昨日の金スマに出ていた尾木ママこと尾木直樹氏のかつての教え子が亡くなった際の友人代表の弔辞の全文は下記の通りでした。
一昨日の朝、少し寝坊して朝練に遅刻しそうになったから、お前の家に電話出来なくて、「朝練に行く」と伝えといて、と頼んで家を出た。
朝練を終えて教室で話をしていた。
すると、いつものとおり先生が教室に入ってきた。
そして、「今日残念な事がありました」と言った。
先生はこの言葉をよく使うので、あま り気にしなかった。そして、お前の名前が出てきて、昨日死んだと言っている。
俺は心臓が一瞬止まった。
耳を疑った。
気が付いた時には、汗を沢山かいていた。
それからその後は頭の中が真っ白であまり記憶がない。
そして、部活を早目に終えて家に帰った。
家では母が泣いていた。
やっぱり本当だと思った。
それからお前の家に行ってお前の顔を見た。
死んでるなんて思えなかった。
家に 帰っても頭の中は真っ白で、何が何だか分からなかった。
次の朝起きると、目から涙が溢れ出た。
それからお前の事が頭の中へ浮かんできた。
涙も次から次へ 出てきて止まらなかった。
お前と知り合ったのは、小学校1年1組で同じクラスになった時からだ。
俺は遠くの保育園から来たので友達がいなかった。
おまけに、体は大きいくせにいじめられて、泣き虫で、運動神経は最低中の最低で、頭もあまり良くなかった。
お前は人気があって、走るのは速いし、塾にも行っていないのに一番頭が良くて、面白くて明るくて、そして誰よりも優しかった。
俺はそんなお前に憧れていたし大好きだった。
小学校2年の時、友達もいなかった俺の誕生日にチョロQをプレゼ ントに持って来てくれた。
その時の600円というのは、俺達にとって大変な金額だった。
とても嬉しかった。
3年生の時、一緒にサッカークラブに入った。
やはりお前は上手で俺は下手だった。
4年生の時、イトマンに入った。
やっぱりそこでもお前は大会に出れるようになったけど、俺は幼稚園児達と一緒に練習していた。
5、6年生になって俺は野球クラブに入ったが、やはり下手でいつも皆で野球をやる時は、最後にジャンケンで、いるとかいらないとか言われてた。
だけど、お前にけなされた覚えはない。
こんなに差があるのに友達でいてくれたお前を、俺は大好きだった。
お前は私立の中学校の受験に受からなくて、また一緒の学校に行ける事になった。
中学校に入学してからも、ほとんど一緒に登校したし、部活のない日は一緒に帰った。
昨日の通夜には行かなかった。
家でタオルをくわえてこの文を書いていた。
お前は俺にとって命よりも大切な友達だ。
朝遅刻をすると内申書に良くないと言って一緒に走った。
お前はよく遅れて来た。
今でも後ろを振り向くと、後ろから走って来る気がする。
玄関で待ってると、「〇〇ちゃん」と呼んでるお前の声が聞こえてきそうな気がする。
今、お前をこうして見ていると、「冗談だ」と言って、笑いながら起きてきそうな気がする。
起きてきて欲しい。
数えきれない程の人達が、こんなにも悲しんでいる。
お前は自慢しなかった。
俺がテストで良い点を取った時は褒めてくれた。
俺が悪口言われている時は庇ってくれた。
お前は自慢しなかったけど、これだけ沢山の友達を持って、これは自慢した方がいい。
よく「喧嘩する程仲が良い」って言うけど、あれは違う。
俺とお前は喧嘩した事がないからだ。
時々遊びに来いよ。
夢でも、幽霊でもいいから、盆と正月は必ず来いよ。
俺が死ななきゃならない時は、三途の川まで絶対来いよ。
今度話す時、お前は天国、俺はプロ野球の話をしよう。
最後にもう一度言うけど、お前は俺にとって命より大切な友達だ。
いつまでも友達でいよう。