長になった。全集十二巻がある。寄贈を受けたから旧交を温めたかったのだろうが、私は別に話もないので応じなかった。
                                                  〔『諸君!』平成十一年十一月号〕」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014・05・20

2014-05-20 14:50:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「清岡卓行氏の十年ごしの労作『マロニエの花が言った』上下二巻が同時に新潮社から出た。ずっしりと重い大冊である。たぶん三千枚を越すだろう。なかに一九三〇年当時の私が出ているのでとりあえずそのあたりを見た。
 一九三〇年は昭和五年にあたる。私は満で十五歳、今でいう登校拒否で、ほとんど口をきかないから料見が分らない。わが家はなが年の金利生活者で両親とも経済音痴である。父は昭和二年脳溢血で倒れ一年病床にいて、昭和三年、五十になるやならずで死んだ。
 母は私を持てあましていたのだろう。昭和五年長いフランス生活から一時帰国した武林無想庵がたまたま訪ねてきて、父の死を知り、そこに少年の私がいたので友だちの子なら友だと私に東京案内をさせた。古く知っている店なら行くまでもない。知らない所へ行こうと、料理屋へあがった、カフエーに行った。当時は親が子に遊び方を教えるために待合へつれていくことがあった。女将(おかみ)はほとんど無意味なおしゃべりをして、それが音楽的で大人どもはこうして遊興の気分になるのだなと傍観者である少年の私には見えた。いずれにせよ芸者が来るまでのつなぎで、芸者が来るとあとはまかせて女将はにぎやかに去った。
                                     〔『諸君!』平成十一年十一月号〕」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014・05・17

2014-05-17 07:25:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

永井荷風は少年のころ、新聞を読むことを禁じられていたというなぜ禁じられていたかというと、新聞にはウソが書いてあるウソでないまでも誇張してあるまちがったことや醜聞が書いてある
 大人にはそれがウソか本当か分るが、子供は分らない。だから大人は読んでもいいが、子供は読んではいけない
 荷風散人は明治十二年生れだから、少年時代は明治二十年代である。このころ新聞をとるほどの家では、まず子供には読ませなかった。昭和十四、五年になってもまだ読ませない家があったはずで、それはアンケートしてみれば分る。
 私は禁じられたものの一人であるだから新聞のすみからすみまで読んだ昭和初年の新聞は八ページぐらいだったから、読むことができたのである東京日日新聞(今の毎日新聞)の編集兼発行人は、相馬基という人だといまだにおぼえている新聞の奥付まで読んだのである
 当時の新聞はふり仮名つきだったから、小学生でも読めた読むなと禁じられていたから、勇んで読んだのである
 今は読めと命じられるから、読まないのである。戦後の小学校では先生が新聞を読めという。ことに社説や第一面を読めという。読んだ証拠に切り抜いて来いという。
 だから新聞ぎらいになったのである。テレビラジオ欄以外は全く見ない若者がふえたのは、読め読めと先生が強いたからである。
 今の新聞の文章は当用漢字以外を用いないから、読む気があれば誰にでも読める。新聞の文章がこんなにやさしくなったのは初めてだろう。明治大正時代の新聞は、むずかしい字句を平気で使った。かなさえふればいいのだから、いくらでも使った。
                              〔『月刊ことば』昭和53年7月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



新聞にはウソが書いてあるウソでないまでも誇張してあるまちがったことや醜聞が書いてある。」、大人にも禁じた方がいい、かも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・16

2014-05-16 08:50:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「曲軒、山本周五郎氏は、長編を書き終えると、その関係者一同を料理屋へ招いて、一夕大盤振舞いをするのを例としたという。その席の給仕に出た芸者たちは、あとで周五郎氏をほめちぎったという。あたしたちを人間として扱ってくれたのは、周五郎先生を以てはじめてとする、云々。
 美しい話、立派な話だと皆々感服する。けれども、女給はホステスと名を改め、芸者は料理屋の女中に、お譲さんと呼ばれて久しくなる。ホステスや芸者は人もなげな振舞いをして、客より威張るようになった。客も女中も、はれものにさわるようになった。この美談は昔の修身そっくりで、うろんである。作者と人格者とつむじ曲りは、そもそも共に矛盾し、角逐する概念ではないか。それに、あんなによく売れる言論が、真であり善であり美であることが可能だろうか。」

(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汚職で国は滅びない 2014・05・15

2014-05-15 08:10:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、再録。

「汚職や疑獄による損失は、その反動として生じた青年将校の革新運動によるそれとくらべればものの数ではない。血盟団や青年将校たちの正義は、のちにわが国を滅ぼした。汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである。
 今も新聞は政治家を人間のくずだと罵るが、我々は我々以上の国会も議員も持てない政治家の低劣と腐敗は、我々の低劣と腐敗の反映だから、かれにつばするのはわれにつばすることなのに、われはかれに勇んでつばすることをやめない
                               〔Ⅰ『汚職で国は滅びない』昭55・4・17〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・14

2014-05-14 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日のつづき。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「山本周五郎氏は、弱いものと強いもの、貧しいものと富めるもの、正しいものと正しくないものを峻別する。そして、常に弱く貧しく正しいものの味方である。作者は一個の人格者で、その人格が小説に反映して、はからずも松下氏と共に修身の権化である。
 人は修身がきらいだきらいだと言いながら、実は大好きなのである。新聞はそれと知って『天声人語』だの『余録』だのという欄をやめないのである。あれには立派なことばかり書いてある。書いた人が、決して実行しないだろう、修身のかたまりが書いてある。新聞が文部省の修身科復活と聞くと、必ず反対するのは、このためである。お株をとられるかと心配するのである。
 大衆は修身を欲して、得られないから、両氏に殺到したのである。それなのに周五郎氏は曲軒と呼ばれ、つむじ曲りだそうである。ちなみに、つむじ曲りとへそ曲りは違う。へそ曲りは僅々二、三十年来の言葉である。正しくはつむじ曲りだと、勝手ながら私は思っている
 したがって社会党は、何でも反対党だそうだから、へそ曲りではあっても、つむじ曲りではない。あんなもの、つむじ曲りの風上にもおけない。
 つむじ曲りというものは、自分がつむじ曲りであることを恥ずかしく思うものである自慢しないものである我にもあらずそっぽを向いて、向いたとたんに後悔するものであるかくて、つむじ曲りは、曲っていない人に変装する義務を負う。」

(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・13

2014-05-13 07:20:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「はじめに私は経営者としての松下幸之助、文士としての山本周五郎両氏は、ほめものだといった。悪くいうものがない。このくらいないと、悪くいうことは禁物だといった。
 松下幸之助氏は松下系の会社の親玉である。鬱然たる存在である。ついでに修身のかたまりである。PHPという雑誌を主宰して、毎号ありがたい話を書いている。PHPは百万部近く売れるという。松下氏は読者をもっている。
 言うまでもなく私は、松下氏とは縁もゆかりもない。山本周五郎氏とは、たまたま同姓ではあるけれど、同じく赤の他人である。
 私はちっぽけな法人の経営者である。私は私の会社を経営して二十年になるが、大きくもならなければ小さくもならない。ならないのではない、なれないのだと私は私を見限っている。経営者として私は落第である。その代り潔白である。ワイロは使わないし、貰わない。社用の交際費を私用には使わない。これが潔白でなくて何だろうと思われるほどだが、その私でさえ、よいことばかりしていては、二十年つぶれないでいることはできない。やっぱり悪事は働くのである
 松下さんは大きい。金もあるし、人手もある。どうしてあんなに大きいものが、清く正しくいられるだろう。小さいこと豆粒大の会社でさえ悪いのに、巨大な会社が悪くない道理がない。いくらPHPといわれても、承知できない。」
 
(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・12

2014-05-12 07:10:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「たとえば、大きくて全く論じられないものの一つに『電通』がある。電通は新聞やテレビに広告を世話する大会社である。日本一であるばかりか、世界でも指折りだそうである。新聞は購読料と広告料で経営されている。民営のテレビは広告料だけで経営されている。電通は広告を世話する、または世話しないことによって、新聞とテレビを左右することができるもしその野心があれば全新聞を支配することも可能であるその野心はないようにみえるけれども野心家は内部にいなくても外部にいることがあるある日突然外部からあらわれて、それが歓迎されることがある私は忌憚のない電通論というものを見たことがないそれは書けない書いても新聞もテレビも扱ってくれない電通論がもし新聞雑誌に出るとすれば、それは一見悪く言っているように見せてほめた提灯記事である。」

(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・11

2014-05-11 06:50:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「その大新聞は、大銀行、大会社、大デパート――およそ自分と同じく大きなものなら批評しない。新聞は銀行から途方もない金を借りている。もっと借りたい。まだ貸してはくれないが、いずれ貸してくれるかもしれない銀行のことは、書きたくない。大企業は新聞テレビのスポンサーだから、同じく書きたくない。

 欠陥車については、書いたというだろうが、あれも書きたくなかったのである。日産、トヨタ以下の実名をあげて書いたのは、アメリカの新聞である。それを翻訳して、某経済新聞が小さく転載した。ほかの新聞は安心して追従した。スポンサーが文句を言ったら、経済紙のせいにすればいい。経済紙はアメリカのせいにすればいい。
 自分に責任がないときまれば、センセーションは大きい方がいいから、新聞は大きくあつかった。しまいには、初めて書いたのは自分だと言い出す始末である。
 創価学会のときも同じである。あれは初めアカハタが書いた。三ヵ月間も書いたあとで、大新聞は恐る恐る、次いで居丈高に、しまいには一番槍は自分だと言いだした。
 創価学会の醜聞はながく世間を賑わした。読者は全く同じ非難が書いてあると予想して、果してそうであることに満足して学会の悪口を読んだのである。ご苦労だと思うが、読者は思わない。思わないと知って、新聞は同じことを書かせ、各界名士は勇んで書いたのである。
 このとき、創価学会を弁護する記事はない。書いて喜ばれないときまった記事を書く記者はない。各界名士というものは、いま全盛の説は何かと見定め、それしか言わないものである見定めてから言うのだから、当然あとからのくせに、自分がさきだと言いはってきかないものである。だから、悪口をいうときは、日本中が同じ悪口をいう口々に言うことを、『言論の自由』という。」


(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある
                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きいもの 2014・05・10

2014-05-10 06:55:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日のつづき。

  「これよりさき去年五月、ニクソンは声明を発して、北ベトナムを国際的無法者だと言った。北ベトナムが

  南ベトナムに攻めこんだのは侵略である。アメリカの和平提案に対して、北は侵略をもって答えた。この無

  法者の手から武器をとりあげるのは、アメリカの義務だと言った。

   国際的無法者とはアメリカのことだと、毎日読まされてきた日本人は、さぞ驚いたことだろう。盗人たけ

  だけしいとあきれたことだろうが、これだけの声明をするのだから、それだけの言いぶんはあるのだろうと

  思われる。

   南北ベトナムは、共に非武装中立地帯を越えることができない。そういう協定がある(わが新聞はそれを

  書かない)。越えて攻めこんで来るのは常に北である。南は北へ攻めのぼったためしがない。アメリカは南

  の防衛に力を貸している。中国とソ連は北の侵略に力を貸している。北は南を併呑しようとしていると、ア

  メリカの新聞は年中書いているのだろう。それは題だけ見て、中身が分るほどだろう。

   けれども、わが国の新聞はそれを伝えない。伝えないでこの夥しい情報から選べという。夥しいのは北側

  の優勢を喜ぶ記事である。それは日本と北が一心同体だと思わせるほどである。それでいて日本人は、わが

  国に無断でアメリカが中国に手をさしのべたとあとでうらんだのである。

   アメリカにはアメリカを是とする説が山ほどあり、中国には中国を是とする説が山ほどある

  それは共に自然だが、北でも中国でもないわが国に、北と中国の説だけを是とする報道があるのは

  不自然である
わが国にはわが国を是とする説が、もっとあっていい

   日米再び戦えというのかと、私は笑ったことがある。そのつもりがないこと、鬼畜米英と書いた三十余年

  前と同じで、気分を出すこと三十余年前と同じだからである。

   十年鬼畜だと書き続けると、それは鬼畜になる鬼畜側にも少しは理があるだろうと

  いう発想がそもそも生じなくなる
。そのくせ、大戦中に書かれて、誰も相手にしなかった『暗黒日記』(清沢洌)

  のたぐいを、今ごろ珍重するのはどういう料簡だろう。

   大ぜいの言うことなら、眉ツバだといったのはこのことである。おのれ、アメリカ人に味方

  するかと袋だたきにされるから、言いたくても言わない。言わなければいつのまにか言うのを忘れるようになること妙である。

   かくて、新聞は一つで、一つだから批評がない。このごろ週刊誌が批評するようになったが、

  週刊誌はもと醜聞をもって売るもので、今もしばしば売るから、せっかくの意見が信用されない。大新聞を

  批評して動揺させる力があるのは、対立する大新聞か、NHKくらいなものである。これらが自衛上互いに

  批評しないことは始めに書いた。

 その大新聞は、大銀行、大会社、大デパート――およそ自分と同じく大きいものなら批評しない

   新聞は銀行から途方もない金を借りている。もっと借りたいまだ貸してはくれないが、

  いずれ貸してくれるかもしれない銀行のことは、書きたくない
大企業は新聞テレビのスポンサー

  だから、同じく書きたくない


 
(中略)


   私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上に

  あるのを疑うものである
正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年の

  とき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

   (山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする