今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日のつづき。
「情報化時代といって、情報量はふえるばかりだそうである。テレビ時代の子供は、テレビ以前の子供の、何百何十倍の情報を得ている。これからは情報を選択する時代というが、そんなことが可能だろうか。
いかにも、ベトナムの情報は多かった。けれども、全部同じものだった。たとえば、アメリカは一方で講和の談判をしながら、一方で北爆を再開した。天人ともに許さないと、三大新聞以下みな同じことを書いた。
ここにあるのは情報の重複で、豊富ではない。違う事実、違う意見を並べてくれなければ、選択はできない。題と執筆者の名を見て、中身が察しられる本や記事なら、読まないことが許される。女性週刊誌の醜聞は、その例である。たいていの男は広告だけ見て、中身を察する。察したら読まない。
気違いではあるまいし、和平交渉を進めながら、北爆を再開するものはない。するにはするだけのわけがあろう。それでいて決裂しなかったのだから、あの北爆は成功だったかと疑ってもいいのに疑わない。疑う材料は提供されていない。天人ともに許さないとだけ提供されているから、それをウのみにするか、いやなら眉ツバだと思うよりほかない。
(中略)
私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである。有利なものの上にあるのを疑うものである。正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある。
〔『諸君!』昭和48年4月号〕」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)