グルタミン酸ナトリウム、MSG(Mono Sodium Glutamate)、あるいはうま味調味料、そしてアンチの人にとっての呼び名は“化学調味料”。どれも、味の素(株)が売っている赤いキャップのあの製品のことです。あなたは、食べるのを避けますか? それとも気にしませんか?
科学的には、グルタミン酸ナトリウムを常識的に食べる量であれば安全とされています(食品安全委員会の資料「食べ物の基礎知識」参照)。
味覚障害を引き起こすとの説も、後述しますが根拠はあやふや。あり得ない、という見方が科学者の大勢です。なのに、消費者の中には嫌う人が多い。その現象は世界で見られ、アメリカでもno-MSGとパッケージに大きく書いた食品が売られています。どうして誤解されているのでしょうか?
味の素社がこの問題と正面から向き合い、世界へ正しい情報発信をしようと9月20、21日、ニューヨーク・マンハッタンのホテルでフォーラムを開きました。
シェフや栄養士、メディア関係者、それに世界各国の味の素現地法人から社員や協力者、オピニオンリーダーなど約200人が集まり、講演やパネルディスカッションが行われました。
日本企業が海外で開くこの手のイベントは、日本国内で「海外で開催しました」と言って箔を付けたい、という狙いのものが少なくなく、日本のメディア関係者をわんさかご招待し取材させて国内で報道させる、というのが通例です。
しかし、味の素社の今回のイベントは完全にグローバル向け。同社が金銭的な負担をして国内メディアを招聘、というやり方はとっておらず、私も自腹で聞きに行きましたよ。
えっ、なんでわざわざ? 日本企業が世界を相手にどのようにリスクコミュニケーションを展開し始めるのか、知りたかったのです。
参加してみていろいろ驚きました。味の素社の主催フォーラムなのに、社員はあまり登壇しません。アメリカのテレビではおなじみの有名シェフがホストを務め、アメリカ人識者がどんどん、話を掘り下げてゆくのです。
彼らにとってこのテーマは、一企業の話というよりもファクトチェックの問題でした。
さらに印象に残ったのは「アメリカ人のno-MSGという意識の裏側にはレイシズム(人種差別)があるのでは?」という指摘でした。
つまり、「アジアから来たわけのわからない調味料なんて、食べてもろくなことにならないに決まっている」という人種差別、偏見があった、とアメリカ人自身が言うのです。
実に刺激的な議論です。フォーラムがどんな様子だったのか、会場の反応はどうだったのか、そのエッセンスをお伝えしましょう。
食品には、多くのうま味が含まれる
オープニングでは、味の素の西井孝明社長が短いあいさつ。透明性を持って科学的に情報を伝えてゆく、と企業姿勢を明確にしました。
Waki Matsunaga
マンハッタンのコンラッドホテルで開催されたフォーラム
その後は、アメリカの料理研究者や大学教授らがまずは、うま味の説明をします。
味には塩味、甘味、酸味、苦味、うま味という5つの味があります。うま味の発見は1908年。東京帝国大学の池田菊苗教授が、昆布にグルタミン酸が多いことを見出しました。
昆布などの中性の食品の中では、グルタミン酸はナトリウムやカリウムなどと結合して存在し独特の味を持ちます。池田教授はそれを「うま味」と名付けました。
今では、チーズやトマトなどさまざまな食品中に、うま味が含まれていることがわかっています。
法人うま味インフォメーションセンター
さまざまな食品にうま味成分であるグルタミン酸が含まれている
グルタミン酸はアミノ酸の一種です。タンパク質の多い食品を発酵や熟成、乾燥などして加工すると、アミノ酸のつながったものであるタンパク質の一部は分解され、グルタミン酸が遊離し食品中のナトリウムやカリウムなどと結合してうま味となるのです。
チーズや味噌、醤油、熟成肉などさまざまな食品でこの現象が起きているからこそ、これらはおいしいのです。
自然のうま味とMSGは同じなのに、なぜMSGは嫌われる?
うま味は、人類にとってタンパク質摂取のシグナルでもあるのでは、と考えられています。
食品を口にしてうま味を舌で感じたら「この食品はタンパク質が多い」ということを意味します。タンパク質は、人の体にとって極めて重要な栄養素なので、「この食品は、たくさん食べた方がよいぞ」と教えてくれるのです。
日本人にとってうま味はおなじみ。発酵や熟成で食品にうま味が増す、というのも常識です。しかし、アメリカ人は、うま味を意識しないまま食べています。そのためフォーラムでは、自然の食品にうま味が大量に含まれていることやその生理的な役割の解説に、かなりの時間が割かれました。
そして、MSGは、食品中に含まれるうま味と同じものであることが伝えられます。現在、MSGは発酵法で糖蜜などから作られていますが、できる化学物質は、食品に自然に含まれるものとまったく同じ。「なのに、どうしてMSGだけを嫌うの?」というわけです。
アメリカにおけるMSGの歴史も紹介されました。味の素は1909年の創業ですが、1920年代にはアメリカへの輸出を始めています。
しかし、アメリカ社会に一気に普及したのは、第二次世界大戦後。陸軍が、兵隊たちに配る缶詰の食品、いわゆる「ミリメシ」の不評に困り、改善策を模索した中で浮上したのがMSGでした。MSG使用により味が劇的によくなったのです。その後、市販の加工食品や外食でも使われるようになります。
ところが、1968年、大事件が勃発します。アメリカの医師が、MSGを大量に食べたことが原因で頭痛や顔のほてりなどが起きたとして、「中華料理店シンドローム」と名付けて権威ある学術誌「New England Journal of Medicine」で報告したのです。
これを契機に、MSGの評判は一気に下降。動物の腹腔にMSGを大量に注射するような無理な実験で出た症状も、MSGは悪い、とする根拠となりました。
その後、多くの実験・研究が行われ、1987年にはFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)が安全だと認め、EUやアメリカ食品医薬品局(FDA)なども同様の判断を示しました。しかし、風評は収まらず今に至っています。
アメリカでは、食品加工に添加した場合には原材料として表示することが定められていますが、「no-MSG」「NO ADDED MSG(MSG不使用)」などとパッケージに大きく表示している製品もあります。
ちなみに日本では、MSGの多用が味覚障害につながっている、という主張があります。しかし、科学的な根拠は示されません。食品には自然由来のうま味が大量に含まれており、人の体重の2%はグルタミン酸です。母乳にも非常に多く含まれています。なのに、MSGだけ味覚障害の原因に、というのは理屈に合いません。
Waki Matsunaga
日清食品のカップヌードルは、NO ADDED MSG(MSG 不使用)と大きく表示してある。ただし、その下に小さく「自然由来のグルタミン酸を含む」と書いてある。分析では、添加したMSGと自然由来のグルタミン酸は区別できない
アメリカ人作家が、レイシズムだと指摘
「Eight Flavors:The Untold Story of American Cuisine」という著書を2016年に出版した作家、Sarah Lohmanさんは、浜辺を歩いていて、商品名に大きく「with MSG」と入った調味料の古いビンを拾ったことを契機にMSGを調べ始めたエピソードを交え、MSGに対するアメリカ人の意識の変遷を語りました。
企業が商品名に入れるほどのプラスイメージを持っていたMSGが、学術誌への掲載を契機に一気に評価が下落し、回復できないでいるのです。
彼女も最初はMSGを悪いと思い込んでいましたが、さまざまな角度から調べた結果、うま味は食品中に普通にありMSGは問題ない、という結論となったそうです。
アメリカでこれほど劇的に誤解が広がった背景にあるのは、1962年に発表された小説「沈黙の春」をはじめとする科学への批判、反発、ほかの人工的な添加物が発がん性などを理由に使用禁止となった事件などから産まれた添加物忌避の感情。
そして、「アメリカ人の意識の中にレイシズムがあった。今こそ変わるべきだ」と彼女は熱く語りました。
会場の聴衆の中には、同意する意見をツイッターやインスタグラムに書き込む人もいました。
減塩や唾液分泌を促す効果も
また、MSGの便益(ベネフィット)に関する情報も提供されました。シェフが「料理に使うとおいしくなる」と説明し、The Glutamate Association(グルタミン酸協会)の職員がMSGを上手に用いると料理の塩分を減らすことができたり、唾液の分泌を促したりする効果があると説明しました。
これらのベネフィットについては、学術論文も出ています。
ただし、グルタミン酸協会のメインスポンサーは味の素社なので、ベネフィットのプレゼンテーションについて私は、その点を考慮しながら聞きました。
21日に行われたパネルディスカッションでも、アメリカの生化学者や歴史学者、メディア関係者等が、なぜMSGが誤解されているのか、客観的に語り合いました。「myth(神話)」と「fact(事実)」を提示し、感情と事実を区別すること、教育の重要性などが指摘されました。
行動科学の研究者は、心理学の二重過程理論を紹介しました。
Waki Matsunaga
パネルディスカッションの議論の内容が、ボードにまとめられた
人はどうしても、すばやく自動的、直感的に、昔から言われてきた流れに沿って判断しがちであり、これは「システム1」と呼ばれます。調査し情報を集め総合的に判断するのは「システム2」ですが、人はこのメカニズムを動かすのが苦手。
心理学、行動経済学の分野でよく語られる説です。そして、うま味、MSG反対派は、うまく消費者の直感に働きかけ、システム1を喚起し、運動を展開している、というのです。
MSG批判が、工業化への反発と自然への回帰、という人の感情にマッチしていることも語られました。
以上が、2日間のフォーラムでの概要です。このほか、うま味を味わう料理が昼食や夕食で提供され、味の素グローバルコミュニケーション部上席理事の二宮くみ子さんのリードで、野菜スープにMSGを混ぜることによってどのように味が変わるかを参加者に体験してもらう時間もありました。
Waki Matsunaga
味の素グローバルコミュニケーション部の二宮くみ子上席理事が、うま味のテイスティングとトレーニングを解説。参加者は、野菜スープと、MSGを添加した野菜スープを口にして、味の違いを実感した。この後、二宮さんは、参加者や講演者らからUmami Momというニックネームで呼ばれていた。
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1企業の問題ではなく、ファクトチェックの話だった
全体を通して、講演者が、味の素という一企業の利害ではなく、氾濫するフェイクニュースとファクトチェック、「感情vs事実」、という観点から、この問題を見ていることがよくわかりました。
2日間の議論を牽引したのは、Andrew Zimmern氏。アメリカ人にはテレビでおなじみの有名シェフです。この人がとにかく本気。さまざまな料理に含まれるうま味を紹介し、シェフとして料理も実演し、「僕は料理にMSGを使うよ」 と明言し、「MSG排除は感情的。ファクトで判断しないとね」と熱弁を振るうのです。
味の素社は2日目の朝、メディアを集めた説明会を開いたのですが、それにも同席し、自らMSGも用いて調理したサーモンを振る舞い、記者から同社に質問が向けられると、同社の回答の後にわざわざ補足説明を買って出るほど。
味の素社が2日間のギャラに相応の額を払ったのは間違いないところですが、でも、彼がお仕事ではなく真からレイシズムに怒りを感じ、このイベントをアメリカ人の誤解を正すスタートラインにしたい、と願っているのが、言葉と行動の端々からうかがえました。
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Waki Matsunaga
味の素社の記者会見なのに、シェフのAndrew Zimmern氏が熱弁を振るう
では、聴衆の反応は? 栄養士、料理研究家などに少しインタビューしてみましたが、多くはある程度は知識があって参加しているようで、極端に意見が変わった、という感じはありませんでした。
ただし、「こんなに私たちは日常的にうま味を食べ、MSGのエビデンスがたくさんあるのか、改めてよくわかった。イベント自体も楽しかった」という感想が複数の人から聞かれました。SNSで発信している人もいました。